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「傷の霊的な教え」
甲斐慎一郎
イザヤ書、53章4~12節
「しかし彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たち
の咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」
(5節)。
「傷」には、およそ次のような三つの意味があるのではないでし
ょうか。
1.損なったり、傷んだりしたところ
2.欠陥や欠点、また不完全や不足
3.失敗や非難すべきところ、また罪
この「傷」ということばは、単に物質や肉体が損なわれたり、傷
んだりするということだけでなく、「心の傷」ということばで表さ
れるような精神的また霊的な意味を持っています。
それで様々な意味を持っている「傷」という観点から聖書が教え
ている大切な真理と霊的な教えを学んでみましょう。
一、罪人の傷について
カインがアベルを殺害した出来事(創世記4章1~16節)から、
聖書が教えている罪人の姿を傷という観点から述べるなら、次のよ
うな「あってはならない心の傷」を持つ者ということができるでし
ょう。
1.自らの悪いところを指摘された時、それを認めず、悔い改め
ないことによる心の傷です。
2.心に傷を受けた結果、人を憎んで、復讐せずにはおられない
という心の傷です。
3.自らの思い通りにならないと心が傷つくという身勝手で自己
中心の心です。
4.どうせ自分は、だめな人間なのだと言って心が傷つく卑屈な
心や劣等感です。
5.自尊心が傷つけられたということばに表される高慢な心や優
越感です。
これらは、本来は、あってはならない悪い「心の傷」です。しか
し人間は、これらの傷に悩み苦しみつつ罪の中にある者なのです。
二、神またはキリストの傷について
神は、このような人の罪を、どのように見られ、またどのように
対処されたでしょうか。このことに関して聖書は、私たちに次のよ
うな驚くべきことを教えています。それは、神は私たちの罪のため
に傷つけられ、しかも三重の傷を受けられたということです。
1.第一は、私たちが罪を犯すと、神のみこころが傷つけられ、
正義の怒りが燃えることです。
2.第二は、この罪を罰せずにはおかないという神の正義の怒り
と、この罪を何とか赦したいという神の愛の炎とが、激しく戦うこ
とによって受ける神の心の深い傷です。
3.第三は、私たちの罪を赦すために神のひとり子イエス・キリ
ストが十字架において私たちの罪のために打たれ、また傷つけられ
たということです。
これは何と恐れ多いことでしょうか。しかしこれが聖書の教えて
いる神なのです。
三、キリスト者の傷について
神が受けられた傷によって、人間は罪から救われて神の子どもと
され、次のような祝福を受けるのです。
1.「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」(5節)とあ
るように、私たちは、キリストの十字架の贖いを信じることによっ
て、罪のために傷だらけになっていた心が縫い合わされて、いやさ
れるのです。
2.「神は傷つけるが、それを包み、打ち砕くが、その手でいや
してくださる」(ヨブ5章18節)とあるように、私たちは、神の愛
のむちを受けることによって、悪いところをきよめられ、「非難さ
れるところのない純真な者となり......傷のない神の子どもとな」る
のです(ピリピ2章15節)。
3.私たちは、私たちを愛するあまり傷を受けてくださった神を
知ることによって、ほかの人たちの弱さと苦しみと罪のために心を
傷める愛の人に変えられるのです。
甲斐慎一郎の著書 → 説教集
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