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「聖書が教える国家(3)王政以後の国家の建設」
甲斐慎一郎
ヨハネの黙示録、11章15節
イスラエルは、初代の王サウルから王国時代にはいりましたが、
ここから神の国が始まったということができます。神の国、一般的
には「天国」と呼ばれていますが、これは神の支配される国のこと
で、聖書は、神の国には三つの段階があることを教えています。
一、地上の王国としての神の国
第一の段階は、イスラエルの初代の王サウルから最後の王ゼデキ
ヤまでの王国時代のことです。これは神が民を統治(支配)された
「地上の王国としての神の国」です。これは第二の段階の神の国と
第三の段階の神の国のひな型(模型)です。その後、イスラエルは
聖霊降臨節において教会が誕生するまで大祭司が統治する国になり
ました。
二、信仰者の心にある神の国
第二の段階は、イエスを信じる者のただ中にあるという「信仰者
の心にある神の国」です。神がキリストを信じる者の心を支配され
るならば、そこは神の国です。キリストは、「時が満ち、神の国は
近くなった。悔い改めて、福音を信じなさい」と宣べ伝えられただ
けでなく(マルコ1章15節)、「神の国は、あなたがたのただ中に
あるのです」と言われました(ルカ17章21節)。この「信仰者の
心にある神の国」は、教会のことです。
人間は、健全な国家の中でしか生きていくことはできません。そ
れで心の中に神の国を持ったキリスト者は、この世において健全な
国家を建設するために働き始めました。このことを初代教会から現
代まで、特にヨーロッパの国々の歴史から学んでみましょう。
1.国家と対決した教会の時代--初代教会からミラノの勅令
(313年)まで
初代教会が飛躍的に成長するに従って、ローマ帝国はキリスト教
を迫害するようになりました。なぜなら教会は「国家の中の国家」
のように見えたからです。これは教会が国家と対決した時代です。
2.国家と協力した教会の時代--ミラノの勅令からフランス
革命(1789年)まで
ローマ帝国による激しい迫害にもかかわらず、教会は成長を続け、
遂にコンスタンティヌス皇帝は、ミラノの勅令によってキリスト教
を公認しました。ここから教会は国家と協力する時代になりました。
しかしこれは、教会と国家の主導権争いを招き、国家も教会も世俗
化するという弊害を生み出したのです。
3.国家から自由とされた教会の時代--フランス革命から現代
まで
教会は、国家が世俗化し、政治目的のために教会を利用するとい
う弊害に気づき、「政教分離」と「信仰の自由」を求め、それを勝
ち取ることができました。しかしこれで健全な国家が建設されたわ
けでも、すべての問題が解決したわけでもありません。第三の段階
である「新しい天と新しい地という神の国」がつくられるまで戦い
は続くのです。
三、新しい天と新しい地という神の国
第三の段階は、「この世の国は私たちの主およびそのキリストの
ものとなった。主は永遠に支配される」とあるように(黙示録11
章15節)、世の終わりにつくられる「新しい天と新しい地という神
の国」です(黙示録21章1節)。
キリスト者は、この世において健全な国家を建設するために働く
ことが必要です。しかし何よりも大切なことは、キリスト教会とい
う「信仰者の心にある神の国」の民になることです。そうするなら、
「新しい天と新しい地という神の国」にはいることができます。
「今神にむかって生きている者以外、後にだれも神とともに生き
ないであろう。地において神の像をもつ者以外、だれも天において
神の栄光を楽しまないであろう。現在罪から救われていない者は、
だれも将来、地獄から救われ得ない。この世で自分の中に神の国を
もたなければ、だれも天において神の国を見ることはできない。天
においてキリストとともに支配しようとする者は、だれでも地にお
いて自分を支配されるキリストをもたなければならない」(J・ウ
ェスレー)。