人生復刻版

Jun 5, 2014
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はいかい、

といえば、

かつては俳諧のことだった。

分かっているだけで、

国内で1年に1万人もの徘徊事案があるという。

高齢者問題にかかわってきた僕でも驚きの数字だ。

もちろん、

家族でもかつては何度も経験した。

徘徊の理由は専門家や研究者でも未だに納得がいく説明はないけれど、

女子大の学長までなった祖父の場合、

15年以上認知症だった義母の場合に限って言えば、

それは帰りたいところがあったからだと思う。

祖父は僕が小学校6年のとき他界したが、

老衰気味だった晩年は同居していた。

だから、

暮らし慣れた場所ではなかった。

義母の場合、

1.17で被災したから、

一時は老親3人がうちで同居していた。

やはり長年暮らし慣れた場所じゃないから、

いつも口癖のように言葉を挟んだ。

「これ持って帰ろ」と呟くのだった。

そして何度も居なくなった。

手足など体に不自由はなかったから、

不意に見失うと

信じられないほど遠くに行っていた。

切符を自販機で買ったのか、

自動改札をうまくすり抜けたのか、

私鉄の駅から終点まで行って、

改札抜けて、

さらにはJRの改札に入り、

また電車に乗って、

次の駅で保護されていた。

友人の父上の場合だと、

出張の記憶なのか、

空港まで行って、札幌空港で保護されている。

もちろん、

有料老人ホームの館長だったころは、

いろいろとあった。

忘れられないのは、

まだ70台そこそこの男性で、

マイカーで行方不明になり、

僕らは徹夜で待っていたけれど、

明け方に警察から交通事故の知らせがあった。

道路の分岐点のコンクリートに衝突して、

車は壊れたのに助かった。

軽い痴呆気味だったからいつも気になってはいた人だった。

軽い痴呆で迷ったけれど、

軽い痴呆で狼狽せずに赤ん坊のように難着陸したと想像した。

さすがにそれでマイカーとは絶縁出来た。

認知症も徘徊も

とても不思議で仕方がないが、

あと紙一重でそれが何であるのか

分かるような気がしながら何年にもなる。

分かると言っても

医学的学術的な意味でなくて、

自分も人間だから分かりそうな気がする、

というだけなのだけれど。

アメリカのホームで体験ステイをしたとき、

食事の時にそこのマネージャはあえて僕をボブと同席させた。

小柄の男性だった。

ほとんど会話は成立しなかったけれど、

なんだか穏やかな時間だった。

あとで、

かなり弱っておられるね、と彼女に言った。

そうよ、よくわかったねアーサー、

彼はもうかなりconfusedだから、

ナーシングホームに行くの、

と言った。

アーサーはアメリカ人用の僕のニックネームだった。

そこは女学校を改築したホームだったが、

徘徊を想定した設計ではなかった。 

アシステッドリビングというそのカテゴリーから、

要介護専用のホームに

彼は移らないといけない矢先だった。

そう聞くと、

ボブの穏やかには

どこか諦念が漂っていたと感じた。

confusedという痴呆、認知症に相当する英語表現が

よく合っていた。






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Last updated  Jun 5, 2014 08:35:45 AM
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