「歩きつなぎの旅」の記録

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タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36 @ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

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2025.08.02
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2025年08月02日(土)曇


台風9号の接近により、明け方まで雨が降っていた。今回歩くのは、元治元年(1864年)板「千駄ヶ谷鮫ヶ橋四ッ谷絵図」のうち、現在の新宿区南元町・若葉1~3丁目に当たる地区。07:50 JR信濃町駅 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第87回 】を歩き始める。



南元町。「一行院 千日谷会堂」を訪れる。切絵図には「一行寺」とある。創建は慶長年間(1596~1615年)。開基は徳川家に仕えた武将の永井直勝。一行院では千日毎に永井家の供養を行ったことから千日寺と号し、付近一帯の谷地形の町は千日谷と称されるようになった。



「出羽坂」を上る。江戸時代、坂上の高台に旗本永井家の屋敷があった。幕末頃の当主は永井直次で、家禄は7000石。切絵図には「永井金三郎」とある。明治維新後、永井家の屋敷跡地に出雲国松江藩(18.6万石 親藩)の藩主松平定安の三男直亮(なおあき)伯爵の屋敷が移転してきた。定安の武家官位が出羽守だったことに、坂名は由来する。



若葉1~3丁目。「鉄砲坂」を上る。切絵図には「テツホウサカ」とある。坂名は由来は、この辺りにあった鉄砲組屋敷。切絵図では坂下の北側と南側に「御持クミ」「御持組」とある。持組は幕府の組織で、将軍直衛の弓・鉄砲隊。



切絵図にある「西念寺」を訪れる。徳川家康の関東入府に従った服部半蔵正成(まさしげ)が、非業の死を遂げた松平信康(家康の嫡男)を供養するため、麹町清水谷(現在の千代田区紀尾井町)に庵を設けたことから西念寺は始まる。



正成の没後に西念寺は完成。寛永11年(1634年)江戸城拡張に伴い、清水谷から現在地に移転した。西念寺は服部家の菩提寺で、境内に正成の墓がある。半蔵は服部家当主が代々受け継ぐ名で、いわゆる服部半蔵として知られているのは正成である。



「東福院坂」を下る。坂の西側にあり、切絵図にも記されている「東福院」に、坂名は由来する。坂の東側の「愛染院」には、江戸時代中期の国学者塙保己一(はなわ ほきいち)の墓がある。保己一は7歳で失明したにもかかわらず、国学・国史を主とする一大叢書「群書類従」を編纂した。



08:30 観音坂下。「観音坂」の坂名は、切絵図にもある「真成院」の潮踏観音に由来する。江戸時代以前、四谷周辺が海原を思わせる原野だったことから潮踏の里と呼ばれ、潮踏観音の名前の由来と伝わる。【 江戸切絵図歩きめぐり 第87回 】はここで終わり。









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Last updated  2025.08.03 08:00:55
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