「歩きつなぎの旅」の記録

「歩きつなぎの旅」の記録

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36 @ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

Calendar

2025.03.01
XML
2025年03月01日(土)快晴


今日の東京の最高気温は19.7℃で4月中旬並み。今回歩くのは、安政4年(1857年)板「東都青山絵図」のうち、現在の渋谷区東1~4丁目に当たる地区。08:00 東4丁目交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第75回 】を歩き始める。



切絵図に「松平薩摩守」とあるのは、薩摩藩島津家(77万石 外様)下屋敷。嘉永6年(1853年)鹿児島から江戸へ入った篤姫は、この屋敷に3年余り滞在の後、安政3年(1856年)13代将軍徳川家定の正室となり大奥に入った。現在、跡地には常陸宮邸がある。



切絵図に「渡辺備中守」とあるのは、和泉国伯太藩(はかたはん)渡辺家(1.3万石余 譜代)の下屋敷。現在、跡地は区立広尾中学校と都立広尾高校になっている。切絵図に「牧野備前守」とあるのは、越後国長岡藩牧野家(7.4万石 譜代)の下屋敷。現在、跡地には区立広尾小学校がある。



「福昌寺」を訪れる。切絵図には「福正寺」とある。この寺には、古墳時代の石棺の蓋を転用して阿弥陀如来を彫り込んだ「阿弥陀石棺仏」がある。石材は播磨竜山石(現在の兵庫県産)。石棺仏が彫られたのは南北朝時代と推定され、和歌山県から運ばれてきたものと伝わる。



福昌寺の北隣り、切絵図にある「室泉寺」を訪れる。境内の「源秀地蔵」は、元文4年(1739年)足が不自由だった少女がこの寺で願掛けし、御利益により治癒した御礼に奉納したものと伝わる。源秀は寺の山号。少女が奉納したものにしては、ずいぶん立派な地蔵に見える。



「氷川神社」を訪れる。社伝によると、日本武尊が東征の際、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を勧請したとされる。切絵図には「氷川宮 寶泉寺」とある。寶泉寺は別当寺。一之鳥居には安永4年(1775年)の銘があるらしいが、日差しが当たる向きの関係で、刻まれた銘を確認できなかった。



江戸時代、氷川神社では江戸郊外三大相撲のひとつ「金王(こんのう)相撲」と呼ばれる奉納相撲が行われていた。あとのふたつは、世田谷八幡宮(世田谷区)と大井鹿嶋神社(品川区)の奉納相撲。参道脇の公園に、その名残りの土俵がある。



氷川神社の西側に「松平美濃守」とあるのは、筑前国福岡藩黒田家(47.3万石 外様)の下屋敷。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの功により黒田長政が初代藩主になり、版籍奉還まで12代にわたり黒田家が福岡藩主を務めた。現在、跡地は住宅街になっている。09:00 渋谷2丁目交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第75回 】はここで終わり。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2025.03.04 17:14:39
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: