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【庚申】
前述までの大欅の根元に隠されている「庚申」と彫られた自然石の石碑です。この「庚申」ないしは「庚申供養」と彫られた石碑は、会津一円に広く分布していますが、江戸時代中期寄りも前のものであろうと思われるものにはまだであったことがありません。
会津のキリシタンがその活動を潜らせたのは、寛文十二年十二月二十八日(西暦1673年2月4日)に保科正之公が亡くなられたころから数年の間ではないかと思います。その潜伏にしても、村の中では潜伏していなかったわけで、この大欅がある村だけでなく、周辺の村々にもキリシタンがかなり遅くまで隠れていたものと思われます。
ただし、会津藩『家世実紀』に残された記録では、この頃にもまだ会津の中には「太子守宗」が残っていました。会津藩『家世実紀』は殿様にお読みいただくために、藩内に残されていた記録を編纂した文書ですから、かなり信憑性が高いと思われます。