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改めてよっさんの凄さを知る
2代目タイガース非公式サイトです
みなさんこんにちは 今日は2月9日 吉田義男さんが 2 月3日に亡くなってもうすぐ1週間が経とうとしてますね
ご逝去以来 どなたか吉田さんと同時期にプレーした方がエピソードを語っていないかを探していたんだけど 先代から引き継いだ資料ファイルの中から一つ見つかったので紹介しておくよ
それはデイリースポーツ電子版で2009年から2010年にかけて連載された「猛虎豪傑列伝」というもので15年くらい前のコラムなのね 語っているのは吉田さんとともに戦った当時のエース小山正明さんなのよ しかもほぼ自分の語りそのままで掲載された貴重なもの
吉田さんの凄さを知るため全文を載せます(内容は掲載当時のまま 写真は2代目が挿入したも)![]()
猛虎豪傑列伝
語り:小山正明
吉田義男編
神業プレー「そんなアホな!!」
現役時代は “
今牛若丸 ”
との異名を持つ名プレーヤーで、指揮官としては、球団唯一の “
日本一監督 ”
でもある吉田義男氏(76)。本紙評論家・小山正明氏が語る「猛虎豪傑列伝」の4回目は、今なお異色の解説者として輝きを放ち続けている “
ヨッさん ”
の登場。小山氏から見た伝説の名人芸とは
‐
。
■ トラ唯一の「日本一監督」
まあヨッさん(吉田義男氏=阪神元監督、現野球評論家)の現役時代のプレーなんか、ここ近年ではありえないね。そらもう見事なもんやった。
例えば、1死一塁で打者が二ゴロを打ったとせんかいな。二塁手から併殺狙いの球が転送され、遊撃のヨッさんがこれを捕ったか思うたら、もう一塁で併殺完成や。球が来た ‐ と同時に投げるんやもんなあ。ホンマやで。
僕ら登板がないとき、ベンチでよお渡辺の省さん(渡辺省三氏=1953~65年、元阪神スカウト)と話したもんや。「ヨッさんはどないしてあんなプレーできるんやろな」って。
そんで、じかに聞いてみたことがあった。「ボールをつかまないと放れられしまへんやろ。一体どないしまんのや?」。そうしたらヨッさんの返事はこうや。
「いや、できるで」。味も素っ気もない。それだけや。企業秘密いうんか、お前に教えたところでできへんやろ
‐
って感じやな。そらできるわけあらへんよ(苦笑)。僕はピッチャーやし、たとえ内野手であったとしてもできん。あんなもん神業としか言えん。
藤村さん(富美男氏)が監督やったとき、自分で試合前のシートノックをしとった。このノックがまたうまいんよ。遊撃のヨッさんの番になったとき、捕れるか捕れんかという微妙なところに打つんやな。ところがこれを必死に追いかけて捕ってしまう。藤村さんは苦笑いや。これだけで、試合前の甲子園がドッと沸いとった。試合の中身よりも、あのシートノックが1つの“見せ場”やったわけや。
■ 次元が違う
僕がプロに入って初めて三振を獲ったのは、プロ野球界初の3冠王になった小鶴誠さん(元松竹=1942~58年)やけど、その小鶴さんが、ヨッさんの神業にあ然とグラウンドに立ちすくんだことがあった。
小鶴さんが広島に在籍していたときのことや。マウンドには藤村隆男さん。小鶴さんが放ったライナー性の打球が、藤村さんの足元を抜けていった。小鶴さんにすれば「よし、センター前や」てなもんやったやろ。
抜けた!!っていう打球やから、ゆっくりと一塁へ向かった。そしたら、何でか球が一塁に送られてきた。一塁塁審のコールは「アウト!」よ。ヨッさんが例の神業で捕って一塁に矢のような送球をしたんやな。
「そんなアホな!!」。小鶴さんは一塁手前でそんな顔をしとった。そらそうやろ。あんな打球、普通の選手やったら捕れっこないんやから…。
鳥谷が入団して間もないころ、僕がテレビの解説をしているときに美技を見せ、ときのアナウンサー氏が「今牛若丸・吉田さんのようです!!」となぞらえた。とんでもない話やね!!「比べたらあかん」とはっきり言うたんや。次元が違う、とな。
■ 〈WHO’S WHO〉
▽ 吉田義男(よしだ・よしお)1933年7月26日生まれ、76歳。京都府出身。現役時代は内野手。山城高から立命館大(中退)を経て、53年に阪神入団。最多安打1回(55年)、盗塁王2回(54、56年)、ベストナイン9回(55~60、62、64~65年)。69年に現役引退。通算成績は2007試合1864安打、66本塁打、434打点、350盗塁、打率・267。阪神監督を3度(75~77、85~87、97~98年)務め、85年には21年ぶりのリーグ制覇と球団史上初の日本一に導いた。同年、正力賞獲得。現役時代の背番号23はタイガース3人目の永久欠番。監督通算成績は1051試合484勝511敗56分け、勝率・486。92年に野球殿堂入り。現在は野球評論家。
いかがですかみなさん?
短いコラムだけど 読んでて吉田さんのプレーが目に見えるような気がしたよ
同じプロ野球の選手から見ても まねのできない次元が違うプレーだったのよね 吉田さんをバックに投げていた小山さんの生の声の証言だから信憑性があるわ
ほかの人もいろんな証言があるけど 中には「吉田さんはグラブの土手に当ててボールの勢いを消し その瞬間に右手に持ち替えて送球していた 手に握るときまだボールが回転していた」って言うのもあったわね
とにかく自分で創意工夫して 捕球~持ちかえ~送球の動作をいかに無駄なく素早くするかばかり考えて練習してたんだって 教えられることに慣れてしまった今の子たちには無理な気がするなあ もう吉田さんのようなプレイヤーは出てこないんじゃないっておもうよホントに

吉田義男…縦縞一筋70年 !
巨人軍・馬場正平一軍初登板の第一打者

(前略)プロレス界との接点がある。それは 1957 年 8 月 25 日、甲子園球場でおこなわれた読売ジャイアンツとの公式戦。一軍初登板となった馬場正平投手(のちのジャイアント馬場)の相手、それも第一打者として打席に立ったのだ。
「(阪神が)ボロ勝ちしてて、巨人の水原茂監督が 8 回に登板させたんですわ。 2 メートルを超える大きな男と、 165cm の小柄な私。まあ、試合の大勢が決まってるので、ファンサービスだったんでしょうな。 2 階からやなくて、それこそ天井から投げてくるって感じで、球も速かった。 2 球で 2-0 (今でいう 0 ボール 2 ストライク)に追い込まれて。セカンド正面にいい当たりのゴロを打ったの覚えてる。その回、三者凡退やったんちゃうかな」と当時のことを述懐した。 (後略)
いかがですかみなさん?
さすが90周年という長い歴史だけに驚きの事実があるものね
週刊プロレス編集部の皆さん! 素敵な歴史を発掘してくれて感謝です!
馬場さんの写真もすごい!まだ子供だね
ホントにタイムリーなスクープ記事だよこれ ありがとう!
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