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ブリーデンさんの3回目です ①②を見てない人はまず以下を参照してみてね
猛虎異人伝16 ハロルド・ブリーデン① | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ
猛虎異人伝16 ハロルド・ブリーデン② | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ
(7) 2年目も順調にホームラン量産 球宴前に28号を記録
1977 ( 昭和5 2) 年、ブリーデンは契約更改で越年し、合意に達したのはキャンプイン後の2月14日だった。タイガースの条件に不満があったというわけではなく、同時期に巨人に在籍したスティーブ・ライト投手と犬猿の仲で、その年棒の動向を気にしていたのが越年の理由と言われる。
それはともかくとして、シーズンに入るとブリーデンは4月からよく打った。開幕2戦目で第1号を放つと、7日の中日2回戦では初の1試合3連発を記録し8打点の大活躍、14日の大洋2回戦ではサヨナラ2ランも飛び出した。月間成績は打率3割2分9厘、ホームラン11本、23打点で、打線の中心としてチームをよく引っ張っている。

5月から6月にかけては極端に打率が下がり、6月26日の大洋12回戦で左ワキ腹を痛めたため、数試合の欠場もあった。
しかし、そんな状態でもホームランだけはコンスタントに出ており、監督推薦でオールスターに選ばれた。前半戦を終わった時点で28本を記録し、2位の山本浩二に3本差をつけてホームランダービーのトップに立っている。
(8) 前年と同じように夏場に失速 古傷のひざ痛も悪化
ところで、1977年の阪神は怪我人が多かった。
ラインバックは足の故障で4月と7月は満足に働いていない。4月29日には大洋3回戦で佐野仙好が外野フェンスに激突し、頭蓋骨骨折の大怪我でリタイアするという事件もあった。伸び盛りだった掛布も死球の影響で4月後半から約1ヶ月欠場しているし、6月には田淵も10試合以上スタメンを外れている。
思惑どおりの打線が組めない阪神は、前半戦終了時点で、巨人に8.5ゲーム差と、大きく水をあけられた。8月には長期ロードで3勝8敗1分と大きく負け越したため、貯金をはたいて借金生活になってしまう。
事態が悪くなるとチーム内に不協和音も起こってくる。シーズン途中から、主力選手の田淵や藤田と吉田監督との対立が伝えられるようになり、お家騒動のにおいがただよい始めていた。

ブリーデンは前年同様、暑い8月に失速。8月25日のヤクルト21回戦で、左ひじに死球を受けるアクシデントもあって、完全に調子を崩した。一方でこの時期、ハンク・アーロンの記録に迫っていた王が気力充実して量産態勢に入る。ブリーデンは瞬く間に追い抜かれ、8月末には7本もの差をつけられてしまった。
9月は死球の後遺症とヒザ痛でスタメンを外れることが多く、ホームランはわずかに1本。10月に入ってやっと復調し、4本を上乗せしてシーズン37本と帳尻を合わせた。これも立派な数字ではある。
阪神は9月17日から10月1日にかけて当時の球団ワースト記録の9連敗を記録し、最終成績は借金8の4位。球団史上最低の勝率4割6分6厘に終わり、公式戦終了後、吉田監督は成績不振とチーム内の不和の責任を取って、辞任に追い込まれている。
(9 )
1978 ( 昭和53 ) 年、後藤新監督のもとブリーデンはラインバックとともに残留する。しかし、ラインバックがキャンプ中に故障し、ブリーデンもオープン戦で右ヒザ靭帯を痛め、これが悪化したことで阪神は公式戦開幕時に両外国人選手を欠くという、前途多難なスタートとなってしまった。
ブリーデンは開幕から6試合を欠場し、4月12日の広島戦から復帰したが、ヒザは完治しているわけではなく、痛みをこらえての出場だった。それでも翌13日には北別府学から第1号2ランを放っている。4月30日からラインバックが戦列に戻り、やっと戦力が整ったかに思えた。しかしそれと入れ替わるように、ゴールデンウィーク明けの5月6日を最後に、ブリーデンが再び欠場。右ヒザの痛みは、もはや満足なプレーができないまでに悪化していた。

ブリーデンは、大阪厚生年金病院で治療に専念することになったが完治は難しく、一時的に痛みが引いたとしてもいつ再発するかわからないという診断が下った。
チームの士気にもかかわるため、阪神はブリーデンの解雇を決断する。5月29日、長田球団社長はブリーデンを梅田の球団事務所に呼び、自由契約を通告、本人も了承し退団が決まる。
3年目のシーズンは、結局17試合に出場しただけで、ホームランはわずか2本しか打てなかった。久々に復活した「ダイナマイト打線」の一翼を担って、豪快なホームランを量産したブリーデンにしては、あまりにも寂しい結末と言うほかない。
ただ、このシーズンの阪神の惨状を、最後まで見ずに済んだことだけは、彼にとって唯一の幸いだったのではないだろうか。
ハロルド・ブリーデン[完]
ブリーデンの年度別打撃成績


ブリーデンさんは2021(令和3)年5月3日に亡くなってます
当時の日刊スポーツさんの追悼記事の中で吉田義男さんが興味深いコメントをしてらっしゃるのと サンケイスポーツさんでは当時ブリーデンさんが守備について語った貴重な記事があるのよ 最後にこれら記事の一部を掲載しておくね
エピソード① 掛布らが一流になった背景にブリーデンの存在
日刊スポーツ吉田義男氏のブリーデン追悼( 2021/5/12 09:00 配信からの抜粋)
珍しい左投げ右打ちの一塁手でした。前年のファーストは身長2メートル以上のアルトマンで、ショートの平(藤田)、サードの掛布(雅之)からの高い送球を捕ってくれました。一塁の“受け皿”としてのブリーデンは、「前後」や「左右」が得意なタイプでした。
打率は低かったけど、初年度が40本塁打、2年目も37本塁打を記録したようにバットで貢献しました。でもサードには後に外野に転向する佐野(仙好)もいたし、平、掛布らの内野手が一流になっていった背景には、アルトマンと同様、送球を逃さない一塁ブリーデンの存在がありました。
まるで自分がチームリーダーであるかのように、積極的にチームを盛り立ててくれました。長期間にわたって監督をしていると、ひそかに外国人との相性は感じてしまうものです。その点、わたし個人としてはウマが合ったというか、印象深い 1
人でした。

エピソード② ファースト守備への矜持
サンケイスポーツ 虎のソナタ( 2021/12/31 07:30 配信からの抜粋)
「日本で一番うまい一塁手は誰だと思う?」
ブリーデンからそう聞かれた先輩たちは、大半が「王貞治」と答え、「あなたもいい一塁手だけど」とフォロー。すると彼は、苦笑いしながらこう言ったそうです。
「違う。俺が質問したのは『 一番うまい一塁手は誰か 』だ。一番打つ一塁手じゃない。守備のことだ」
そして彼は、こう続けました。「一番うまいのは松原(誠、当時大洋)だよ。動きもいいし、ミットさばきもうまい。彼は右投げだが(ブリーデンは左投げ右打ち)二塁への送球動作も素早い。ショートバウンドの送球を捕るのもバント処理も、俺や王さんよりうまい。パ・リーグを含めても日本で一番うまい一塁手だ」
守備を表彰する「ダイヤモンドグラブ賞」(現在の呼称は『ゴールデングラブ賞』)が始まったのは72年。セの一塁手のダイヤモンドグラブ賞は王さんが72年から引退する80年までずっと受賞しています。記者投票で決まるこの結果に「みんなの投票は打撃成績に引っ張られ過ぎていないか? 一塁の守備は簡単じゃないんだぞ。ちゃんと松原の守備を見ているのか」と力説したのです。
詳しい記事はこちら( 【虎のソナタ】井端さん、鳥谷さんが絶賛する現役一塁手は? - サンスポ )で参照してください
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