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列伝18
デーブ・ヒルトン②
昨日に続いてヒルトン選手の2回目です ①を見てない方は下記でチェックしてね
猛虎異人伝18 デーブ・ヒルトン① | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ
( 4 ) 岡田彰布の入団とヒルトン獲得
さて、1979 (
昭和55 )
年11月27日、阪神はドラフト1順目で早稲田大学の三塁手だった岡田彰布を6球団競合による抽選によって引き当てる。
しかし、阪神のサードには看板選手となった掛布雅之がおり、コンバートしようにもショートには藤田平が、セカンドには中村勝広や榊原良行と役者が揃っていた。
1980(昭和55)年1月の段階では岡田のポジションは決まらず、2月13日から始まったアリゾナ州テンピでの春季キャンプでは、ファーストの練習をさせられている。
ブレイザー監督はセカンドに外国人選手を入れようとして米ウィンターミーティング会場をバタバタと走り回るなど岡田に関心がない。監督の話では「岡田は外野もありうる」と言うに至って、岡田の立ち位置は不確定の状況だった。
キャンプで自ら岡田に内野のトスを指導するブレイザー監督
一方
阪神フロントも
スタントンに代わる外国人選手を探していたが、ニューヨーク・メッツのジルベルト・フローレス外野手との交渉が不調に終わったため、ブレイザー監督の強い要望もあって、キャンプ直前からヒルトンに絞り込んで交渉を進めていた。そして2月15日、岡崎代表がキャンプ地の宿舎で会見し、ヒルトンの入団が発表される。
ただし、タイガースファンの間では「岡田も指名できたことだし、なんで今さら落ち目でヤクルトをクビになったヒルトンを獲るの?」という疑問の声が多かった。

( 5 ) ヒルトン優遇、余波で岡田は「たらい回し」に
2月23日、現地でのオープン戦第一戦では岡田は一塁手として先発出場。この日は3打数ノーヒットだったが、翌24日には第一打席でホームランを打つなど3打点の活躍をする。
ところが、ブレイザー監督は3月に入るとヒルトンをファーストに起用し、岡田をベンチに下げてしまう。しかも3月15日に帰国してからの岡田の起用方法に至っては、フロントやファンにとって理解できないものになってくる。
3月18日の帰国第一戦で、岡田は8番・ライトで先発出場し松沼兄から3ランを放って国内デビューを飾った。ところが翌19日はなぜかベンチを暖め代打の1打席のみの出場にとどまる。
20日にはライトで先発し3安打の固め打ちをしたのに、23日はまたもやベンチスタート。代打出場の後、ファーストの守備についただけに終わる。
24日にはサードで先発して第3号ソロホームランをマークしているが、翌25日は出場機会なしといった調子で、まるで「岡田にはあまり打ってほしくない」と見えるような冷遇だった。もはや周囲からは支離滅裂にしか見えなかった。
しかもブレイザー監督は「やりにくくてしょうがない。われわれは岡田のために野球をしているわけではないんだ」などとマスコミに公言しファンの心理を逆なでしている。
ヒルトンの方はおもにファーストまたはセカンドを守り、帰国後11試合の成績は打率2割7分2厘、2本塁打、6打点で、ことさら悪いわけではなかったが、ファンの眼には岡田のバッティングの方が好いと映っていた。
ヒルトンの扱いを優先するあまり、期待している岡田がたらい回しの状況にされていることにファンの同情が集まり、それが怒りのマグマになっていくのは必然だった。
そして初めは
起用しているブレイザー監督に対して向けられていた
怒りの矛先が、
徐々にヒルトン個人に向かうようになっていく。
( 6 ) ファンの怒りが頂点に!ヒルトンは邪魔者扱い
4月5日の開幕戦でヒルトンは3番・セカンドで先発出場。翌日からはファーストに回り、開幕から15日まで7試合連続安打を記録してまずまずのスタートを切っている。
一方の岡田は開幕からベンチを暖めており、初出場は4試合目の大洋1回戦の代打だった。「岡田を起用しろ!」というファンの声は高まり、18日に掛布が捻挫でリタイアしたあと、空いたサードに佐野が起用されるに及んで、 阪神ファンは 「なぜ岡田じゃないんだ!」と怒り心頭に達した。そ のフラストレーションは爆発寸前の状態になる。
20日の巨人戦では、ヒルトンの打席で「岡田コール」が巻き起こり、いらだつスタンドの雰囲気に動揺したのかヒルトンは守備でも精彩を欠く。試合後にはものを投げつけられたり帰りのタクシーを取り巻かれて罵声を浴びせられたり、事態は深刻になってきた。
ここに至っても、ブレイザー監督は試合後のインタビューで「皆さんがいろいろ言うのは勝手だが、攻撃面ではヒルトンの方が上。」とムキになってかばう発言をしたため、余計にファンの反感を買ってしまう。
深刻だったのはフロントも同じで、球団事務所には1日に50本以上の抗議の電話や、中にはひどい脅迫電話までかかってくる。
ファンの暴発を恐れたフロントの強い要請もあって、ブレイザー監督も岡田の起用を了承し、4月22日から岡田をサードでスタメンに入れた。けれども問題が解決したわけではなく、掛布が怪我から復帰すれば再び岡田のポジションはなくなってしまう。
このころからフロントは、ヒルトンの解雇と岡田のセカンドへのコンバートを真剣に考えるようになり、水面下で新外国人選手の獲得への動きを始めていた。
(7
)
ヒルトン解雇 ブレイザー監督も反発して辞任
フロントに説得されたブレイザー監督は、不振に陥ったヒルトンの解雇については渋々ながらも了承した。
5月14日の大洋7回戦の試合後、小津社長と監督が話し合いを持ち、この席でブレイザー監督は「新外国人の選定は現場責任者を無視して勝手に話が進んでいる」とフロントのやり方に反発して辞意を表明する。
翌15日、球団は甲子園球場で記者会見を開き、ブレイザー監督の退団とヒルトンの解雇、同時に中西打撃コーチの監督昇格を電撃的に発表した。ちょうどチームが4連勝中で2位に上がった時期で、このタイミングでの解任劇は、異例中の異例だろう。
(8 ) 失意のどん底でひっそりと帰国
ヒルトンにとって、阪神に入団してからの3ヶ月は、まさに針のむしろの状態であり、身の危険を感じるほどの圧力を受けた時期もあっただろう。退団発表の記者会見があったその日のうちに、ヒルトンはひっそりと逃げるように帰国して行った。
しかしヒルトン個人に責任があるわけではなく、岡田の入団が決まった時点で内野手がだぶつくことが分かっているのに、新外国人選手を外野手に限定し得なかった監督と球団にこそ問題があった。
また、アメリカでは有望なルーキーの1年目はメジャーに上げず、マイナーリーグでじっくり基礎体力作りや徹底した基本の習得に重きを置くというのが常識で、ブレイザー監督は岡田に対してもそれを頑なに実行しようとしたようだ。
ヒルトンは2017年9月17日に67歳で亡くなっている。阪神では不運だったが、ヤクルト時代のヒルトンの栄光は、決して輝きを失うものではないことは言うまでもない。
デーブ・ヒルトン[完]
ヒルトンさんは日本では天国から地獄まで味わったんだね
ドラフト会議で岡田さんを引き当てたこと ブレイザー監督の頑なさ 監督とフロントの対立 ファンの岡田さんへの期待=ヒルトンが悪役 という構図だわ
タイガースに来てからはすべてヒルトンさんに不利なことばかりが起きて しかも本人も打撃不振 お気の毒だったとおもうよ
今これを入力しているのが2025年8月なので 亡くなってもうすぐ8年になるのよね お安らかに
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