人生復刻版

Jun 25, 2014
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12年前、ブログを始めた頃は

まだ何かと仕事らしいことをしていた。

ホームを退任してすぐ始めた輸入業は

妻に任せていた。

僕は主に介護用品と生活雑貨を扱う仕事と

事務所として何かを請け負う仕事を並行していた。

お金儲けになったことはないし、

その気もなくて

楽しくなければ仕事じゃないという主義だった。

事務所は最初は貸し机だった。

電話代行と事務所スペースを貸すビジネスが始まった頃、

その世話になった。

大組織を離れて個人で仕事する高揚感から

結構恥ずかしげもなく名乗っていた。

B.A.と頭につけることで、

business ambassador

という意味だった。

京阪神圏に居るので、

こちらに支店支社がない企業に、

その代行をします、という意味だった。

自分の我流英語なのに、

すぐアメリカ人からメールが来て、

自分も全く同じことを考えている!

と言われて興奮した。

でもこれは

そうかそうかお互いによろしく、

だけで途絶えてしまった。

東京から引き合いが来て、

会いに行ったことがあった。

向こうも個人業者らしく、

いろいろやってそうな人で、

大量の輸入品在庫を安く引き取らないか

というのと

ガソリンスタンドの免許があって大阪に作るのを代わりにやらないか

というのだった。

僕は車に縁がなく、まあ嫌いだったから、

気のりはしなかった。

名前だけ貸してくれたらあとは全部する

みたいな話も違和感があった。

でもその人の事務所は

東京大阪間の長距離バスの停留所のすぐ傍という

そこのところにいちばん惹かれたのだけど、

結局は断った。

たぶん、

もちろん僕には全く向かないに違いなかった。

ビジネスアンバサダーとして実際にやったのは、

ふたつだった。

ひとつは

介護衣料に新規に進出したい広島のメーカーだった。

試作品の展示会などをする形でサポートしたのだけど、

2年ほどの間で先方が断念した。

介護衣料は

実は百貨店時代もかかわったことがあって、

それも企画段階で断念したのだけど、

結局は育たない分野だった。

要介護の人にも

普通のファッション性をというコンセプトだけど、

企画と言うものはしばしば

企画先行になって市場に合わず企画倒れになるものだ。

たぶんこの分野で成長したのは

靴のほうではないだろうか。

もうひとつのクライアントだったのは、

これは僕には明かに縁遠かったのだけど、

ビジネスアンバサダーとしてのコンセプトにマッチしていたから

僕は引き受けた。

大衆演劇一座の大阪地方での公演に関するサポートで、

いわば関西広報部だった。

劇場の手配から、PR.切符の販売など

したこともないことばかりだった。

当時介護用品でパートナーになってくれていたSさんが

一緒に動いてくれたが、

彼女にも全く未体験なことばかりだった。

他の大衆演劇の座長にも協力してもらったので、

見たこともない場末の劇場の楽屋で

過ごさないといけない時もあった。

Sさんは後年、

僕のお陰でいっぱい体験したと笑っていた。

その劇団は僕が関わった最初は

大阪では結構苦戦したけれど、

ちょうど上り坂で、

テレビにも呼ばれるようになってめきめき売れていった。

そうなると

専門の興行会社が仕切り始めて

僕の仕事は2年ぐらいで消えていった。

ブログを始めた頃は

プライベートにまだ問題の影を落としていたので、

60前後で色々な未体験な仕事をしたことは

全体としてストレスフリーに自分をもってゆくのに役立った。

昔から

ストレスには弱いだけに、

ストレスフリーにもっていくのは下手ではなかった。

ひとことでいえば、

いろんなことをする、

というのが

僕のストレス対策の要諦だ。






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Last updated  Jun 25, 2014 05:32:19 PM
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