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まだ、ツアー半ばなので、どう変化していくのか定かではない。熊本でのツアーはとにかく終了した。過去の曲もおりまぜた、ヴァリエーションの多いものだった。ベースのムーストップ氏の脱退もありやや、感傷的になるのかと思ったが、自分自身はもっとビートがほしいという、外部的要因は関係なく、わけのわからぬ欲求を発し続けていた。俺を叩き付け、その場に茫然と座らすライブではなく、ズボンズショウだったという感じだ。つまり、安定的で、ものすごく聞きやすい「プロフエッショナル ショウ」だった。無論彼らはエンターテイナーである。このくらいは目をつぶってもできる。20年前のズボンズ以前でもできる。これから表現者がどうなるのかアルコールにひたる、ツアーをやめてしまう。さらに進化する。と選択肢はあまりない。DON氏がなにかのクロスロードに今立っているとこはなんとなくわかるしかし、どう進もうが、かれに一切の穢れはつかない。と勝手に思った。まだこれから3カ所ほどライブがある。彼らを知っていても、ここ最近行ってない人はライブに行ってほしい。素直に音を聴けば、自分にDONが語り掛け、あなたなりの答えがでる。
2013.05.29
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子供のころ、何気なく昼間の時間みていたら、この炎上が放映されていた。主演の市川雷蔵のその演技は、演技と思えぬ感じだった。もっとも市川雷蔵のスクリーンでの評判は知るはずがなくもっと根本的に彼とかかわらざるをえない つまり彼の表情、体の動かしかた、無論セリフ回しが強烈に残っていたのだ。共演の仲代達也も圧倒的で本人曰く「足りないところの演技は昔から評価されていた」そして、今回20年ぶりに見て凄いのは彼らの存在感は全く変わっておらず、それから知識を得て、半端な知識を詰め込んだ私をまたノックアウトしたということだ。そしてわずか10分しかでていない、中村玉緒の美しさ足を掻いたり、だらしない部分の演技。これは今回解かったことだ。とにかく10代の子供だった私を揺らしたものは、なんら変わらぬ様式をもってそこにある。わたしは市川 崑ファンでも、なんでもないしかしこれは彼の勝利だ。なぜなら、金閣を燃やした男の動機がジョンレノンを殺した男の動機(スーパーアイデンティファイ)と同じであると20年たっても思わせているのである
2012.05.26
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ついに、日本思想界で主要な位置をしめていた吉本がいってしまった。最後のころ、「生涯現役」であるとか、老いをテーマにした本とかを書いていたが、私の周囲の人間関係での彼への不評もあり、ほとんど私は彼の本に手を出さなかった。無論私が彼の仕事に対してどうのこうのということはできない。わたしは、20歳のころより、吉本だけにかぎらず、廣松も柄谷も一切読まなかった感性を磨くこと、多量の知識を身につけるのを忘れたのだ。しかし、その1年前の19歳のころは、河合塾で私は、茅島等に感化されて、運動ということはしないが、そのように社会を分析する生き方もある。ということを学びつつあった。ちょうどそのそのころ、「言語にとって美とはなにか」が文庫化され、私はその時有頂天になってしまったことを忘れない。その文体は、難解さに満ち溢れており、読めないことがわたしにとって美しかったのだ。これから吉本を読むことをするかどうかわからない。しかし、まるでロックスターのような影響がわたしに残っている。
2012.03.16
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気がついたら病院のベッド上、集中治療室だろう足を動かそうとするとなんとなく違和感がある父の姿や母の姿が見れる喋ろうとすると、言語の喪失が結構ある妙に色んなことを忘れていると、色々もがいていたら眠気が襲ってきた
2010.09.18
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3月19日 いつものように 授業をしていると、急に頭が痛くなり、こんな頭痛はしょっちゅうあるので、少し座ったらよくなると楽観視していたら よくはならない、痛さが 快感になってきたそれから 記憶は半端しか残っていないでも 痛さがあったのは、前半だけ酩酊の世界へひたすらのめりこんでいった何時なのか、いま何をしているのかわからないまま・・
2010.09.17
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3/19日に職場で倒れて以来、ようやく職場復帰をしてどうにか、人がましく社会的活動をするようになった。繰り返し考えることは、いつか来る死まで人間日々の予定をあれこれとこなしなにか、日々大事なものを追っていくということだ。言葉が出てこない。しかし、書いてみる。
2010.09.16
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佐賀 3/221.Highway A Go-Go2.オレハシナイヨ。3.New Direction4.Around And Around5.Payback Attack6.Mannish Boy7.Roses8.King Kong9.Satisfaction(encore)1.Crackin' Up2.Sympathy For The DevilDON MATSUO NEW STONE AGE 発売に合わせたパフォーマンスだった。昔 村上龍は 佐賀に関して見るべきところは「駅前の噴水しかない」とのたまわったが、今はそうでもないわりと都会だった。しかし、そのだだっぴろさには少し不安を感じた。ロックのロの字も無いところに、伝道者 DON の声が響いた共演者の若手バンドの無意識さにDONの怒りがつのっているDONを助けなきゃ 僕は客席から「念」を送った。しかし、それは 余計なお世話というものDONは芸術家だが建築家でもあり教師でもある子ども達を よき道に導いたそして今度我々へのメッセージ「CDば買わんか」DONのメーッセージどおりに NEW STONE AGEを買った。バッジがついていて嬉しかった。毎日の常食に耐えられるロックCDだった。特に・・・ BILL WYMANN WE MISS YOUは 日本の いや世界のストーンズ観 を覆す名曲である。特に ベースプレイに関しては本家ビルを彷彿させる、スイング感にあふれている。必聴であろう。本番のライブでは、その演奏の困難性からか、セットリストからは外されていた。
2009.04.26
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BEATLESの作品がアナログ盤からCDにソースが移行していったときに、初期の4枚「PLEASE PLEASE ME」 「WITH THE BEATLES」「A HARD DAYS NIGHT」「BEATLES FOR SALE」は全てモノラルになってしまった。いかに擬似ステレオであっても、私は、ステレオ盤を聞いて育ったようなものなので正直、CDに移行した初期4枚に魅力を感じなかった。私にとっては、微妙なテイク違いや、微妙な打楽器の音など、どうでもいいとは言わないが、あまり重要ではなかったのだ。このCDボックスセットは、そのフラストレーションを晴らしてくれた。レコード時代から、キャピトル編集のアメリカ盤は、ギンギンにエコーがかかっていたり、加工しすぎのキライがあったが、私は田舎モノなのだろう。そのドンシャリが好きなのだ。そして期待にたがわず、見事なまでのアメリカ処理…真面目なビートルズファンは嫌だろうなぁ「抱きしめたい」はイギリスミックスではあんなに売れたのだろうかとおもうほどこの「MEET THE BEATLES」のバージョンはダイナミックそのものだ。デユオフォニックでも何でもいい。レコードは記録でも資料でもない。エンターティメントそのものの下世話なこのアメリカ盤の方が百万倍、EMIのイギリス盤よりいい。ぜひ聴き比べを。。
2008.10.10
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今年、私の大学の出身サークルが30周年を迎え、その記念大会が開かれる。良い人ばかりのサークルで、私は幸福な日々を過ごさせてもらった。今、帰れるかというと帰れない。不義理なのだ。無論東京で開催されるので、物理的にも行けない。バンドの練習を終えて、メンバーの6畳のアパートに、5人ほどで泊り夜遅くまで話したり、色んな女の子を好きになったり、一応私の青春時代といったところだろうか、今客観的に見て、あの時代はバブルで、みんな六本木とか言ってたんだろうかな、周りのクラスメートとかも、妙に野心家だったり、車持ってたりと派手派手だったがあのサークルにいた人は、地味だけど、立派な人も多かったが・・あの時代ブランド物もきていない、ダサダサの格好の人も多かった女の子もひたすら地味だったような・・・もちろん私も何も考えていなかったので、周囲の肉食的な人々から逃げて草食な人々の多い。このサークルに癒されていたのだろう。しかし、女性へのアプローチも、日々の過ごし方もなんとも不器用な、なんとも不器用なちょっと赤面する。肝心のバンド活動は..うーん想像にお任せする。
2008.10.10
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1.Don’t Didley 2.Black Ink Jive 3.ジャンボ 4.Flat-Top 5.スワンプ 6.N.R. 7.Builbone Blues 8.No Line 9.Black Ink Jam こうあるべき あああるべきとかくロックには様式がつきまとう。商品たらんがため様々な規制が市場にはある。BEATLESはエドサリバンショーに出たときに、ギターの音が小さいとエドサリバンにクレームをつけている。お陰で、ジョンのリッケンのカリカリの音は聴視者の耳に届いた。「I FEEL FINE」のフィードバックからの、一瞬の間のために私はこのLPは壊れているのではないかと思った。おっ BEATLESの話ではないなこのズボンズの2枚目は、CDがゆがんでいるのではないかと思ってしまう。CD<LIVEと、よりLIVEがワイルドになっていくの普通だがズボンズの場合はCD<LIVE<CD<LIVE ∞てな感じでパワーの連鎖を繰り返す。超ライブを実現するのがズボンズのCDだメタルファンクOFZOOBOMBSがこのCD
2008.06.29
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昨年の中3生が、高校生となりそれぞれ、部活に、勉強に頑張っているようだ。そろそろ、大人として扱ってやらないといけない時期なのでそれぞれの勉強はそれぞれの自覚に任せることが多くなった。趣味がそれらしくなってきたなと、にんまりする時がある。バンドを組んだものが二、三人いて色々なことを私に質問したりする。「どんな曲やってんの??」「×●▲○・・・・」最近の日本のバンドらしいが、何度聞いても憶えないしかし、彼らに目の前でひいてみさせるとみな器用でなかなか上手い。しかし知らない曲なので「ふーん」と感心するのみである。ところがその内の一人が「SMOKE ON THE WATER」のイントロをひき始めた年の離れたいとこに習ったという。俄然興奮した私も激しく弾いてしまった。子供たちの「はぁぁぁぁ」という顔が印象的だったその後私にギターを教えてくれという少年は0である。だめだこりゃ(長介)
2008.06.19
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何度聴いても、幸せになる曲これが、上記に上げている Georgy Girlだビージーズと同様、オーストラリア出身でイギリス経由で売れたバンドだ当時オーストラリアのバンドがどのような扱われ方をしていたのか分からないがエドサリバンショーでは、サウンドエクスポという枠にくくられ紹介されていた辺境のバンドといったところだろうかJudith Durhamという女性ボーカルの人の鼻にかかった声が昔あこがれていたちょっと年上のお姉さん。つまり僕が小学生ぐらいに、中学生くらいだったお姉さんを思い起こさせる。この人は美人ではないけど歌うときにいつも嬉しい顔をして歌っている。YOU Tでもたくさん画像があるが 全てにわたり観客も、バンドの人も 幸福なのだ なんだか学芸会のよくできたバンドのようだが皆さんも一度聴いてみてもらいたいのだあの太陽の輝く素敵な時代へ帰ることができるyou tube を埋め込みたいがよくわからないとにかくアクセスして 下のナンバーへhttp://jp.youtube.com/watch?v=eSVfLNCW4Fs
2008.06.17
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昨日、NHKでチャップリン特集があり、色々考えた。「独裁者」のラストの演説シーンを見て、ジョンレノンのイマジンを思い出した。驚くほどその根幹に近いものがある。元々、ジョンレノンとチャップリンには共通点が多い。イギリスの皮肉っぽいユーモアにその表現の基礎がある点。アメリカで成功しながら、アメリカをシニカルに見続けていた点。当局から圧力を受け 追放されてしまった点当局から圧力を受け 追放はされなかったが、暗殺されてしまった点。アメリカという国のグロテスクさは平等、民主主義が 他国の圧倒的な 不平等さを犠牲にし成り立っている点自国の利益のために平気で戦争を起こし、それが許されると思っている点二人とも住んでいたからなおさら判ったのだろう。元々帝国主義は、イギリスの発明だが第二次世界大戦以降、特にベルリンの壁崩壊以降はアメリカの独断場だ。マッカーシーの存在を持ち出すまでもなくアメリカは止まらない。今度は二酸化炭素で世界を滅ぼす気だ。何度ウソをついたのだ?何発東京に爆弾を落としたのだ?朝鮮に地雷を何個置いた?ベトナムに枯葉剤を何トン撒いた?イラクに何発ミサイルを打ったのか?全部正義のためだったろう?今は亡き二人にはそれが見えていた。ナチズムが独裁者ではなくアメリカの存在が独裁者なのだ。
2008.03.06
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つまり10番街の殺人だが、最高すぎて死にたくなる。レコードバージョンも最高だがライブも最高だYOU TUBEに60年代の日本公演が存在するがメルテイラーの猛爆ドラムが脳みそを直撃する。音楽はリズムだと本当に思う。スネア タム バスドラ シンバル シンプルセットのみなのに多くのドラムに囲まれた後世のドラマーは全員死亡そんなレベルだ。ルックスも悪い ブルーワーカーのベンチャーズだが死ぬほど、、、、死ぬほど、、、格好いいスーツを着て冷静さを保とうとしているがやってる本人たちの顔から、ピリピリした快感が来る。そして、メルテイラーセットもシンプル パターンもシンプルしかし、、、、首根っこをつかまれ無理やり天国へ行かされる。ジョンベルーシが自分の葬式にこの曲をかけてくれといったらしい。死ななくても天国へいける・・至上最高のインストだ
2008.02.14
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カナデさんは、現在中3で女の子である。吹奏楽部でサックスを弾いている。いや吹いている。成績は私の勤務する塾で1位、いやすばらしい。カナデさんは、いつもクールをきどっている。私の言うことにことごとく逆らう。ゼンマイザムライにはまっているようである。私が数学を苦手なのを知って、わざと数学の質問にくる。私はなぜこんな冷たそうな顔が好きなのだろうと、いつもぼんやりカナデさんを眺めている。女性には色んな時期がある。ぽんやりと可愛い時期ぴちぴちと色っぽい時期カナデさんは、今全ての輪郭がはっきり、ある種の清廉さに包まれている。あの紺のセーラー服と、ローファーと、黒いストッキングが黄金率をもって彼女に在る。もっともシャープな時期なのだ「昔は無邪気でした」なにやら哲学めいたことを言う。彼氏はいないそうだ。変な虫がつかないでほしいものだこの前、吹奏楽部の演奏会へ行ってきた。カナデさんは文字通り奏でていた。「AND I LOVE HER」のソロを・・・愛も恋も分からない、美しい少女が、こんなラブソングを吹くなんて吹奏楽部顧問の男の首を絞めたくなったものだ。娘がもしできたら、カナデとつけよう私は彼女のソロを聞きながらそう思った。
2008.01.07
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まぁなんだ、妹が嫁いだ不思議な感覚だ、見知らぬ男からお兄さんなんて呼ばれたりする。どうも居心地が悪い。しかも東京で結婚式とはね(飯田橋)親父が泣いてたりするのを見ると笑えてくるのは良くないよねやっぱ。しかも親父も挨拶で、「新郎が」と3回も間違えてしまって、親戚一同から「やっぱあんたのことが気にかかって」とかなぁ妹も知り合ってなんか直感的にきたみたいで小津安二郎の映画で原節子がお嫁にいく決心をしたときのなんだか哲学的なセリフを思い出したりして。こんな夜に、T君が来てくれたのはありがたかったなぁみんなフォーマルな夜にT君はドカジュアル思いっきり、レイチャールズとか歌ったりしてうーんこんな夜もあっていいよね。
2007.10.11
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最近、Y-TUBEをよく見る。やはりBEATLES関連をよく視聴する。そら著作権会社は怒るよねぇ。1966の武道館の7/1日の分とか、ごく普通にあるもんね。サンフランシスコの最後のライブはさすがに画像はないが、いつの日かひょっこり出てきたりするのが楽しみだけど無いのかな。個人的に、1966年のビートルズのライブは凄く興味がある。PAシステムが徐々に入ってきて、それと相反するように彼ら自身のクオリティは落ちていく。時々ピントが合ったように、凄いパフォーマンスをするのだが続かない。今の管理されたライブに比べるとエライ生々しいのねん。1966年、サンフランシスコで何がおこりつつあるかビートルズは敏感に感じ取ってるけど、相変わらずドサ回りでスーツ着て ジョンなんか耐えられなかったんじゃなかろうか世間的には66年のパフォーマンスは、武道館だけどクオリティーは圧倒的にドイツのこのライブが上わずか数日前なのになんですかこの差は立ってるマイクの数は4本ぐらい1本は放送用としてもあとはモニター用と会場用かなぁとにかく「NOWHER MAN」のコーラスでジョンが異様なほど慎重になっている聞こえているからだと思う。そして、なんといっても楽しそう。ジョージまでもが、ドイツ語で挨拶。第二の故郷は、アメリカではなくドイツなんだろうな不思議なほどリラックスしているが、演奏はシャープライブが巨大化するのは、この1年後のモンタレーポップからだパッケージショウの形態は66年で打ち止め。その後ジミヘンの猛爆ギターが、ショウをアートにかえるんす。スーツの時代 フォーマルの時代 ユニフォームの時代全てが終わる。 ピースそして T SHIRTSの時代がやってくる
2007.08.21
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先日 ある友人と再会した。よおくバンド関係で RE UNIONという言葉を使うが、まさにそんな感じだった。8年ぶりくらいに会って、久しぶりの言葉もそこそこにかつての しぐさ 言葉 間 が すぐ戻ってくる私も友人も 現在抱えている問題は様々ありつつもいきなり核心に入り込んでしゃべるのは新鮮だった。変わったのは 沈黙でも平気なこと友情というかなんというか承認といった言葉が適当だろうか「俺ってこんな人間だったんだ」またそれぞれの家路に着く際に思わず発した言葉若いころはノーガードで打ちまくり傷つき、心乱れても今のこの距離感がなんとも暖かで 心地よかった私はあなたになにもあげることはできなかった私はあなたになにもしてあげることはできなかったせめて今のこの安らぎと次何年か先会えるかもという淡い喜びとあなたが誰にも愛されないと感じたときでも私はあなたを支持しますTHANKS
2007.07.28
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落雷があり、茶の間のアナログテレビが逝ってしまった。私はほとんどテレビを見ないのでさして影響はないがテレビ好きの父と母は慌ててていた。しかし、「地デジ」とやらで買い換えなければいけない時期だったので「困ったね」と母は言いながら、少しにやけていた。保険をかけていたからだ満額とはいかないまでも相応しい額が出たようだ。いつのまにか液晶薄型32型テレビが鎮座していた。さきほど見ないと言ったが、映画好きの私と父は喜んでいるタイミング良くジョンウエインの映画特集があった。母はアメリカ映画の比喩的な描写の意味がわからず、洋画嫌いなので少しむくれている。母は細木数子とかの説教番組がすきなのだ。そして今回驚いたことに、スカパー等が見れた。もちろんガードがしてあるのだが、4/3は見れるようになっている。昔のプロレス等などが見れたり、ウルトラシリーズも見れたりする。しかし、それを余裕をもって見れる時間は無いしビデオにとって見るのも面倒だ。やはり私は古い人間だ。昔、ビートルズの日本公演再放送を、部活で仮病を使ってみたりしたライブ感が好きなようだ全てをなげうってテレビの前に座る。これぞ黄金の70年代に少年期を過ごした男の正しい姿と思っている(ちょっとウソ)
2007.06.07
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ジョンキューザックの駄目さ加減がよいチャンピオンレコードも適当にいい加減で非常に良い。アメリカ人の感性なんかなぁと思ったらイギリス人の原作、監督で舞台はシカゴしかなかったってさ、シカゴにいったことが無いのでその感覚はわからんけどね。テープ作りは神聖な作業確かに通りすぎた女性にランキングをつけるのも確かに非常にもてない僕ですが僕も全員に会ってみたい「俺ってなんで駄目なの」と聞いてみたいMDじゃなくてテープを送りたい。ビートルズとストーンズを入れてしまうと、収拾がつかなくなるのは確か、でも、1曲目はSTONESの「SWAY」を入れたい。SATURDAY IN THE PARKとMAKE ME SMILEもどっかででも最後はやっぱり「IN MY LIFE」で
2007.05.24
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会社の関係でコーチングの資格試験を受けてきました。試験ものは強いという自負がありましたが、なにしろ記憶力の低下が激しい。かなりヒヤヒヤもんでしたがさて、結果はどうか????子供を教育する際には愛情が根本になければならないのは当然ですが相手の話を聞く場合「WHY」を発すると相手の心は閉じてしまうそうです。「WHAT」を基本とすべきとのことそうねぇと思いつつもまぁ半々納得というところですが一番共感できたのはクライアントの話を聞くときに「自己話」を止めるというところですか人間は相手の話を聞きつつ、自分の志向するところに相手を持っていきたがるみたいで話を聞きつつも「こいつやっぱだめだよね」とか「そうじゃない」なんて想念してるのですねそれでは相手は閉じてしまう。特に小さい子供は敏感ですから自己話をやめ「傾聴」をすることが肝要みたいですねちょっと洗脳手法っぽいなぁと思いつつ「自己話」しないで聞いてみようと思うこのごろです
2007.05.20
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東宝の映画ってやっぱいいなぁ佐藤 允は 日本人離れしてるといわれるけどかれは九州人(佐賀生まれ)としては標準です。中国を舞台にして(実際は御殿場)の広大なイメージがよく似合う。独立愚連隊のテーマなんてのもある。このころ東宝は、主題歌になると必ずテーマ曲を作ってたのでしょう。意味不明な中国語がなんともかっこいい。差別表現すれすれで、従軍慰安婦もバンバン出てくる。従軍慰安婦の問題はデリケートなので、簡単にコメントできないが存在していたものを描けなくなるのは今の時代の潔癖性が・・・何で俺がこの映画をすがすがしく感じるのか今わかった。潔癖ではなく猥雑だからだ。加山雄三を3枚目に堂々とつかったところに岡本喜八の慧眼がある。でもこの時の加山は本当に初々しい
2007.05.17
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五木をもっと山の方へ行くと五家荘(ごかのしょう)と呼ばれる山奥の一地帯がある。九州山地の中の中だ。平家の落人伝承の地だ。はっきりいってものすごい道路である。どこまでいっても切り立った断崖で、今ですらこうなのだから昔はもっと凄かったのだろうと容易に想像がつく。日本人の田舎人として生まれた自分の桃源郷のような場所だった。山から、川から、マイナスイオンが出まくっている感じがする。普段田舎に住んでいる私がそう思うのだから、都会から来た人はもっとそう思うに違いない。大気の中に湿潤な香りすら漂う。すれ違った車のナンバーが、他県のものばかりであった。しかし、なぜかそば屋があり、しかもまずかった。反省してほしい
2007.05.12
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職場の経理さんが(主婦)食事に行かないかとメールをくれた。彼女とは良いコミュニケーションを持っているので嬉しくお受けした。無論妙な尾ひれは無しだとは分っているが彼女は綺麗なので、うれしかった。普段必ずペアを組む息の合う人なので、深刻な仕事の話なのかなと思いきや「子供ができたの」ガーァァァァァァァァンという感じ無論だんなさんとの愛の結晶だから「良かったね」というべきだろうがなぜか喜べない俺がいるのですなぜ俺の好きな人は妊娠するのだろうか無論魅力的なので、しかるべくして結婚して妊娠するのでしょうけどどうやってこの砂漠のような職場で頑張っていけばいいのか???しかももう彼女はこの職場を止めるという。もう・ショック代わりに産みたいくらいだと腹をさすりながらアメリカンジョークを言うとやや受けだった・・・
2006.12.11
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夕張のニュースが繰り返し流れている市の機能が喪失しつつあり、文字通り「ゴーストタウン」化しているのだ。図書館という聖域までなくなるのだから深刻だ。しかし、これは全国的な現象の顕れなのだろう私の住んでる集落も住んでいる人は60代以上の高齢者ばかりだ。若者はいない。私の住んでいる集落は筋金入りだ。そんじょそこらの歴史ではない熊襲(クマソ)の時代から川のほとりに文明を育んできた・・・と思われるし西南戦争時は薩軍が泊まった記録もあるそれ以上に私の子供のころ、ここは子供で満ち溢れていた。夏休み等は、朝から晩まで海水パンツ一枚で中学生から小学生まで色んな遊びをしたものだそして十五夜では、村のお堂で藁をしきつめ大人も子供も参加して相撲大会をした。無名の村だが、そこには歴史があり村は脈々と生き続けてきたのだ。なによりも、私は村の上級生のテープレコーダーでS&Gを知りポールマッカートニーを知ったのだ。しかし彼らはもういない生意気を言って叩かれたこともある。しかし彼らはどこかに行ってしまった。僕は一人、なぜだかこの村にいて、一人S&Gを聴いている。僕が年老いたら、この村に何人の人が残っているのだろうか。
2006.11.24
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1969年ロックがその質を変え、アドリブと大音響の渦巻く世界へ移行しビートルズがちっぽけなもののように感じられた時期ではなかったのか「ウッドストック」「ワイト島」ビートルズの「B」の字も無い。彼らが撒いた種は彼ら自身も覆い尽くそうとしていた。そんな時勢に抗うが如くストーンズは強烈なナンバー「JUMPING JACK」を噴出しミックテイラーを加え、巨大化したコンサートユニットを引きずってアメリカをまわっていた。レッドゼッペリンが確立してしまった途方も無いコンサート天下のストーンズはアジャストするのに必死だ鬱憤を晴らすが如くアメリカ、イギリスから「アイドル」とは程遠いルックスのミュージシャンが出てきていた。ビートルズは余りにもか細く、頼りなく見えたに違いない。内部的な矛盾も噴出しアップルは泥沼化し、アレンクラインの登場はポールの孤立を決定的にした。「GET BACK」セッションは活性化どころか、亀裂を深めるだけに終わった。アビーロードは、心不全になりかかったビートルズの最後のプライドだ「SHOOT---」余りにも不気味な「R&B」で幕は開く彼らは演奏家ではなく「ARTIST」で「PHENONMEN」だった。ペンタトニックスケールもアドリブも彼らの方法論には無いマーシャルアンプとレスポールが錬金術で「黄金」となりビートルズ株は暴落したかのように見えた。彼らはあえてスタジオの鍵をかけてしまったかのようだ8Trのマスターテープは彼らの最も上質な部分をすくいとっている彼らは永遠にヌーベルバーグという明らかな矛盾を最後まで貫き通した若年層のサブカルチャーとしてのロックが解体して60’Sのキッズたちがやがて労働の癒しとしての商品を求めることを予見してビートルズは幕を下ろす「世にあふれる演奏家」にThe Endで皮肉をこめて
2006.11.23
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ビートルズがモニュメント化していく。ジョンレノンはモニュメントだかミュージアムだか、とにかく銅像となってジョージはまさに神になりリンゴはひたすら存在感を消していきサーポールマッカートニーは、ビートルズ神話の語り部となってしまった。彼のコンサートはビートルズドキュメントの再現の趣さえある。1968年当時の彼らはそれを予期していたのかいや当時ですら、架空の玉座に座らされようとしていた状況に抗うが如く作られた感がある。ジョンが「It’s only song」とうんざりした顔で言いそうだ。ロックの生命線は、アーティストを所有している幻想にある。The WHOも巨大だが、彼らの「Heat Wave」や「Just You & Me」はFENでは流れるかもしれないが、スーパーのBGMでは絶対に流れないそれは万人を喜ばせようとはしていない「鋭い僕」を満足させる為にあるマイナーであることは、逆にロックの本来持つ魅力の一つであるThe Whoがリッケンバッカーをぶち壊すたびにその難解さは増し「ポールモーリア」と「The Who」が好きなんていう言動を許さなくなるとんがっている「僕」だけが「Who」を所有している幻想を抱かせるのだビートルズは危ういセイユーで流れてしまうし、文科省もお墨付きを与えそうなのだリンカーンやキュリー夫人といった伝記シリーズにジョンレノンも加わりそうな昨今の勢いであるしかし「WHITE ALBUM」は断固それを拒否している御丁寧に曲と曲の間をピッタリとくっつけ安易にDJに流させない意地悪さだ「IMAGINE」や「YESTERDAY」をどう賞賛しようとと「I’M So Tired」や「Helter Skelter」は持ち上げれない彼らがイギリスで発表した13枚のOrginal LPのなかで真っ先に廃盤になるのはこの10枚目だ権威をあざ笑い 因習を拒みつづけた彼らが自分達が権威にならないように作った安全装置それがこのWHITE ALBUMではないか完成度が低いのではないわざと輪郭をぼやかしたのだその世界は無限に広がり、我々は未だに自由にこの曲たちに接することができる「どう感じようが君の自由だ」廃盤になる可能性は高いが、その時このアルバムは自由になるだから・・このLPは真っ白なのだ。
2006.11.12
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これは、今は亡き景山民夫の短編小説のタイトル景山はネバダの砂漠でヤマハのオフロードバイクに乗った男に出会う彼は景山のぺリエを飲みながら、夜に人工の光が見えない場所が、彼の「休暇の土地」だという。少しカッコ良すぎるが、誰にでもその土地があるのではないか僕にもある。近所の人里を川沿いにどんどん上がっていくとそこはある。半分林業用の道路なのでそこにたどり着くまで一台の車にも会わない。鹿児島県との県境なので、カーラジオはいつのまにか周波数が変わったりする。車が故障したら大変だなと思いつつもその山頂近くで車を止め一本煙草を吸う有名な山でもないし、名所でもないしかし眼前には八方のパノラマが広がっている山に登った人なら分ると思うのだが「ゴー」っと下界の音が増幅して風の音と混ざって聞こえる。余りに寂しいので昼しか来たことがないが今度はここから夜の空気を感じたいと最近とみに思う流れている時を少しだけスローにしてみたい
2006.10.29
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過日、10月9日は、元BEATLESのJOHN LENNONの誕生日でした。彼がこの星に現れたのは1940年のその日でした。ドイツ軍がリバプールを激しく爆撃していました。その状況が、彼の叔母ミミ スミスに「WINSTON」というミドルネームをつけさす原因になったかどうかは定かではありませんが、彼女の愛国心がそこに現れていました。彼はその後疾風の如く、全てを省みず、40年の人生を走りぬけていきました。彼が今おじいさんであれば、僕はちょっとほっとしたかもしれません。しかし彼は「ヒーロー」のままです。彼は新しいタイプのヒーローでした。決して美男子ではないのに、両性に好かれました。彼がスーツを着てそこに座っているだけで、みんな彼にウットリしました。抜け目のない目はいつこちらを見ています。彼はロックスターにあるまじきリアルな男でした。彼は薬にもおぼれず、妙な信仰心にもおぼれずリバプールのごく良識的な男がそう願ったように、最良の伴侶を求めつづけそして自分の血を継ぐ息子を愛しました。見過ごされがちですが、彼は自分に最良の道を真っ直ぐに見つめそして自分以外の多くの人間を幸せにしました。男としての責任を果たしたのです。本当に見過ごされがちですが、彼は立派な生活者でした。僕は数年で彼の年齢を超えます。僕がロックから遠ざかっていっても貴方はそこにいるのです。貴方にとっては迷惑な話かもしれませんが年を経るにしたがって、貴方に対する友情を深く感じていくでしょう貴方より多くのものを出来るだけ目に入れることだけしかできませんが目を見開いて真っ直ぐに見たいものです貴方のように・・・
2006.10.22
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西部劇は好きだ特に60年代前半までのものは楽しい。楽しいのは・・コンセプト・・と称される説教くささがないからだ。しかも、そこにパロディくささもない。現代に作られる西部劇は「再生産」の臭いが濃厚にする。薄められすぎたバーボンみたいだ思想を詰め込みすぎて余裕がない。「銃撃戦」は余禄だ。焚き火を囲んでコーヒーやシチューを食しているシーンが好きだ。なんだか自分も旅をしてるようだ。また、サルーンで、ショットグラスについだバーボンをくいっと飲み干した男にドレスをきた色っぽい女性が寄り添ってくる。そしていつのまにか大喧嘩これもいつものパターンだが凄く良い。だが、なによりも痛快なのは、カーボーイは責任を負わない。広々とした大地に忽然と現れ、走り回り、そして去っていく彼らは自由だ。無限の夕焼けと永遠の一本の道があるだけだ。しかし、「明日に向かって撃て」はその楽観主義に幕を下ろしてしまった。レッドフォードもニューマンも素晴らしいし、確かに傑作だが追っ手がどこまでも追ってくる人間はなにかに縛られているし、逃げおおせることもできないだから、この方がリアルなのだがそれはちょっと辛い。彼らがボリビアで高笑いをしていれば「西部劇」も、もう少し延命したかもしれないだが、彼らはあそこで突っ込んでしまった。「ラストシーンがすばらしい」とよく評されるが冗談じゃない。現実にないものを描くのが「娯楽」なのだ
2006.10.17
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ちょっと前に話題になったレイチャールズの伝記映画「レイ」を見た。困ったことに本物のミュージシャンではないレイを演じているジェイミーフォックスの演奏シーンに感激してしまった。アテレコの領域をこえている。「メスアラウンド」の演奏シーン等は、曲の疾走感とジェイミーの肉体のゆれ、スタジオ内に張り詰めるテンション、リアル以上のリアルさだった。中年以降のレイチャールズしか知らないぼくには、まるでタイムマシーンに無理やリ載せられ、そのアトランティックのスタジオにいるかのようだった。アカデミーを取った作品だということだがとにかく細かさと躍動感に満ち溢れている。60年代当時のあのアメリカの色彩感まで感じさせてくれる。親父が持っていたサッチモのジャケットに写っていたニューヨークのネオンの雰囲気そのものだ。そして、音楽がやはり素晴らしい。今までずいぶん私が「レイ」に偏見を持ってたことがわかった。「いとしのエリー」をカバーした時にずいぶん落胆したことからがはじまりなのだが、レイという対象が、あまりにも巨大すぎて、全貌がわからなかったのだ。あまりにも有名なものにたいしての偏見といってもいい。万人に「ウケル」ということがそれだけで軽べつの対象になってしまう、私のガキの視点のたまものだ。トップを疾走している人間には、カテゴリーは関係ない。「カントリーをやるなんて」ABCレコードの社長に反対されても、「カントリーが受けるのは、その中に物語があるからだ」とレイがつっぱねるシーンがある。彼が自分の信じたものに忠実であったことが、彼をメジャーにした。皮肉なことに、彼に去られた「アトランティック」もその後メジャーレーベルへ上り詰めていく「アトランティック」も学習していったのだ。とめどもなくなってしまったがたとえ、アカデミーでも。ハリウッドスーパープライス980円でも、偏見を持たずに見て欲しい。特にロックギターを弾いている人には見て欲しい自分が何気なく弾いているそのフレーズは、レイのような多くの先人の試行錯誤の末の財産なのだ。レイ・・・あなたは凄い、抜群だ。心からの敬意を・・
2006.10.10
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ずいぶん書かなくなってしまった。発信することがないのか、人間が環境で生きる動物であることをまざまざと感じる。私は文をやや書けるがそれは私が書いているものではなく、私の取り巻いてる環境が私に書かせているものだとわかる。さほど好きでもない女性と車に乗って、海のそばに行き、水面を見ながら煙草を吸いながら、「BEATLES」でも「加山雄三」でもなく次の車検のこと、近所のスーパーの安売り、最近舗装された農道について淡々と語り、日が暮れたら帰る。これが最高の休日の暮らし方だ彼女は私がバンドをやっていたと知ると「にあわんねぇ」と笑いながらしゃべっている。彼女からは週に2回メールが来る。普通過ぎてちょっと変だ。力まなくてもいい普通の生活。これでもっと僕が迫れば、ドラマティックな展開だろうがなんだか力めない。最も恐れていた普通の日々そして全ての催眠から解けたら恐ろしい現実が目の前にどどっと津波のようにそう・・来るのではないか足に地のついた生活・・求めていたものが来るんだろう。
2006.09.23
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男達の大和という作品がある。映画である。大和とは、日本海軍が昭和16年に浸水させた全長260mもある軍艦である。46cmという世界最大の大砲を積んだ船である。この口径46cmにした理由は、当時パナマ運河を通る為、最大口径40cm(大砲を大きくすると、その衝撃、砲自体の大きさを支える為に、船を大きくする必要がある。)が限界だったアメリカの軍艦を、その大砲の弾を受けないで、一方的に攻撃することができるしかし、戦争当時、時代が航空機中心になり、結局使いようがなく、占領された沖縄を奪回する浮き要塞になるべく、そこへ向かう途中、300機以上のアメリカの飛行機になぶり殺し同然に撃沈された。しかも3000人近い乗り組み員の命も巻き添えにしたのだ。その沖縄特攻を映画化したのが本作だ。色々ごたくをつけている。「守るべきものの為に」「その後の日本の為に」ごもっともだ。しかし私はこの集団特攻を発令した日本海軍を許せないし、それを美化する東映も絶対に許せない。しかも、もっと許せないのは、私がこの映画を見たがっていることだ。「大和」は日本人の英知を集めた象徴である。その構造には無駄はなく、46cmという巨大な砲を積んでいるがコンパクトな作り。その後の技術立国たる日本を予兆させる素晴らしい艦だ。世界中のあらゆる船のなかで、これほど美しい艦形を私は知らない。しかも、同型の船内の無数の防水区画をもち、絶対に沈まないことを基本思想に作られ、同型の「武蔵」は、フィリピン沖で魚雷、爆弾を50発以上くらっても2時間余り航行していたのだ私は正直この大和に関する本を10冊以上読んでしまった。人殺しの兵器なのに私はそこに美をみつけ、日本人の英知の結集したこの船に愛国心を感じてしまっているのだ。イギリスのパンクに惹かれる精神のどこにこの愛国心が刷り込まれているのか不思議でならない。しかしそれは私の世代で終わらせたいものだ。私を教育した何かが私にそれを刷り込んだのだ。飛行機の護衛無しに3000人もの人間を死に向かわせた当時の日本の精神を受けついではいけない。46cmの主砲は美しいが、殺傷兵器である。大和はひっそりわすれさられたほうがよいのだ。しかし、大和のかっこよさは受けつがれる。そして東映のバカどももメシの種にするつもりだ。もういいのではないか。大和クイズも、通販グッズもせめて儲けに走る前に御霊に黙想した方がいいのではないか・・・
2006.07.20
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私はサッカーが好きではない。意味不明である。特に、日本のサッカーが嫌いだ「戦術」「プレス」「システム」マスコミばかりか、選手も能弁にしゃべる。の割に、素人に説得力のあるプレイをしない。ジダンのボールさばきもわかるし、ベッカムのフリーキックの素晴らしさもわかる。では、日本人プレイヤーは??中田のパスの鋭さくらいだ。私が野球少年だったせいもあるだろう。とにかくJ以降の日本のサッカーには興味がない。特に大嫌いなのは「ミヤモト」というディフェンダーだ。なぜキャプテンなのか???第一髪の毛が長すぎる。サッカー選手は、横方向に視野が開けていた方がよいに決まっている。中田も短いし、ロナウドも短い。おまけに、ベッカムも決して長髪ではない。なぜ2流以下の「ミヤモト」が長髪なのか意味不明だ。顔は確かにいい。服装も決まっている。いい男だ。しかし、自分をコーディネイトする前に、チームをコーディネイトしろ!!と言いたい。圧倒的に体格の勝る外国勢を相手に、視野の狭くなる長髪をこいている暇があんのか??こいつがなぜキャプテンなのか、どうみたって中田がキャプテンだろう。ちょっといい男に対するヒガミのようだが、オーストラリア戦での、ディフエンスの崩壊は素人目にもわかった。弱弱しいところのみ説得力をもって伝わってくる。とにかく「ミヤモト」イズムが日本にある限りワールドカップでの敗戦は続く。髪をのばしたきゃロックやれ
2006.07.18
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梅雨が来て、夏前になると、とたんに俄かビートルズブームになる。NHKの衛星放送で特集をやっていた。想像を絶するひどい番組だった。ただ一箇所、おやっと思ったのは、赤坂のキャピトル東急(旧 ヒルトン)でのプレジデンタルスイーツ(ビートルズの1966年の宿泊場所)からの中継だったことだ。このホテルも取り壊しが決まったようで、ホテル側も特別価格で、この部屋を貸し出したりしているらしい。赤坂のそこには僕自身2度行ったことがある。1度目は大学の仲間と、ビートルズの同人誌を作るため、写真を撮りにいったのだ。何気にホテルに入り、何気にこの部屋にも入ることができた。勿論無許可である。深い感慨はなかったのだが、時代がバブルで、なんだかフワフワとしていた。誰も66年の来日なんぞ思い出すヒマがなかったのだろう。セキュリティも甘かった。で、もう一度いったのが90年代にジョージが来日を果たした時だ。会いにいったのだ。コンサートには全く魅力を感じなかった。行けば何らかの感慨は抱くのだろうが、その時点でも、とにかく彼にミュージシャンという雰囲気を感じなかったことが最大の要因だった。だが、突然に彼に会いたくなったのだ。とにかくすぐ地下鉄に乗って出待ちしようと思ったのだが、彼はもう出るところだった。一瞬、陽炎のような細い肩がリムジンに入るところしか見る事が出来なかった。結局それが「今生の」別れになってしまった。今では少し後悔している。彼が死んだ時のショックはジョンの時程ではなかったが、ジワジワと実感している。今でも彼がいないことが、妙な空虚感を持って感じられる時がある。彼は成功すればするほど、ショウビジネスから離れていった稀有な人だ。たぶんジョンとポールがいなければ、彼は普通の人生を送ったにちがいない。60年代の巨大な波に包み込まれてしまったのだ。彼はその後、自分にできることを誠実にやり続けた。「FREE AS A BIRD」を作ったのも彼の責任感だった気がする。彼はまたもエゴを引っ込め、ポールとの共同作業を行った。ポールと彼がしっくりいってなかったのは、ポールのリスペクトが足りなかったからだと思う。「弟」とポールがジョージのことを最後まで表現していたが、ポールは最後までそう思っていたにちがいない。ジョージはその脱却に執念を燃やした時期もあるが、その自分をある時期受け入れて、あの最後のシングルの製作に至ったのだろう。あらゆる批判はあるだろうが、もう2曲90年代に「BEATLES」というクレジットで出してくれたことは、素直に1ファンとして嬉しい。それだけにあの日、すれ違ってしまったことを時折痛切に後悔するのだ。
2006.07.12
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久々のライブ、だが ドンマツオは快活で、饒舌だった。目に付いたのは、シングルコイルのSGをメインギターに使用していたことだ。どちらかといえば、ストラトキャスタータイプのギターをライブで使い続けていたのだが、これが今回は驚くほど・・・・・あっ小ざかしい。素直に言おう。SGがかっこよかったんだ。僕はうっとりとした。弦が途中で切れて、彼はイエローのレスポールJrに持ち替えた。僕が、ここにこうしている間、ドンはカナダに行き、オーストラリアに行き、そして、カゴシマを経て、ここに来てくれた。昔、火の玉ロックという見事な邦題がついたジェリーリーの曲があったが四人のメンバーはまさにそれいや、四人だけではないそこに居た僕らは、ドンの放熱をリフレクトしている。僕らも熱帯のような熊本で、一緒にMOVEする。アメリカで、エルビスの音楽を聴いた16才の女の子が、カーラジオを聴くために、父の車で走らざるをえなかったりビートルズの映画を見たロジャーマッギンが、自分達はOKだと確信したことやディランの廃墟の街をきいて、ギンズバーグの詩集を捜し求めたりロックは人を少しずつ変える。それがGENUINであればあるほど、些細に人は変化する。僕は・・・・・僕はどうだろうか・・・僕はドンに握手までしてもらいティーンネイジャーのように上気した。帰りに僕は何かを歌いたかった。しかし、その日僕は、父のバンで来ていた。カースステレオはついていない。しかも泣きたくなるほど電波状況は悪かった。かろうじて、BEATLESの「抱きしめたい」が流れてきた。僕は、喜んでノイズと一緒にボリウムを上げ「I CAN’T HIDE」と繰り返した。そう、衝動を隠し切れなかったのだTHANKS DON
2006.06.25
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また,見つかった。何がって?-永遠さ。それは行ってしまった海さ太陽といっしょに。1969年、九州の西端の町、佐世保の進学校に通う「ケン」(筆者 村上龍自身)とアダマは、学校をさぼって動物園にいた。ケンは、フェスティバルを佐世保で行いたくて、炭鉱町出身の成績抜群で人望の厚いアダマを誘い、「クリーム」や「ゴダール」を話し《教育》する。初めて学校をさぼったアダマはついに上記の「ランボー」の地獄の季節の一節を口にし、詩集を借りる。 この小説は「MORE」というミセス向けのファッション雑誌に連載されていた。私はこのとき高校生だった。アダマと同じように、私もケンに騙されてしまったのだ。私は、ユリイカのゴダール特集を買い、映画を作った。それはゴダールよりも500万光年ほどかけ離れたものだったかもしれない。だが、私もアダマと同じく本当は「69年に満ち満ちていた何か」を信じたのだ。私もケンと同じように、ゴダールを見たこともなかった。今のように「DVD」もなく、町唯一の映画館は「ピンク」専門だった。村上 龍は、短足でガニマタで、顔がでかい。九州人以外の何ものでもないルックスである。私はそれがコンプレックスだったが、彼はひるまずどんどん進んでいく。作品をおっかけようとは思わなかった。「限りなく透明に近いブルー」はこの小説の続編だが、何度読んでも意味不明だった。村上 龍を好きにもなれなかった。しかし、全編九州弁で書かれたこの小説はその後の私の行動に深く影響を及ぼし、後に、69年ではなく、彼が作った69年という世界を私が信じていたと知った。だが、このヴィヴィッドさは絶対に消えないし、私は、このような69年が私にまた訪れることを信じている。「楽しんだ人間が勝ちなのだ」
2006.05.31
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1.It Won't Be Long2.All I've Got to Do3.All My Loving4.Don't Bother Me5.Little Child6.Till There Was You7.Please Mr. Postman8.Roll over Beethoven9.Hold Me Tight10.You've Really Got a Hold on Me11.I Wanna Be Your Man12.Devil in Her Heart13.Not a Second Time14.Money (That's What I Want)1枚目が、彼らの奔放なライブのテイストを含んだ作品だとすれば、2枚目の本作は、後のスタジオワークの先駆けだ。彼らが、タムラモータウンのハイファイサウンドや、スペクターサウンドのような、AMラジオの中音域にで魅力的に響く音を指向していたことは創造に難くない。ジョージのグレッチの音を効果的に使い。ポールのベースは存分にうなっている。ただ、惜しむべくは、ポット出の悲しさか、様ようなスタジオで録ったであろうか録音状態が一定しない。しかし、前にも言ったことだが、同世代の「Stones」や「Kinks」等に比べると格段に抜けがよく、その楽器の組み合わせは「思念」が感じられる。彼らが、演奏力と歌唱力を厳しく試されるアメリカ市場で認められたのは、ジョージマーティンの存在も抜きがたい。3に代表されるように、さかんにボーカルのダブルトラックを使い、ピッチの甘さ、声量の細さを補完している。ただ、この時代から65年くらいまで、ジョンの声は円熟期を迎える。2曲目はカバーだが、ソロでたっぷり聞かせてくれる。ジョンがいくら憎もうが、実父のアルフレッドと、ケンタッキーミンストレルズでアメリカを回った祖父のジャックレノンに感謝すべきだろう。アルフレッド レノン「ある日、私の知り合いが、私にそっくりな声の子が、ラジオで歌ってると私に言うのです。聞いてみると確かにその声は私にそっくりなのです。それが、子供のときに分かれたっきりだったジョンだと私は気づきました」<ハンターテヴィス 著 ビートルズより抜粋>
2006.05.19
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ビートルズの英国 1stレコードCD化され、最近はモノラルの盤だが、1976年に東芝EMIが、ビートルズのLPを再編し、帯にNOをつけて再発したときのものは、完全に左右分離しまくったステレオだった。私はこれを聴きながら育ったようなものなので、CD盤を聴くといまだに違和感がぬぐえない。内容はというと、彼らの、履歴書といえるビートレコードに仕上がっている。1. I Saw Her Standing There2. Misery 3. Anna (Go To Him)4. Chains 5. Boys6. Ask Me Why7. Please Please Me 8. Love Me Do 9. P.S. I Love You 10. Baby It's You 11. Do You Want To Know A Secret13. There's A Place 14. Twist And Shout 彼らはこの後も、基本的にはこのフォーマットなのだ。つまり、JOHNの前衛、R&B嗜好、PAULのハードロックと、スタンダート12は「YESTERDAY」へのおおいなる予兆だ。おそるべきは、数多くのオリジナル曲のストックがありながら、冷静にクオリティを重視し、自分たちの曲を凌駕しているものはためらいもなくリストに入れていることだ。10は、バートバカラック作品、4はキャロルキング作品「THE BYRDS」は、ビートルズへのアメリカのアンサーだと言われたが、このLPは、彼らからのアメリカンポップスへのアンサーだ。そして最後に1日のレコーディングで息も絶え絶えなJOHNだが、最後の声帯を振り絞り14を圧倒的に叫び倒している。ペイオラと、エルビス入隊と、人種差別で死にかけたアメリカのロックンロールへのアンサーであり、再度のエネルギー注入だ。1963年イギリス、ロンドンでの「ある1日は」歴史的な「大いなる1日」になった。
2006.05.16
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転職して、再びというか、毎度というか、とにかく教壇の前に立ち、小学生から高校生に勉強を教えることになった。とにかくアウトプット中心の商売なので、絶えずしゃべり、子供と会話することになる。「人の道」とやらが、塾の基本方針だが、この6年間で全くそんなものを実行できない自分がいたので、えらそうなことは言えない。とにかく、わけのわからないまま「ブルーススプリングスティーン」調に突っ走ろうと思う。しかし・・・・・・爬虫類的な女の子が多い。なぜそんなに「反抗」したいのか意味がわからない。とにかく塾の決め事に反抗する。「制服」着用が、基本方針なのだが、私服を誇示したいのだろう、わざわざ着替えて現れる。問題はその子らの服装が似合ってないということだ。ダサイ。「さらば青春の光」の生徒たちも反抗していたが、服装は格好よかった。彼らは国家へ反抗していたが、こちらは民間企業だ。あっ!!たぶんたぶんわれわれが持っている小さな権威を嗅ぎ取って、その胡散臭さを突いているのだろう。そうくれば、・・・私自身が「パンクス」になり、シドヴィシャスのように、つばを吐きながらベースを弾きながら闘うしかない。というのは極端だが、しかし、本当にスプリングスティーンが教壇にたてば、圧倒するだろう。教育というのは、生徒が先生に依存してそうだが、実は逆だ。生徒に教師が依存しているパターンが多い彼らの合意がなければ我々の「こうぎ」なんぞは吹き飛ぶのだ。だから、やはりキーワードは、「スプリングスティーン」あるいは「ジョージアサテライツ」だ。スプリングスティーンは4時間コンサートをして、観客が踊らざるを得ない状況を作り出していたし、ジョージアサテライツは、ものすごい爆音で、座って聞けない。必ず立って踊る状況を観客に作り出していた。「おまえは裸の王様だ」と言うのはなかなか難しい
2006.05.14
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Someone told meIt's all happening at the zoo.I do believe it,I do believe it's true.It's a light and tumble journeyFrom the East Side to the park;Just a fine and fancy rambleTo the zoo.But you can take the crosstown busIf it's raining or it's cold,And the animals will love itIf you do.Somethin' tells meIt's all happening at the zoo.The monkeys stand for honesty,Giraffes are insincere,And the elephants are kindly butThey're dumb.Orangutans are skepticalOf changes in their cages,And the zookeeper is very fond of rum.Zebras are reactionaries,Antelopes are missionaries,Pigeons plot in secrecy,And hamsters turn on frequently.What a gas! You gotta come and seeAt the zoo.冬の動物園は寂しいが、この上もなくロマンテイックだ。いつもは子供の場所だが、冬の昼間は、行き場のない人間に優しい。井の頭公園に敷設された動物園はとってつけたような小さい動物園だ。象は神経症のように首を振り続けている。私は留年し、私の傍らに座っている友人の女性は大学院の壁につきあたり、僕に愛ではなく癒しを求めていた。のちのち、このズレが僕の苦しみになっていくのだが、灰色の動物園に二人だけという体験は、延々と続く白黒フィルムのような実生活ではなく、虚の世界にはちがいないが、みずみずしく、光につつまれている。その二人でいる時間は間違って落ちてきた休暇だったのだ。バックに流れる曲は、この曲しかありえない。
2006.03.31
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僕は、東京を去らなければいけなかった。ジリジリと、僕は壁の間際まで追い詰められ、僕自身の化け物がヘドロのように僕自身に蓄積し、僕は自分の愛したものすべてを放逐しそうになっていた。僕は、会社を休み、散らかった部屋で死んだように眠っていたが夕刻、空腹に耐えかね、外に這い出した。夕暮れの武蔵野はまだ、冬の寒さが残っていた。井の頭公園には、人もまばらで、なにか物悲しかった。手には数枚の千円札があった。松屋でなんか食ったら帰ろう、僕は朦朧とそう思っていた。音楽は生活の前に消え去り、愛する人も消え去って僕は自分の基盤を見失っていた。僕はカウンターに座り、薄っぺらいに肉をがっつくとポケットの中で千円札の数をもう一度数えた。給料日までこの枚数で過ごすのがなんとも心細い。頭の上でゴスペルが鳴っている。天から降りてきたような曲調だった。それは、モータウンではなさそうだった打ち込みは完全にエレクトリックだ。しかし、私の朦朧とした頭は突如開いた。日本語なのだ、変なアクセントだが確かにそうだ。僕はその夜、友人のトム氏に電話して、今日のできごとを話した。「日本人で藤 圭子の娘」彼はそう言った音楽は才能なのだ・・・僕は何かに打ちのめされたようにそう思った。彼女はその後これに匹敵するコードをつくっていない。僕はその1ヵ月後東京を去った。
2006.03.19
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このページにリンクしている丸さんの、「音楽徒然草」中でこの曲が取り上げられていて、久々にあの音が頭をよぎった。「ビートルズ」も「栄ちゃん」も「GOLDEN CAPS」も僕は今でも冷静に聞くことができる。その曲が持っている時代の空気をわかってないからだ。それに付随するのは、僕個人、或いは、僕とその周囲の関係性の中で紡ぎだされた「心象」しかない(それはそれで大事なものなのだが)。僕はとことん自分がウエッティになるのを畏れ、ひたすら乾いた音を求めつづけていた。当時僕はバンドを組んでいて、親友の彼女をボーカルにしていた。僕は真昼間から、彼女の家にふらっと遊びにいっては、彼女のアート系の感性に驚きつつ、彼女からの影響を受けていた。彼女の家は吉祥寺にあり、僕の家は西荻にあった。どこか軽い80年代は終わり、無秩序で、予想だにできない現在につながる90年代がやってきていた。その流れは早く、すっかり怖くなってしまった僕は吉祥寺と西荻にこもってしまった。前述の親友の彼女は、感性ではなく、様式とガイドブックに支配された僕の音楽嗜好を一笑に付した。彼女は、ガランとしたリビングで、何度もこの曲のプロモを見せた。「素晴らしい日々は」ちっとも素晴らしくなかった。彼がユニコーンを出たように、共同体の欺瞞を看破しており当時の生きている関係性がいずれは古ぼけたものになることを、冷静に告げていた。本当は「素晴らしい日々」ではなくて、「素晴らしかった日々」なのではないのだろうか。いやなのは、この曲は日本語でできている。聞いた瞬間、あの時の空気や光景が瞬時に脳裏に蘇るが、もうそれは私の手の中にはない。「思い出の曲」というものは、もっと甘くて楽しいはずなのだが今でもこの曲は現実をつきつけている。年を重ねれば重ねるほどだ。奥田は最強の皮肉屋だ
2006.03.18
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沢木耕太郎の深夜特急という、半ルポ的なエッセイをブックオフで、1冊100円だったので、買ってみてしばらく読んでいる。香港から、バスでユーラシア大陸を横断して、ロンドンに行く彼の体験記だ。数年前、大沢某という俳優がセミドキュメンタリーでドラマにしていたので知ってはいたが、いざ文献を見てみると、あっという間に読んでしまった。自分自身が旅に飢えていたのかもしれない。とにかく楽しめた。ふと私の脳裏には、中国の武漢市周辺の、道路の雑踏が頭に浮かんだ。中国であてどなく車に乗るということはなかった。車に乗るということは、必然次に仕事があるということで、その目的地に向かうということなのだ。しかし、街を見ていると、何度もその車を降り、どこかにいきたい衝動にかられていた。日本では、どこにいってもすぐに峠があり、それを超えると海に着く、とにかく、海という稜線が感じられる。しかし、武漢の雑踏の果てには、なにか茫洋とした懐かしくも未知のものが広がっている感じがするのだ。中心部から、ややはなれた、荒れ果てた仏教寺院は何度も訪れた。今では名前すら覚えていないが、そこに掛けられた経典の掛け軸には、私が子供のころ(私は仏教系の保育園に通っていた)暗踊したお経が書いてあった。確かにここを通って、あの文句は、私の郷里に来たのだ。私は、その山寺から、遥か先の方を見た。その先の方へ旅したい欲求にかられたのだ。貧しい法衣を着た僧侶は黙々と目を閉じ、静かに何かを唱えていた。この街をさまざまな物が行き来しただろう。僧侶たちはやはり、そのように座し、往き来るものを静観していたのだ。私もまた、座すものなのだろうか、いくものなのだろうか最近つくづく考えている
2006.03.13
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私は毎日お風呂に入らない。正確にいえば、家の風呂に入らない。村営の公共温泉に入っている。料金は6ヶ月で1万円、つまり1日あたり55円となる。家風呂よりも多分安いと思う。露天もあり、サウナもあり、非常に清潔なのがウリでアルカリ性で、入ってると肌がツルツルとなる。多分県内でも有名な温泉らしく、土日ともなると九州各地の方言が飛び交うこればかりは、帰省して幸せだったと思う。私の村に限らず、私の住んでる地域には5km進むと温泉が在る感じがおおげさでなくする。つまり、私の住んでいる地域は温泉観光地なのだが地方自治体が、次々と温泉センターを作るにいたって、それは日常にも溶け込んでいった。私の村の温泉センターは、午後九時を過ぎると完全に地元民の外風呂と化す。メンバーも決まっているパーマ屋のおっさん、林業関係の人、そして村長。そして一番問題なのは、僕の初恋の相手で、今でも夢にまででるチエちゃんのお父さんだ。無論狭い地域なので、僕とお父さんも顔見知りで僕の気持ちも知らず髪の毛を洗いながら僕に延々と孫自慢をするし、時折、喫煙所で二人でまるで親子のようにたばこを吸ったりする。(本当はお義父さんってよんでたのかもよ)(おれの子供だったらもっと賢い孫だったかもよ)僕の心の声はいつのまにかそう呼びかけている。時々少しせつない、村営温泉である
2006.02.28
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こずえちゃんは、6年前故郷でプラプラしてたときに一緒にバイトしていた女の子である。私とは10歳くらい年が違う。田舎町なのに、ピンクのフィガロに乗っている。決して上品ではなく、すぐに「ブーメランにいくばい」と言うブーメランとは、町で一番おしゃれなラブホテルである。親戚に、W大まで出たのに、コンビニなんぞでバイトして・・・・と言われたりしたが、実は全然気になっていなかった。毎日楽しかったからである。マリちゃん、こずえちゃん、ユキちゃん、マユカちゃんたちとバイトするのが楽しかったからである。時々はカラオケへいったりしていた。エアロスミスの、ウォーク、ディスウェイを歌うと、ゲラゲラ笑われたりして。世代も趣味も全く違うのに、あんまり関係なかった。こずえちゃんは、喧嘩もしたけど、うまが合ったアナスイの匂いがいつもしててよかった。いつも、ファッション雑誌のカリスマモデルのナントカちゃんに会いに、渋谷に行くのだ言っていた。こずえちゃんは携帯代が3万を超えたりすると、近所の飲み屋のホステスに変身して、バイト先から直行していた。でもこずえちゃんも私も、世間に出なければいけない時期がきていた。こずえちゃんは、正社員として、ホテルチェーンに勤めはじめ、先にバイトを止め、私も名古屋に出ることになった。「なんで、すぐ帰ってこれるとこにいかんと??」こずえちゃんはそういった。こずえちゃんは、「Aさんは、なんか悲しか」と寂しがりやの私の本質を突いていた。その後何度か手紙のやりとりをしたあと、この5年間音信不通だった。こずえちゃんは、今、山を越えた他県で働いていると聞いた。私はそれを聞いた瞬間、家と逆方向にハンドルを切りそこへ向かった。こずえちゃんはかいがいしく働いていた。私の姿を認めると、「きゃっ」と驚きの声をあげた満面に喜びの表情を浮かべてくれた。そして、午後4時に終わるからといった。そして「終われば・・ブーメラン行くバイ」とにやっと笑ってくれた。
2006.02.24
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ある活動の最中でして、しばらく書いてませんでした。12年前のテープが出てきたので、ちょっと・・・G「OK OK・・・」B私「コードは今のでいいのかな」G「最後は、一端終わらせたと見せかけて」B「どうすんの」G「ドカドカとフィルインを」Dr「えーーー」G「比較的フリーでいいからさ、思い切って」Dr「あーん思い浮かばん・・・」ちなみにドラマーは女性である。B「この曲はさめざめとしていいねぇ~」G「よし、もう一回行こうか」B「よし」Dr「えーんやんの???」その後我々は、ギターの男が作った曲を2曲そして、ルーリードの曲を演奏している。ルーリードは合わせたのは初めてであった、コードがおぼつかなかったりする。曲のダイナミズムをまだつかみ損ねているが、美しいその歪みは忠実に再現しようとしている。この練習は、新宿のジャムで行うライブの為の練習だった。Drのコは分かれ、僕とギターの男は、井の頭公園に向かった。G「今度のライブはどかんといくかぁ」B「俺は将来が心配だ」G「お前それよりもコードきちんと取れよ」B「俺はどうなんだろうなぁ」武蔵野の夕暮れは美しい。
2006.02.22
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ジョンは暇さえ在ればギターを弾くようになっていた。満子はジョンの要望に添い、山をもう一つ売り、ピアノと録音機器を買ってしまった。満子はジョンの肉体的魅力もそうだが、えも言わぬ精神性にも惹かれているようだった。テツロウは、ジョンと渾然一体となっていく感じだった。テツロウの内面の意識が眠っている、つまりジョンの意識が顕在化しないときにも、レコードを買い求め、映画をみるようになった。学生時代に、ミーハーサークルに籍を置き、そういった芸術系の学生を馬鹿にしていたが、自分がそうなっていくとは思いもよらなかった。在る夜ジョンはテツロウが買ってきたあるCDを見つけ、烈火の如く怒った。「BEATLES ANTHLOGY 1 FREE AS A BIRD」それを聞いてしまったのだ「なぜ俺のがらくたがビートルズなんだ」「君以外のメンバーはOKをだしたんだよ」ジョンは不機嫌だった。「金儲けか・・・」「かもね」しかし、何度か聞くうちに特にミドルのポールとジョージのボーカルパートを繰り返し聞くようになった。「しかし、テツ、ほかにもこんなBOOTLEGみたいなもんがあるのか」「あるよ、ほれこのとおり」とテツロウはビートルズアンソロジー 2 3とジョンレノンアンソロジーを出した。「他になかったのか??」「どういう意味??」「だから、ビートルズを墓場に送るような、凄い音楽さ」「さぁ、君らみたいに売れたバンドは他にないよ」「ふぅーん、この前、ドノバンのサンシャインスーパーマンがCMで流れてたぞ、その前はゾンビーズにストーンズだ、まるでシックスティーズだ、しかもストーンズはアルバムまで出してたぞ、チープトリックや、ブロンディはどうしたんだ??」「ずいぶん前に消えてるよ」「仕方がないな」「何が・・」「もう一度やるしかないな」「えっ」テツロウはなんだかいやぁーな予感がした」
2006.01.13
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その晩テツロウは様々な話を彼とした。眼鏡をはめて現世でジョンレノンの姿でいられるのは3分ジョンは25年間無意識でテツロウの体に入っていたので、日本語も話せること。等々・・倒れている満子を尻目に、テツロウとジョンは様々な話をした。「それで僕の役割とは」「そのうちわかる・・・それよりリハビリだ」「リハビリ・・・・?」その次の日テツロウは、満子名義の口座から、100万を降ろしお茶の水へ直行した。そして、フェンダージャッガーを買いVOXのAC-30というアンプを買った。「こんな古くさいのがいいのか??」楽器音痴のテツロウはジョンに尋ねた「チューブだし、いい具合に歪むのさ」「君は、若い頃このギターを・・」テツロウがリッケンバッカー325を指したとたん「何世紀前の話だ、それはアコースティックのボリウムが上げられなかった時の代用品だ。リチーとポーリーの音色との相性もあったしな」テツロウは、会社を退職し、ジョンの「リハビリ」につきあうことになった。満子が許したのが不思議だが東洋人フェチのジョンと(肉体はテツロウだが)毎晩近隣四方に響く程激しい伽を繰り広げ、この生活に満足している。しかも実家に山を2つ程売らせ、ジョンに全面バックアップの体制をとっている。テツロウはその瞬間意識をとばす方法を覚え、ジョンと交代し、満子とのそういう生活に折り合いをつけた。問題は、毎日、意識が在る限り、テレビをみて、新聞を読んでいるジョンが何をするのか、テツロウに見当がつかなかったのだ。
2006.01.11
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満子は失禁して倒れてしまった。無理もない、見知らぬ外人の男がそこに立っていたのだからそこには、特有の鷲鼻、切れ長の目、太い眉目黒祐樹に似た男が突然現れたのだから・・しかし、2分ほどたつと、その男の象は消え、テツロウの体の中に入っていった。今度はテツロウが呆然と立ちつくしていた。しかも不思議なことに、テツロウの体は別の男にすり替わっている間テツロウの自我もそこにあった。自分の体、つまりすり替わった男の体を上から俯瞰している不思議な感覚を味わった。しかしテツロウの耳元にはあの男の声が響いた「CAN YOU HEAR ME」「アイ キャンノットスピークイングリッシュ」「oh 聞こえるか??」「あぁ聞こえる、君は誰だい」「ジョン、、ジョンウィンストン レノン」「えっ!!あの教科書に載っている」「そうだ」「なぜ僕の体に」「君の誕生日は??」「1980年12月9日」「その時、僕はアメリカで撃たれたんだ」「ということは、僕は」「そう僕の生まれ変わり、リ、インカネーションってやつだ」「ななななぜ、こんな・・・」ジョンがテツロウの言質を制した「とにかく、こんなことだ、詳しくはマハリシかジョージに聞けよ」「そんなぁぁぁ」人は通常、生まれ変わっても前世の記憶はないが、ジョンの強い情念はそれを許さなかった。
2006.01.09
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