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「ヤコブの信仰に学ぶ」
甲斐慎一郎
創世記、35章1~8節
聖書には、しばしば「ヤコブの神」ということばが記されており
(詩篇46篇7、11節)、また神は、御自身のことを少しも恥じる
ことなく、「わたしは......ヤコブの神である」と仰せられました
(出エジプト3章6節)。
ヤコブは、その名前の通りに「押しのける者」であり、見かけは
優しそうでも心のねじけた陰険な人、また貪欲で疑い深い人間、狡
猾で人を欺く策略家、卑劣な陰謀家でした。
このような邪悪なヤコブと愛と正義に満ちた神の組み合わせは、
なんと不釣合いなことでしょうか。しかしこれは私たちに人を変え
る驚くべき神の恵みを教えているのです。
ヤコブの生涯にも、三回の信仰の転機がありました。
一、ベテルでのヤコブの信仰(28章)
ヤコブの押しのける悪い性質は、まず人を欺くことから始まりま
した。ヤコブは兄エサウと父イサクをだましましたが、このことに
よって家にいることができなくなり、ひとり旅に出ました。その孤
独な旅の中で、今さらのように自分の行ってきたことの間違いと罪
の恐ろしさを知ったことでしょう。このような時、神は、ベテルに
おいてヤコブに現れ、「地上のすべての民族は......あなたの子孫に
よって祝福される」と語ってくださったのです(28章14節)。
ベテル
--自分の罪のためであれ、苦難のためであれ、労せずし
て与えられていた良い環境や恵まれた境遇が取り去られ、孤独にさ
れて、自分の行ってきたことの過ちを教えられ、人を欺いていた罪
を示されて、神のお取り扱いを受け、神に祝福されるところです。
神は、ヤコブの信仰の祈りに応えて、彼の「願うところ、思うと
ころ」をはるかに越えて、かなえてくださったのです。
二、ペヌエルでのヤコブの信仰(32章)
ヤコブの押しのける悪い性質は、次に自分を欺くことに表れまし
た。ヤコブは、伯父ラバンの所で働いていましたが、このラバンは、
ヤコブに輪をかけたような悪賢い人でした。そのために、さすがの
ヤコブもラバンには何回もだまされています(31章7、41節)。
しかしヤコブも決して負けてはいませんでした。知恵と力を尽くし
て多くの妻子と家畜を手に入れて、ラバンのもとを去り、故郷に向
かいました。けれども知恵と力を尽くして得た多くの妻子と財産を
もってしても、一人の兄エサウの前に立つことができず、恐れ戦い
ている自分を発見しました。このような時、神は、ペヌエルにおい
てヤコブに現れ、神の祝福を受けたのです(32章29節)。
ペヌエル
--知恵と力を尽くして得た多くのものに囲まれても、
孤独であり、自分自身の過ちと無力さをいやというほど教えられ、
自分を欺いていた罪を示されて、神のお取り扱いを受け、神に祝福
されるところです。
神は、ヤコブの信仰の祈りに応えて、彼の「願うところ、思うと
ころ」をはるかに越えて、かなえてくださったのです。
三、エル・ベテルでのヤコブの信仰(35章)
ヤコブの押しのける悪い性質は、神を押しのけ、神を欺くことで
した。ヤコブは兄エサウと無事に再会することができたので、すっ
かり安心して神との初めの約束を反故にしてしまいました(28章
20~22節)。その結果、実に恐ろしい事件が起きたのです(34章)。
このような時、神はヤコブに現れ、ベテルに行くように命じられま
した。彼は、すべての偶像を捨てて身を聖別し、真剣に神に立ち返
りました。「神は再び彼に現れ、彼を祝福され」、その名をヤコブ
(押しのける者)と呼ばず、イスラエル(神は戦士)でなければな
らないと仰せられました(35章9、10節)。
エル・ベテル
--すべてのものを捨てて孤独になり、神の前に間
違っている姿を教えられ、神を欺いていた罪を示されて、神のお取
り扱いを受け、神に祝福されるところです。
神は、ヤコブの信仰の祈りに応えて、彼の「願うところ、思うと
ころ」をはるかに越えて、かなえてくださったのです。