東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2015.12.13
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「降誕の意義(2)神について」    2015年12月14日

インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network 
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2013年3月11日放映「 神の愛の広さ、長さ、高さ、深さ
「降誕の意義(2)神について」  
                              甲斐慎一郎
                ヘブル人への手紙、一章1~3節
  ヘブル人への手紙の著者は、この手紙を記すに当たって何の挨拶
もなく、いきなり「神は……語られました」(1節)という言葉で
書き始めています。彼がこれから書こうとしていることは、人間の
考えや思想ではなく、神の啓示であることを強調するかのようです。

一、聖書が教えている真の神
  聖書は、真の神について教えています。
1.万物の創造者である神
 聖書は「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1章1節)と
記し、神は「万物の創造者」であると教えています。
2.万物の統治者である神
  神は、万物の創造者であるだけでなく、宇宙や地球、世界の歴史
や人間の社会を自然界の法則や善悪の法則、また神の摂理の法則に
よって支配しておられる万物の統治者です。
3.万物の完成者である神
 神は、初めに「天と地を創造した」だけでなく、それを「完成さ
れ」ました(創世記1章1節、2章1節)。神は、「わたしは、終
わりの事を初めから告げ……わたしの望む事をすべて成し遂げる」
(イザヤ46章10節)と仰せられる万物の完成者です。
 聖書は、「神は霊ですから」(ヨハネ4章24節)と教え、次のよ
うなお方です。
 真の神は、被造物(大宇宙)がなくても、それを超越して存在さ
れる方で、これを 「超越神」 と言います。しかし同時に「私たちは、
神の中に生き、動き、また存在しているのです」(使徒17章28節)
とあるように、被造物の中に存在しておられる方で、これを 「内在
神」 と言います。内在神だけの神は、すべてのものは神であるとい
「汎神論」 になり、被造物がなくなれば、神も存在しないことに
なります。超越神だけの神は、 「理神論」 ――神は創造主ですが、
創造した後は被造物には一切関わり合わないという神――になり、
世界の歴史や個人の生活の中に入って来て、語ったり、事を行った
りすることもないことになります。 真の神は、「超越神」であると
ともに「内在神」なのです。
説教要約 858 キリスト教は証しの宗教 その1 
二、目に見えない精神や霊の優越性
  なぜ目に見える物質よりも、目に見えない精神や霊のほうが優れ
ているのでしょうか。
1.精神は、物質を支配するだけでなく、新しいものを生み出す
ことができるからです。
  学問や芸術や道徳という精神文化は言うまでもなく、様々な発明
や発見によって科学技術の進歩や生活水準の向上をもたらした物質
文化も、みな精神の働きです。
2.精神は、物質のように時間や空間に拘束されずに自由に働く
ことができるからです。
  精神は、探求や想像によって過去や未来の世界に、またどんなに
遠隔な地にも一瞬にして行くことができます。
3.「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目
を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまで
も続くからです」(第二コリント4章18節)。
  物質の世界でさえ、目に見えないほど小型(高密度集積回路など)
のほうが優れており、もともと目に見えないもの(電磁波)を利用
したほうが、さらに優れているのです。

説教要約 859

キリスト教は証しの宗教 その2
三、目に見えない霊である神
  目に見えない精神と霊を比較するなら、霊のほうが優れています。
なぜなら霊は精神をつかさどる人格の中心的な要素だからです。
  人間の本質的な部分は、霊であることは先回、学びましたが、そ
れは人間を造られた神が「霊」だからです(ヨハネ4章24節)。
 たとえば、人が病院で死ぬと「霊安室」に入れられ、火葬場に行
く時は「霊柩車」に乗せられ、火葬後は「霊園(霊廟)」に葬られ
ます。人は死ぬと「からだ」は亡くなりますが、「霊」は存在して
いるので、人の死後は、すべて「霊」という言葉がつくのです。
  使徒ヨハネは「初めに、ことばがあった」と書き始め(ヨハネ1
章1節)、ヘブル人への手紙の著者も、冒頭に「神は……語られま
した」と書き記しています(1節)。「ことば」は心(霊)の表現、
言い換えれば、人格を持つ者の表現です(マタイ12章34節)。
 使徒ヨハネもヘブル人への手紙の著者も、真の神は、汎神論者が
考えているような人格を持たない方ではなく、また理神論者が思っ
ているような啓示のない方でもなく、人格を備え、ご自身を人に啓
示される方であることを教えるために、このように記したのです。

説教要約 860

キリスト教は証しの宗教 その3
  • 甲斐慎一郎の著書 説教集

  • 次回は2015年12月21日「降誕の意義(3)キリストについて」
    です
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    Last updated  2015.12.16 15:44:24
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