◆
人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。
にほんブログ村
^-^◆ 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群[8]
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群[7]
【日露戦争との関わり】
「では、参ります。( ̄ー ̄)
『日露海戦と宗像大社』の一席!!!
明治38年(1905年)第122世明治天皇の御代、
武士社会から解かれた明治維新からまだ38年。
新たな国造りの真っ只中で我が国は日露戦争に
突入せざるを得なかった。
国土60倍もの大国ロシアに挑む日本の選択を、
誰が納得しえたであろうか。
しかし、闘いの火蓋は容赦なく切って落とされ、
日本は危機に立たされたのである。
明治38年5月27日、
まさに沖ノ島近海で日本海海戦の火ぶたが切って落とされ、
東郷平八郎指令長官率いる日本海軍連合艦隊は、
対馬海峡とその北の海域における戦闘で、
ロシア海軍のバルチック艦隊と相対した。
我国の存亡をかけた乾坤一擲の戦いの舞台が、
歴代天皇の祭りごとを助ける任に在る、
宗像三女神が守り給う玄界灘・沖ノ島の沖で、
繰り広げられたのである。
この海戦は東郷司令長官の出動命令の電信により始まった。
『敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直ニ出動
之ヲ撃滅セントス 本日天気晴朗ナレドモ浪高シ』
余りにも有名な電文である。
そして、
『皇国の興廃この一戦に在り、各員一層奮励努力せよ』とは、
東郷平八郎司令長官が兵たちに激励した言葉である。
そして、二日間の昼夜の戦闘の末、
日本海軍連合艦隊は、ロシアバルチック艦隊を撃滅し、
その戦力の殆どを失わしめた。
日本側の損失は殆どないという海戦史上まれに見る
歴史的な大勝利をおさめたのである。
『天気晴朗なれど波高し』この荒波こそが、
宗像三女神の後ろ支えであったのではなかろうか。
そしてこの勝利がポーツマス講和会議への道を
切り開いたことは周知のとおりである。
東郷司令長官は、海戦勝利の神恩への感謝から、
旗艦三笠に搭載されていた日本製の磁気羅針儀
二基のうちのひとつを海軍省を通じて宗像大社に奉納した。
旗艦三笠の計器で現存する唯一の品である。
なお、激烈な海戦の模様を目の当たりにした、
沖ノ島奉仕の宗像大社神職宗像繁丸が戦況を記録した
沖津宮社務日誌も、現在に伝わっている。
羅針儀は方位を指し示し、往くべき航路を教える重要な物。
「道主貴」(ミチヌシノムチ)として、
全ての者に正しく安全な道を授ける三女神のお声が、
聞こえたのであろうか。
ロシア兵6千人以上の多くの命が、
日本軍、そして周辺の島の住人たちの、
必死の救助活動によって救われた。
それは戦時国際法に忠実であっただけではなく、
争ってはならぬ、互いを尊重せよという和の精神が日本に
息づいていたからに他ならない。
そして日本海海戦に勝利したこの日、
5月27日が海軍記念日に制定された。
これは勝利の祝い日ではなく、
平和を希求する誓いの日とするための記念日である。
宗像大社ではこの日の我が国の誓いを刻み、
毎年5月27日、年に一度だけの沖ノ島参拝を、
許していたのである。
これにて『日露海戦と宗像大社』の読み収めといたします」
迫力がありました。そして、理解できました」
「それは良かった。では、次回は『出光佐三氏の功績』
について、お話しをしましょう」
「出光さんといえば、『海賊と呼ばれた男』で有名な、
出光興産を創業された方ですか?」
「その通りです。
この方の、故郷宗像そして、宗像大社への貢献は、
筆舌に尽くし難いものがあります。
遺産の発掘に当たっても大きな功績を残されました。
楽しみにしていて下さい。(^。^)」
<続く>
人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。
にほんブログ村
==========================================================
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
14年間蓄積した本ブログの一部を抜粋して本にしました。
『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中巻・下巻)』です。
それぞれ200円です。(^-^)
AMAZON公式サイトで「愛ことば」で検索して下さい。
良かったら、どうぞ。よろしく、お願いします。
『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中・下巻)』
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
^-^◆ 自然の楽しさ面白さ……夕陽と遊ぶ 2023/12/07 コメント(32)
^-^◆ 貧しい身でも より窮乏している人… 2023/01/25 コメント(32)
^-^◆ 日本人の麗しい心 …… 感謝の心 (^.^) 2022/05/26 コメント(32)
PR
Freepage List
Category