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今から考えると、当時はまだ、景気が良かったのかと思う。バブルがはじけて、暫らくは余韻と言う物があったように思う。1997年7月1日この日、香港は中国に返還された。9月に行ったということは、もう中国の香港だった。それにしても、初めての香港だから、どう違ったかは、報告できません。1997年9月8日空港からのタクシーが行列で、なかなか乗れないと聞いていた、裏技は到着ロビーの方へ廻ってひらうと好いと言うので、その通りにしたらすぐに乗れた。40ドル、660円通貨は香港ドル、3万円を両替すると、1815.63香港ドル「16.3円」だった。ホテル580ドルは9454円位。パールビューホテルでした。何も変った様子はないようで、高いビルを建てられないロンドンの反動のようにビル郡は林立している。港湾の方では、今からまだ建設するのか、クレーンの柱が並んでいた。一歩街中に入ると、ボロビルも洗濯物の竿を突き出して、積み木のように高く、崩れそうに並んでいる。これから、どう変っていくのだろう。と考えてしまう。九龍油麻地上海街268がホテルの住所まずは歩いてみないと判らない。フロントで地下鉄乗り場を聞いて、油麻地駅へ切符はテレビ画面に目的地を押すと価格が出る、上環駅まで11ドルだった。上環駅を降りて、キャツトストリートという骨董街へ腕時計など沢山あったが、状態が悪く、値も高いのでやめる。地下鉄はステンレスの椅子、つり革は、イギリス式の棒に玉、広い車両に連結部も開放的です。東洋人は、日本人と変らず、日本に居るみたいだった。9月9日朝8時半にホテルを出て、チムシャツオイのフェリー乗り場から、中環へ、ビクトリアピークからの眺めは最高。ホテルに戻り、12時半にチェックアウト、ロンドン行きの飛行機は、23時20分どうやって時間をつぶそうか。コーズウェイベイの松坂屋、そごう、などを廻るがあまり興味のあるものがない。タイムズスクエアは、香港らしいが、雑多なところだ。ショツピングビルの4階の伊勢という日本料理やで、車えびをさかなに、生ビールで一杯、〆にすき焼き丼を食べているが、まだ19時30分だった。これだったら、オプションツアーで、午後のクルージングデナー等が良かったようだ。空港で、又ビールを飲んでいる。9月10日ロンドン朝6時に到着、入国審査が、長い列で、荷物も待たされ、両替をして、地下鉄に乗るまで2時間もかかった。パデントンから3分ホテルへ
2012.03.29
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日本の昔の絵師が象を描いているが、あまり上手くないので、我々骨董屋は、象など見たことがないので、適当に描いていたのだよ。これをほんとの想像というのだよ。とか言って笑わせていたものです。しかし、ほんとうはいつ頃日本に象が着いたのか。福井の小浜の人は、良く知っているようだ。小浜市庁舍に1枚の絵が飾られている。「初めて象が着いた港の図」と題され、室町時代1408年(応永15年)6月に中国、明王朝の使者として亜烈進卿(あれつしんきょう)が、 時の“日本国王”足利義満への献上品として送ってきた象が、スマトラから小浜に到来した様子を描いているものだ。これは「若狭国税所今富名領主代々次第」という文献に詳しく記録されている。そこには、黒象一疋、孔雀二対、オウム二対など、当時の日本人がその珍しさに驚愕したであろう、海の向こうの南蛮の動物や人々が小浜で数日歓待されたことがわかる。その後も黒鳥(ダチョウとの説が有力)や黒象などが唐から何度か将軍へ進物されるために小浜へ到着しており、小浜は南蛮にも知られる有名な港、つまりはシルクロードを通って中国へ伝来した文化が海を渡って京都へ運ばれる玄関口の役目を果たしていた。ちなみに南蛮人というのはスペイン、ポルトガル人のことで、紅毛人というのは、オランダ人のことだ。伊万里焼の絵柄でよく言っていたものだが、違いの知らない人もいると思う。2頭めは、1574年天正2年、正親町天皇「おおぎまち」時代、明船が「象と虎」をもたらしたものである。翌年には、天正3年、明船が豊後国臼杵の浦にきて、大友義鎮に贈った動物の中に含まれた象があった。まもなく死んだという。
2012.03.27
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特別室に招待されました。。流石に広く、170平米と言うから、広いです。コーヒーカウンターがあり、リビング、ベットルームは、洋室、もう一間は和室室内風呂は、露天ではなかったのですが、ヒノキ風呂と大きな陶器の壷風呂でした。ここも無駄にひろかったです。料理はメニュウから選ぶという事で、のどぐろ等をリクエストしました。src="http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/ab6ce509a8fb8ad34b49eca4c2d7ea159c3979d6.22.2.9.2.jpeg" alt="P1000191.JPG" border="0">
2012.03.19
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何度かシンガポールには、途中下車はしている。少し涼しくなった日本だが、この時期は、まだ高いはずだ。シンガポール航空は、飛行機も新しく、スチュワーデスもスリムな服を着れる美しい女性を採用していた。アメリカの航空会社は、採用に容姿で差別する事を禁止していたのか、太目の人が多かったように思う。だからシンガポール周りは苦痛ではなかった。日記を見ていると、今回は、ストップオーバーしてはいない。6時間待ちのトランジット。チャンギ空港で、トランジットホテルを捜している。見つかったのか覚えはない。ナンバー1ウイングとナンバー2ウイングと電車で?がっていて、とにかく広い空港だ。かなりうろうろしていたと思う。10月9日関空からシンガポール12時発17時着 6時間待ちという強行軍それも、今回10日ぐらいしか日にちが取れず、仕入れの日数の関係で、のんびり出来ないシンガポールでのんびりしていられなかったのだ。そんなこともある。この時期、日航 148000円 マレーシア 88000円 シンガポール 128000円 英国 120000円安くても取れないことも、多々あった。時間もあまり良くない。いろいろ考えて、シンガポール航空にしたようだ。ちなみに 95年6月、ルフトハンザ 201000円マップ 英国航空 188000円 大韓航空 139000円 キャセイ 127000円 マレーシア 115000円 シンガポール 138000円関空発 シンガポール 109000円ノートの端切れに何度も旅行社へ電話した記録が有る。兎に角どうしたら安く行けるのか時間はあまり構わなかったようだ。関空、成田、名古屋は小牧の方だった。国内運賃も気になった。10月10日 ロンドンの街をほっつき歩いている。グレイズ、チェルシーなどの店を廻っている10月11日水 カムデン辺りをうろついている。10月12日 ベルギー ブルッセルへユーロースターで行っている。ファーストクラス110ポンド スタンダード77.5ポンドスタンダードで行っている。3時間40分、日帰りか。10月13日 バーモンジー10月14日 ポートベロー10月15日 ビックベンよりタワーブリッジ、船で観光、タワーヒルよりモニメントバンク、セントポール寺院を歩くチャリングクロスまで、くたびれた。10月16日 本命ニューアークへ8時20分発キングスクロス駅インターシティ、1ディリターン60ポンド高い。安いときは27ポンドだった。10月17日 白紙 多分帰国準備1018日シンガポール、ホリデーインパークビューTAX込み200ドル帰りに泊まっているみたい。タクシー15ドルと空港税15ドルも払っている。ポーターにチップ2ドル+2ドル、金の使い方が、無茶苦茶、まあ重いバックがあったのだろう。10月20日は、台北で途中寄航している。1時間待ちー関空へ
2012.03.17
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この頃は勢いがあったなあ。自分自身の行動力に今に思えば感心する。3月に行って、6月に来て、7月にはもうアメリカにも行っているのだから。寒い時はロンドンへは北周り、暑い時には南回り、これが安く旅行する常識となりつつある6月、私の頭は、即、クアラルンプール経由を選んだ。マレーシア航空76000円この時期は、スカンジナビアは、17万円を越えている。英国、KLM、は14万円台7万6千円は、アエロフロート6万9千円につぐ安さだ。ロンドンに仕入れに行っている仲間は、クアラルンプールまでの7時間、乗り継ぎの待ち時間6時間以上というのは、信じられないらしい。でも、旅好きなら、なんでもない。クアラルンプールに2泊ぐらいしてゆっくり行けばよいではないか。ストップオーバーしても同じ料金なら、寄っていかぬ手はない。しかし日記には泊まったとは書いていない。クアラルンプールには、午前5時25分に着いている。ロンドン発は23時55分まで時間がある。なんという待ち時間、ということで、思い切って外に出ようと出国手続きをする。外は蒸し暑い。1万円だけ両替する。223マレーシアドル帰ってきた。タクシーは、行き先をを言ってチケットを買うシステムになっていた。タクシーで29.5ドル有料ハイウェイ0.7ドル、1350円くらいか。中心部のヤオハンショツピングセンターまで行った。途中から雨が降り始め段々大降りになる。外は暗くて何も見えなくなってきた。雨が降るとタクシーが捕まらないと言う帰りが心配だった。ヤオハンの地下へ降りて、日本食を食べようと捜すが、うどん、ラーメン、鍋焼きうどんいろいろあるが、まずそうだ。結局すし金SUSIKINGという、廻る寿司に入った。前にニューヨークでまずかった記憶がもどる。まぐろ3ドル、ヒラメ2ドル、エビ3ドル 5皿で700円くらいか。ニューヨークの元禄寿司よりましだった。建設中のツインタワーもテレコムタワーも雨で煙っている。晴れ間に行こうかと思ったが道が悪そうなので、やめた。もう帰らなくては、と思っていたら、また、雨が強くなってきた。タクシーが心配なので、早めに帰ろうと思ったが、タクシー乗り場は長蛇の列であった。20時45分まだ余裕がある。30分待ったが1‐2台来たか、全然進まない。段々心配になる。このままでは、空港までの時間に間に合わない。何とかしなくては。そこで思いついたのは、大きなホテル。タクシー係のボーイに事情を話し、チップを先に渡した。2‐3台行かせて、呼んでくれた。作戦成功だった。時間はかろうじて間に合ったが、飛行機は雷雨の為、1時間半遅れてクアラルンプールを飛び立った。つづく
2012.03.15
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1996年3月7日木曜 午前9時50分コペンハーゲン経由でロンドンに、朝着く、日本からの直行便では少ないと思う。ホテルはラジソングラフトンホテルを予約1泊60ポンド、デポジット30ポンドの内5ポンドが手数料と書いてあるので空港で予約したのかもしれない。旅慣れてくると、空港やビクトリア駅近くで安い宿泊施設の案内所がある事に気ずいた。この頃は今みたいにネットでの予約は少ないようだった。B&Bを主に紹介してくれたようだった。空港からも高いタクシーはもう使わない。地下鉄で結構だ。1Dayカードを3.75ポンドで買う。これで1日地下鉄バス乗り放題だからね。早速市内のボンドストリートのアンティークショツプに向かう。グレイズという店が有名ですが、この裏にもグレイズミューというのもあるし、ボンドストリートアンティークという店もある。中に沢山の店が入っているモールだが、この辺には単独店舗も何店かある。ササビーズのロンドン本店もここにある。グレイズのキクチさんはまだ居るかな。不動産屋も始めていたからね。ボンドストリートアンティークスの地下には、山本さん、商売上手のひとが居たな。3月8日 バーモンジーの朝は早い。ロンドンに19年アンティーク屋を営んでいる有竹氏は、ここの市場に朝4時、毎回来ているという。腕時計のプロだ。負けずに、本日チュードルを3本ゲットする。チュードルというのは、ロレックスの倹価版で弟分に当たるがイギリスでしか発売されていなかった。王冠のマークの変わりにチュードル家の薔薇のマークが入っていた。この薔薇の大きいのが、デカバラと言って人気があった。ロレックスより少し安いのも人気だった。ヨーロッパには日本のものが随分渡っている。明治の初め頃は万国博覧会が盛んで、日本も競って出品したものだ。私の地元の九谷焼も沢山輸出されている。金沢の加賀象嵌という銅器に金や銀を埋め込んで模様を書いた花瓶なども、優品がロンドンでも見つけられる。七宝も人気で、細かい絵のものは、高かった。作家名のある品が特に人気でフリーマーケットでは見つからない。根付とか印籠なども外人はどれだけ日本から持ち出したのだろう。沢山あった。今は少なくなったろう。考えてみれば、日本製のブリキのオモチャや浮世絵版画、ロンドンは日本の骨董の宝庫だった。でも機械物が好きだったので、蓄音機やら、掛時計、腕時計、置時計が私のターゲットだった。顕微鏡、双眼鏡、カメラ、本当に面白いものが沢山あった。面白いものでは、ワインのコルク抜き、くるみ割り、七宝スプーンは集めていた。3月9日 ワタローより、ハンプトンコートに行く、素晴らしいお城がある。駅前にはアンティーク屋が沢山あり、私の良く行く蓄音機の店もあった。今はない。3月10日 ホテルの隣りのマクドナルドで朝食をとり、キングスクロスよりハートホードへ行く。何軒かアンティークの店があるという広告を見たからだ。列車は順調に走っていたが、途中、カーフというところでみんな降りるではないか。後、2駅でハートホードなのに。おかしいと思いつつそのまま乗って行ったら、車掌が来て、何か言っている。着いて来いという。後方まで行くと、電車はまた、駅に戻っていく。そこで降ろされ、バスがあるから、それで行けという。それでようやく飲み込めた。どうもこの先4駅ほどの線路を補修しているみたいで代替のバスが出ているのだった。イギリスでは良くあることだ。バスは出てしまった。タクシーもない。うろうろしていると、1時間後にはバスが来るからという、次の電車に合わせて出るのだろう。何もない駅前でうろうろしていた。1時間後、バスに乗って田舎の道を揺られながらハートホードに着いた。たまに、イギリスの田舎をバスで走るのも好いものだ。また、自分のいい加減な英会話で良く、平気で旅行していると思う。ハートホードは、観光地らしいが、日曜日に誰も歩いていないなんておかしい。アンティーク屋は数件開いていたので、20点ほど仕入れられた。なぜか福助もあった。3月11日 パデントンよりバースに行こうと思ったが、ベーカーストリートで迷うこの駅は地下鉄5路線が入り組んでいるのでややこしい。11時15分発インターシティには、少し時間があったので、駅のレストランにブレックファースト3.7ポンドと立て看板に書いてあったので、注文するが、発音が悪いのか、通じない。ランチといったら通じた。おかげで7.7ポンドもとられた。ブレックファーストは終わっていたのかもしれない。そこんとこが通じない悲しさか。2度目のバース、駅前のバースは気になっていたがまだ入っていない。相変わらず賑やかな街である。当店と同じ、DUOという店があるので、気になっていたが、何とか営業しているようだ。バートレットストリーアンティークセンターというのが、沢山、店が入っているので面白い。ショーケースが沢山並んでいて、みんな商品が輝いて見える。買い物リストを見るとポケットウオッチ、トラベルクロック、トラベルウオッチ、腕時計と時計ばかり買っている。3月12日 ロバート・ボーイズの店に、タクシーで行く。バーモンジーは地下鉄で行くには不便なところだった。20フィートのコンテナで、1台分買った。この頃は景気がよかったんだなあ。ブックケース、ゲートレックテーブル、ミラーバックコーナーキャビネット、ほとんどが1920年代のものだった。椅子は良く売れた。運賃は船便で安かったが、2ヶ月も待たされたものだ。3月14日 スローンスクェア駅からアンティークエリウスだったか。歩いて1キロ位だが、まっすぐの道に、バスが何本も走る。飛び乗って、店の前で飛び降りる。こんな2階建てのバスはもうなくなったようだ。英国の骨董屋は敷居の高い店も有る。この店の斜め向かいにも、オールドタウンホールという店がある。古いスプーンを買った。イギリスの銀の製品には、年代のわかるホールマークが押されている。産地、製造所、製造年のアルファベット、銀のマークの横向きのライオンなどが押されている。店の主人は1894年だという。このホールマークの本を探しに、ボンドストリートのセルフリッジのデパートに行く。本屋は地下にある。ロンドンには大きな本屋が幾つもある。その内、だんだんわかってくる。ホールマークの本は、フリーマーケットの本屋が安いことも後でわかった。安いので沢山買って、銀のスプーンを買ってくれた人にあげたりもした。3月15日 バーモンジーの市に滞在中2度来れるということは、仕入れには長すぎるという事だ。すでに買いたくても金がない。日本の業者は、大きな市、年に6回隔月にあるニューアークなどに標準を合わせて、中5日くらいで、さっさと仕入れて、帰っていくパターンだ。ビザカードで喪好いというので、クロノグラフの時計を300ポンドで買ってしまった。3月16日 いい加減仕入れの金がないのに、うろうろするのも飽きてしまう。やつと帰りだ、この頃は日本に電話するにも不便で高かった。荷物が多いので、変なミニバスをホテルで予約したら、空港まで35ポンドも取られている。航空運賃は確かに安かったが、いろいろな物が、高かったように思える。安いところが判らなかったのかもしれない。最初に書いたことと矛盾するが、旅はまだまだ初心者だった。コペンハーゲンで乗り換え、関空に帰る。この飛行機会社はどうも時間ドウリに飛ばないと言う事が、後に判明する。
2012.03.12
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1996年3月5日午前6時加賀笠間駅出発ー松任駅より特急雷鳥で新大阪まで新大阪ー関空はるか10:05着 飛行機はスカンジナビア航空 99000円関空12:30-コペンハーゲン16:30 時間的には丁度好い飛行機だった。デンマーク、クローネを東京銀行で3万円を両替すると、1500クローネになった。飛行機は767 ちょつと小さめだったが、オーバーブッキングの為か、すこし広めのビジネスタイプであった。コペンハーゲン カストロップ空港から タクシーでアストリアホテルへ135クローネ2700円は高いな。ホテルは日本で予約してあったが、まずボロ、いくらだったのか、エレベーターはドア式の古い奴、部屋は鍵もよくかからない。おまけに階段の傾斜が部屋の中にある。暖房もあまり効いてないような。寒々しい部屋だ。窓からはコペンハーゲン中央駅の赤い電光時計の数字が偉く目立つ。時々地響きも。疲れていたので、気にもならずに寝てしまった。3月6日 いつもの事ながら時差ぼけで朝早く目が覚める。駅の時計は、4:00と大きく見える。外は霜が降りたみたいで寒そう。また、布団にもぐりこむ。目が覚めたら、まだ6時だった。朝飯は7時からということで駅前でも散歩しようと、外に出た。駅は両脇に小さな塔を従えて、中央の塔には、丸い時計が付いている.小さくてそばに居ても良く数字が見えない。だから不細工な大きな電光時計をつけたのか。これだったら、1キロ先でも良く見える。駅前は線路が深く掘ってあり、駅舎の下に飲み込まれている。天井の高い駅で、天井はガラス張りらしく、少し明るくなった空が見える。駅の中は、小奇麗な花屋やカメラ屋、土産物、空港みたいな高級ブテックもみえる。カフェに焼きたてのパンがガラス越しに見えるが、ホテルの朝食が付いているからやめる。ホテルの向かい側の道を右に折れると、かの有名な、実は知らなかったが、チボリ公園があった。冬季は休みらしい。真直ぐ進むと、市庁舎前の広場に出た。NISSANの大きなネオンが見える。腹が減ったので、ホテルに戻ったが、まだ食堂は開いていない。フロントに市内の地図を貰いに行ったら、日本語の地図をくれた。良く日本人が泊まるのか。ありがたい。早速本日のコースを健闘していたら、日本人らしき4人組が前を通って食堂へ我輩も腹が減ったので、ついていく。そういえば、昨晩飯を食わずに寝てしまったようだ。生ハムやペッパーの入ったハム、など4種ほどのハムがある。チーズにピーマンの輪切りパンの種類も多い。酢ずけの鰯もあったが、食べなかった。さあ街を歩くぞ、ホテルを出て市庁舎前から、ストロイエ通りを歩くが、店はまだ閉まっている。観光の街らしく、店のデスプレーは華やかだ。骨董屋もまだ閉まっているだろう。人魚姫に逢いに行かねば、ストロイエ通りを抜けると、コルゲンスニュートーゥ広場に出た。突き抜けると船の見える運河のようだ。カラフルな建物が並ぶ、ニューハウンという所らしい。道路工事の為石が積まれ、作業員が忙しく働いている。観光シーズンには、きれいな石畳になっているのだろう。運河沿いに歩くとずっと半地下式になったレストランが並ぶ500メートルほど歩くと海に出た。大きなフェリーが止まっている。スエーデンのマルメに行くらしい。45分で隣りの国に行ける、ここはヨーロッパと言うと場所だとつくづく思う。海岸沿いのコンクリートの防岸をかなり歩くと、ゲフオンの泉の公園があり、その先は石ころだらけの海岸だ。暫らくすると、あれが人魚姫かと思われる石の上に小さな像が見えた。コペンハーゲンに来たら人魚姫を見なくてはね。写真で見るより顔は美形ではないが、物思いに姿名をつくる像は魅力的である。アンデルセンの国でだなあ。海は凍っている。石ころだらけの海水は、板マメのお菓子のようだ。人魚の像までいけそうだ。革靴でそろそろと渡ってみる。何とか近くまでいけそうたと思った瞬間つるっとすべって、片足が海水にズボリと嵌まる。めげずに、そばまで行って、なんとか触ってきたが、なに何処を触ったって、わかるだろう男なら、そこへ、40人ほどのバスの団体が、それも日本人観光客。慌てて戻り、ベンチで靴を脱いで、靴下を絞っていたら、あんた、こんなところで、何してるの。と言われた。帰りには丁度アメリエンボ宮殿の衛兵交替が、見られた。ストロイエ通りに戻り、ロイヤルコペンハーゲンの店に入った。ふと、テーブルの方を見ると、日本語の新聞を読む変な外人が、座っていた。目が合った途端、お互いに、ヤアーと言っていた。それもそのはず、私がいつも商売していた、京都の弘法市で、良く逢っていたからである。名前も知らなかったし、後で知ったがデンマーク人だとは、つゆ知らずでした。はじめてきたコペンハーゲンの街角で、なんと知り合いの外人がいるなんて、びっくりでした。奇遇、ハプニングに2人は、その後、一緒にランチをして、ビールで乾杯した、その後彼が経営している店に行き、又びっくりした。彼の店には、何と仏壇やら、お寺の宝珠、お雛様、近江箪笥、こんなものここで売れるのか。と言っていたもんだ。彼との遭遇は、コノ地球上で、何十億もの人間がいる中で、知らないデンマークのコノ街で偶然出会うなんて、奇蹟のようなものだと思ったものだ。それから骨董屋を紹介してもらったのは、言うまでもない。彼に紹介してもらった店で、腕時計のパテックを見せられたが、旅の最初に大金を使うのが心配だったのでやめたが、この時期、腕時計はよく売れた。中でもパテックは別格で数百万円と言うのはざらであった。これを買って後は何も仕入れしないという選択もあったが貧乏コレクター上がりの小生は、それを許さなかったようだ。明日からロンドンへ行かねばならない。旅も慣れてくると、ロンドンに行くにしても、どこかを経由していく便が安くなる。この後、ロンドンに数十回行く事になるが、オーストリア、オランダ、シンガポール、タイ、マレーシア、カタールなど、直行でロンドンに入ることはなかった。
2012.03.11
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彼とは、1ヶ月ずれていれば、どこかで会っていたかもしれない。海外では、思いもかけない人と逢う事が多いと思うが、また、声をかけて良いものやら考えてしまう。ロンドンの骨董屋でサッカーの中田英喜にあった。誰かに送る宝飾品を選んでいたみたいだ。骨董屋としてアドバイスをしてやろうかと思ったが、おおきなお世話だろうと思ってやめた。10月22日ブライトンの続を書いておこう。書いたノートがなくなるかもしれないから。しかし、こうゆう記録は、パソコンを持って歩ける時代になったので、今はいいね。交通費はブライトンまで二人で往復26.8ポンド ロンドンの出発駅はウォータールーワタローと言ったほうが通じる。ひとり13ポンドで往復できる。タクシーで市内をちょっと走ると、すぐ13ポンドくらいにはなるからね。ブライトンの骨董街は、駅を降りて真直ぐ海に出るが、この道路の左側に中ほどにある。通りを少し入らねば成らないよ。10月23日 カムデンパッセージから ロバートの所による。昼はボンドストリートの嵯峨、夜はクインズウェイの中華屋とかいてある。クインズウェイの通りには、中華屋が何軒か有るが、何処もうまい。一番手前の高そうな店が、お奨めだ。そんなに高くない。パイナップル入りのチャーハンは1つだけ取って、分けると好い。10月24日 ロンドン市内をぶらぶら歩いていると、骨董屋さんの店先に、ピューターのニッパーの灰皿があった。高かったが珍しいので思い切って買ったが、日本ではすぐ売れてしまった。ピューターというのは錫と鉛の合金、ニッパーというのは、ビクターの犬の愛称なので、ちょつと解説です。10月25日 コロンビアホテルを午前11時チェックアウト 空港までタクシーを予約30ポンド、空港行きはなぜか安い、帰りの客が捕まるのかもしれない。白タクは15ポンド位で行くのもある。同日午後7時にロサンゼルスに着いた。骨董屋の仲間のお嬢さんが、ロサンゼルス郊外のラグナビーチのブテックで働いていたので迎えに来てくれたのだった。ラグナビーチは、全米の保養地ナンバーワンになったことのある人気の海岸リゾート地だった。名前の由来の付いた、ホテルラグナに泊まった。10月26日 翌朝、2人で海岸を歩いた。崖のようなところもあるし、砂浜もある起伏の富んだ花も咲いている、きれいな遊歩道だ。春にはもっと花が咲き乱れているのだろう。ジョギングする人とすれ違う度に、グットモーニングと声をかけられる。高台にあるホテルのレストランからは、青い海が、真下から続いている。朝食はチップ込みで17ドル、果物がふんだんのバイキングだった。ここにもオリエンタルな物を扱う骨董屋さんが多い。九谷焼の皿や日本の七宝など好いものがあった。根付などもあった。ヨーロッパでは根付は人気だ。業者だと言ったら、2割負けてくれた。10月27日 ビバリーヒルズを案内してもらった。豪邸も木が沢山あり、門から中は見えない。高級ブランドの店もこの辺は流石に多い。アンティークの店もあるが、高そう。ここからサンタモニカへ向かう。サンタモニカの桟橋を歩き、ヨーロッパから有名なサーカスがきているテントをながめながら、海の先まで高い桟橋を歩く。ここは古いらしく、片側は遊園地やレストランが並んでいる。帰り、ヤオハンでうどんと玉子丼セットを食べる。5.25ドルだった。10月28日 いよいよ帰国、空港近くのホテルを予約する。ベストウェステンホテルは、安くて広かった。クィーズサイズのベットが2つ有った。ロサンゼルスに来て、日本食が恋しくなったのか、天丼定食や讃岐うどんなども食べた。野茂選手も来ているという店は、順番待ちだった。ロサンゼルスの空港から関空へ、約1ヶ月の旅だった。
2012.03.09
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私もそうだったが、初めて海外へ、一人旅と言うのは、今思えば、はらはら、どきどきの連続であったように思う。海外に出るとなるべく日本人と接触したくない。そんな気持ちがあったのであろう。割と海外では、日本人を見ても皆、無視しているように見えたが、一人旅を楽しむ彼の心情がわかったような気がした。何度も海外に行ったので、最初の頃の感激が薄れてくる。ときどき、初心に帰ってこんな本を読むのも新鮮な気持ちに帰るものだ。1996年11月1日に彼は出発しているので、その頃ダブっていないか、調べてみたら、その年の10月3日から10月30日まて関空ーアメリカのボストンーイギリス ロンドンーロサンゼルスー関空と往復していた。家内と一緒だった。この年は4回目の海外であった。仕入れの仕事と言いつつ、結構、観光しながら気楽な家業をしていたようだ。ボストンにアパートを借りていたのだ。それというのも、息子が留学していたとき、アメリカ人と部屋をシェアしていたのが、この部屋だった。それから又連れがすぐに見つかったと言っていたが、この年出て行って、空いた部屋の借り手がないというので、仕方なく、1年だけ付き合ったのだ。ラグナビーチ、サンタモニカ、ロサンゼルスと帰る頃には、仕入れの金もなく、ぶらぶらしていた。 ドル115円 ポンド184円となっている。その頃のノートを見ると10月3日 関空では、ユナイテッドの搭乗手続きで随分並んでいたが、プレミアム会員になっていたので、コンシュマークラスですぐに手続きできた。この頃のユナイテッドのマイレージは凄く加算され、アメリカーロンドンを廻ってくると、アジアは1回只で行けた。待合室は、JCBゴールド会員用の部屋でゆっくりビールなど飲んでくつろいだ。この辺は、少しベテランになったような気がしたものだ。レッドカーペットの会員にもなったが、あまり使い手がなかった。私は大抵買ったものをつけるために、ノートにその日の行った場所と買った物の値段を書いていた。10月4日、ボストンに着いたら、早速ニューハンプシャー州のノースアークアンティークへ14金のエルジン懐中時計が76ドル、8700円で買えたとある。安かったものだ。後でよく見たら、ゴールドフイルド、金張りであった。それから、エルムアンティークスへこの頃ブリキのオモチャのブームだったので、良く買ったものだ。状態の良い物が、沢山あった。この日は、メーフィヤーまで行っている。10月5日 メーン州まで出かけている。アンティークUSA、ステレオカメラの好いものが買えた。カメラブームの魁にステレオカメラばかり目をつけたのも良かったようだ。10月6日、この日は日曜日で、ボストンの郊外でフリーマーケットがあった。小型のミシン、なんが買えたようだ。ボストンの郊外には、いくつかのアンティークモールがある。ジョージタウン、には、3店舗あったし、高速の降り口には、エクスポセンターという、モールがあった。10月7日 この日はボストンのケンブリッジアンティークへ行った。5階建ての古びたビルで五階まで、びっしり品物が埋まっている。ここではカードが使える市内には、ニューベリーストリートに骨董屋が沢山有る。この日は車で初めてアメリカの右側道路を走ったとある。多分、ウインカーとワイパーを間違えながら、マニアルの車だったから、悪戦苦闘していたように思う。それでもジョンハンコックビル六十階に登ってきたと書いてある。10月8日 ケンブリッジ10月9日 チャールズストリート、アンティーク通り 車の修理に行っている。10月10日コンコードよりゴールドウエスタンセント、ハーバードブリッジアンティークスなど廻っている。10月11日 ポストオフィースから荷物を送る。2個で270ドル、31000円とは高かったな。10月12日 タウントンアンティークスへ、ここはタックスフリーだった。ニューベッドホードまで足を伸ばす。10月13日 日曜なのでまた、フリーマーケットへ、エクスポセンターにも行っている。ポラロイドのsx-70というのが良く売れたので、ここでいくつか仕入れている。今は売れなくなった。デジタルですぐに見れるからね。10月14日 ボストンラガーデア国際空港よりロンドンに午前中はコインランドリーで洗濯1.5ドルで乾燥は1ドル 今でこそ日本にもあちこちコインランドリーは出来たがこの頃は珍しかった。洗濯なんかしていると、アメリカで生活しているみたいな気になったものだ。アパートではキッチンがあったので、毎日、スーパーにいって、食料をを買って自炊していたから、普通の旅行者には味わえない生活もあった。10月15日 ボストンからワシントンDCに経由翌朝朝に、ロンドンヒースロ空港に着いた。時差があるので、約8時間のフライトだった。空港で安いホテルが取れない、混んでいるという事で、75ポンドで市内のホテルに行って見たが、工事中のホテルで、物置みたいなところだった。家具屋のロバートに好いホテルがないかと、紹介を頼んだら、コロンビアホテルのキャンセルがあり、65ポンドで取ってくれた。ロンドンは一人でも二人でも、一部屋いくらだから、二人で泊まると、12000円と言うのは、本当に安い。このホテルは、ハイドパークの前ランカスターゲートにある白亜の好いホテルなのだ。ちゃんとバスルームもある。骨董仲間も良く利用しているようだった。義理をつくってしまったので、一応ロバートの店に寄る。コの字型の立派なバーカウンターが3500ポンド、日本の何処かの店で600万円という値が付いていたが、我が家には入る場所もない。飾り棚や両袖の机とダイニング用のテーブルセットをいくつか買った。コンテナで送るので運賃も馬鹿にならない。しかし、業者用の混載便で、一般の人から比べれば、うんと安いのだ。日本の運送屋も有るが。物凄く高い。10月16日 水曜日はカムデンのマーケットだ。地下鉄でエンゼルと言う駅のそばだ。ここには、好い店が沢山あった。有ったというのは、最近少し縮小して、店舗が少なくなったようだ。10月17日、ロンドンからバースに行く。パデントン駅から9時47分発2人で52ポンド9620円、一人4600円、チープデーリタンと言って、9時半から安くなる。バースまでは、1時間半から2時間ぐらいである。イギリスの運賃体制はややこしく、はっきり判る人はいないのではないかと思う。2‐3日前に予約すると、もっと安かった。片道と往復では、ほとんど変らないというのもおかしい。座席指定と言うのも有る。これを何日前に何時の列車を予約すると一番安いのか聞いてみたい物だ。季節に寄っても違うはずだ。また、パデントンからではなく、他のルートで行ったことがあった、安かったが、3時間もかかった。キングスクロスのバスセンターからもでているが、やはり3時間はかかる。10月18日 金曜日はヴァーモンジーのフリーマーケットが面白い。朝暗いうちから人がいっぱい。5時には行かねばならない。遅くなった。タクシーを飛ばす。しかし、ここも今では縮小されて何もない。昔の情報で、行かない方が好いと思う。10月19日 土曜日はポートベローに行かなくてはならない。ホテルからは近い。買い物リストを見ていると、ライカFシリーズが、今ではこのカメラも売れなくなったが、当時は売れ筋だったなあ。ポートベローは、いまでも賑やかなはずだ、ロンドンでは、ここが一番だろう。10月20日 雨のロンドン、本日休養日にした。連日の骨董屋めぐりに家内は、少々うんざりのようだ。午前中ハイドパークを散策、途中の軽食喫茶みたいなところでブレックファーストをとる。池には鴨やオシドリ、アヒル、などが所狭しと泳いでいる。通路は糞だらけ、掃除も大変だろう。ハイドパークコーナーまで歩くが、雲行きがあやしくなってきたので、ロンドン1番地という住所だった。邸宅に入る。一人3ポンド、その他のギャラリーは全部只なのに、ここは個人経営だからね。午後には、ナショナルギャラリーに、ここは無料だからね。10月21日 日本の業者が大挙して押し寄せるという、ニューアークのフリーマーケット行く、期間は3日だが、初日は高い、20ポンドの入場料を取る所だ。業者5000軒ヨーロッパでも一番大きいのではと思う。朝、4時半に起きて、タクシーでキングスクロスへ、6時10分発2人で64ポンド7時半にニューアーク着、無料バスが来る。コノ情報も古くなった。ロンドン市内から個人で運営しているバスが、30ポンド入場料込みというのもあった。今はわからない。帰りの列車の中で業者仲間の一人にあった。ニューアークには行かなかったらしい。夜、一緒に日本人経営の飲み屋に行った。10月22日 イギリスの海の保養地ブライトンに行く、ここにも沢山の骨董屋さんがある。続く
2012.03.08
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ブラジル生まれの小野リサさんは、10歳の時に両親の仕事の関係で、日本に来た。両親は日本人だが、ブラジルの郷愁が、ボサノバの音楽に引き込まれたようだ。ブラジルはポルトガルの植民地であったので、ポルトガル語を話す。ブラジルのルーツはポルトガル、そんな、ポルトガルへ今回の番組で行く事になったらしい。ボサノバは比較的新しい音楽だ、ポルトガルといえば、ファドだ。ファドを唄ってみたい。そんな彼女の挑戦だった。私は2度しか行っていないポルトガルだが、懐かしい風景に、目を奪われる。リスボンの電車、発見の塔、ベレンの塔、ジェロニモス修道院、アルファマ地区の雑多な街並み、猫に、いわしを焼く七輪、ファドを聴きに行ったレストラン。本当に懐かしい。日本人にとっても、ホルトガルは何かと縁のある国で、親しみのある国民である。日本に帰って、アマリヤ・ロドリゲスのファドを良く聴いたものだ。小野リサさんの声は、ファドには向いていないが、魂は、共通した物を持っているようだ。ファドとは、そんなものかもしれない。NHKの旅のチカラを見て
2012.03.01
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