東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

昭島フリー

昭島フリー

Freepage List

Calendar

Comments

聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2008.08.29
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
「真理と力(2)」

                   コリント人への手紙、第二、13章8節

 「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のた
めなら、何でもできるのです」(8節)。

一、真理と力の相違

 動物の世界に代表される自然の世界は、弱い物が強い物の餌食と
なる弱肉強食の世界であり、私たちが住んでいる世俗社会も、数の
力、金の力、名誉や地位の力、年齢や経験の力、そして体力や能力
等の強い者が弱い者を征服するという弱肉強食の力の世界です。

 これに対して信仰の世界、すなわち超自然の世界は、「何が良い
ことで、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知る」(ロー
マ12章2節)という真理の世界(ヨハネ18章37節)であり、弱
肉強食の力の世界ではありません(イザヤ11章6~9節)。

二、真理と力の接点

 上の図は、上から下の縦軸は、目に見えない教会である天の御国
とこの世という二つの世界と、この二つの世界の橋渡しをしている
目に見える教会(地上の教会)を表しています。

 この目に見える地上の教会は、この世から天の御国に行くための
橋の役目をしています。人々は、目に見える教会を通って天の御国
にはいるのです。ところが、その教会が上の図の左側の教会のよう
に世に働きかけず、教会の中だけに閉じこもるなら、世と遊離した
教会となり、反対に右側の教会のように、世に迎合し、教会の中が
弱肉強食の世界になるなら、世俗的な教会となり、どちらもこの世
から天の御国に行くための橋の役目を果たさなくなるのです。

 これに対して、上の図の中央の教会のように、世と遊離せず、し
かも世に迎合せず、教会の中が天の御国のひな型としての真理の世
界なら、健全な教会となり、人々は教会を通って天の御国に行くこ
とができるのです。

三、真理と力の関係

 それでは、真理の世界に力は不必要なのでしょうか。そうではあ
りません。私たちは、真理を見分ける力や真理を行う力は必要であ
り、神は、真理のためなら、何でもできる力を与えてくださるので
す。

 しかし、この力は、世の力ではなく、霊的な力、すなわち超自然
的な神の力です。これは、数の力、金の力、名誉や地位の力、年齢
や経験の力、そして体力や能力等の世の力がないのに、どうしてあ
のような力があるのだろうかと、人々が不思議に思う真理のための
力です(第二コリント4章8、9節、6章9、10節)。「それは、
この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでは
ないことが明らかにされるため」なのです(第二コリント4章7節)。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.08.30 01:00:25
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: