「歩きつなぎの旅」の記録

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タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36 @ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

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2025.03.15
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2025年03月15日(土)薄曇


薄曇り。時々日が差す。今回歩くのは、安政4年(1857年)板「東都青山絵図」のうち、現在の渋谷区渋谷1~4丁目に当たる地区。08:05 渋谷2丁目交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第76回 】を歩き始める。

切絵図にある「金王(こんのう)八幡宮」を訪れる。秩父平氏の河崎基家が信奉する八幡神の加護により後三年の役(1083~87年)に勝利したとして、寛治6年(1092年)源義家が当地に八幡宮を勧請したと伝わる。



基家の子である重家は堀川天皇から渋谷姓を賜り、渋谷城(現在の金王八幡宮)を構えた。これが渋谷の地名の発祥ともいわれる。社名の金王は、重家の子の常光が金剛夜叉明王の化身として生まれたとされ、金王丸と称したことに由来するという。

江戸時代になると、金王八幡宮は徳川将軍家により信仰された。慶長17年(1612年)に造営された社殿は、3代将軍に徳川家光が決まった御礼に、春日局(家光の乳母)と青山忠俊(家光の守役、後の常陸国江戸崎藩2代藩主)が寄進した。

切絵図にある「御嶽神社」は、元亀元年(1570年)創建と伝わる。ビルの2階屋上に鎮座するが、まだ入口が開いていない。社殿前の狛犬は、イヌではなくニホンオオカミ。ブロンズの狛犬は複製で、延宝年間(1673~81年)に造られたというオリジナルは社務所で保管されているらしい。



切絵図にある「宮益町」の町名は、御嶽神社の「宮」の御利「益」を願ったことに由来する。大山街道における江戸市中と郊外農村の接続地として、宮益町には町屋が建ち並んだ。切絵図では近くに「千代田イナリ」「妙祐寺」とあるが、千代田稲荷神社は関東大震災に遭って道玄坂へ移転、妙祐寺は戦災に遭って世田谷へ移転した。



切絵図に「諏訪因幡守」とあるのは、信濃国諏訪藩諏訪家(3万石 譜代)の下屋敷。明治21年(1888年)日本の近代薬学の草分けである長井長義が下屋敷跡地を購入、邸宅を構えた。江戸時代の長井家は、代々阿波国徳島藩主の典医を務めていた。現在、長井邸跡地の一部は「日本薬学会 長井記念館」になっている。



切絵図に「松平左京大夫」とあるのは、伊予国西条藩松平家(3万石 親藩)上屋敷。寛文10年(1670年)紀州藩初代藩主徳川頼宣(家康の十男)の三男松平頼純が西条に入封、西条藩は紀州藩の支藩と位置付けられた。廃藩置県まで10代にわたり、西条松平家が藩主を務めた。現在、上屋敷跡地には青山学院大学・高等部・中等部・初等部がある。09:00 青山学院前 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第76回 】はここで終わり。









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Last updated  2025.03.16 08:52:13
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