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変わる?忠臣蔵の評価
2代目タイガース非公式サイトです
みなさんこんにちは
「忠臣蔵」って知ってるよね 元禄15年12月14日 旧赤穂藩の浪士たち47人が 主君浅野内匠頭長矩(ながのり)の無念を晴らすべく 江戸本所松坂町の吉良上野介義央(よしひさ)の屋敷に討ち入って首級を挙げたという大事件のことよね
まあ日付は旧歴だからグレゴリオ暦では1703年1月30日に当たるんだけど 現代では12月14日前後に歌舞伎や映画や時代劇ドラマなどが上演・放送されることが多かったのよね 明治以降の軍国主義教育が進められる中で美談として扱われていったという事情も大きいわ
でも近年は昔ほど人気がなくなってきているのか あまり大きく取り扱われることはなくなったって感じない? 特別なドラマや映画もあまり作られなくなったね 歌舞伎での「仮名手本忠臣蔵」も通しでは滅多にやらないよ
今回は真面目な話として 「忠臣蔵」の価値観の変化を考察するよ 関心ある人は読んでみてね いろんなことから必ずしも美談とは限らないことが再認識されているわ 批判もあるのを覚悟して書いてみますね
そもそもはっきりした動機が分からない
吉良上野介が浅野内匠頭に様々な嫌がらせをしたと言われてるけど 事件後の事情聴取で内匠頭は動機について詳しい供述はしていないわ 「私の遺恨」としか記録に残ってないのよ

あとから芝居などの脚本で脚色が重なっていっただけで 実際に「上野介の命を奪わなければ気が済まない」ほどの理由があったのかという根本の部分で真相がはっきりしないままなのね
浅野内匠頭の失態と公儀の裁定
斬りかかって傷を負わせたのは紛れもない事実 でもそもそも剣術をやってる者が短刀で確実に相手を倒そうとするときは振りかざして切りつけたりしないのよ 刃を先にして突き刺して一撃で仕留めるの
だから至近距離で一方的に切りかかっておいて討ち漏らすほうが そもそも武門の恥ってことになるのよ
そういう意味では内匠頭は剣術の稽古をまともにしていないお坊ちゃまで この時に討ち果たしていればのちの「討ち入り事件」も起きなかっただろうという評価 つまり未熟者が巻き起こした騒動ってことかな
江戸城内での刃傷行為は禁じられていたわけだから 内匠頭の切腹は理由如何によらず当たり前の罰則であることを忘れてはいけないわ それは武士ましてや一国の藩主である内匠頭なら承知しているはずよ
この一点において内匠頭切腹の裁定については文句は言えません これで幕府を恨むのは逆恨み 「禁止されてるのに刀を抜いて人に斬りつけたやつが悪い」のは法理論からは当然なの

一方の上野介について「武士にあるまじき無抵抗」だったのに「神妙である」としてお咎めがなかったという公儀の裁定には問題があったかな 上野介を裁かなかったために対外的に失敗して世論の批判を買ってしまったし浪士の恨みも買ったね
家臣の異様な執念
本来「私の遺恨」があったとしても 内匠頭が最後までいじめに対して辛抱するか 最低でも上野介を討ち果たしたうえで切腹していれば討ち入り騒ぎなど起きなかったのよ
だから先に書いたように 討ち入りはそもそも主君内匠頭が上野介を仕留めそこなった失態が原因だという解釈が成り立つのよ
殿の失態にもかかわらず 家臣はその後の幕府の裁定に恨みを持った でも幕府相手では戦にならない・・・つまり逆恨みを動機とする家臣たちが上野介を討つことで留飲を下げようとしたのではないかってことね 世論に訴え吉良家と幕府の両方にダメージを与えることができる一石二鳥の作戦なのかな
法規に反した違法な私刑(リンチ)
当時「仇討ち」というのは子が親の仇を討つなど「目上の親族のために復讐」することを指していて「主君の仇を討つ」ということは想定になく初めてだったのね
なので「義」によるものか「私怨」によるものかの論争が今も続いているのよ 極端に言えば社員が社長の仇を討ったようなものだから
さらに言えば いじめはしたかもしれないけど 上野介が内匠頭を切り殺したわけじゃないよね 逆に内匠頭が上野介に殿中で切りかかったうえに失敗してるわけ
しかも「刃傷事件は内匠頭の私的な遺恨による違法行為」とされて公儀の裁定を経て「上意」として切腹を命じられたのよ・・・
それに対して上野介に復讐するなどはたとえ憤懣があったにせよ 逆恨みによる
違法な私的行為とされても仕方ないわ

などなど考え方は幅が広くなってきてます
でも当時にあっても世間大衆が芝居などの影響もあって浅野家浪士に同情する風潮になって 仇討ちを美談として祭り上げ それが進んで公儀の裁定への批判になることを恐れた幕府は 実はちゃんと手を打ってます
赤穂浪士の切腹当日 吉良家を継いだ吉良左兵衛義周を信濃高島藩主諏訪安芸守忠虎にお預けとしているよ
理由は義父・吉良上野介が刃傷事件の時に無抵抗だったことが「内匠に対し卑怯の至り」であり、赤穂浪士討ち入りのときも「未練」のふるまいであったとして領地召し上げとなり吉良家は断絶するの
遅まきながら「喧嘩両成敗」の形をとって民衆の公儀への批判をかわしたのね この処置は批判の矢面にある為政者としては仕方がなかったとおもうな
今となっては確かめられない
現代 特に近年では内匠頭に目を向けて その振る舞いは失態そのもので 家臣にとっては迷惑行為ではなかったかという責任論が強くなってる気がするね
でも 内匠頭に対して上野介が何をし何を言ったのか? よほどひどい仕打ちがあったのか? 刃傷に至る動機を裏付けるような新たな証拠は出てきてないわ 裏事情が分からない限り推論しかできないし もう確かめることは無理なのかな・・・
藩がお取りつぶしになって家臣一族郎党が路頭に迷うことも必然だとわかっているのに そんなことも念頭から消えるほど逆上して刃傷事件に至った主君は決してよい評価をされないでしょう
ましてや命がけでその復習をするなんてことも今の若い人たちは ある程度までの理解はできても納得はできないんじゃないかな?
みなさんはどう感じますか?

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