「歩きつなぎの旅」の記録

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タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36 @ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

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2025.04.05
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2025年04月05日(土)快晴


3月30日、気象庁から東京のサクラ満開の発表があった。今回歩くのは、安政4年(1857年)板「東都青山絵図」のうち、現在の渋谷区神宮前1~4丁目に当たる地区。07:50 表参道駅 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第78回 】を歩き始める。



切絵図に「松平安芸守」とあるのは、安芸国広島藩浅野家(42.6万石 外様)の下屋敷。明治維新後も、12代藩主だった浅野長勲(ながこと)侯爵が下屋敷跡地を所有した。明治時代後期の地図に「浅野邸」とある。現在、浅野邸跡地には表参道ヒルズ・神宮前小学校などがある。



広島藩下屋敷の北隣り、切絵図に「井上英之助」とあるのは、遠江国浜松藩井上家(6万石 譜代)の下屋敷。英之助は藩主井上正直の幼名。正直は幕府老中を2期務め、慶応2年(1866年)の第二次長州征伐では14代将軍徳川家茂に従い上洛した。現在、跡地は住宅地などになっている。



切絵図に「松平美濃守」とあるのは、上野国高崎藩松平家(8.2万石 譜代)の下屋敷。明治時代になると、鳥取藩(32.5万石 外様)主だった池田侯爵家が、この地に約2万坪の敷地の別邸を構えた。大正8年(1919年)には本邸が竣工。当時の地図に「池田邸」とある。



昭和12年(1937年)池田邸敷地のうち約1.2万坪が譲渡され、東郷平八郎を祭神とする「東郷神社」が創建された。戦災により池田邸・東郷神社は焼失。現在、跡地には再建された東郷神社・原宿警察署・原宿外苑中学校などがある。



高崎藩下屋敷の北隣り、切絵図に「大久保加賀守」とあるのは、相模国小田原藩大久保家(11.3万石 譜代)の下屋敷。明治44年(1911年)三井鉱山会長の団琢磨(のちに三井財閥総帥)がこの地に広大な邸宅を構えた。現在、跡地にはトルコ大使館・東郷台住宅などがある。



切絵図に「水野和泉守」とあるのは、出羽国山形藩水野家(5万石 譜代)の下屋敷。天保の改革に失敗した水野忠邦が失脚したことにより、家督を継いだ忠精(ただきよ)は、弘化2年(1845年)浜松藩から山形藩へ左遷された。現在、下屋敷跡地には国学院高校・明治公園などがある。



「熊野神社」を訪れる。切絵図には「熊野権現」とある。正保元年(1644年)紀州藩邸(現在の赤坂御用地)に祀られていた熊野権現を、地元住民の願いにより青山の総鎮守として当地へ遷座したと伝わる。08:50 熊野神社前 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第78回 】はここで終わり。









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Last updated  2025.04.06 07:36:45
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