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背番号27(その7)
背番号27の第7回目です
前回は笠間さん嶋田さんと捕手が続いたんだけど 嶋田さんのあとを受け継いだのも捕手なのよね そのあとさらに捕手捕手と続きます
なので今回ご紹介する3名はすべて捕手なのよ! 笠間さんに始まって5人の捕手が連続で着けるって 背番号「27」はそういう位置づけの番号になってきたのかな?
まあとにかく読んでみて!
山田 勝彦 捕手
山田は愛知県名古屋市出身で強豪として知られる東邦高校。高校2年時には控えの投手として選抜大会に出場したが1回戦で敗退。このときリリーフで登板している。
秋に新チームとなって本格的に捕手に転向するとみるみる力をつけ、東海地区ナンバーワン捕手と評価されるようになる。バッティングも好く高校通算で24本塁打を記録している。
1987(昭和62)年のドラフト会議ではタイガースから3巡目で指名されて入団する。最初につけた背番号は「61」だった。
ルーキーの1988(昭和63)年はファームで33試合、2年目の1989(平成元)年に初めて一軍に上がるが、出場したのは1試合のみ。3年目の1990(平成2)年はまた1年間ファームで過ごした。
1991(平成3)年から一軍戦力の一角として認められるようになり、この年は66試合に出ているが打率 .
128。期待されていた打撃は伸びてこなかった。

またこの年で嶋田が引退したため1993(平成4)年から背番号を「27」に変更している。
当時は1990年に入団してきた関川耕一が強力なライバルとして存在していたため、なかなか正捕手定着ができなかった事情がある。捕手としては拮抗していたがバッティングでは関川のほうが優っていたし足も使えた。そのため関川は打力と俊足を生かせる外野手に転向していき、1996(平成8)~1997(平成9)年は山田が正捕手の座についている。
ところが1997年のオフに関川がトレードで中日ドラゴンズに移り、交換で移籍してきた矢野燿大が強力なライバルとして立ちふさがったため、出場機会は激減していく。
1998(平成10)年は矢野が110試合、山田は69試合とレギュラーの座を奪われ、以降は21試合、45試合、54試合、39試合と控えに甘んじている。
2002(平成14)年には星野監督が就任し、そのオフに戦力構想から外れて伊達昌司とともに日本ハムファイターズへトレードされてしまった。
日本ハムでは3年間プレーしており、最初の2003(平成15)年こそ40試合に出ているが、2年目が3試合、3年目は1試合に終わり2005(平成17)年オフに現役を退いた。
引退後は楽天、オリックス、阪神でバッテリーコーチなどを務め、2022(令和4)年からはかつての同僚だった新庄剛志が監督を務める日本ハムで一軍バッテリーコーチを務めている(2024年現在)。
通算成績は795試合1753打数360安打130打点21本塁打、93四球388三振、打率 .
205である。
野口 寿浩 捕手(再掲)
野口は背番号2で先代が紹介済みだが、非常に簡略な紹介に終わっているので詳細に改訂して掲載する。
千葉県習志野市出身で高校は習志野高校。高校時代は甲子園に出場する機会はなく、1989(平成元)年にドラフト外でヤクルト・スワローズへ入団している。
ヤクルトでは1990(平成2)年から1997(平成9)年まで8年間プレーしているが、古田敦也という壁が立ちふさがっており、出場機会に恵まれることが少ない状況でくすぶっていた。
1998(平成10)年に、捕手不足に悩んでいた日本ハムへトレードされて視界が広がり、在籍5年間のうち4シーズンで100試合以上に出場している。在籍3年目の2000(平成12)年がキャリアハイで、134試合459打数137安打76打点11本塁打、打率 .
298という好成績を残す主力メンバーだった。
ところが2002(平成14)年オフ、星野監督の大改革に巻き込まれてタイガースに移籍すると、矢野燿大というライバルにブチ当たってしまう。
タイガースには2003(平成15)年から6年間在籍しており、2度のリーグ優勝にも控え捕手として貢献、2004(平成16)年には井川慶とのバッテリーでノーヒットノーランを達成するなど、出場機会は少ないが存在感を示している。実際に星野監督も「矢野と同じぐらいの力を持つ捕手はいざと言う時に効く。野口が一番の補強」と語ったほどだった。
背番号は「27」を2年間背負った後、2005(平成17)年に「2」に変えて4年間着けている。
野口は肩も強くキャッチングやインサイドワークもしっかりしており捕手としての能力は高いしバッティングもいい。しかしタイガースでの6年間の試合出場は、59試合、24試合、18試合、16試合、36試合、55試合にとどまり、あまりにも機会に恵まれない不運な選手だった
2008(平成20)年オフ、野口はFA権を行使して横浜ベイスターズへ移籍する。
2009(平成21)年はケガのため17試合の出場にとどまり、2010(平成22)年は屈辱の二軍スタートで、一軍では2試合に出ただけ、10月には戦力外を通告されてしまう。
野口は現役をあきらめきれず、新たな働き場所を求めてトライアウトにも挑戦したが声はかからず引退している。その後2017(平成29)年から2年間ヤクルトでコーチを務めた。
通算成績は911試合2332打数582安打272打点42本塁打135四球467三振、打率 .
250だった。
岡崎 太一 捕手
奈良県五條市出身。小学生時代から捕手一筋で高校は智弁学園に進み、3年生の時に選抜と選手権で春夏甲子園に出場している。特に2001(平成13)年夏はベスト8まで進み、プロ球団からチェックされる存在になる。
高校を卒業すると社会人の松下電器に入部、のちに同僚となる久保康友とバッテリーを組んで活躍し、2004(平成16)年のドラフト自由獲得枠でタイガースに入団し野口から背番号「27」を譲られている。同期入団には能見篤史がおり、のちによくバッテリーを組んだ。
しかし、ルーキーイヤーの2005(平成17)年から4年間は一軍にすら上がれずファーム暮らしが続く。一軍では矢野が正捕手、二番手に野口という捕手陣がおり、岡崎の入り込む余地がなかった。そのためか背番号も2008(平成20)年から「57」へ変わっている。
2009(平成21)年、ケガで出遅れた矢野に代わって開幕一軍を勝ち取ると12試合に出場したが、正捕手は115試合にマスクをかぶった狩野恵補だった。
そして2010(平成22)年、メジャー帰りの城島健司が正捕手を奪い、岡崎は一軍に呼ばれることすらなかった。
2011(平成23)年は城島が故障したものの、FAで移籍してきた藤井彰人が正捕手、二番手は小宮山慎二で、岡崎は7試合しか出ていない。
その後も2012(平成24)年が19試合、2013(平成25)年~2014(平成26)年は日高剛の加入のあおりもあって出場機会すらなくなった。とにかく一軍出場の機会に恵まれず、どちらかというとファームの正捕手という位置になっている。
2014(平成26)年にはFAで出て行った久保康友の人的補償で鶴岡一成、ドラフトでは梅野隆太郎が加入してきて頭を出そうとする岡崎のチャンスを奪っていく悪循環が続いた。
2016(平成28)~2017(平成29)年はランディ・メッセンジャーや同期入団の能見が投げる試合でよく起用され、38試合、33試合と出場機会に恵まれる。2017年にはプロ入り初本塁打を放って金本監督を喜ばせたこともあった。

しかし、2018(平成30)年には梅野が正捕手に成長し、坂本誠志郎や原口文仁などの台頭もあって、6試合の出場に終わり、その後の2年間は一軍の出場はゼロ。2020(令和2)年のシーズンを最後に引退を表明しタイガース一筋16年間の選手生活を終えた。
通算成績は119試合146打数27安打11打点2本塁打、13四球、36三振。
引退後はフロント編成部に所属し、2024年現在はスカウト。
まとめ
今回3人の捕手を紹介したけど 改めて一つしかないポジションでレギュラーを争う大変さが分かった気がするよ
3人の中では野口さんが日本ハム時代に5年間レギュラーになってる 山田さんは1年だけ 岡崎さんは一軍で試合に出ることすら難しかった みんなライバルに阻まれることで挫折するところは同じよね
岡崎さんは16年間よく辛抱してたと思うなあ 捕手で16年在籍というのはタイガースでは最長なんだってね 実は岡崎さんは4年目ぐらいに戦力外を覚悟してたそうよ でもクビにならず16年いたんだからちゃんと役どころはあったのよ 球団が必要とする人材だったってことね
背番号27―8につづく
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