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2025年06月24日
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カテゴリ: 猛虎異人伝


Leon. Mcfadden (1972)

生年月日 : 1944年4月26日

背番号57 右投右打 内外野手

出身地 : アメリカ合衆国アーカンソー州リトルロック

球団 : 阪神(72)

表彰等 : なし

阪神在籍 : 1年 54試合159打数45安打6打点2本塁打12四死球33三振5盗塁 打率.283

(1)第1次村山阪神 正念場の3年目に守備要員の助っ人?

村山監督は1年目の970(昭和45)年はカークランドとバレンタインという2枚の外国人選手で戦い、惜しくも2位に終わって、バレンタインを解雇したことはカークランドの稿でお伝えした通り。

そして2年目の1971(昭和46)年は、残留のカークランドのほかは外国人選手での補強を見送ったのが災いしたのか、5位まで転落してしまった。


村山監督3年目の1972 ( 昭和47 ) 年は何としてもファンの期待に応えなければもう後がない。阪神は衰えの目立つカークランドを補うため、当時ミネソタ・ツインズ傘下の3Aタコマに所属していたレオン・マックファーデンと契約する(登録名はマック)。


カリフォルニア大学出身の27歳。アストロズでメジャー経験があるとはいえ、3年間でわずか62試合に出場しただけである。
  通算成績は121打数26安打4打点で打率2割1分5厘、ホームランはゼロだった。この内容ではどう見ても守備要員のような選手だったことは明らかで、阪神が求める条件をとても満たしているとは言い難い。なぜ獲得を決めたのだろう?

188 cm 、89 kg と体格は立派だが、見た目ほどパワーはなく、アメリカでのメインは遊撃手。ただし内外野どこでもこなせる器用な守備がアピールポイントだという。


当時のメディアは、「この程度の選手なら日本人でもたくさんいる。マックファーデンの獲得にあまり意味があるとは思えない。」と疑問符をつけて紹介している。
  少なくとも前年5位に低迷し、正念場のシーズンを迎えた3年目の村山阪神の助っ人としては、あまりにもスケールが小さかった。

(2)開幕を前にポンコツぶりを露呈

オープン戦が始まると、2月27日の阪急戦で初登場。1番サードでスタートし、途中からセンターに回っている。この試合は5打数1安打だったがまったく非力。

オープン戦後半には7番センターに固定されるがまともにミートすることすらできないバッティングは見ていられなかった。結局通算14試合に出て40打数2安打0打点、打率はたったの5分という成績しか残せない。

「本当にこの選手を公式戦で使うの?」チーム内では開幕を前に暗雲が立ち込めた。

​(3)来日初本塁打がでたのは7月​

オープン戦で首脳陣の信用を失ったマックフ ァーデンは、当然のことだがシーズン序盤は出番が少なかった。
  開幕の中日2連戦には出してもらえず、デビューは開幕から3戦目、4月12日の巨人戦だった。この試合では、代打で出場し凡退するとそのままサードの守備につき、その次の打席が回って初安打が出る。しかし、その翌日は6番サードで先発出場したもののノーヒットに終わり、不安は現実のものとなってきた。


結局4月は13試合中6試合に出ただけで、成績は12打数4安打0打点。その間チームは5勝8敗とスタート・ダッシュに失敗して5位 に低迷する。
  4月21日には村山監督が「投手陣の不振を打開したい」という理由で、指揮権を返上して現役一本に専念すると発表し、金田正泰ヘッドコーチが監督代行に就任するという事態を招いていた。


5月、マックファーデンの出番はわずか1試合しかなく、もう一方のカークランドも怪我の影響でほぼ代打専門に甘んじている有様で、助っ人が戦力になっていない。

そんな状態にもかかわらず、チームは5月21日の大洋ダブルヘッダーから6月2日の巨人6回戦まで、2リーグ分裂後の球団タイ記録となる11連勝を記録し単独首位に立っているから不思議だった。
 その後一時的に3位に落ちたりもしたが、阪神は10年ぶりに前半戦を首位で折り返す。
6月中旬からマックファーデンも出場機会が増え、7月5日の札幌円山球場での巨人12回戦で、高橋一三から待望の初ホームランが出た。ところが、この巨人3連戦で鎌田実兼任コーチの造反問題が起こり、またもやチーム内部には不協和音が出始める。

 鎌田は村山が監督に就任すると同時に
「カマちゃんには近鉄のユニホームは似合わん。俺を助けてくれへんか」と請われて現役選手としてタイガースに復帰している。 そして2年目の1971年から金田ヘッドの意向で兼任コーチにされていた。
  当時の人間関係にについて鎌田はチーム内の詳しい事情を語ってはおらず、
「金田さんと村山さんの関係がおかしくなってなあ。僕は、コーチとして板挟み状態となったんや。村山さんのおかげで阪神に復帰できた。人の道というのがある。村山さんの肩を持つのは当然やろ」という言葉を残しているだけである。

(4)チームが大混乱するなかマックファーデンが浮上

オールスター後すぐに2位に落ち、8月に入って1日からの大洋3連戦に3連敗すると、金田監督代行は「コーチ、選手が言うことをきかない。これでは監督代行を続けられないので指揮権を返上したい。」と発言し波紋を起こす。しかし、8月4日からの巨人3連戦に2勝1敗と勝ち越したことにより、思いとどまったとされている。

この裏には、球団側が金田に対し「次期正式監督」を約束したと思われる節があった。その一つの裏付けとして、ずっと成績不振だったマックファーデンを8月の後半からよく起用していることがあげられる。
  推測の域を出ないが、次期監督手形をもらった金田監督代行が、来年の戦力構想を練るために、マックファーデンの潜在能力を見極めたかったのではないだろうかという勘ぐった見方ができるのである。

経緯はともかく、機会を得たマックファーデンは、8月以降安定した成績を残し、9月24日の大洋戦で第2号ソロも記録。シーズン終盤はレフトのレギュラーとして定着している。

​(5)優勝を逃すも金田構想で残留方針が決定​?

阪神は、チーム内部の不和がたたって巨人に引き離された。10月7日、甲子園での巨人25回戦に1対5で敗れ、優勝を決められたが、怒った阪神ファンが目の前での胴上げを阻止しようとしてグラウンドになだれ込み、巨人の選手に掴みかかるなど大混乱となった。

巨人ナインは胴上げどころではなくなって、慌ててベンチ裏に逃げ込むのが精一杯。騒ぎが収まってみれば二塁と三塁のベースが何者かに持ち去られていたというオチまでついている。
  その上、この試合で長嶋と王に一発を浴びてノックアウトされた村山が「最後のマウンドか…。」と引退を匂わすような発言をしたため、阪神ファンは二重のショックを受けることになった。

阪神は3.5ゲーム差の2位でシーズンを終え、シーズン終了後の11月2日、村山は正式に現役引退を発表し、タイガースを去った。

金田監督代行の起用によって終盤にポジションを得たマックファーデンは、出場54試合ながらも打率2割8分3厘の数字を残したことから、阪神は残留させる方針を固め、契約更改交渉では前年の2万5千ドルから5千ドル ( 当時のレートで約180万円 ) ダウンの提示をする。

半分にも満たない54試合しか出場していない以上当然の減額だろう。ところがマックファーデンは納得せず、契約未更改のまま帰国。更改交渉は平行線をたどり、プロ野球機構の調停委員会までもつれこんで泥沼化し、年を越してしまった。

(6)調停を不服として物別れ 更改に至らず退団

 1973 ( ) 年3月29日、日本プロ野球機構は東京銀座のコミッショナー事務局で3回目の調停委員会を開き、「阪神球団がマックファーデンに提示した減額分については 妥当である」との結論に達している。
 調停委員会はロサンゼルスのマックファーデンに対し
「昨年 54 試合にしか出場しておらず、 172 打席。打率こそ .283 だが、これを高く評価すべきではない」との理由 文書を送付した。

マックファーデンは調停での結論が出てから一度来日したが正式契約には至らず、結局阪神でのプレーは1年限りで終わり、「日本のプロ野球における年俸調停の第一号選手」として、その名を歴史に刻むことになった。

猛虎異人伝12 レオン・マックファーデン[完]

マックファーデンの年度別打撃成績


ひどいわねえ 1972年はチームの組織自体がボロボロだわ 村山さんはピッチャーの現役監督なんて無理だったのよ 引退までは現役一本のほうがよかったんじゃない?集客第一主義の球団によって客寄せパンダにされたというほかないわ 金田正泰さんもなぜかいつもトラブルメーカーになる人だし・・・

それにしてもマックファーデンさんも何なのかしら こんな成績で残留させてもらえるというのがありがたい話で 減俸なんて当たり前だとおもうけど我儘ね! 最初っから要らない選手だったのよ バレンタイン選手 を残してた方がずっと良かったとおもうよ
 活躍もしてないからタイガース時代の写真なんて一枚もありません 

 WEB上で発見できたヒューストン・アストロズ時代のサインボール! これよく残ってたね~ オークションに出てたよ 買う人いるの?

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Last updated  2025年06月25日 08時33分01秒
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