食パンって関西方言かな。
書いてみると変な感じだ。
大昔だけど、
戦争が終わって食生活も大変だった頃、
「配給」というのがあって食パンにありつけていた。
配給は近所のお宅が係りだったのか、
その家の前で並んで順番を待った。
僕は6~7歳、だから母は30歳ぐらいだっただろう。
母は僕を連れていた。
弟が居た記憶が無いのはどうしていたのだろうか。
パンが配られると、
家まで戻る5分ぐらいの距離で、
僕は歩きながら食パンを食べて、
帰宅したら食べてしまっていた。
全部じゃないとは思うけれど、
もしかしたら全部だったのかも知れない。
食べてしまっていいのかなあ、と
子供心に思ったことだけは事実だ。
食パンを真ん中の柔らかいところから食べ始めるあの感触は
香りと食感とともに忘れることが出来ない。
ほろにがい心の痛みとともに。

今うちの三歳児は
保育園でも先生に可愛がられているけれど慎重なタイプと言われてもいる。
熱い食べ物に警戒心が強い。
だからトーストも熱いと思っていて警戒している。
それで、
過日好きな飛行機が浮かぶトースターを娘宅に上げたら、
作戦成功三歳児の一気にマイブームになった!
そうでなくてもマルちゃんと呼ばれてるのに、
よかったようでコマってもいる。
このトースターは実は、
このところの整理作業で発掘したものだ。
全日空のマイレージで交換したものを死蔵していたのだった。

仕掛けは、
こういのが入ってるのだ。
