東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2012.09.04
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「摂理と運命」
                                             甲斐慎一郎
                        創世記、22章6~14節

 「初めに情報ありき」を信じるなら、創造主である神が備えられ
た「摂理」の道を歩むことができますが、「初めに物理法則ありき」
を信じるなら、創造主なる神が存在しないのですから、私たちの身
に起きるすべてのことは「運命」として諦めるしかありません。

 そこで「摂理」と「運命」について学んでみたいと思います。

一、運命について

 私たちは、「摂理」と「運命」との違いを知っているでしょうか。
国語の辞書には、次のように定義されています(三省堂、新明解国
語辞典)。

「摂理」--キリスト教で、最終的に人を善に導く神の意志。
 「運命」--そうなることに決まっている、物事の成り行きや人
間の身の上。超越的な力によって決定されており、人間の力では、
いかんともすることができないこと。

 「運命」の類似語に「宿命」というのがあります。

「宿命」--人それぞれの身の上に、生まれつき定まっていて、
変更が許されないと考えられている、幸・不幸などの巡り合わせ。

  「運命」とその類義語である「宿命」については、これでよいの
ですが、「摂理」については、その語源から考えてみましょう。

二、摂理について

 「古代民族の諸宗教は、自然や世界の過程の中に、ただ盲目的な
『運命』しか見なかったのに対して、キリスト教は、そこに自由な
聖なる意志に基づく神の『摂理』を信じました。それは古代宗教史
に全く新しいものをもたらしたのです。

 摂理とは、創造者なる神が、彼とは異なる被造物の経過と歴史を
自らの意志によって、時の中で保持し、統治する知恵と全能と慈し
みです。摂理という言葉の語源は、創世記の22章8、14節にさか
のぼるといわれます。その箇所でアブラハムは、イサクをいけにえ
としてささげよとの命令を受けて山に登りますが、その子に手をか
けることを禁じられた時,その場所で神の道と人間の道とが思いが
けない方法で出会い、いけにえの雄羊があらかじめ備えられていま
した。アブラハムは、その子イサクがいけにえのないことについて
質問した時、『神ご自身が全焼のいけにえを備えてくださるのだ』
(創世記22章8節)と答えました。このことばがラテン語訳の聖
書で〈Deus providet〉と訳されて、摂理の意味をもつようになりま
した。すなわち、人間の必要と危急と困惑とに当面して神がささげ
るべき雄羊を欲し、選ぶ予見と予備と配慮、これが摂理の意義です。

 『摂理』には、『予見・予知』と『配慮・世話』との両方の意味
があります。この『以前』と『ために』とが結合されているのは極
めて意義深いことです。人間が、ただあとから事後的に悟り得るこ
とが、あらかじめ神によって決定され、配慮されているのです。神
が世界のために、人間のために、教会のために、その知恵と聖なる
意志によって、これら被造物の存在と持続のために必要なすべての
ものをあらかじめ見、かつ知り、あらかじめ備え、配慮してくださ
います。そのようにして被造物に対する神の意図が成就し,神の栄
光が輝き出るためです」(『キリスト教大辞典』教分館、649頁、
1963年)。

摂理とは「窮地に陥り、困難に直面している人間に対して、神がそ
の無限の知恵と愛によって、その必要なすべてのものをあらかじめ知
って備え、また配慮してくださること」です。

  「神の支配する世界では、神の摂理が行われ、すべてが神の計画に
基づいて合理的に構成されている。たとえ善良な人間が悲惨な生涯を
終えるようなことがあったとしても、それは神の試練による救いであ
るかもしれない。たとえまた愛する者を死で失ったとしても、神の準
備した天国で再びめぐり会うことも可能であろう。神の支配する世界
では一つの不合理もあり得ないのである。

 だが、神を失った世界では、醜く悲惨で不合理な人生が、そのまま
の素顔をあらわにする。しかもその不幸な生涯を終えた人間は、死と
ともに永遠の闇の世界に消えて行く。このように人生は非合理に満ち
たものであるがゆえに、それは『運命』なのである。運命とは、人為
を越えた非合理の別名である。それは合理性を本質とする『摂理』の
反対物にほかならない。したがって神を失った時、人生はそのまま運
命となる」(ある宗教学者)。

甲斐慎一郎の著書 説教集

東京フリーメソジスト昭島キリスト教会






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Last updated  2012.09.04 09:09:11
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