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「神への信仰と知識」
甲斐慎一郎
コロサイ人への手紙、1章9、10節
「あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこ
ころに関する真の知識に満たされますように......神を知る知識を増
し加えられますように」(9、10節)。
一、三種類の知識とその関係について
知識には、三種類(三段階)があります。
1.第一段階--見聞的知識
「見聞的知識」とは、目で見たり、耳で聞いたりして知る知識で
す。すべての知識は、ここから始まりますが、これは、皮相的かつ
浅薄な知識で、これで真相や真理を知ったと思ってはなりません。
第二段階の「思考的知識」の入り口です。
2.第二段階--思考的知識
「思考的知識」とは、「見聞的知識」に基づいて、よく考えて真
理に到達して得た知識です。パウロは、福音のことばを信じたコリ
ントの教会の人たちに、「もしあなたがたがよく考えもしないで信
じたのでないなら......この福音によって救われるのです」と述べて
います(第一コリント15章2節)。
3.第三段階--体験的知識
「体験的知識」とは、前者の二つに基づくか、またはそれらを超
越して実際に体験したり、経験したりして知る知識です。目が見え
るようになった生まれつきの盲人は、「ただ一つのことだけ知って
います。私は盲目であったのに、今は見えるということです」と言
いましたが(ヨハネ9章25節)、これこそ、ほんとうに知っている
ということです。
二、この世の知識と神を知る知識について
パウロは、「この世の知恵」と「隠された奥義としての神の知恵」
について教えています(第一コリント2章6、7節)。
1.この世の知恵
知識には、三種類または三段階がありますが、どちらにしても、
「一般的な知識」は、「この世の知恵」であり、この世のことしか
分からず、神と永遠の世界のことを知ることはできません。
2.隠された奥義としての神の知恵
「神を知る知識」は、「隠された奥義としての神の知恵」であり、
永遠の世界を知り、神から永遠のいのちが与えられて生きることを
知っている知識です。
パウロは、「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリスト
についてのみことばによる」と教えています(ローマ10章17節)。
まず神のことばを聞き(見聞的知識)、次に「よく考え」て(第一
コリント15章2節)、それが真理であることを知り(思考的知識)、
最後にその知った真理を「信仰によって結びつけ」る(ヘブル4章
2節)、すなわち「信じること」によって、神を知るほんとうの知
識(体験的知識)になるのです。
三、知識において成長することについて
ペテロは、「キリストの......知識において成長しなさい」と勧め
ていますが(第二ペテロ3章18節)、知識ということを愛と比較し
て考えるなら、それは識別力のことです。
私たちは、知識が増せば増すほど、物事を正確に見分けたり、識
別したりすることができるようになります。私たちは、何が神に喜
ばれ、何が神に悲しまれるのか、神のために何が有益で、何が有害
であるのか、隣人が神のために何を獲得すべきか、何を放棄すべき
なのかを明確に識別することが必要です。
しかしパウロは、知識があっても愛がなければ、「人を高ぶらせ」、
「自分を欺き」、「ほかの人を性急にさばく」と警告しています
(第一コリント8章1、2、11節)。
聖書は、「人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカイン
を産み」と記しています(創世記4章1節)。この「知る」という
のは、「結合と一体」を意味し、「体験的知識」です。それは言い
換えれば、「人が神を愛するなら、その人は神に知られている」と
あるように(第一コリント8章3節)、「神を知る知識」とは神へ
の愛であり、神を知ることの最も深い意味は、神を愛し、神と結ば
れ、神と一つになることです。私たちはキリストの知識において成
長しているでしょうか。