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今年の頭に記した自分の日記
「出雲大社と夫婦の和」
を読み返してしまった。
「夫婦の和は人道の根源、
これを守る者は必ず祖神の愛護を受く」
出雲大社参拝で引いたお神籤の「訓」だった。
あのときは、おこがましくも
え~、遥々出雲大社まで来たのに夫婦ネタ…?みたいな、
どこか残念的思いを抱いてしまったのだけれど、
今となってみれば
この神託がずしりと心に響く。
やはりあれは、
出雲の大神様から私への贈り物だったのだと判る。
3週間ほど前の 6 月 16 日、
ダディンが Biopsy 生体組織検査を受けることになった。
夫は病気というほどではなかったけれど体調が今一つで、
去年から抗生物質を飲んでいた。
けれど一向に効果が表れないので検査をすることになったのだった。
まだ夜も明けきらない早朝、
ダディンを病院まで車で送っていった。
そのときは大して心配していたわけでもなかった。
けれどポッサムの死体を見たとき
何か胸騒ぎがした。
ヘッドライトに映し出されたそれは、
亡くなったばかりの、破損のない死体だった。
道路の真ん中にポッサムの死体を見たのは初めてだったし、
ダディンが毎晩、野生のポッサムに餌をあげていたので、
彼との間に何か因縁めいたものを感じてしまったから。
ダディンを病院で下ろすと、
子どもたちを学校に送り出すため一人、我が家に戻った。
T字路の信号待ちで、正面に9割方
葉を落とした銀杏の木をぼんやり眺め
夫のことを考えていた。
ダディン、大丈夫かな?と。
そのとき葉っぱが突然バサッと落ちた。
風が吹いたわけでもなかったから戸惑ってしまった。
偶然だ、気にしすぎだと思いながらも
嫌ぁな予感に襲われた。
家に着くころには胸騒ぎは悲しみに変わっていた。
家に戻って娘に話すと、やはり
気にし過ぎだと笑ってくれた。
それで気持ちも楽になって、
日常に追われるうち胸騒ぎも収まった。
けれど翌週、ダディンは癌だと診断された。
息子がちょうど風邪で学校を休んで家にいた。
ムゥは話を聞くと、 2 階の自分の部屋に閉じこもってしまった。
暫くして心配で見に行った私を
涙で潤ませた大きな目で睨んだ。
「だからムゥが検査に行くようにって何度も頼んだのに…。
ジゴウジトクでしょ!」
数年前から息子は時々ダディンに
検査を受けに病院に行くように、と言っていたのだった。
けれど夫は、別段悪いところもないし
仕事が忙しいからと時間を割かなかった。
ショックと怒りと悲しみで混乱している息子は
未だ小学生なのだ。
その夜、瞑想をしているときにふっと
昔読んだチベット仏教の高僧の話を思い出した。
Lama Yeshe は、もう何十年も前に亡くなってしまった方だけど、
夫婦関係に関して質問されたときに確か、答えてらした。
2 、 3 年の恋愛の後、
続く 20 年、 30 年の結婚生活では
口論や仲たがいを繰り返しながら連れ添って、
どちらかが先立った後、今度は
伴侶を失くした哀しみから立ち直るのにまた何年も費やす。
それで互いを益し、支え合ったと言えるのか。
質疑応答を記した本に書かれていたと記憶している。
そうかもしれないなぁ、と思ったけれど、
今は、自分たち夫婦のことのような気がする。
その翌日から夫はMRI、CTスキャン、ボーン ( 骨 ) スキャンと
次々と検査に送られた。
突然話が深刻になっていくのに本人も戸惑っていた。
自分ではそんなに病気だという感じがしないのだと言っていた。
実際、大病を患っているようにはとても見えなかった。
けれど検査の結果、
思った以上に深刻なことがわかった。
重苦しい空気を引きずったまま
ダディンと二人、
病院の傍の薬局に向かった。
目の前に粉ミルクやおしゃぶりが並んでいた。
その薬局は引っ越しをする前、
未だ子どもが幼かったころに、よく利用した薬局だった。
娘をベビーカーにのせ、
ダディンと散歩がてら寄ったことを思い出した。
その同じ場所で今は
彼の命を脅かす癌の治療薬が処方されるのを待っている。
沈黙のなか、私たちは手を握り合っていた。
その夜、歯を磨いていたら、
娘がにこにこしながらやって来た。
「ダディン、大したことなくて良かったね」と
背後から寄り添ってくる。
何を言っているんだろう、と一瞬戸惑ってしまった。
娘は、私たちが専門医と会った後、
手術や治療について何も言わなかったから、
大丈夫だったのだろうと思い込んでいるのだと気が付いた。
けれどホッとしたような娘を前に
何も言えなかった。
その夜は眠れなかった。
夫と口論している記憶ばかりが思い出されていた。
そうして浅い眠りのなかでは
夫と喧嘩をしている夢を見た。
彼はくだらないことで文句を言い、私も激しく言い返していた。
だけどその横顔が涙で濡れていることに気づいて、
ハッと目が覚めた。
後悔や心配でパニックに陥りそうな私に、ティナリン ( 仮名 ) が言った。
「一つずつ、
とにかく一つずつよ」、と。
ダディンのために White Tara ―白ターラ菩薩の行を始めた、と
メリリン ( 仮名 ) が慰めてくれた。
白ターラ尊は健康と長寿を司ると言われている。
明後日のプージャでダディンのことを祈祷しよう、とティナリンが提案し、
メリリンやヘレさん ( 仮名 ) やスーミン ( 仮名 ) と一緒に
何のお祭りかと思うほどゴージャスなセッティングを整え、
祈ってくれた。
密教から親しくなった友達 ( ブツトモかな? ) には
言葉では言い表せないほど励まされている。
私たちはサポートし合うために、ここにいる―
そう言って、慰め、励まし、笑わせ、ハグして、
先に進み続ける元気を贈ってくれている。
自分の経験を打ち明け、励ましてくれた方もいた。
身内の自殺。
自らの闘病。
精神的DVを繰り返していた夫との泥沼の離婚調停。
数年で全身が麻痺してしまうという奇病にかかった息子さんの治療。
そんな苦境のなかでもみんな力を尽くし、
小さな奇跡を愛しみ、
知恵や英知を得ながら、
日々生活を続けているんだ。
聞きながら、どこかで読んだ仏陀の話を思い出していた。
一人息子を亡くし、嘆き悲しんでいた母親が
息子を生き返らせてくれるようにと仏陀に哀願した。
すると仏陀は、薬を作るためのカラシの種を持ってくれば
生き返らせることができると答えた。
ただし、死人を未だ一人も出していない家のものでなくては
ならない、と。
母親は血眼になって探したが、
結局そんな家は一軒もなかった。
彼女は死が誰にでも訪れる人生の、自然の一部であることを悟り、
出家し、遂には悟りを開いたという話を。
目覚めて生き、目覚めて死ぬ―
ダディンに残された時間が、
自分自身に残された時間だって
どれくらいあるのかはわからないけれど、
事故や突然死じゃなくて良かった、と思うようになっていた。
ダディンの父親は心臓発作で突然、亡くなっている。
夕食後、義母と二人でテレビを見ていた義父は、
バスルームに行くと席を立ち、
そのまま帰らぬ人となってしまった。
その突然の死故に、
義母や家族は長い間、立ち直れずに苦しんだのだった。
過去は変えられないけれど、
未来は変えられる。
やり直すチャンスを与えられたのだと思う。
日々時間に追われ、
夫のことを気にかけている余裕などなかったけれど、
今では少なくとも朝はおはようのハグをするようになった。
時々レイキもしてあげる。
タントラ行の後には必ず功徳をダディンの健康に廻向する。
何よりも口論の数が激減した。
ゼロにはなっていないのがトホホホ…だけど、
以前は腹が立ったようなことも大して気にもならなくなった。
ほんとうに大切なことに比べれば、
所詮は些細なことだから。
明後日から夫はホルモン治療に入る。
自分がそんな深刻な病気だという感じがしないと
本人言っていたけれど、
これから治療や病気が進めば、
いろいろと障害も出てくるのだろう。
それを思うとやはり怖い。
本人はもっと辛いのだろうから、
とにかくサポートしていかなくてはと思う。
今、心から三宝のありがたさを痛感している。
仏教でいう3つの宝
Buddha Dharma Sangha ―仏と仏法とサンガ。
私のサンガは、地元のチベット大乗仏教センターだナ。
おかげで心がやさしく、強くなれている。
夫は、病気に圧倒されてしまうことなく
今まで通り<ふつー>に暮らしたいと言っている。
子どもたちは、ダディンはもう大丈夫なんだろうと思っている。
そんな家族を私はゆったりと支えてゆこうと思う。
出雲大社のお神籤に記されていた。
「何事も忍耐努力をすれば禍変じて福となる。
信心を怠るな」、と。
禍を転じて福となす―
出雲の神様、ありがとう。
そうなるように日々生活しようと思います。
写真は7月9日、明け方の満月。
あまりに美しいのでシャッターを押しました。
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