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先ほどGoogleで「江夏の21球」を検索してみた。するとwikipediaに次いで「あま野球日記」が2位にランクインしていた。ま、今どき30年前のネタを長々と書く人などいないということが理由なんだろうけど、2位になったことを記念して、いったん「江夏の21球」について書いたメモをまとめておきたい。まだまだ情報が少ないので、これからも書籍を買ったり、図書館で探したり、古本屋に行ったりして、さらに情報を集めたい。■まずはこれまで書いた計17本の記事を以下にまとめてみた。【近鉄・西本幸雄監督の視点、もしくは関連】1)「打てのサインなのに打たないから、スクイズ」江藤省三と西本幸雄の明暗~またも「江夏の21球」のこと~石渡茂vs水沼四郎、江夏豊vs平野光泰2)西本幸雄監督のスクイズの苦い思い出~1960年日本シリーズ3)1960年、大毎・西本幸雄監督のスクイズ失敗と、佐々木信也との確執?4)「江夏の21球」~西本幸雄監督が9回裏無死満塁で考えていたこと 5)1960年日本シリーズ、「野球は心理戦」~勝った三原脩、敗れた西本幸雄、そして最後に現代版の「野球害毒論」 【広島・江夏豊の視点、もしくは関連】6)「江夏の21球」野球の面白さすべてが詰まった試合~江夏豊vs古葉竹識~東京国際大優勝?7)江夏豊自身が語る「江夏の21球」【広島・水沼四郎の視点】8)江夏の、いや「水沼四郎の21球」【近鉄・佐々木恭介の視点、もしくは関連】9)「江夏の21球」~佐々木恭介「もう1回何がしたい言うたら、あの場面がしたい」10)福留孝介と、近鉄を蹴った男たち 【近鉄・石渡茂の視点】11)「江夏の21球」を演出してしまった、石渡茂のスクイズ失敗12)思いだす、江夏の21球【その他関連記事】13)東京国際大・古葉竹識監督と法政大・金光興二監督の過去の関係~広島・古葉監督が金光選手のその後の人生を変えた?14)斎藤佑樹の真価と「江夏の21球」、そして安藤統夫の証言15)名アナ・島村俊治さん 16)ヤクルト早大人脈とヤスダくん 17)明暗分けた三塁線の打球■分類した方法は正直言って難があるけれど、あらためて読み直してみて、面白いなと思うこと、また勝手に想像を巡らしたことがある。それは、A)西本さんの監督としての「強み」と「弱み」をもっと知りたいな、と思うこと。8度日本シリーズに出場して一度も優勝できなかった理由とは?B)人と人のつながりが、この「江夏の21球」にもいくつかある。これは面白い、もっと調べたいな、と。a)広島・水沼四郎と近鉄・石渡茂は中央大時代のチームメイトだったことb)広島・江夏豊と近鉄・平野光泰は高校時代に対戦し、平野がランニングホームランを 打っていたことc)(記事にはまだ書いていないが)広島・江夏豊と広島・水沼四郎は報徳学園高のセレクションですでに出会っていたことほかに「江夏の21球」には、どんな人間関係が隠されていたのか???C)現・法政大の金光興二監督が1977年のドラフトで近鉄から指名され拒否したが、もし近鉄に入団していたら、近鉄のショートを守っていたかもしれない。もしそうなら、石渡のスクイズ失敗はそもそもなかった・・・。逆に熱望していた広島に入団して、三塁手を守っていたら、佐々木恭介の打球にグラブが触れていたかもしれない・・・D)1979年の日本シリーズは「江夏の21球」だけが有名だけど、1戦2戦に連勝した近鉄がなぜ7戦まで戦う羽目になったのか、もっと早く決着をつけることはできなかったのか? 等々まずは、第1弾のまとめ終了ということで。1日1クリックお願いします
2011.07.16
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■「畠山~、打て~」「ハタケぇ~」。ネット裏、そして三塁側後ろにある土手からも大きな声援が飛んだ。イースタンリーグ・ヤクルト対ロッテ戦(2008年4月6日、ヤクルト戸田球場)は、スコア1-1の同点で9回裏を迎えていた。ヤクルトの攻撃は二死ながら走者は二・三塁。打席に立ったのは畠山和洋、一打サヨナラのおいしい場面。だが畠山の打球はボテボテのセカンドゴロで、ヤクルトのチャンスはあっさりと潰え、スタンドからは一斉に「あ~ぁ」とタメ息が漏れた。当時の畠山は皆が実力を認めるものの、外人選手とポジションがかぶって一軍で活躍する機会に恵まれない不運なスラッガー。それでいて人のいい、どこか憎めないキャラクターで、生れるのがもっと早ければ漫画『がんばれ、タブチくん』にヤスダくんとともに登場してそうなキャラクター・・・。不運といじられキャラ、それがボクの畠山評だった。だから「打て~」という声援も、「あ~ぁ」という嘆息もあくまで予定調和的というか、声援を送るファンにとってただの「想定内」のひとコマのように思えた。■ただ昨年のヤクルト対広島戦(2010年8月18日)で、初先発の広島・今村猛から満塁本塁打をかっ飛ばしたことで、ボクの畠山評はガラリと変わった。その理由は・・・、今村猛はその前年のセンバツでチームを優勝に導いた清峰高のエース。清峰に決勝で敗れたのは、菊池雄星のいた岩手・花巻東高である。そして畠山の実家は花巻にある(高校は専大北上高)。前説が長くなったが、つまり岩手県民の悲願(優勝)を打ち砕いた今村に対し、およそ1年半後、畠山が満塁本塁打を放って仇を討ったという構図に思え、同じ花巻出身のボクの畠山評は「ただただ頼もしい男」に変わったのだ。■そして今年、ついに畠山は真価を発揮した。さらにファン投票でオールスター初出場を決めるオマケも付いた。今日の対読売戦では満塁の好機に、好投する西村健太朗から渋く左中間に適時打を放つなど、4番らしい堂々としたバッティングだった。以前のように「畠山、打て~」は、もはや「あ~ぁ」という嘆息のための前振りではない。「やったぁ~!」というファンの歓声が、必ずその後にあるのだ。専大北上高時代、甲子園で見せた打球の強さは群を抜いていた。ただの内野ゴロであっても、打球の速さがまったく他の打者と違っていた。間違いなくプロに行く逸材だと思っていたし、プロでも早々に活躍するものとボクは思っていた。でもあれからすでに11年の月日が流れた。多少遅咲きになった感じは否めないけれど、畠山にとって真価を発揮するプロ生活の本番は、まだまだ始まったばかりなのだ。 ■畠山の父・司さんも専大北上高のエースとして1972年のセンバツに出場した。この時は初戦の花園高戦に勝利し2回戦にコマを進めたが、日大三高にスコア1-4で敗れた。ボクは当時、甲子園から戻ったばかりの畠山投手と同じ路線バス(岩手県中央バス)に乗り合わせたことがある。ほっぺたが赤いのが特徴で、すぐに畠山投手とわかった。最後部の座席に堂々と座る姿を見て、格好いいなぁ! と思ったことを今でもよ~く憶えている。 1日1クリックお願いします
2011.07.16
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前回に続き、「江夏の21球」のこと。今日のブログは江夏豊の女房役だった水沼四郎捕手から見た「江夏の21球」を。水沼四郎著『江夏の21球をリードした男』(ザメディアジョン刊)から一部を引用した。先日書いたブログ「江夏豊自身が語る江夏の21球」の、いわば裏返し版になる。さて日本シリーズ「近鉄vs広島」第7戦(1979年11月4日)の9回裏、1点差を追う近鉄の攻撃が始まった。投手は7回途中からマウンドに立つ江夏。捕手は水沼。本文中の(※注)は「あま野球日記」がつけた注釈。■打者:羽田耕一<1球目> シュート、センター前にライナーのヒット。「スルスルーと入ってくる、力のないストレート(※注:江夏はシュートと言っていたが)。やばい!と思った瞬間に、打球はセンターへ。江夏にはひとつだけ欠点があった。それは一発の可能性が低い打者に対し、ごくたまに、打ちごろのストレートを投げてしまうことだ。この球もそうだった」■代走:藤瀬史朗打者:アーノルド「9回のこの場面、盗塁の可能性は・・・。近鉄は危ない賭けをするだろうか。近鉄ベンチを見渡し、ランナーを見つめ、何か動きがあるかと探ってみる。<2球目>シュート、ボール「動く様子がない」 <3球目>速球、ボール<4球目>ストライク<5球目>速球、ボール。藤瀬が二盗を狙う、水沼捕手が二塁へ悪送球し、藤瀬は一気に三塁へ(無死三塁)「藤瀬のスタートが遅れた! ヒットエンドランのサインが出ていたのだろうか。これなら刺せる。ボールをキャッチし、二塁へ送球。その瞬間に普段ではありえない失敗をしてしまった。あれだけ練習してきたのに、ボールを握り損ねたまま送球してしまう。これでMVPは消えたな(※注:水沼はこの試合、決勝点となる2点本塁打を打っていた)そのときの私の心境である」「とりあえず、同点は覚悟してバッターに集中しよう」<6球目>変化球、ボール。四球。(無死一・三塁)■一塁代走:吹石徳一打者:平野光泰<7球目>速球、ボール。<8球目>カーブ、(中途半端なスイングの)空振り。<9球目>速球、ボール。一塁走者の吹石が二盗を決める。(無死二・三塁)「吹石に走られるのは仕方がない。ディレードスチールで藤瀬が本塁に突入することを警戒し二塁には送球しなかった」「とりあえず、守りやすい場面を作ろう」<10球目>ボール(一塁が空いたため敬遠策)<11球目>ボール。四球。(無死満塁)「平野はよほど自分で試合を決めたかったのだろう、すごく怒っているのがマスクを通して伝わってきた。負けを覚悟した・・・」■代打:佐々木恭介「左殺しの異名をとる代打の切り札だ。この場面で、スクイズは絶対にない。そう確信した私が要求した初球は、内角へのカーブ」<12球目>カーブ、ボール。「2球目はストレートのサインを出す」<13球目>速球、ストライク。「江夏から投じられた瞬間、うわっ、これで終わったと、一瞬で思った。その球は羽田に打たれた力のないスルスルーと入ってくるストレートと同じ。コースはど真ん中。絶対にやられた、この場面ではあり得ない球だ。次の瞬間、ストライ~ク!!と球審の声が響いた。あの球を見逃すとは。これは何かあるかも。あまりに信じられない見逃し方で、私は疑心暗鬼に陥ってしまった」「次のサインは・・・内角へのストレート。先ほどとはまったく違う、渾身のストレート。内角ギリギリ、これならいける。そう思った瞬間に、佐々木が強振した」<14球目>三塁線にファール。「ファウル! 塁審の声が、近鉄ファンの歓声を突き破るように響いた。前進守備の三村の頭上を越えた打球は、わずかに三塁線を切ったのだ。ツキはまだこちらにある。しかし読めないのは、佐々木の打撃。あの甘いストレートを見逃し、スクイズもあると思いきや、厳しいコースを強振してくる」「そのとき、衣笠がマウンドへゆっくり歩み寄っていった。そして江夏に一言二言ささやきかけている。江夏の揺れ動く心の中を、衣笠がなだめようとしているのだろうか。江夏の顔がさきほどとはまったく違った表情に変わった。何かが吹っ切れたような、引き締まった顔つきになった」<15球目>カーブ、ファール。<16球目>速球、ボール。「江夏のボールは、キレもスピードも出てきた。絶対に三振を取ってやる。私は江夏に最高のボールを要求した。最大の武器であるカーブだ」<17球目>カーブ、空振り三振。(一死満塁)「内角をえぐるような完璧な球道。そして佐々木のバットが空を切る。思わずガッツポーズ。完璧だ。江夏でしか投げられない、最高のカーブだった」■打者:石渡茂(※注:以下にある水沼のコメントは「江夏の21球を演出してしまった、石渡茂のスクイズ失敗」にも一部引用していますが、とても興味深い文なので、長文ですがほぼそのまま引用します) 「続くバッターは石渡茂である。石渡と私は中央大時代のチームメイト。野球部の寮でも同室で、お互いのことは何でも知っている仲だった。そんな石渡がバッターボックスに入る。私は再びゆっくりと球場を見渡す。先ほどよりさらに大きくなった近鉄への声援。ベンチにいる西本幸雄監督、コーチの顔をじっと見つめる。監督の傍らには、この試合中ずっと有田修三が立っていた。だれからサインが出るんだ。やってくるなら、この場面でしかない」「石渡に一言つぶやいてみた。『いつやるんだ? スクイズしかないのぉ』。普段なら冗談交じりに返してくる石渡が、この時はじっとグラウンドを見つめ、何もしゃべろうとしない。私の声に耳を貸さない、いや、全く耳に届いていなかったかもしれない。絶対に何かある。スクイズがあることは確実だった」「でも、どのタイミングで・・・。もう一度、近鉄ベンチを見つめる。はたして初球から動いて来るのだろうか。一呼吸おいて江夏にサインを出す。初球は様子を探るためのスローカーブ」<18球目>カーブ、ストライク。「石渡はしっかりと見逃す。ベンチもランナーも動かない。やってくるのはいつだ。再度、ゆっくりと近鉄ベンチを見る、石渡の様子をうかがう。スクイズがあるから早めに追い込もう。そう考えた私は、江夏にインローへ食い込むカーブを要求した。江夏のカーブがこのコースに決まれば、例えスクイズであっても失敗する可能性が十分にある。石渡の息遣いが聞こえてきそうなほどの静寂感」「セットポジションから、ゆっくりと江夏の足が上がったその瞬間、横目で三塁走者を確認した。その一瞬、目を疑った。三塁ベース付近にいるはずの藤瀬の姿が、すでにそこにはない。 次の瞬間、猛然と突進してくる姿が目に映った。『やばい、来た!』。異常に早い藤瀬のスタート。<19球目>カーブの握りのまま、外角高めにウエスト。石渡はスクイズを試みたが空振り。三塁走者の藤瀬が三本間に挟まれてアウト(二死二・三塁)「藤瀬の姿をつかまえた瞬間、私はとっさに立ち上がりウエストボールの構えをとった。カーブを要求し、カーブの握りで、カーブの腕の振り。そしていきなり走り出したランナーと、とっさに立ちあがったキャッチャー。江夏の投じたスローカーブは、飛びついた石渡のバットを外れ私のミットの中に収まった。江夏だからこそ成し得たカーブでのウエストボールだった」「バッターの石渡も、ランナーの藤瀬もまさか外してくるとは思わなかったろう。私自身も、まさか仕掛けてくるとは、まさかウエストしたところに、江夏が投げ込んでくるとは考えてもみなかった。藤瀬が走った瞬間に、何も考えずにとっさに立ち上がったのである。もし江夏が、要求どおりのコースにカーブを投げてきたら、確実にバットに当てられていただろうし、空振りをしたとしても、ボールは転々とバックネットに転がっていただろう」「江夏にも藤瀬のスタートが見えていたのだろうか。もし藤瀬のスタートがもう少し遅ければ、私も江夏も外すことができただろうか・・・。すべての偶然が重なり、近鉄の最後の一手を封じた瞬間だった。投球動作の途中で、狙うコースを変えるのは不可能に近い。彼の手首の柔らかさが、その奇跡的なウエストボールを生みだしたのだ」「2アウトをとったが、なおもランナーは二・三塁。ピンチに変わりはない。しかし私はこの時すでに、勝利を確信していた。石渡からは、動揺からか打ってやるという気迫を感じ取れなかったのである。近鉄のベンチは、先ほどと打って変わって静まり返っている。西本監督の顔を、もう一度ゆっくりと見る。全身の力が抜け、ガックリとしているのがグラウンドからでも手に取るように分かった」試合が再開された。<20球目>速球、ファール。「低めのストレートを石渡がファウルで逃れる。あと一球、あと一球でこの試合が終わる。これで最後にしよう。そう決めてサインを江夏に送った」<21球目>カーブ、空振り三振。石渡の空振りした体勢は大きく崩れた。「江夏の気持ちのこもった渾身のストレートが、ミットをめがけて一直線に飛び込んできた。石渡のバットが、音を立てて空を切った瞬間、私は両手を突き上げ江夏のもとに駆け寄って行った。優勝だ、勝ったぞ! 日本一だ!」1日1クリックお願いします
2011.07.16
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前回に続き「江夏の21球」のこと。■NHK『江夏の21球』(1983年制作)から、一死満塁のチャンスの場面でスクイズを失敗した石渡茂の声を拾った。■日本シリーズ「近鉄vs広島」第7戦(1979年11月4日)の9回裏、1点差を追う近鉄は一死満塁のチャンス。打順は1番の石渡にまわった。広島の投手は「優勝請負人」江夏豊。※( )内は、江夏が9回裏に投げた全球数のカウント。石渡が打席に立った。<初球(18球目)>カーブ、ストライク。<2球目(19球目)>カーブの握りのまま、外角高めにウエスト。空振り、スクイズ失敗。<3球目(20球目)>速球、ファール。<4球目(21球目)>カーブ、空振り三振。打席に入る前、西本幸雄監督から受けた指示について、石渡はこう述べていた。「スクイズもあるかもしれないから、サインをよく見とくように。サインが出るまでは思い切って初球から真っすぐだけを狙っていこうと思っていました。最悪、外野フライでもいいかなと」初球のストライクを見逃した。そして直後、スクイズのサインが送られた。「あっ、出た。その時、頭の中でスクイズの復習をしていましたよ。まずバットに当てて、そして転がす、と」だが江夏はカーブの握りのまま外角高めにウエスト。石渡は空振りし、三塁走者の藤瀬は三本間に挟まれて憤死した。「外されたとは思ってませんでした。今も思ってませんけど。ウエストボールといったら真っすぐで、全然届かないところに放るもの。ただ普通に投げたものがすっぽ抜けたのかな。自分のバントの動きを見て、カーブの握りのまま外せるもんですかね」■江夏が語る。「初球を見送ってくれたおかげでスクイズと思った。あまりに簡単に見送ってきた、ボールを見てるだけ。この時、(近鉄ベンチは)動いてくるな、と思った。つまりスクイズ。腕がトップの時、来たぞ!と感じ、外そうと思った。常識では考えられないですよ、カーブでウエストなんて前代未聞ですよ。自分でこんなことができたのが不思議や、と」水沼四郎捕手は言った。「2球目、(目を左に寄せる仕草をして)マスク越しに、ずっと三塁走者ばかりを見てました」この時のことを、水沼は自著『江夏の21球をリードした男』(ザメディアジョン刊)に詳しく書いている。「バッターは1番の石渡である。石渡と私は中央大時代のチームメイト。野球部の寮でも同室で、お互いのことは何でも知っている仲だった。バッターボックスに入る石渡に一言つぶやいてみた。「いつやるんだ? スクイズしかないのぉ」。普段なら冗談交じりに返してくる石渡だが何もしゃべらない。絶対に何かある。スクイズがあることは確実だった」「江夏の右足が上がった瞬間、横目で三塁走者を確認した。その一瞬、目を疑った。三塁ベース付近にいるはずの藤瀬の姿がない。 次の瞬間、猛然と突進してくる姿が見えた。『やばい、来た!』。異常に早い藤瀬のスタート。私はとっさに立ち上がった。カーブを要求し、カーブの握りで、カーブの腕の振りで江夏が投じたスローカーブは、石渡のバットを外れ私のミットに収まった。江夏だからこそ成し得たカーブでのウエストボールだった」■江夏は意図的に外したのか、ただすっぽ抜けただけなのか。石渡はよほど気がかりだったらしく、評論家の豊田泰光さんにも確認したことがあったらしい。以前、豊田さんが日経新聞のコラムに書いていた。「豊田さん、私がスクイズが失敗したとき、江夏はわざと外したと言っていましたが、どう思います?」質問を受けた。『江夏のあの球は、ただのすっぽ抜けじゃないのか』と答えたところ、石渡の表情は一気に緩んだという。意図的であれ偶然であれ、結果は何も変わらないのだけど、石渡の表情に「人間の心理」を見た」■評論家の安藤統夫さんはまったく別の見方をしていた。、『プロ野球残侠伝』(澤宮優著、パロル舎刊)を引用した2月26日付のブログに詳しいので、こちらを参照してください。1日1クリックお願いします
2011.07.10
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前回に続き「江夏の21球」のこと。■NHK『江夏の21球』(1983年制作)から、無死満塁のチャンスの場面で三振を喫した佐々木恭介の声を拾った。■日本シリーズ「近鉄vs広島」第7戦(1979年11月4日)の9回裏、1点差を追う近鉄は無死満塁の願ってもないチャンス。打順は9番、投手の山口哲治だったが、代打に佐々木恭介が送られた。広島の投手は「優勝請負人」江夏豊。※( )内は、江夏が9回裏に投げた全球数のカウント。佐々木が打席に立った。<初球(12球目)>カーブ、ボール。<2球目(13球目)>速球、ストライク。<3球目(14球目)>三塁線にファール。<4球目(15球目)>カーブ、ファール。<5球目(16球目)>速球、ボール。<6球目(17球目)>カーブ、空振り三振。佐々木の打席では、ボクが書きたいことは2つある。ひとつは2球目のストライクを見送ったこと。2つ目は3球目のファール。■まず3球目のファールのことから。佐々木の打球は大きなバウンドで三塁線に飛んだ。フェアか、ファールか。微妙な当たりだったが、球は三村敏之三塁手のグラブの上を越え、ラインのわずか左に落ちてファールグラウンドを転がった。佐々木「抜けた! いやゲッツーや、2つの気持ちがわずかな時間の中で交錯しました」もしフェアなら二塁走者も生還し、逆転サヨナラ勝ちの場面だった。近鉄・西本幸雄監督はベンチを飛び出し、打球を見つめたが判定はファール。悲願の日本一が叶った瞬間に見えたのも束の間、夢は一瞬にして萎み、ボクの頭の中はすぐに現実に引き戻された。スタンドで近鉄の応援を続けていた人たちも同じだった。「やったぁ! ワーッと歓声を上げる応援団、そして観衆。次々と塁を回る走者。思わず万歳をする。しかしファールの判定。歓声が一転ため息に変わる大阪球場。そんなバカな!へなへなと気が抜けるのが分かった。(『もうひとつの江夏の21球』佐野正幸著、主婦の友社刊より引用)■そして2球目のストライクを簡単に見逃したこと。佐々木自身が言う。「あの場面、いかに江夏さんと言えども絶対にストライクが欲しいはず。なんで自分は待つ気になったんかな。自分に腹立たしさを感じる。もしあそこで打っていたら、あの2球目の悔いが野球生活のすべてではないですかね。もう1回何がしたいと言うたら、あの場面がしたいです」この場面を振り返って西本さんは言う。以下『パ・リーグを生きた男 悲運の闘将 西本幸雄』(ぴあ刊)より引用。「佐々木の打席で三塁線に切れるファールがあったんだけど、問題なのはその前の球よ。それを佐々木は振らなかった。ランナーが三塁にいる時や満塁の場面では、バッターには『引っ張らずにピッチャーに向かって打ち返せ』と、常々言うてた。実際にバットを振ってもヒットになったかどうかは知らんけど、そういう気持ちだったら、バットに当たって、強い打球が飛んだはずや。あの日の江夏の決め球は右バッターの膝元に落ちるカーブやった。追い込まれてその球が来る前に打てと言うたんやけどな」 結局、追い込まれて6球目、佐々木はその膝元に落ちるカーブを空振りして三振した。NHKの番組では、野村克也さんがこう解説した。「5球目の速球と同じ軌道で来る6球目のカーブはなかなか打てません。あの球を打てるのは長嶋と王ぐらいではないでしょうか」 1日1クリックお願いします
2011.07.09
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前回に続き、「江夏の21球」のこと。「著名人が選ぶNHKアーカイブス、第1回『江夏の21球』」(2011年5月22日放送)から、このドラマの主人公である江夏豊の声を拾った。今回のブログは、その江夏の声をメモした。日本シリーズ「近鉄vs広島」第7戦(1979年11月4日)の9回裏、1点差を追う近鉄の攻撃が始まった。投手は7回からマウンドに立つ江夏。■打者:羽田耕一<1球目> シュート、センター前にライナーのヒット。江夏「あいたー、と思った。この回を放ればもう休めると思っていたね、もう野球をしなくて もいいと思っていた」「簡単にシュートでストライクを取りに行った。1点リードされていて、9回、先頭打者はふつう初球から打ってこないはずなのに・・・」■代走:藤瀬史朗打者:アーノルド<2球目>シュート、ボール<3球目>速球、ボール<4球目>ストライク江夏「まず送りバントで同点を狙ってくるだろう。ただアーノルドはバントが得意か? もしくはヒットエンドランか? 閃きというか考えが一瞬のうちに頭の中をまわったよね」<5球目>速球、ボール。藤瀬が二盗を狙う、水沼四郎捕手が二塁へ悪送球し、藤瀬は一気に三塁へ(無死三塁)江夏「走られた、セーフになった。動いて来ることを自分がマウンドで見つけられなかったことに悔いが残るね。あっ、痛ぁー、やられたかと。キャッチャーの暴投は二の次。自分が走られた、自分の責任。あ~ぁ、と思った。こりゃ1点取られるなと思った、サードまで行ったからね」<6球目>変化球、ボール。四球。(無死一・三塁)■一塁代走:吹石徳一打者:平野光泰<7球目>速球、ボール。<8球目>カーブ、(中途半端なスイングの)空振り。江夏「この試合ではあまりカーブを放っていなかった。ポッーと放ってみたら、けっこうキレてるな、と思った。だから、その後、自分の投球パターンはカーブ主体にした。ただカープは、三塁にランナーがいる時は怖い。ワンバウンドになる可能性があるからね。その代わりバッターは一番、手を出しやすい」<9球目>速球、ボール。一塁走者の吹石が二盗を決める。(無死二・三塁)<10球目>ボール(一塁が空いたため敬遠策)<11球目>ボール。四球。(無死満塁)江夏「(ブルペンで投球練習を始めた池谷、北別府を見て)対バッターとか対近鉄でなく、(広島の)首脳陣に対して『何しとるんか?』と思った。ここ(日本シリーズ)までやって来てたとえ負けても満足だ。なのに何で気分を害するようなことをするんだ、と。自分でまいた種は自分で打ち取るからね、(首脳陣に)動いてもらいたくなかった。それまで監督(古葉竹識)からは信頼されていることを感じていた。それがどれほど嬉しかったか。それなのに最後の最後で・・・。自分自身、寂しかった」■代打:佐々木恭介<12球目>カーブ、ボール。<13球目>速球、ストライク。<14球目>三塁線にファール。江夏「衣笠(祥雄)がマウンドに来てくれた。ベンチが動いていることに自分が腹を立てていることに、コイツだけは気づいてくれていた。同じ気持ちの人間が一人でもいてくれたことが嬉しかった。この時、ムカムカしていたけど、衣笠の一言で気楽になった、開き直ったよね。そんなら気持ちよく負けようか、と。特攻隊じゃないけれど、ボテボテの当たりで1点取られるよりも、カーン!と真芯でライナーを打たれてきれいに負けたかったね」<15球目>カーブ、ファール。<16球目>速球、ボール。<17球目>カーブ、空振り三振。(一死満塁)■打者:石渡茂<18球目>カーブ、ストライク。江夏「この一球を見送ってくれたおかげでスクイズと思った。あまりに簡単に見送ってきた、ボールを見てるだけ。この時、(近鉄ベンチは)動いてくるな、と思った。つまりスクイズ」<19球目>カーブの握りのまま、外角高めにウエスト。石渡はスクイズを試みたが空振り。三塁走者の藤瀬が三本間に挟まれてアウト(二死二・三塁)江夏「腕がトップの時、来たぞ!と感じ、外そうと思った。常識では考えられないですよ、カーブでウエストなんて前代未聞ですよ。自分でこんなことができたのが不思議やと。いかに冷静だったか。もう1回同じことをやれと言われても自信がない。自分で言うのもなんだけど、神業に近かったね」<20球目>速球、ファール。<21球目>カーブ、空振り三振。石渡の空振りした体勢は大きく崩れた。1日1クリックお願いします
2011.07.09
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前回に続き、「江夏の21球」のこと。■1979年の日本シリーズ第7戦、9回裏一死満塁の場面でスクイズを失敗し、結局広島に敗れ日本一を逃した近鉄バファローズ。実は近鉄・西本幸雄監督には、 1960年(昭和35年)の日本シリーズ(対大洋戦)でもスクイズを失敗し、敗れ去った経験があることはすでに書いた。この時の日本シリーズは、西本さんにとって苦い思い出が他にも2つある。それは知将と讃えられた大洋・三原脩監督の心理戦にまんまとはめられたこと。ひとつは「球場外」、もうひとつは「球場内」、つまり試合においてである。まず今日のブログでは前者「球場外」についてメモしておきたい。このことは書籍『魔術師 三原脩と西鉄ライオンズ』(立石泰則著、小学館文庫)に詳しいので、以下に引用を。■西本監督率いる大毎と三原監督が率いる大洋が日本シリーズで激突する数日前、コミッショナー、両リーグ会長や監督が集まって会合の場がもたれた。しかし西本は、東京から会場の川崎に向かう途中で渋滞に巻き込まれ、小一時間ほど遅刻してしまう。当時は監督1年目の新人監督だった西本はすっかり恐縮し、西鉄ライオンズの黄金時代を築いた大先輩の三原に平身低頭、詫びた。だから許してもらえたと西本は思っていた。だが三原の反撃がさっそく始まった。翌日、ある雑誌社の企画で日本シリーズの対決を控えた西本・三原両監督の対談が組まれていた。西本は定刻までに会場に到着したが、今度は三原が現れない。しびれを切らした雑誌社の担当者が自宅に電話をすると、三原本人が電話口に出て、「そんなこと、あったかな」と惚けたという。三原が現れたのは、約束の時間から1時間半以上も経ってからのことだった。西本の述懐---。「まぁ、何ちゅうかね、厳しさちゅうか、もっと汚い言葉でいえば、えげつなさというか、そんなものを『ふ~ん』と思って感じました。三原さんにすれば、もう戦いは始まっているという感じだったんでしょうね。意地というか、『この若造が』というところがあると思いましたね。それで僕は『もうクソッ!』と思った。ま、そこらへんも三原さんの戦法だしね」三原は「野球は心理戦」と言ったが、これは簡単にいえば、(試合では)相手の嫌がる事をする、というものである。しかし心理戦は「球場外」でも、試合前にすでに始まっていた。それは三原の常套手段でもあった。どんな優れた人間でも、感情的になれば、判断ミスを犯しやすくなる。西本との対談を「忘れた」のも、新米監督に対する三原の先制パンチだったと思われる。西本の采配にどれだけ影響を与えたかは別にして、結果的に西本は不愉快な思いをしたし、感情的にもなった。 ■結局、 西本さん率いる大毎は、スクイズ失敗をきっかけに1勝もできず大洋に敗れた。敗戦直後、西本さんが大毎・永田雅一オーナーと「一戦交えた」のは既報のとおり。また前出の『魔術師---』には、この時のスクイズを仕掛ける西本さんの心情が詳細に描かれていて興味深かった。再び、以下に引用。( )は「あま野球日記」が加筆した。「谷本(大毎の打者)のバッティング1戦目で秋山(登、大洋のエース)にいかれ、それから僕も秋山のシンカ-の威力ももうよくわかっていましたから、それにオリオンズの打線が沈滞していたからね。だから、今回のシリーズの重苦しさも分かってましたから、試合をリードされるんじゃなしに、対等な対場に戻せば、これをきっかけに何か肩の荷が下りて本来の姿に戻ってくれるのではないかという意識があった。それにスクイズは、成功したって1点しか取れん。1点取れればいい、という感じで使う戦法ですよね。ところが、あのときは満塁でしょう。ヒット1本出れば、ひっくり返せるというケースです。だから、人は僕を消極的というわけですよ。けれども、このスクイズのサインと言うものは、胃が痛くなる思いで出すものなんだ。度胸のない監督には、スクイズはできない」■この日本シリーズ終了後、永田ラッパ、いや永田オーナーの「バカヤロウ」という声を聞いた途端、とうとう西本さんはキレた。大毎生え抜きのプライドをもつ西本さんは、たった監督を1年やっただけで、心血を注いで作り上げたチームを去ることになった。著者の立石泰則さんはこんなことを書いて、ボクは納得させられた。西本の退団は、当時のオーナーと球団の関係を象徴している。所詮、オーナーにとって、プロ野球チームを持つのも相撲のタニマチになるのも、その意識において殆ど変わらないのである。彼らは間違っても「チームはファンのもの」とは言わないし、球団を一つの事業体、ビジネスと考えようとしない。あるのは、宣伝・広告媒体としての球団の価値であり、自分の趣味としてのそれであった。だから金を出している以上は、自分の好きなようにしたい、とオーナーは思うのである。監督の仕事である采配や戦法にまで口出しするのも、そのためである。■プロ野球はオーナーの道楽であってもいいとボクは思う。ただ行きすぎた口出しは現代版の野球害毒である。先日の新聞には、不振が続く巨人に対して読売・渡辺恒雄社主が「チーム不振の責任の所在をはっきりさせる!」と息巻いたという記事が載っていた。どうしようもないオーナーは当時だけの遺物ではない、現存もするのだ。1日1クリックお願いします
2011.07.08
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また「江夏の21球」の続き。■『パ・リーグを生きた男 悲運の闘将 西本幸雄』(ぴあ刊)を読んだ。この書籍をあらためて読んだ理由は、先日NHKが放送した番組で『NHKアーカイブス 江夏の21球』で、近鉄・西本幸雄監督(当時)と打者・石渡茂が、9回裏一死満塁の場面を振り返って話したコメントに、微妙なズレがあったことが気になっていたから。番組で西本さんは「(打席に向かう石渡に対し)3球とも打て!と指示した」と話したのに対し、石渡は「3球とも打てと指示された」ことは認めたものの、「スクイズのサインを出すかもしれないから、サインをよく見ておけ」という指示もあったと付け加えていた。もし石渡の言うことが本当なら、石渡が「相手投手は格上の江夏。ヘタに内野ゴロを打ってゲッツーを喰らうより、スクイズのサインを待って確実に1点を取りに行こう」と考え、初球のカーブを見逃したとしても不思議はない。「初球見逃し」→「急きょスクイズに変更」→「スクイズ失敗」→「優勝逸」の原因は、実は伝達のズレではなかったかと、勝手な推論を立ててみた。ま、結局真相は分からなかったけど、9回裏、一打サヨナラの好機に、西本さんはどんな心理状態で、どんなことを考え、どんな指示を選手に与えたのか。せめてそのことが知りたくて、同書から西本さんが語る言葉をかき集めてみた。■1979年日本シリーズ、近鉄vs広島第7戦。スコア3-4で近鉄が1点を追う9回裏、ヒットと2つの四球、そして相手のエラーも加わり、近鉄は無死満塁の願ってもない一打サヨナラの好機を迎えた。以下、『パ・リーグを生きた男---』より引用。西本さん曰く、「9回裏、ノーアウト満塁の場面で、監督の俺がどうこうするケースやないと思った。後は打席に立つ選手が打つだけや。佐々木が打席に入る前に(広島が)タイムがかかっていたから、(次打者の)佐々木と(その次の)石渡の二人を呼んで、『全部振れ』と言った」結局佐々木は三振に倒れ、石渡が打席に入った。(一死満塁の場面)「バッターの石渡に対して、改めてモノは言っていない。その前にふたりを集めて『3球全部振れ』と言うた、あれだけや」しかし、石渡は初球のカーブを見逃して、ワンストライクになった。「外から入ってくるカーブを、しゃがんで見逃した。1球目から打ちに行く気持ちがあったら、たとえその球が少しくらい高くても打つ体勢になるはずやのに、ボールから目を離してしゃがんだ。俺の言ったことを聞いていない。追い込まれてから、江夏の膝元に落ちる球はなかなか打てんよ。しかも、ストライクからボールになる球は。だから、その瞬間に考えた。 石渡に打たせるよりも、当てる、バントだなと。振るよりも当てる方がよっぽど前に打球が飛ぶ確率が高いと思ったよ。だからとっさに『よし、スクイズだ』と思ったわけ」もちろん初めて采配を振るった1960年(昭和35年)の日本シリーズで、スクイズに失敗したことは頭にあった。それでも西本さんは決断した。「ワンストライクになった段階で、もうひとつストライクを取られて追い込まれたらどうしようもなくなってしまう。追い込まれたら膝元の球は打てん」江夏は背後の三塁ランナー(足のスペシャリスト・藤瀬史朗)の動きを気にしながら、右足を上げた。「キャッチャーの水沼にスクイズを感づかれたみたいやね。そのずっと後に水沼に訊いてみたことがあった。『スクイズを警戒しとったか』と。そうしたら、石渡が打ち気なく初球を見逃したから、何かあるとかもしれんという気持ちでおったらしい。だから、江夏がモーションを起こしてからも、三塁ランナーばっかり見とったと言うのや、キャッチャーの水沼が」「実はサインを出している何秒かの間に、『石渡はバントが下手なんやけどなぁ』と考えた。成功はおぼつかないかもという感じはしたけれど、それでも打ちにいくよりも当たりやすいと思った。前に転がりさえすれば、江夏の動作と三塁ランナーの藤瀬の足を考えたら、なんとかなる」しかし石渡はスクイズを空振りし、藤瀬は憤死した。二死満塁になった。石渡のカウントは2ストライク。「石渡の次のバッターは小川亨なんだよね。いいバッターなんだけど、左なんだな。江夏の球を当てることはできるだろうけど、ヒットを打つのは厳しいかなと思った。そのわずかな間にいろんなことをバーッと考えた。あとは、奇跡よ、起これ! と思った」だが石渡は三振に倒れ、ジ・エンド。「野球には、一つの場面で、3つか4つの選択肢があるわけよ。その中で何を選ぶか。まずは状況を考える。自分のところの選手を見る。相手を見る。意表を突くやり方をする人もおるけど、いろんなことを考えて、やっぱり確率の高いものを選ぶのが、本当の監督のあり方やと思う。もしV9時代の巨人のような戦力があれば、そういうふうになるやろうね。ただ俺みたいな、野球の世界の成りあがり者は、ありきたりの試合はやりたくないんだよな。だから、確率が大事だとは言いながら、スポーツなんだ、力なんだ、ここが見せ場なんだという考え方で試合をしていた。だから、俺の野球はがさつなんだよ(笑)」スクイズ失敗が西本の日本一の野望を打ち砕いた。「負けたら、すべて監督の責任。だから、石渡の下手さ加減を知っておりながら、スクイズのサインを出した自分が悪い。それまでに、ああいうケースでスクイズできる選手に仕上げておけばええんやから。すべて俺が、という感じや。何があっても俺が責任をとる」試合後の会見で西本さんは言った。「俺は7回負けたけど、選手は初めてや。あんまりいじめんといてな」 1日1クリックお願いします
2011.07.03
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2003年10月25日、リトルリーグ・ミズノ杯秋季関東選手権大会の準決勝が行われた。大宮レパーズ(埼玉)は、この2か月前に世界優勝を果たし、秋季大会でも下馬評の高かった武蔵府中(東京)と対戦した。(準決勝、神奈川県逗子市・米軍池子球場)府中 000 010 =1大宮 023 10X =6【大宮レパーズ】1(5)木下 (5)鈴木2(9)濱田3(1)近江4(2)京屋5(3)佐々木6(6)山野内7(8)小谷田8(7)東9(4)野津■試合結果は大方の予想を覆し、大宮レパーズ(以下、大宮)は武蔵府中に圧勝した。大宮が「流れ」を掴んだのは2回だった。この回先頭の5番・佐々木が、武蔵府中の先発・小野の速球をとらえ、高く舞い上がった打球はレフトフェンスを越える本塁打となり先制。続く6番・山野内も右中間にフェンス越えの本塁打を放ち、大宮は2者連続本塁打でいきなり2点をもぎ取った。なおも大宮の攻勢は続く。3回、一死後、2番・濱田が内野エラーで出塁すると、3番・近江が中前安打を放ち一・三塁に。そして初戦(対平塚)でも本塁打を放っている4番・京屋が低い弾道でライトへフェンスを越える3点本塁打を放ち、この一打で大宮は勝利を確実なものにした。守っては、エース・近江が堂々とした投球を披露。強打の武蔵府中打線から12三振を奪い(被安打2)、チームを勝利に導いた。■大宮、続く決勝では東京北砂と対戦し、京屋の2本の本塁打などで6点を奪い優勝した。1日1クリックお願いします
2011.07.02
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