妻の内視鏡による再診断と処置に付き添う日だった。
長時間の待機時間の中で
ミサイル、AIJ問題証人尋問、裁判官裁判判決なども進行した。
ならず者国家のミサイルのことは、
僕はうまくいかないと思ってたし、
日本の迎撃や即応体制もうまきくいかないと思っていた。
日本のモタモタは日本ならその程度だと思ったけれど、
珍しく劇場的な公開までしたならず者国家は、
でもやっぱりその程度だった。
でも、
ならず者はそれなりの成果を出してもいるのだ。
成功してもしなくても
誰もそんな権利はないのに公海を汚し、
自国および他国の国民を危険に曝したのは処罰に値するけれど、
世界を弄んで影響下に置いたのだし、
日本がどれだけ動揺して、
出来ることといったらどういうことしか出来ないのかを
白日の下に曝させたのだ。
せめて日本はこれを
防災の日予行練習のような教訓として
これからの対策に生かすしかない。
ならず者は失敗からまた学んでいくし、
今回の世界の動き、
特にその程度しかできないといことを検証してしまった。
失敗でよかったのではないし、
飛んでこなくてよかったのでもない。
厄介な存在はもっと厄介になってゆくから、
いままでの対応はダメだということを思い知らなくてはならない。
3.11の悲劇で、
巨大地震や巨大津波の現実性、
原子力発電の正体を見せられて
ぼくらは科学技術者やいわゆる専門家への信頼感を見直した。
いわば、格付けを1ランクも2ランクも下げたのだった。
密室主義の国が異例の公開劇場化したのには驚いたけど、
僕はそこに科学技術者への妄信か
集団催眠のような危うさを感じていた。