PR
Calendar
Category
Comments
New!
虎党団塊ジュニアさん
New!
ヒロくん2010さん
New!
チョーサン8278さん
クラッチハニーさんFreepage List
背番号18(その7)
2代目タイガース非公式サイトです
おかげさまで雪も止んで交通機関も平常に戻りました スリップした車の接触などの小さな事故はあったようだけど 道路の雪も日陰以外はほぼ解けてきてるよ いちばん気をつけなきゃならないのは 昼間でも陽の当たらないとこは凍ってるからツルツルで危ないことかな
背番号18の第7回目です
前回は紹介した3人のうち最後の野田さんがドラフト1位だったよね 残念だけど「エース候補」と目されながら結局トレードで他球団へ行っちゃった・・・
流れの中で野田投手のあと「18番」は翌年空き番となってしまったのよ
そして1993年のドラフト会議で1位指名された藪さんが引き継ぎます 藪さんはすでに背番号4で紹介しているから 少し加筆したりして再掲です
今回は藪さんを含めて3名の選手を紹介するよ
藪恵壱(恵市)投手(再掲)
三重県の御浜町出身で高校は和歌山県の新宮高校。高校時代は県ベスト8が最高で、一浪して東京経済大学に進む。どこのセレクションにも合格できず一度は野球をやめようかと思っていたところ、たまたま野村克也の講演を聞く機会があって思い直したという話を聞いたことがある。(先代の談)
東京経済大は首都大学リーグの2部リーグだったが、藪は通算36勝を記録してプロからも目をつけられる存在になっていった。
大学を卒業すると社会人の朝日生命野球部に籍を置き、保険勧誘の営業の傍ら野球に取り組んだ。
藪は1993(平成15)年のドラフト会議でタイガースを逆指名して1位入団し、期待されてエースナンバーの「18」を与えられる。185センチのすらりとした長身で、入団当時から「織田裕二にそっくり」と言われ特に女性ファンの人気が高かった。入団を機に登録名を「恵市」としている。
1年目の1994(平成6)年は9勝9敗ながらもチームでは最多勝、暗黒時代の打線を背負いながら防御率も3 .
18という立派な成績で新人王に選ばれている。
ストレートは最速140キロ台後半で綺麗なフォームから投げる素直なボール。どちらかというと最初右打者の体に向かってからストライクゾーンへ曲がっていくキレのあるスライダーを武器としており、プロに入るとそこにフォークボールを織り交ぜることで投球の幅を広げている。
しかしながら、まともに暗黒時代と重なり合うなかで、2年目からは7勝13敗、11勝14敗、10勝12敗と3年連続負け越してしまう。1998(平成10)年にプロ5年目にしてようやく11勝10敗と勝ち越した。
ところが野村監督の3年間は、6勝、6勝、0勝と振るわず、特に2001(平成13)年の0勝は右ひじの故障による影響が大きかった。
本人も野村監督時代は「怒られてばかり」と振り返っているように、「棒球」などとなじられたり、「点が取れないんだから0点に抑えろ」と無理難題を言われたりで、精神的にかなりキツイ状況もあったようだ。実際にこのころの藪は、序盤は好投していても中盤に突如連打を浴びて崩れるパターンでファンをがっかりさせることが多かった。
2002(平成14)年、監督が星野仙一に代わり、藪も心機一転復活を果たすため川藤の奨めもあって背番号を「4」に変更し、2004(平成16)年まで3年間背負った。背番号を替えた年に10勝6敗、防御率3 .
14の成績で久々の二けた勝利を挙げ、カムバックしている。
2003(平成15)年は先発と中継ぎを掛け持ちしながら8勝3敗とリーグ優勝に貢献しているが、夏場に肘痛を発症したため日本シリーズでは登板機会がなかった。
その後、2004(平成16)年に取得した海外FA権を行使し、平成17(2005)年にオークランド・アスレチックスに入団し中継ぎで4勝するも自由契約となる。
2006(平成18)年はコロラド・ロッキーズと契約したが3月に解雇されメキシカンリーグへと活路を求めて6月にティファナ・ポトロズと契約するも同年中に解雇。
翌2007(平成19)年はどこにも所属できずに浪人となって自主トレに明け暮れるというどん底を経験した。
2008(平成20)年、なんとかサンフランシスコジャイアンツと契約にこぎつけ、中継ぎで3勝を挙げたが翌2009(平成21)年7月に解雇されてしまう。
さすがにアメリカでのプレーは断念し帰国すると、2010(平成22)年7月、テストにより楽天イーグルスに入団。11試合で2ホールドを挙げたが、限界を感じて同年引退した。
引退後は平成2011(平成23)年から、タイガースで二軍投手コーチ、一軍投手コーチを務めて後進を指導した。
タイガースでは通算84勝106敗と大きく負け越してしまったが、貧打を極めた最下位常連の暗黒時代にあってよく頑張った。Aクラスに定着できる時代なら勝敗の数は逆転していただろうし、もっと勝っていたに違いない。
おっとりとした印象の藪も、巨人に移籍してきた清原には強気で内角を攻め通算6個のデッドボールをぶつけている。清原が指3本を立てて「三度目やぞ」というポーズをしたとき、藪も3本指で「3億も貰ってるなら避けられるやろ」とやり返してあわや乱闘のにらみ合いになったこともある。ちなみに清原は藪に対し通算50打数8安打で打率 .
160と極端に苦手としていた。
マーク・バルデス 投手
アメリカ合衆国オハイオ州デイトンの出身で、フロリダ州立大学を経てドラフト1巡目でフロリダ・マーリンズに入団している。メジャーでは7年間で12勝15敗2セーブの成績を残す。
2002(平成14)年1月にタイガースと契約。藪が返上した「18」を譲られている。
バルデスの特徴はいわゆる「クセ球」。まともな真っすぐという球はなく、すべてのボールが変化するため「縫い目の魔術師」と呼ばれることもあった。
星野監督は前年クローザーを務めた成本年秀に見切りをつけてバルデスを抜擢すると、内容的には十分期待に応えている。
42試合に登板して4勝3敗22セーブ、防御率も1 . 54と申し分のない成績と言えるだろう。球団も10月11日時点で残留方針であると公表している。
しかし、2002(平成14)年の米国視察で投球を見て以来、熱望していたジェフ・ウィリアムスの獲得に成功すると、惜しげもなくバルデスを解雇してしまった。
2003(平成15)年、バルデスは中日ドラゴンズと契約。しかし、中日は2003年にはギャラードや大塚晶則、2004(平成16)年には岩瀬というストッパーがおり、バルデスは主に中継ぎやセットアッパーに使われて、2年間で計67試合1勝4敗2セーブに終わってしまった。

2004年の中日はリーグ優勝して日本シリーズに進み、バルデスは2試合に登板して第2戦では勝利投手にもなったがオフに解雇された。
バルデスさんがわずか1年で去って、その後2003(平成15)年から「18」を背負うのはドラフト1位の杉山さんなんだけど、すでに背番号「17」で出てきてしまってるから丸ごと再掲とするね。
杉山直久 投手(再掲)
京都府舞鶴市出身で東舞鶴高校に進むが甲子園の経験はない。
龍谷大学で頭角を現し、2年時にノーヒット・ノーランを記録すると、3年秋は4勝を挙げて防御率0 . 86という好成績で優勝に貢献し、MVPに輝いている。
4年になると150キロを超える速球を武器に日米大学野球の代表に選らばれるなどドラフト1位候補として名前が挙がってくる。大学通算では15勝4敗で防御率1 .
19の数字を残した。
2002(平成14)年、タイガースはドラフト自由獲得枠(逆指名1位)で杉山を獲得する。背番号はバルデスの解雇で空いたエースナンバー「18」と決まった。

ルーキーイヤーの2003(平成15)年は、キャンプから前半戦まで体力づくりに専念し、8月に一軍へ昇格する。結局3試合(先発2)しか登板機会は無く、0勝2敗で防御率も7 . 71に終わっている。
2004(平成16)年6月15日のヤクルト戦で先発し5回2 /
3をなげて3失点でプロ初勝利を飾ったが、この年は13試合2勝2敗で防御率5 .
30だった。
2005(平成17)年、体の開きが早かったフォームを改良してブレイクする。23試合(先発22)で9勝6敗、134回2 / 3を投げて奪三振103自責点44、防御率2 . 94の好成績を残してチームのリーグ優勝に貢献した。
日本シリーズでは3連敗後の第4戦に先発したが、2回に李承燁の2ランをあびて先行を許し敗戦投手となっている。
ところが2006(平成18)年からまた思うように勝てなくなる。この年17試合で4勝4敗に終わると、2007(平成19)年も20試合4勝5敗1ホールドと低迷が続く。
2008(平成20)年には登板が9試合と激減し、2勝3敗の成績で一軍から遠ざかっていく。
2009(平成21)年、背番号「18」を剝奪され、前年まで金村が着けていた「17」に変えて再スタートしたものの、一軍での登板はわずか2試合で0勝1敗、防御率5 .
40とどん底に落ちてしまった。
2010(平成22)年は一軍で7試合に投げるも先発は一度もなく終わり、2011(平成23)には一軍に上がることすらできないまま過ごして戦力外となった。
トライアウトを受けたがプロではお呼びがなく、2012(平成24)年はBCリーグの富山サンダーバーズに所属した。
現在はオリックスのチームスタッフとして裏方で汗をかいている。
まとめ
前にも書いてるかもしれないけど 藪さんは暗黒時代にまるかぶりで援護のない中で好く投げたとおもうよ 「エース」と呼んでいい時期もあったと言えるんじゃない?清原さんに強気で攻めてたなんてエピソードがエースの証明ね
バルデス投手は結構いい数字残してるんだよね でもウィリアムス投手とは決定的な違いがあるのよ
タイガースでのバルデス投手は52回2 / 3を投げて39奪三振 一方のウィリアムス投手は7年で371回2 / 3で418個の三振を取ってるの
ストッパーに求められる特性は ここという場面で狙って三振が取れるかどうかなのよ なのでウィリアムス投手に軍配が上がったんだとおもう
ドラフト1位の杉山さんは怪我が原因でエースと呼ばれる投手になれなかった
「無事これ名馬」と言うように 怪我しないというのは一流になる条件ね 「ケガが多い選手は大成できない」っていう典型だったんじゃないかな

タイガース背番号史 35-5 2025年11月15日 コメント(2)
タイガース背番号史 35-4 2025年11月14日 コメント(4)
タイガース背番号史 35-3 2025年11月13日 コメント(2)