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その頃はまだ、学生運動華やかなりし頃の人々が残っていて、下宿の下駄箱の上には最早時代の遺物と化した色違いのヘルメットが無造作に置かれていた。
その中に中山さんという工学部計測工学科の六年も在籍している石川県金沢泉ヶ丘高校から来ていた先輩がいた。
金沢の人なら解るだろうが、泉ヶ丘と言えば有数の進学校で、ご多分に漏れず中山さんももともと東大受験を目指していた人で、たまたま東大紛争のあった年が受験の年と重なったため入試が行われず、教師の勧めで京大を受験するはずが、友人が神大を受験すると言うので一緒に受けたのだということであった。
この時代には、結構このような人が多かったのではないだろうか、動機は何にせよ、大学そのものに疑問を感じ、大学そのものに過大な期待を持ってもいなかったため、自分の適性など考える術もなく、理数系に優れた人は、理工系に進学するのが常識化されていた時代でもあった。
どん底 という居酒屋に入り浸っていた。
今でこそ聞かなくなってしまったが、その頃はまだマルクス・エンゲルス全盛の時代だったからマルクス・レーニン主義を貫くソビエト連邦関連、所謂ロシアの小説を読む学生は本当に多かったため、ロシア発の思想については随分くんとうを受けたものである。
つづく
ゴールの無い道標・・・!!! 2010.09.07
円安と国民の幸福・・・!!! 2010.09.06
退院しました・・・。 2010.09.06