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日本の政治がやって来た事のツケは、とうとう
日本人が自らの首を絞める結果の表れとして
噴出して来ている。
昔から私は、幼い時と足腰が立たなくなった老
人になってからは、お金が要らないと言って来
た。(あくまで掛からないでは無く、要らないであ
る。)
子育て支援も結構だが、本当にお金が掛かる
ようになるのは、高校、大学に入ってからで有
り、その頃に人生の最大の山を迎えるのが人
間である。
お金は常に湧いて出てくるものではない。
故に、国家は国民、市民の生活の安全と安定
を守るためにお金をプールする必要がある。
夫婦(ないしその形態の男女の生活)を始の一
歩として考える時、その形態を取るグループ
(家族)の必要経費のグラフは、子供が19歳
ないし高校を卒業する年をピークにした曲線
を描く事を念頭に入れるべきである。
つまり、子供が高校を卒業する年を100とす
るならば、2人が一緒に住む地点を25位に
設定し、そこから子供が生まれる迄を横這い
子供が誕生した時から毎年4ポイントづつ上
昇して行くような収入の設計をすべきである。
そして子供が社会に巣立ってからは、逆の曲
線を描いて行くような設計をすれば、親も子供
も自ずと人生設計の形が見えて来る筈である。
超高齢老人の所在未確認という事態の発覚
により、日本社会の歪が世界に発信されてし
まった。
先日、盲導犬のお役御免になってからの引退
生活についての特集番組をやっていた。
殆どがボランティアによる慈善事業で面倒が
見られているとの事であった。
人間の世界も盲導犬を始とする人間のために
働く動物達の世界も社会保障がボランティアで
成り立っているなどと言う事は断固間違いであ
る。
息をしていれば生きているというようなものでも
ないが、息をしているだけでも生きていて欲しい
と願うのも日本人的死生観でもある。
臓器移植法にも拘る命の問題は別に改めるとし
て、やっぱり肉食、狩猟民族の西欧人の死生観
は日本人と大きく違うからこそ、戦争を容易く肯
定し、世界を自由に飛び回れるのだろう。
長寿大国日本も、この際 "命" について真摯
に向き合わなければ、同じ事を何度も繰り返す
事になるだろう。
命の重さは、誰の命であっても同じでなくては
ならない。
ゴールの無い道標・・・!!! 2010.09.07
円安と国民の幸福・・・!!! 2010.09.06
退院しました・・・。 2010.09.06