先日発表になったセンバツの出場校に南陽工高(山口)の名前があった。
この校名を見つけて思い出したのは 「炎のストッパー」
と呼ばれた
故・ 津田恒実
投手のこと。
津田恒実
(南陽工高-協和発酵-広島カープ)。
1982年、広島に入団した年に先発として活躍。11勝6敗の成績を残し新人賞
を獲得。しかし直後に手の指の血行障害で登板数が激減。数年間を棒に振った
が、4年後の86年にストッパーとして復活し22Sを挙げて、今度は「カムバック
賞」に。88年に肩痛で不調にあえいだが、89年に再び蘇り12勝(5敗)28Sの
成績をあげて最優秀救援投手に輝いた。
何度でも甦る「不死鳥」のような、そして常に相手に向かっていく姿勢が持ち味の
投手だった。だが脳腫瘍を患い、再び蘇ることがないまま92年、32歳の若さで
この世を去った。
動画
は こちら
(1991年4月14日)
※体調がいっこうに回復せずこの試合では大乱調、たった9球で降板した。
この登板が文字通り「生涯最後の登板」となった。翌日病院で検診したところ、
悪性の脳腫瘍であると診断された。
南陽工高時代
。
78年のセンバツと夏、エースとして2大会連続して甲子園に出場した。
センバツは1回戦で刈谷高、2回戦で東海大四高を破ってベスト8入りしたが、
準々決勝で福井商高に1-2で惜敗した。
※この大会の優勝校は静岡・浜松商高。エースは後に法政大に進んだ
樽井徹
(現・浜松商高野球部コーチ)だった。
そして夏の甲子園。1回戦に宇治山田商高に勝利したが、2回戦で天理高に
1-2で敗退した。
※この大会の優勝校は大阪・PL学園高。エースは 西田真二
(現・四国IL香川
監督)、捕手は 木戸克彦
(現・阪神コーチ)、4番主砲は 小早川毅彦
(現・広島
コーチ)の、後に法政大でクリーンアップを組むトリオだった。
以下、津田さんにまつわるエピソードを3つ。
森脇浩司
、84年に近鉄から広島に移籍後、津田と
親友になった。津田が脳腫瘍で病いに倒れた後は、本人はもちろん津田の
奥さんの看護やサポートを、森脇は親身になって行なっていた。
津田が他界した後、94年に森脇は結婚式を挙げるが、テーブルに津田の席と
グラスをわざわざ用意した。そしてそのグラスにも森脇は夫婦でドリンクを注ぎ、
同席した清川や金石らは涙が止まらなかったという。
→ 「森脇監督代行、津田恒美との感動秘話」(2006.10.9)
(2)津田の長男・大毅さんは、現在東京新大学リーグに所属する東京国際大
の投手。東京国際大の監督は、広島カープの監督で津田(父)を間近に見てきた
古葉竹識
氏。
→ 「古葉竹識氏と江夏の21球」(2007.12.1)
(3)「炎のストッパー」とまで呼ばれた津田、だが弱点はメンタルだった。真っ向
勝負のスタイルは、それを隠すための手段だったといわれている。闘病中、ファン
から贈られた 相田みつを
の 「道」
という色紙を大事に持っていたという。
「道」
長い人生にはなあ
どんなに避けようとしても
どうしても通らなければ
ならぬ道-
てものがあるんだな
そんなときはその道を
黙って歩くことだな
愚痴や弱音を吐かないでな
黙って歩くんだよ
ただ黙って-
涙なんか見せちゃダメだぜ!!
そしてなあ その時なんだよ
人間としての いのちの根が
ふかくなるのは・・・・・
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