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「おれはさあ、まあなれるとは思っていないんだけどさ、できれば騎手になりたいんだよな」毎年夏の適当なときに、伊豆半島の最南端に近い弓ヶ浜というところで、高校で一緒だった仲間たちと一泊の旅を楽しんでいる。ぼくが高校生のとき、なぜか唐突に弓ヶ浜に行くという仲間たちがいて、ぼくはそのとき悪友たちとの行動を主にしていたからその最初の旅には参加していなかったのだが、翌年の2年生時代から参加するようになった。弓ヶ浜には小学生のころ一度だけ行ったことがあった。当時杉並区に住んでいたぼくは、6年生になるといわゆる林間学校のようなものとして、区立の弓ヶ浜学園に学年の全員で行っていたのだ。5年生では富士山の麓にある富士学園というところに行って、夜自衛隊の演習なのかどーんどーんという遠くて低い音が聞こえてくるので結構怖かった、という思い出がある。それに比べると6年の弓ヶ浜というところは海がとてもきれいで、10mくらいなら海底まで見えていたり、サンドスキーという、まあスキーといってもソリだったんだけれど、そういうところに行ったりして、つまり「遊び」の要素というものがとにかく強かったものだから強烈に「いいところ」としての記憶が残っていた。その弓ヶ浜、というかなり限定的で決してメジャーではない海岸の名前を聞いたとき、ぼくはだから心の底がどーんと熱くなっていくのを瞬間感じていた。「行こうかな、いや行くぞ!」と強く思い高校2年生のときに思い切って参加した。昨年行った、というメンバーが中心になってはいたが、確実に人数が増えて15人くらいで行った記憶がある。そのなかにクラスで一番背が小さくて、高校生なのだけれど小学生にしかみえない、「おびぃ」と呼ばれてるヤツがいた。おびぃは競馬が好きでいつも休憩時間になると教室で競馬新聞を読んでいた。そしてどうやら本格的に競馬の世界に進むということを考えているようで、「騎手になれるといいなあ」と言っていた。3年生になって進路を決める段階になってもその道をずっと進み、とうとう彼は本当に北海道の牧場に行ってしまったのでまったく驚いたものだ。おびぃというのは、苗字で小沢というのがクラスに2人いたことでみんなが勝手に「小沢A」と「小沢B」と呼んでいたのが短くなったものだ。だから正確には「小B」というふうになる。それにしても一歩間違えるとまるで奴隷の呼び方のようでもあり人権侵害に近い思いをさせてしまいかねないのだが、どちらもまったくそういうことは気にしていなかった。だが「A」のほうは略すると「おえー」となってしまうので駅で大きな声で呼ぶと確実に周囲の人が「えっ?」という顔をして振り返る。おびぃとは今でも続いている、その毎年の夏に行く弓ヶ浜で年に1度会っていた。彼は結局騎手という夢を断念し牧場でしばらく働いていたが、やはり夢が断たれると居心地がよくないのか、東京に戻ってきて新聞配達の仕事をするようになったのだ、と夜でももわっと暑い民宿でがしがし呑みながらそう話していた。そのおびぃの父親が亡くなったという報せが一昨日、同じ仲間から届いた。同じ年で仲間の父親が亡くなる、というのがどうにもまだ早いような気がして、ぼくは今でもいまいち実感というものがわかない。今日の夜通夜がある、ということで海の仲間たちも何人か駆けつけるようだ。ぼくは今日、ちょっと特殊な勤務を終えて朝の8時に大宮駅に着き、御霊前袋をニューデイズというキヨスクのコンビニ版といった感じの店で買うことにした。朝の8時からそういうものを買うのはとても目立つのか、それを持って店内をうろうろしているとあからさまに他の人たちに避けられた。店員の若い学生ふうの男はしかし、ガムや雑誌とは違ってきちんと手渡しの姿勢をしてくれたので、なんとなくうれしい気分になる。こういう気遣いがきちんとできる男というのはいいな、と思った。釣り銭を受け取ったとき、まったくもってぼくの不注意で小銭の1枚を床に落としてしまった。レジには沢山の人が並んでいたが、まるで蜘蛛の子を蹴散らすようにさあっと1枚の小銭から半径1.5m程度の空間ができた。みんな避けるだけで、ぼくがひろう様子というものをただ眺めているというだけの状態だった。ぼくが高校生のころは、そういった場合必ず拾って渡してくれる人がいたものだが、今はそういう時代じゃないのだろう。なんだか急にさみしいような、かなしいような気持ちになったまま、呆然とバスに乗った。
2006年02月02日
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