東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2008.04.22
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「イエスの顕現(4)」

                    ヨハネの福音書、21章1~13節

 「この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子た
ちに現わされ」ました(1節)。

一、漁に行ったが、その夜は何もとれなかった弟子たち
(2、3節)


 ペテロが「私は漁に行く」と言った時、ほかの六人の弟子たちも
「いっしょに行きましょう」と言いました(3節)。十字架の上で
死なれたイエスに失望して、もとの仕事に戻るというのなら、私た
ちも理解することができます。しかしこの七人の弟子たちは、すで
に復活された主を二度(ペテロは三度)も見ているのに、なぜ漁に
行ったのでしょうか。

 確かに弟子たちは、復活された主を二度も見ました。しかしその
前の十字架の死の衝撃が余りにも大きく、復活の主を見たことは二
重の衝撃となって、彼らは何が何だかわからず、頭の中が混乱して
いたのでしょう。

 このような時、弟子たちは心を静めて、いままでのことをじっく
り考えるために故郷であるガリラヤに行き、手慣れた漁に出たので
はないでしょうか。しかしこれは、彼らがもとの仕事に戻る恐れが
あるので、神は、その夜は何もとれないようにされたのでしょう。

二、イエスの指示によって、多くの魚をとった弟子たち
(4~6節)


 「夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれ」ました。「けれ
ども弟子たちには、それがイエスであることがわか」りませんでし
た(4節)。

 彼らは、岸べに立たれたイエスを見ただけではわかりませんでし
た(4節)。「食べる物がありませんね」と、イエスに声をかけら
れてもわかりませんでした(5節)。しかしイエスの指示によって
多くの魚がとれ、以前にも同じようなことがあったのを思い出した
時に、わかったのです(6、7節)。

 このように神に関する霊的な事がらは、ちらっと見ただけとか、
ちょっと聞いただけではわからず、様々な出来事を通して心の中を
深く探られる時にわかるのです。

三、主であることがわかって、陸地に上がった弟子たち
(7、8節)


 このような奇蹟的な大漁は、以前にもありました(ルカ5章4~
7節)。しかしこれを見て、主であることがすぐにわかったのは、
ヨハネだけでした(7節)。

 ペテロは、ヨハネに言われて初めて気づき、「裸だったので、上
着をまとって、湖に飛び込ん」で主のもとに行きました(7節)。
しかし「ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小舟でや
って来」ました(8節)。

 ヨハネは霊的な洞察力が鋭く、すぐに主であることに気づき、ペ
テロは衝動的で、とれた魚のことも忘れて主のもとに泳いで行き、
ほかの弟子たちは現実的で、魚の満ちた網を引いて小舟で主のもと
に来ました。三者三様の弟子たちの姿は、誠に興味深いものです。

四、弟子たちに朝の食事をもてなされたイエス(9~13節)

 「こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載
せた魚と、パンがあるのを見」ました(9節)。イエスは彼らに、
「さあ来て、朝の食事をしなさい」と言われました(12節)。

 二度も復活の主を見ながら、主であることがわからなかった弟子
たちは、イエスのもてなしを受けて、どうしたらよいのかわからず、
きまりの悪い思いをしたことでしょう。

 しかしイエスは、このような不信仰とかたくなな心の弟子たちを
も愛して、彼らに後事を託する大切な話をするために、彼らを優し
く招いてもてなされたのです。

拙著「キリストの生涯の学び」213「イエスの顕現(4)」より転載





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Last updated  2008.04.23 00:25:36
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