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「神への信仰と感情」
甲斐慎一郎
コリント人への手紙、第二、2章1~4節
「私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに
手紙を書きました。それは......私があなたがたに対して抱いている、
あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした」(4節)。
パウロが使徒職を弁明しているこの「コリント人への手紙、第二」
は、個人的な色彩が強く、その文章の端々に、外側においては、あ
のように理性的で冷徹なパウロですが、心の内側においては、激し
く燃えている愛の感情を読み取ることができます。
一、感情は四種類あります(シェーラー)
1.感覚的な感情
--肉体的な刺激によって起こる快感や苦痛の
感情です。これは刺激がなくなると感情も消えてしまいます。
2.生命的な感情
--からだの内部から湧き起こってくる充実感
や倦怠感また緊張感などの感情です。
3.情緒(情動)
--一般に喜怒哀楽と呼ばれている感情です。
これは激しい感情なので、断続的です。
4.情操
--情緒よりもいっそう高等で、芸術や宗教などで感じ
る感情です。これは穏やかな感情なので、持続的です。
感覚的な感情や生命的な感情は、「からだの感知器」として、か
らだを健康に保つ働きをしています。情緒は、説明を抜きにして感
じで分かるという「直感」の働きをし、情操は、推理によらず直接
知るという「直観」の働きをしています。前の三つは人間以外の動
物にもありますが、情操は、人間だけが持っているものです。
二、感情には三つの目的があります
1.真の人間らしさを与えるためです
感情は、ことばでは表現することのできない微妙な表情をつくり、
人に豊かさや深さ、またうるおいやこまやかさを与えるものです。
もしこれがなければ、木石のような人間になってしまうでしょう。
2.人の喜怒哀楽を知るためです
私たちが、人の心の喜びや楽しみ、また悲しみや怒り、そして苦
しみや痛みを知ることができるのは、自分自身もこのような心を持
っているからです。もしこれがなければ、血も涙もない人間になっ
てしまうでしょう。
3.直感や直観を与えるためです
感情は、理屈や思考によらない一種の知識です。理屈や思考は時
間がかかるので、急を要する時や突発的な出来事には間に合いませ
ん。神は、私たちに理屈や思考による知性とともに、理屈や思考を
抜きにして一瞬にして知ることができる感情を与えてくださいまし
た。ただし直感や直観は不正確なことがあるので、知性によってそ
れが正しいものであるかどうかを確かめることが必要です。
三、感情には功績と罪過があります
1.その功績
--信仰と信仰の対象である神は、人間の理屈や思
考を越えたもの(方)ですから、理屈や思考によらない感情(情操)
は、神をとらえるのに非常に役に立ちます。オットーは、絶対他者
(神)の前における無力感を「ヌミノーゼ感情」と呼んでいます。
2.その罪過
--しかし真の信仰は、見るところや感じによらず、
ただ神にのみ拠り頼むものですから(第二コリント5章7節)、感
情(感覚的な感情と生命的な感情と情緒)は、神をとらえるのに非
常に妨げになることがあります。すなわち、何も感じなければ信じ
られず、また何かを感じて信じるなら、その感情を信じて、ほんと
うは神を信じていないかも知れないからです。
エバは、善悪の知識の木を見た時、「食べるのに良く、目に慕わ
しく......いかにも好ましかった」ので(創世記3章6節)、取って
食べました。彼女は、感情で判断して、罪を犯しました。人は、感
情ではなく、「取って食べてはならない」(同2章17節)という神
のことばに基づいた知性によって判断し、生きなければならないの
です(マタイ4章4節)。
人間は、感情の与える豊かさや深さやうるおいを加味した聖書に
基づく知性によって判断し、決断することが大切なのです。