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2006.03.13
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カテゴリ: カテゴリ未分類
沢木耕太郎の深夜特急という、半ルポ的なエッセイを

香港から、バスでユーラシア大陸を横断して、ロンドンに行く彼の体験記だ。
数年前、大沢某という俳優がセミドキュメンタリーでドラマにしていたので知ってはいたが、いざ文献を見てみると、あっという間に読んでしまった。
自分自身が旅に飢えていたのかもしれない。
とにかく楽しめた。
ふと私の脳裏には、中国の武漢市周辺の、道路の雑踏が頭に浮かんだ。
中国であてどなく車に乗るということはなかった。
車に乗るということは、必然次に仕事があるということで、その目的地に向かうということなのだ。

しかし、武漢の雑踏の果てには、なにか茫洋とした懐かしくも未知のものが広がっている感じがするのだ。
中心部から、ややはなれた、荒れ果てた仏教寺院は何度も訪れた。
今では名前すら覚えていないが、そこに掛けられた経典の掛け軸には、私が子供のころ(私は仏教系の保育園に通っていた)暗踊したお経が書いてあった。
確かにここを通って、あの文句は、私の郷里に来たのだ。
私は、その山寺から、遥か先の方を見た。
その先の方へ旅したい欲求にかられたのだ。
貧しい法衣を着た僧侶は黙々と目を閉じ、静かに何かを唱えていた。
この街をさまざまな物が行き来しただろう。
僧侶たちはやはり、そのように座し、往き来るものを静観していたのだ。
私もまた、座すものなのだろうか、いくものなのだろうか
最近つくづく考えている








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最終更新日  2006.03.13 12:48:38
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