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「TOTO C48SR」。
勇太君は、トイレの便器で水が流れる音を聞くと、
トイレのメーカーと型番をぴたりと当てる。
絶対音感を持ち、
何十種類ものトイレの水流を聞き分けているのだ。
勇太君には、こうした非凡な才能と、
治ることのない「自閉症」という障害が共存する。
生きづらさを抱える勇太君を育ててきたのが、母であり、
幼児教育のプロでもある立石美津子さんだった。
しかし、立石さんが求める「理想の子育て」と勇太君の「自閉症」は、
時に激しくぶつかってきたという。
そんな母子の歴史を、医師で作家の松永正訓さんが一冊の本にまとめた。
9月に上梓された「発達障害に生まれて」(中央公論新社)では、
息子の障害をなかなか受容できなかった母の苦悩や、
発達障害だったからこそ知ることができた世界が、
つぶさに描かれている。
母子はどうやって「普通の子」になろうとする子育てから自由になれたのか。
松永さんに聞いた。
(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
——勇太君は「発達障害」の中でも、知能障害をともなう自閉症とのことですが、表紙の写真を見ると、本書でも書かれている通り、まるで若い修行僧のような佇まいですね。
「勇太君に会う前、写真で何度も顔を見ていましたが、とても理知的に見えます。立石さんに取材をお願いした理由は、彼の風貌に惹かれたこともありました。実際に会ってみると、ある意味、普通の17歳であり、同時に知的な遅れがあることもわかります。
自閉症は、『他人との社会的関係の形成の困難さ』『言葉の発達の遅れ』『興味や関心が狭く特定のものにこだわることを特徴とする行動の障害』と定義されています。勇太君も他の人に関心が持てません。僕が自宅にお客さんとして訪ねても、興味を持たずに普段通りに過ごします。パソコンで、トイレの水が流れる動画をずっと見たり、部屋の端から端まで走ったりしています」
——勇太君は小学高学年の頃から、トイレに愛着を見せるようになったそうですね。デパートに行くと、個室に入って便器を観察する。それをすべてのフロアのすべてのトイレで行う。次第にメーカーと型番に興味を示し、便器の型を暗記して、帰宅してからその日見た便器をすべて書き出す…。すごい記憶力です。
しかし、トイレの中でも、自宅のトイレやTOTOのショールームのトイレには興味がないと書かれていました。公衆トイレでないとダメなのはなぜなのでしょう。
「そうした強い『こだわり』を持つことが自閉症なのでしょうね」
——この本は、勇太君が自閉症と診断されるところから始まっています。立石さんは、幼児教育のプロフェッショナルですから、当然のように我が子にすべての愛情を注いで育て、英才教育もほどこします。生後3カ月から、1日10冊もの絵本を読み聞かせし、漢字カードや算数の教材用カードまで見せて育てています。どうやって、自閉症であることがわかったのでしょうか。
「勇太君の場合は、言葉の遅れがありました。2歳3カ月で保育園に入りますが、他の子は団体行動ができるのに、勇太君は部屋の隅で寝そべる。いつまでも、言葉も出ない。一方で、自宅では国旗や時刻表などの数字に強い関心を示して、世界地図のパズルをたちまち完成させてしまう。そうしたアンバランスがありました。
2歳4カ月の頃、食物アレルギーの定期受診していたアレルギー科の主治医に言葉が出ないことを相談したところ、こころの診療部の受診を勧められ、そこで会った医師に1分もしないうちに『お子さんは自閉症ですね』と言われます」
——「ちょっと変わった子だな」ぐらいに感じていた我が子が、突然「自閉症ですね」と医師に言われたら、母親としてはかなりショックだったのではないかと思います。
「立石さんは特別支援学校の教員資格を持ち、支援学校での実習で自閉症の子たちと触れ合った経験もありました。自分の子どもを自閉症とはとても思えなかったのです。『違います』と言いましたが、その医師は『自閉症にはいろいろなタイプのお子さんがいるからね。この子は絶対に自閉症』ときっぱり話しました」
——最初、立石さんは医師を信用せず、別の診断を求めてドクターショッピングに走ったという話は、胸に迫りました。
「発達障害に限らず、子どもの持つ色々な障害の受容はとても難しく、時間がかかるものです。10年経っても、20年経っても、受け入れられない親もいます。でも僕は、それはまだ受容の途中なんだと理解しています。あと10年経ったら、受け入れることができるかもしれない。医師は、親を否定するのではなく、待ってあげることが大事だというのが僕の考え方です」
——受容には、どのようなプロセスがあるのでしょうか。
「最初は、否認です。立石さんの場合は、『この診断は間違っている』と考えました。受け入れられず、病院で泣きながら『こんな子じゃなかったらよかった!』と叫びます。少し落ち着くと、今度は怒りがわいてくる。立石さんは、言葉が遅いのは耳が悪いせいだと考えて、耳鼻科に行きます。2カ所で診てもらっても、耳に異常はありませんでした。
では、なぜしゃべらないのか。自閉症以外の理由があるのかもしれないと考え、今度は他の児童精神科を受診することにしました。結局、3カ所も回ることになります。これら5つの病院を回るだけで、1年もかかる。1年かかっても、『自閉症ではない』とはどこも言ってくれないわけです。そこでやっと、自閉症であることを認めて、最初に診断してくれた医師のところに戻ります。
しかし、それは本当の意味での受容ではありません」
——自閉症であると認めることは、ゴールではなく、プロセスにすぎないわけですね。
「精神科医のエリザベス・キューブラー=ロスは、死を受け入れるまでのプロセスを5段階にわけています。最初は事実に対する『否認』、次に理不尽に対する『怒り』、そして『取引』です。立石さんも、自閉症をなんとか治す方法を模索して、奔走します。療育を受けさせれば、『普通の子』になるんじゃないか。勇太君は、週に2回の施設に通うようになります。その一つは、月10万円もかかるようなところです。しかし、いくら熱心に療育をしても、知能障害も自閉症も治ることはありません。病気ではなく障害ですから」
——療育のためにも一生懸命、働く。育児と仕事で疲れている中、勇太君は家の中でドスンドスンと激しくソファから飛び降りる。パニックも繰り返し起こして大暴れする。ついには、住んでいたマンションの住人から苦情を受けて、引っ越しせざるを得なくなったというお話は、子育て中の親としてつらかったです。
「立石さんもどん底まで落ちて、抑うつ状態になりました。『取引』でも回避できないとわかって訪れるのが、『抑うつ』です。つらい日々が続いていましたが、勇太君が年長になった時に、療育で訪れた病院の入院病棟である少年と出会います。
その部屋には窓の内側に鉄格子がはめられていました。窓をのぞくと、白い部屋の中に小学4年生ぐらいの男の子がパジャマを着て立っています。椅子やベッドからはベルトがぶら下がっていて、すぐに身体拘束するものだとわかりました。
どういう病気で入院しているのかわかりませんが、もしかしたら、自閉症の二次障害かもしれないと立石さんは思いました。二次障害とは、もとの障害に適切に対応しないため、ストレスが高まって、うつ病や強迫性障害などの心の障害を引き起こしたり、不登校や家庭内暴力、自殺などの問題行動につながることです」
——勇太君を「普通の子」にしようとしたことがストレスになって、将来、二次障害になるのでは、と心配されたのですね。
「立石さんは、強い衝撃を受けました。そして、無理をしても健常児にはならないのだから、過度な期待をやめようと。子どもを変えるのではなく、親である自分が変わらないと、将来、もっと恐ろしいことがやってくるんだ、と考えました。この体験が、真の『受容』につながりました」
——立石さんの場合、保育園では健常児と比べてしまい孤独感を持ってしまいましたが、インターネットで「東京都自閉症協会」を探し、親の会に参加したことも良い影響だったようにみえます。
「自分の子どもに障害があった場合、今、目の前にある障害しか見えません。でも、親の会には、同様の子どもを10年、20年と育てているベテランの人たちがいます。『この先どうなるのだろう』と未来が不安になったとしても、先輩たちが教えてくれます。これは医師ではなく、親同士でなければ難しいことです」
——勇太君が5歳になっても箸を使わず、手づかみで食べることがあるのを気にした立石さんは、親の会に相談します。すると、ベテランの母親は「世界の半数以上の国が食事を手で食べる文化なのよ。手をきれいに洗っていれば、手で食べたって何も問題ないんじゃない?」と答える話がありました。健常者の視点ではなく、自閉症の子どもの目を通して広い世界を知る。発想の転換に驚きました。
「単一な中に、学ぶものは何もないです。多様な中に学びがある。多様性が非常に大事だと思います。価値観が唯一な世界は、何の進歩もありません」
——勇太君のような発達障害の子どもたちを取り巻く環境をどう思いましたか?
「医師にとって、自閉症の診断はとても難しいものです。きちんと診断できる医師は、精神科医の中で子どもを専門にしている人。もう一方は、小児科医の中で心の問題を専門にしている人。両方とも、とても少ないのです。
東京と地方でも、事情は違うと思います。東京は確かに医師の数が多いのですが、診断を希望する親も多いので、予約は常に6カ月待ち、長ければ1年待ちという話もよく聞きます。
発達障害なのか、そうじゃないのか。はっきりしない場合は、医療機関にかかってない子も多い。病院に行こうとしても、半年待ちですと言われれば、そこまで待てないから様子を見ようと…。そうして見過ごされる発達障害の子どもが多いと言われています。
しかし、医療にとって大事なのは、正しい診断です。正しい診断の上に、正しい治療がある。診断が間違っていると、すべてが崩れます」
——最近、大人の発達障害が社会問題となっています。その背景には、幼少期に正しい診断を受けられなかったということがあるのでしょうか。
「明らかな知能障害がある自閉症の子の場合は、どこかで親も医師も気づきます。しかし、知能障害のない場合は、医療機関にかかっていない可能性があり、生きづらさを抱えたまま大人になってしまいます。
人の心がわからない、空気が読めない、こだわりが強すぎる。友達ができずに、いじめられ、親や学校の先生には叱られ……。そういう人生をずっと生きていくと、大きなストレスとなって、二次障害を起こす場合があります。
そういう子どもが実は多いと言われていて、逆の面からいうと、統合失調症やうつ病の患者さんは、実はもともと発達障害だったのを見過ごされて今に至っていているかもしれません。一次障害から二次障害へ、という考え方もありますが、発達障害と二次障害は大きなスペクトラムを作っていて、地続きになっているという精神科医の先生もいますね。
精神医学はまだまだわからないことが多いです。
人の心って、本当に難しいんですよね」
——勇太君と立石さん母子の物語を通して、とても勇気付けられました。
生きづらさを抱えている人たちへのヒントになりそうです。
「自閉症だとか、発達障害だとか関係なくても、
生きづらさを抱えている子がとても多いです。
我々は誰でも全員が『普通』であることにこだわりますが、
不登校だったり、勉強が苦手だったりする子はいくらでもいます。
『普通』から脱落せざるを得ないことは、とても多いです。
でも、たとえ『普通』から脱落しても、
人は生きていかなければなりません。
脱落してしまったら、
人生はみじめでつらいものになると考えるよりも、
『普通』じゃなくても何か目標を持つことができれば、
充実した人生だと思います。
勇太君親子は普通じゃない生き方をしていますが、
自閉症でも健常者でも、そこで悲観することなく、
幸福をつかみとることはきっとできます」
【松永正訓(まつなが・ただし)さんプロフィール】
1961年東京生まれ。
1987年、千葉大学医学部を卒業、小児外科医になる。
2006年より「松永クリニック小児科・小児外科」院長。2013年、
「運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語」(小学館)
で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。
著書に「呼吸器の子」(現代書館)、「子どもの危険な病気のサインがわかる本」(講談社)、
「小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと」(中公文庫)「子どもの病気 常識のウソ」(中公新書ラクレ)など。
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