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今日の宇治市の天気予報は、最低3度、最高7度です。朝方には雪の予報がありましたが、雪を見ないですみました。午後5時時点で、スマホの画面は、6度、曇り時々晴れと予報が出ています。この寒空のもとでも、今日、小さな我が家の庭にはいくつかの小さな花が咲いています。 ブロック塀側の小花壇に数本のスイセンが咲き、 壁際に群生するラベンダーが小さな花をほんの少し開いています。南面するリビングのガラス戸前のオーシャンブルーは枯れましたので、一旦ツタを切り取ってしまい、根元の茎だけ残して、グリーンカーテンを取り除きました。 今、プランターに植えたエンドウが白い花を咲かせています。スイセンなどと違い、下向きに咲いています。恥ずかしそうに・・・・と感じてしまいます。 下向きの花弁の上に、雨滴が留まっていました。 側に置かれた鉢にジンチョウゲが花を咲かせ始めていました。『日本語大辞典』(講談社)で「じんちょうげ(沈丁花)を引くと、花弁のように見えるのは萼(ガク)だそうです。外側は紅紫色、内面は白色。小さな白い花が開いています。 「かおりは沈香に、花はチョウジに似ているところから」この花の名が付いたといいます。 別の箇所に置かれたプランターにも、ジンチョウゲが花を開かせています。 もう一つの鉢に咲く花は、 ヒマラヤユキノシタだそうです。家人がそう教えてくれました。花はそれぞれに精一杯生きているのでしょうね。小さな庭の花の記録としてまとめてみました。補遺スイセン :「みんなの趣味の園芸」ラベンダー :「みんなの趣味の園芸」ジンチョウゲ :「みんなの趣味の園芸」ヒマラヤユキノシタ :「みんなの趣味の園芸」エンドウ :ウィキペディアDISH// - 沈丁花 [Official Live Video]沈丁花 歌詞 石川さゆり :「Uta-Net」the shes gone「ラベンダー」Music Video 「スイセンが咲く丘」Blue Sheep / 1st アルバム収録曲空音 / 「水仙」 in VROOM powered by au 5G八代亜紀『花水仙』(Official Audio)七つの水仙 / ブラザーズ・フォー ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)
2024.02.27
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=== 2024.1.20 === 南の空南西方向の空 9時30分過ぎに撮りました。小雨が降っていましたので、窓際から二方向だけ撮りました。 観察経験では、雨が降ている時の空はいつもこんな感じです。 南の空 14時40分過ぎに眺めると、雨は止んでいました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空どの方向も空は雲で覆われていますが、雲の形はわかりやすくなっています。 南の空南西方向の空 16時35分頃に空を眺めると、再び雨が降っています。二方向を撮っただけ。 雲の形は少しわかりやすい程度です。雨が降ったり止んだりという一日でした。=== 2024.1.21 === 南の空ベランダの手すりには、雨の降った跡が残っていました。雨は止んでいました。11時10分過ぎに撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空前日に続き、どの方向の空も銀鼠色の雲で覆われています。 東方向の空15時30分近くに撮りました。稜線上空は雲で覆われています。一方、山並みは思いのほか明瞭に眺めることができました。光の射し具合でしょうか。 南の空南は、大な雲とちぎれ雲が浮かび、青空が広がっています。天気が回復していました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 頭上にも青空が広がっていました。 南の空16時55分過ぎに撮りました。大きな雲は飛び去り、雲の姿は様変わりです。南西方向の空 西方向の空 東方向の空稜線上空では、一塊の大きな雲が漂い、山並みの手前には青みが強い素鼠色で鏃状の雲が浮かんでいました。曇りのち晴れの一日です。さて、この雲がたりから逸れて、坂村真民さんの詩についてのご紹介の最後です。真民さんが「わたしの願い」として、三つ目に採りあげているのは、「二度とない人生だから」という一行です。この一行は次の詩に由来します。 二度とない人生だから 二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛を そそいでゆこう 一羽の鳥の声にも 無心の耳を かたむけていこう 二度とない人生だから 一匹のこおろぎでも ふみころさないように こころしてゆこう どんなにか よろこぶことだろう 二度とない人生だから 一ぺんでも多く 便りをしよう 返事はかならず 書くことにしよう 二度とない人生だから まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう 貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう 二度とない人生だから つゆくさのつゆにも めぐりいのふしぎを思い 足をとどめてみつめてゆこう 二度とない人生だから のぼる日しずむ日 まるい月かけてゆく月 四季それぞれの わがこころを あらいきよめてゆこう 二度とない人生だから 戦争のない世の 実現に努力し そういう詩を 一篇でも多く 作ってゆこう わたしが死んだら あとをついでくれる 若い人たちのために この大願を 書きつづけてゆこう 詩集「海から海に立つ虹」⑤ p90-91この「二度とない人生だから」を詠み込んだ詩が、詩集「しんみん川」に収録されています。併せてお読みいただくと、真民さんの思いに近づけるのではないでしょうか。詩の題に「人」が入っている詩をご紹介します。その他にも、「天女のごとく」、「気づく」、「詩国の皆さんへ」という詩が、「二度とない人生だから」に連なる詩として収録されています。 ある人に あなたは天国のことばかり思うて どうしてこの地上の美しさに 心うばわれないのですか あんたは天国にばかり目を向けて どうして大地の美しさに 目を向けないのですか あなたが熱砂の国に生まれたなら わたしは敢えて申しませんが 山あり川あり海あり 四季折々の花が咲き 春夏秋冬の鳥が鳴く この豊かな国に生まれながら 遠い処ばかり見つめて過ごし あの世へ行ったら むしろ神さまは愚か者よと お叱りになるかも知れません どうか神の造り給うた このとりどりのものを じっと愛の目で見つめて 二度とない人生を 生きてくださいませんか 詩集「しんみん川」 ⑥ p8 まわりの人に こんな美しい如来さまがおられ こんな優しい菩薩さまがおられ 呼んでいられるのに 寄ってゆくこともなく お声をきくこともなく あくせくと日を過ごし お金のために 体も心もくたくたになり 二度とない人生を わびしいと思いませんか 今からでもおそくないから 少し生き方を変えてみませんか 天地と一体になる 広い世界が開けてきます 若い時とまたちがった 喜びが生まれてきます いかがです 一緒にまいりましょう 詩集「しんみん川」 ⑥ p52 ある人へ 光が射しているのに あなたはそれを浴びようとしない 呼んでおられるのに あなたはそれを聞こうとしない 手をさしのべておられるのに あなたはそれを握ろうとしない お経にもそんな人のことを 書いてあります どうか素直な心になって 二度とない人生を 意義あるように生きて下さい 詩集「しんみん川」 ⑥ p337二度とない・・・というフレースは詠み込まれていませんが、真民さんの生き方を端的に詠まれた短詩を最後にご紹介して終わります。 一心 限りある命だから 蝉もこおろぎも 一心に鳴いているのだ 花たちもあんなに 一心に咲いているのだ わたしも 一心に生きねばならぬ 詩集「しんみん川」 ⑥ p379 さて、雲の変化に戻ります。=== 2024.1.22 === 南の空 14時55分頃に撮りました。空はほぼ快晴状態です。午前中は撮り忘れ・・・・。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 太陽の位置の関係で、頭上の青空だけが見やすく撮れています。 東方向の空稜線上空はあまり見かけない雲の構図です。小型の雲が縦方向に連なるように見えるところがおもしろい。雲の家族のお散歩・・・・風という感じ。 東方向の空17時近くに撮りました。稜線上空は形を何とか見分けられる程度の雲で覆われていました。 南の空 遠くに白雲が横に広がり、手前の空は青空で小さな雲が浮かんでいます。南西方向の空 西方向の空 西から南西にかけての雲の姿はあまり見かけない形でした。こういう雲はどのように呼ぶのでしょうか。 西の遠くの空に夕焼けが見られます。電線が邪魔なのですが・・・・空の一部を切り出してみました。 頭上の空コロナ禍の中で、ふと思って「ベランダから見た雲の変化と雲がたり」をブログに書き始めたのが、2022年12月22日。いつまで続けられるか未知数のままでの試みでした。「2022.10.11~11.7の雲」から始めて、今日(2024.2.24)のブログへの書き込みで、1年と2ヶ月続けることができました。1年余の雲の変化を曲がりなりにも記録に留めることができました。コロナ禍もひとまず終息してきたようです。最後に『坂村眞民全詩集』(大東出版社)全六巻を通して雲を探す試みで、雲がたりに取り組み、全詩集をひとまず通読することもできました。これを区切りとして、このシリーズをひとまず終わりに致します。今後は、撮る場所を限定しないで、おもしろいな、素敵だなと感じる雲があればブログに書き込みたいと思っています。このシリーズをご覧いただきありがとうございます。 付記 大東出版社のホームページを最後にアクセスして、今知ったことです。 『坂村眞民全詩集』は、第7巻・第8巻がその後出版されて、全8巻に なっていました!! 全6巻でなく全8巻であると訂正致します。 手許にはありませんので、このシリーズとしては一区切りです。 あと2巻、読む楽しみができるとともに、課題を残すことにもなりました。補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について二度とない人生だから 藤掛廣幸 YouTube大東出版社 ホームページ 「坂村真民の世界」というページが設けてあります。 (上記の付記はここを見て・・・。誤情報へのお詫びを兼ねて併記しました) ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2024.02.24
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=== 2024.1.17 === 南の空 9時25分過ぎに撮りました。快晴の空です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空にも雲はなさそうです。少し靄がかかっているように見えました。 東方向の空15時50分近くに、稜線上空を眺めると青空が広がり、雲はなし。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空南から西、そして頭上も引き続き快晴の状態が続いています。良い天気です。 南の空 17時20分過ぎに撮りました。雲が張り出してきていました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空どの方向も、空は雲で覆われた状態に変化していました。=== 2024.1.18 === 南の空朝、雨降っていました。10時10分近くに、窓際から南と南西方向だけ撮りました。南西方向の空 南の空南西方向の空 16時30分近くに、もう一度、二方向だけ撮ってみました。 静かに小雨が降り続く一日でした。さて、雲がたりから逸れて、坂村真民さんの詩についてのご紹介のつづきです。真民さんが「わたしの願い」として、二つ目に採りあげているのは、「めぐりあいのふしぎにてをあわせよう」という一行です。この一行は次の詩に由来します。 めぐりあい 1 人生は深い縁の 不思議な出会い 2 世尊の解かれた 輪廻の不思議 その不思議が 今のわたしを 生かしてゆく 3 大いなる一人のひととのめぐりあいが わたしをすっかり変えてしまった 暗いものが明るいものとなり 信じられなかったものが 信じられるようになり 何もかもがわたしに呼びかけ わたしとつながりを持つ 親しい存在となった 4 子を抱いていると ゆく末のことが案じられる よい人にめぐりあってくれと おのずから涙がにじんでくる 5 めのみない人たちとの ふしぎなめぐりあいが このごろのわたしに かぎりない力をあたえる 手をにぎりあって 喜びあう めしいの人たちとの あたたかい交わりが いまのわたしに ひとすじの光をあたえる 6 めぐりあいの ふしぎに てをあわせよう 詩集「赤い種」 ① p289-290全詩集には、ほかに「めぐりあい」と題する詩が三篇、「めぐり会い」と題する詩が一篇、収録されています。こちらも合わせて読んでいただくと、真民さんの意味される「めぐりあい」を感じ取っていただくのに役立つと思います。 めぐりあい 鎌倉杉本寺の十一面観音に奉る この若い観音は なにを思いつめて いられるのであろうか 衆生の救い難きをであろうか それとも己の力の 足らざるをであろうか きりりとむすんだ口もと 半眼のめじりの張り それは柔和なお顔の観音に 見慣れてきたわたしを しばしとまどいさせるものがあった 思えば青年時代の世尊は こんなお顔であったかも知れぬ ああそれにしても生き難い世に 生きてゆこうとするわたしに 生きる力と励ましとを 与えてくださる この観音との めぐりあいのふしぎさよ 詩集「朴」 ② p198 めぐりあい 足をとめて見入る 花とのめぐりあい 耳をかたむけて聞き入る 鳥とのめぐりあい めぐりあいのふしぎを ふかめてゆこう 詩集「詩国 第二集」 ③ p248 めぐりあい 1 めぐりあい それは ふしぎなもの ありがたいもの なみだのながれるほど てをあわせずにおられないほど わたしをはげまし わたしを生かしてゆく いのちであり ひかりであり つえであり つなである 2 めぐりあい それは この世だけのものではない あの世へ行っても結ばれてゆく 永遠(トワ)なるものである また人と人と間だけのものではない 道のべの一もとの草にも 空とぶ一羽の鳥にも 深いえにしの糸がつながりつながっている 広大にして無辺なものである そのことに気づいた時 わたしの心は柔らかになり わたしの言葉も変わってきた ああ輪廻(リンネ)の花よ わたしにもこの妙なる花を 握らせていただこう 詩集「念珠集」 ④ p86 めぐり会い このひとに会うために つまずき迷い苦しみ悩み 流転流浪の旅を 続けてきたといってよい その人の目は愛にあふれ 澄んで美しく光っていた わたしがめぐり会った時は すでに髪を落とした尼僧の姿であった この不思議な出会いから 暗かった人生が明るくなり 光が射しくるようになり 人を見世の中を見る目が一変した ああ得がたい仏心を頂き 一本の筋金がはいり 真実の世界が開けてきた 詩集「詩国 第二集」 ③ p401「めぐりあいのふしぎにてをあわせよう」という詩句は、これらの詩ともつながっていると思います。さて、雲の変化に戻ります=== 2024.1.19 === 南の空10時10分近くに撮りました。前日は終日小雨が降る天気でしたが、今朝は曇り空です。雲の背後に太陽を感じます。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空全方向に銀鼠の雲が広がっています。雨となる雲ではなさそうです。 東方向の空13時20分近くに稜線上空を眺めると、雲の色合いが少し明るくなっていました。雲が覆っている状態には変化なし。 南の空一方、南の空は小型の白雲が青空に浮かぶ形に変化していました。曇りのち晴れです。南西方向の空 西方向の空 西の空には、あまり見かけなかったうろこ雲風の雲がみられました。 頭上の空 南の空 17時5分頃に撮りました。空は再び雲が張り出してきていました。南西方向の空 西方向の空 西の遠くの空は夕焼けています。夕焼けた空の一部を切り出してみました。 頭上の空 東方向の空 稜線上空は、終日雲が覆っていたように思います。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について大蔵山杉本寺 公式サイト霊場巡り 総持寺~包丁の道~ :「春は花」(安田念珠店) 記事の中に、 秩父観音霊場 第三十四番札所 水潜寺 「念ずれば花ひらく」の奉納額 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2024.02.23
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=== 2024.1.14 === 南の空 10時5分過ぎに撮りました。どの方向を眺めても快晴でした。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 東方向の空14時過ぎに稜線上空を眺めると、空は一層青空らしい色合いになっています。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空南から西にかけて、頭上もまた快晴状態が続いています。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空16時50分頃に撮りました。快晴の日の夕暮れ時の空の色合いが眺められました。一日中快晴。良き一日。=== 2024.21.15 === 南の空9時45分近くに撮りました。前日の夕暮れまでは少なくとも快晴でした。しかし、この時、ベランダの手すりには雨が降った跡が残っていました。雨は止んでいましたが、南の方向に素鼠色の雲が張り出しています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空三方向の見える範囲は形がわかりやすく活発そうな雲で覆われていました。前日に打って変わって、朝から曇りです。 東方向の空14時30分過ぎに稜線上空を眺めると、雲が覆っていますが、少し穏やかな大きな雲の層に変化しています。一部青空も垣間見えるように。 南の空 南の空にも遠くの方に青空が見えています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空曇りから晴れの方向に変化しつつある感じでした。 南の空16時50分近くに空を見上げると、青空が確実に広がっていました。雲が出ていますが、小さな雲が浮かぶ形の穏やかな感じの雲に変化していました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空の雲には夕映えが見られました。曇りのち晴れの一日でした。さて、この雲がたりのつづきです。とは言いながら、雲から逸れてのご紹介。坂村真民さんの詩そのものについてです。 2024.1.21この全詩集(大東出版社刊)の第六巻に、詩集「しんみん川」が収録されています。この詩集の最後の方に、「天使の鳥」と題する詩が載っています。「『念ずれば花ひらく』を覚えた/ ポー太郎君がこんどは」という詩句から始まる詩です。ポー太郎君といのは、インコなのです。このポー太郎君が真民さんの詩句を覚えてくれたそうです。この詩の最後は、 わたしの念願である 念ずれば花ひらく めぐりあいのふしぎにてをあわせよう 二度とない人生だから この三つを声高らかに唱え鳴く ポー太郎君 ありがとうありがとう p426で終わります。つまり、ここに記された3行が真民さんの詩の中核に据えられているとも言えるでしょう。そこで、この詩句が出てくる詩を全文引用しご紹介して、『坂村眞民全詩集』を終えたいと思います。まず最初にご紹介したいのは次の詩です。 念ずれば花ひらく 念ずれば 花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを わたしもいつのころからか となえるようになった そうして そのたび わたしの花が ふしぎと ひとつ ひとつ ひらいていった 詩集「赤い種」 ① p249この「念ずれば花ひらく」というフレーズが、その後、真民さんの詩の中で繰り返し詠み込まれていきます。例えば: 八字十音の誓願 念ずれば 花ひらく 八字十音の誓願を タンポポの種のごとく 流布させんがために 日夜心身を砕くべし しんみんよ そのほかに 求むべからず 望むべからず 詩集「朴」 ② p308 専一専心 念ずれば 必ず花はひらくのだ 専一なれ 専心なれ 詩集「しんみん川」 ⑥ p14 次のような変形バージョンも・・・・。 御詠歌 念ずれば必ずひらくみ仏の 花の不思議を讃えて生きん 詩集「しんみん川」 ⑥ p167この八字十音「念ずれば花ひらく」は、京都市北区鷹ケ峯にある常照寺に第1番碑が建立されて以来、さまざまな人々の発願により全国各地に建立が広がっているようです。 2023.12.10 これは京都・東山にある知恩院の三門の右側の緩やかな参道、通称「女坂」を登り切る少し手前、参道の左側に建立されている第76番碑です。知恩院で撮ってきました。 全詩集第六巻は、平成3年(1991)10月初版発行ですが、その末尾近くにある収録されている「念ずれば花ひらく第百四十八番碑」と題する詩があります。スリランカの通称ケラニヤ寺院に建立されたもの。ネット検索してみますと、「海外をも含め平成16年2月1日現在では688基に達し」(資料1)という記事をみつけました。現在はさらに増えているのではないかと思います。このブログ記事をお読みいただいたあなたのお住まいの近くにも、「念ずれば花ひらく」碑が発願建立されているかもしれません。さて、雲の変化に戻ります。=== 2024.1.16 === 南の空9時30分近くに撮りました。小型の雲が浮かんでいる青空が広がっていました。良い天気。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空には雲が幾重にも重なっていますが、青空が見えています。普段の空模様とは一味違う明るさのある空です。 東方向の空14時15分過ぎに、稜線上空を眺めると、空全体を大きくて厚そうな雲の塊が覆う状態に変化していました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空南から西、そして頭上もまた、同様に雲に覆われる形に変化。経験敵には雨が降る雲とは少し違う感じです。 南の空16時35分過ぎに撮りました。午後の雲が去りゆき、雲は出ているもののその姿は大きく変化。小型の雲が広く散在する形になり青空が見えます。南西方向の空 西方向の空 一方、西の方向は雲に覆われていました。それは頭上の空にも続いています。 頭上の空 東方向の空稜線際にうかがえる遠くの空は青空のようです。一方手前の空にはでんと横雲が巨大なひとかたまりとして山を押しつけようとでもしているようにも見える広がりで浮かんでいました。つづく参照資料1) 真民詩碑 :「日本ワイドクロス株式会社」補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について「念ずれば花ひらく」の碑 :「江差の石碑めぐり」まだま村 念ずれば花ひらくの石碑 :「OSAKA SEKIZAI」オリンピア市から平和の使いと言われました :「株式会社世界地図」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2024.02.22
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==== 2024.1.11 === 南の空 9時55分過ぎに撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空どの方向を眺めても、空は全面的に銀鼠あるいはそれより少し明るめの布を広げたような雲で覆われていました。 東方向の空13時40分過ぎに稜線上空を眺めると、横雲状に層をなす雲の間に青空が見える形に変化していました。 南の空南方向は薄い雲がふんわりと浮かぶ程度で、青空が広がっています。南西方向の空 西方向の空 西方向は一層淡いあるかなきかの雲がかかる青空です。 頭上の空 頭上に、ぽつんと小さな雲が見えました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空16時55分近くに眺めると、天気の良かった時の日の入り近くの空の色合いが広がっていました。=== 2024.1.12 === 南の空9時30分近くに撮りました。前日と比べると、雲の姿がはっきりとわかります。南西方向の空 西方向の空 西の方向と頭上は雲が広がるものの青空が見えています。 頭上の空 東方向の空普段の朝の状況と似たような感じですが少し明るさが増していました。 東方向の空14時10分過ぎに稜線上空を眺めると、雲は層状から塊状に変化し、青空が見えるようになっていました。 南の空南西方向の空 西方向の空 南に青空が見え、南西から西に活発な感じの雲が張り出しています。 頭上の空 南の空 16時55分過ぎに撮りました。南西方向の空 ズームアップ! 西方向の空 南から西にかけての雲の一部が夕映えしています。これだけの夕映えはめずらしい。 西の遠くの雲を最大限のズームアップで。 頭上の空 東方向の空稜線上空に浮かぶ横雲にも夕映えが見られました。さて、この雲がたりのつづきです。『坂村眞民全詩集』全六巻(大東出版社)を読み通すことと兼ねて、真民さんの詩に「雲」がどのように詠み込まれているかを探すという課題を設定しました。発見箇所の詩句を引用、時には全文の引用ご紹介という形で、雲がたりを続けてきました。真民さんの詩に詠み込まれた「雲」には、その使い方にいくつか特徴があると気づきました。私なりの感想を箇条書き的にまとめてみます。雲がたりとしてご紹介した中からサンプリングし詩句をいくつか例示します。どの巻に収録された詩かを①~⑥で示しています。1.自然現象として、雲そのものを詩に詠み込んでいる。 雨をふくんだ雲が層々と西へ流れていた (「吉田海蔵寺を訪れて」①) きょうも紫の雲をいただいて (「かなかな蝉」②) 石鎚の山際の雲が/ 茜色に染まり/ 日の出もま近かである (「元旦のタンポポたち」④) 黒い雲がひっきりなしに流れていく (「鳥さえも虫さえも」⑤) 一雨サァッと驟雨のきそうな/ 雲のゆききである (「白花夾竹桃」⑥) 飛行機が日本に向かって飛ぶ雲の下に (「三つの虹」⑥)2.自然現象である雲が存在しない、澄明な空を表すために雲を詠み込んでいる。 一点の雲なく/ 満天の星 (「生かされて生きる」③) 一片の雲もなく/ 満天の星 (「暁天祈願」④) 一点の雲もなく/ 光静まる/ 屈斜路湖 (「屈斜路湖」④) 雲ひとつない空に/ 星星がリンリンと冴え光り/ 夜明けの霊気が身にしみる (「寂」⑤) 一片の雲もなく/ 二十四日月が光り (「熱禱」⑥) 雲ひとつない空のもと/ 川は流れ (「メナム川」⑥)3. 真民さんの心情・思いを仮託する対象として雲を詠み込んでいる。 一片の雲にも/ 無辺の詩を抱き (「六魚庵箴言」①) 雲は/ 私の息吹 (「分身」②) あかねの雲が浮かぶと/ いつも茜をしのぶ (「あかね観音」③) あかねの雲から茜が (「あかねの雲」④) 雲よ/ 私の思いを/ 父母の国へ告げてくれ (「四国と詩国」④) あかね雲/ 早世童女茜 (「あかね」⑤) 母の大きな乳房を思いださせる/ 乳雲であった (「乳雲」⑤) いつものように母を乗せた/ 白雲が近づいてくる (「大音声は響く」⑥)4. 雲を比喩として詠み込んでいる。 水のように清められ/ 雲のように高められ (「六魚庵主の願い」①) やがて朴も白雲のような花をつけ (「樹木と人間」①) 動いて止まぬ/ 雲と水 身は雲水の/ 旅なれば (「雲と水」②) 雲のように/ 身軽に/ 生きてゆこう (「三願」③) 虚空の紫雲を/ 先生と観じ/ 合掌する (「抱石庵久松真一先生」④) 流転流浪雲のように水のように/ 定めのない歳月を送ってきた(「比翼」⑤) 白い雲が/ 天使を乗せ/ 諸仏菩薩を乗せ/ 去来する (「証の体験」⑥)5. 自然の雲を、宗教的心性の象徴として詠み込んでいる。 虚空雲海/ 虚空遊歩/ こういう言葉は/ いいなあ (「言葉」④) 心を空にすれば/ 少しも罣礙するものではない/ 白雲は悠々 (「人間の中で」④) 何しろ/ 雲も波も/ 無心なのだから (「遊戯三昧」⑤) 雲のように/ 水のように/ なにごとにも執着せず (「飛鳥飛花」⑤) 無礙無心の/ 雲や水に心ひかれ (「遊」⑤)真民さんの詩の中の「雲」探しをしていて、こんな表現方法の特徴があることに少しずつ気づいていきました。雲がたりからは逸れますが、最後に真民さんの詩そのものについてのご紹介を次回からあと少し続けます。さて、雲の変化に戻ります。=== 2024.1.13 === 南の空10時過ぎに撮りました。ベランダの手すりには小雨の跡が見られました。南の空に雲が張り出していますが、青空が見えていました。南西方向の空 西方向の空 西の方はいくつもの小さな雲が青空に浮かんでいます。 頭上の空 東方向の空稜線上空は、まあ普段のよく見かけ景色です。形の定かでない雲が覆っていました。 東方向の空14時30分近くに撮りました。午前中とさほど変わらない空模様です。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空南から西、頭上、どの方向も銀鼠の雲が空を覆う姿に変化していました。三方向の曇り空を撮った後、少しして、暫くの時間ですが小雨がパラつきました。 南の空16時45分近くに撮りました。雨もよいの雲が過ぎ去り、青空が見えるように。南西方向の空 西方向の空 雲そのものの色も明るくなっていました。 頭上の空 頭上は青空が広がっています。 東方向の空稜線際には白雲が広がっていて、その上に銀鼠に青味が色濃く加わった色合いの大きな塊の雲が広がっていました。白雲とあまり見ることのない色合いの雲の広がりの重なりでした。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2024.02.21
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=== 2024.1.7 === 南の空14時50分近くに撮りました。良い天気です。朝は撮り忘れ・・・・。 南の遠方の空には小型の雲が点在しています。南西方向の空 西方向の空 西の空に雲がでています。 頭上の空 東方向の空 稜線上空も青空が広がっていて気持ち良い天気です。 東方向の空16時25分近くに、稜線を眺めると雲に覆われた状態に変化しています。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空南から西方向と頭上もまた、雲が広く張り出してきています。青空が見えてはいます。晴れのち曇りという天気になりました。=== 2024.1.8 === 南の空 この日は夕暮れが近くなる16時45分近くに撮っただけでした。 祝日で成人の日。連休の最終日。家に居たはずなのに・・・・。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 雲も見られる晴れた一日ではありました。=== 2024.1.9 === 南の空 9時25分過ぎに撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南から西および頭上の空は快晴状態です。 東方向の空東の稜線上空は靄がかかっている感じを受けます。午前中によく見かける景色です。 東方向の空14時50分過ぎに稜線上空を眺めますと、雲が少し出ていました。 南の空 南西方向の空 西方向の空 頭上の空頭上には雲がほぼ見えないのですが、南の空から西にかけては雲が出て来ています。 南の空 16時55分近くに撮りました。空の色合いは天気が良かった夕暮れ時の色合いです。南西方向の空 西方向の空 西の果てで太陽が沈もうとしています。電線が避けられない位置にありますので、こんな映像に。滅多に撮れない太陽の姿ですので記録として残したいと思います。デジカメの最大限のズームアップです。 頭上の空 東方向の空さて、雲がたりを続けます。詩集「しんみん川」のつづきです。 (参照『坂村眞民全詩集 第六巻』大東出版社)第六巻の残りページが少なくなりました。まずは、「大音声は響く」と題した詩です。この詩は、平成2年6月12日の前書きがあります。熊本県玉名市にある蓮華院誕生寺奥の院の開山堂付近に建立された「念ずれば花ひらく」の第139番碑の入魂式当日について詠まれた詩です。第二節に雲が詠み込まれています。 大読経が始まると いつものように母を乗せた 白雲が近づいてくる p405「孤」と題する詩に出てきます。10行の詩です。 孤が 人間を磨く 人間を 本物にする 孤雲 孤島 孤木 孤は わが終生の友 p408「七十三年」と題する詩。全文引用します。 七十三年前の九月十四日父急逝する 七十三年後の九月十四日空路熊本へ行く 雲低く垂れ心は重い 思いもしなかったのに七十三年ぶり しかも命日の日に玉名小学校長室にて 父の写真に対面する(第五代の校長) 七十三年の歳月一瞬にして消え 若き父の姿を見る 新築され校長室は変わっていたが 窓から見える校庭は昔のままだった 父よ私を守り給え そしてわたしの大願を成就させ給え そう告げ 二度ともう来ることもない別れをした p431全詩集最後のこの巻で、雲が詠み込まれた最後の詩は、「三つの虹」と題する詩です。「龍玄尼さまへ」という前書がついています。仏島国スリランカの通称ケラニヤ寺院に龍玄尼さんの発願で「念ずれば花ひらく」第148番碑が建立され、真民さんがその除幕式に参列されたとか。虹と龍玄尼さんとの不思議な交流の発見として、真民さんが虹を見た体験を詠まれた詩。詩の後半、三度目に見た虹についての箇所に雲が出てきます。 飛行機が日本へ向かって飛ぶ雲の下に またしてもまんまるい虹が 立っているではないか わたしは上から虹を見たのは 初めてだったので これは忘れないだろう ああ偉大な人の霊威現象よ p440この第六巻に収録された詩集「しんみん川」から、2つの詩(全文引用)をご紹介します。一つは、「しんみん川」と題する詩。 世界の地図にはないけれど 心のなかを流れゆく とわのいのちの清い川 飲んでご覧よ乳のよに 幸せ喜びいっぱいの なんとも言えない愛の川 しんみん川はあめつちの 光を集めもろびとを 彼岸の国へ渡す川 p421もう一つは「前進しながら」と題する詩です。 過ぎ去ったことは思うな 人間振りかえる病気になると 進歩がとまる ものを作る人間は 前進だけ考えたらいい 前進なくして 進歩はない ギャーティ(行け) ギャーティ(行け) あるのみだ 人間いつかは終わりがくる 前進しながら終わるのだ p434真民さんの詩に詠み込まれた「雲」探しはこれで終わりですが、少し触れておきたいことを次回に続けます。さて、雲の変化に戻ります。=== 2024.1.10 === 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空9時20分過ぎに撮りました。どの方向もべったりとひろがた布のような雲で覆われています。雨の降る兆しを感じる空の状態。この後、時折小雨が降る天気になりました。 東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空16時55分近くには雨は止んでいました。雲の様子には変化が現れています。雲の形が少しわかりやすくなっていました。曇り一時雨という一日でした。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について親を大切にする心を育んだ第三十三回こどもの詩コンクール :「蓮華院誕生寺」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2024.02.19
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2022.7.23 2017.7.22室町通三条を下ルと「烏帽子屋町」。「鯉山」の会所前には「登龍門 鯉山」の看板と赤提灯が掲げられていて、山が建てられています。どの山鉾も、埓で囲われその前後に駒形提灯が設けてあります。鯉山の会所は、細長い通路を東方向に奥に進むと、まず蔵があり、その先は北側に会所の座敷、南側は細長い庭になっています。 2023.7.23座敷の壁面とその前を使い、会所飾りが行われています。懸装品などの展示の全景です。 2017.7.22座敷の東端には、山舞台に搭載される朱塗りの社殿と鳥居、左甚五郎作の巨大な鯉などが飾ってあります。 2022.7.23まずは、この胴懸です。上部には水引が懸けてあり、ここに龍はいません。 2017.7.22 胴懸は、ギリシャの詩人ホメロス作「イーリアス」物語の一場面を図柄にしたタペストリーを裁断し、その1枚を中央に、両側に波濤雲龍文様の刺繍と併せた三枚継ぎにしてあります。ここに龍がいます。龍の刺繍は350年前の婦人官服からの流用だそうです。(駒札、資料1) 2022.7.13これも上部が水引、下部が胴懸です。 2017.7.22こちらも、同様に波濤雲龍文様で、龍も昇龍の刺繍です。上掲の龍の刺繍と同じ官服からの流用なのでしょう。龍の相貌の表現方法が同じです。 この扁額には、「龍」の文字が墨書されています。中国の伝説によれば、龍門の瀧を鯉が登りきると龍になるとされ、これが「登龍門」の語源となったそうです。(駒札より) 2019.7.242019年の巡行風景です。鯉山では胴懸と扁額以外で、龍を見た記憶も、記録写真もありません。余談です。会所内の通路は、宵山の時、一方通行でUターンする形見物の流れをスムーズにする工夫をされています。南側の長細い庭を進んで、Uターンして、社殿・鳥居・鯉などを拝見し、上掲の懸装品等を眺めながら会所の出入口に戻るという形です。 2017.7.22 2022.7.23 2023.7.23会所の東端に、この小堂が祀ってあります。2017年には、「天道大日如来」と墨書した提灯が吊され、灯明台が置かれていました。2022年には小堂の格子戸は閉じられたまま。2023年には、格子戸は閉じたままで灯明台は設置されていました。訪れたタイミングの問題でしょうか。三者三様の状態がおもしろい。鯉山を後にして、室町通を蛸薬師通まで下り、左折して東に向かいます。最後の「橋弁慶山」があるのは、「橋弁慶町」です。烏丸通蛸薬師西入ルという方がわかりやすいかもしれません。 216.7.23 2022.7.23 橋弁慶山の東西両側からの眺め 2016.7.23蛸薬師通の北側、ビルとビルの谷間に、町家の会所があります。1階に懸装品等を、2階には御神体の人形-牛若丸と弁慶-が安置され、眺めやすくしてあります。 宵山では、弁慶と牛若丸を横並びにして飾ってあります。 2019.7.24 これは2019年の巡行風景です。場所は五条大橋上。牛若丸は欄干・擬宝珠の上に二枚歯の足駄、一本足ですっくと立ち、橋上の弁慶と闘うという瞬間的場面を具現化しています。「牛若丸の人形は足駄金具一本でこれ(=牛若丸)を支えている」(駒札より)のです。 2023.7.231階・表の間には、山ニ搭載される黒漆塗、飾り金具で装飾された五条大橋が座敷の中央に置かれ、懸装品が壁側に懸けてあります。 2022.7.22手前にこの前懸が見えます。右上側に大きな龍、下方に小ぶりな龍が二頭います。全体の景色は波濤雲龍文様の綴錦です。 下方・二頭の龍をクローズアップしてみました。この前懸は現在では、宵山の会所飾りだけで見ることができます。昭和58年(1983)からは、富岡鉄斎原画の椿石霊鳥図綴錦が使用されていますので。(駒札より) 2017.7.22 奥側は後懸です。雲龍文様の刺繍。 2016.7.23こちらは、3列2段のマス目に図柄が描かれ、中央上段に正面龍、下段の左右のマス目に向き合う形で龍がいます。 一部分を拡大しますと、少しはそれぞれの龍が見やすくなるかもしれません。橋を装飾する金具には龍はいません。私が見つけたのは懸装品の龍だけでした。 祇園祭・後祭 山鉾地図 (資料2)祇園祭の宵山巡りと巡行見物で私が眺めてきた範囲の「祇園祭と龍」をこれで終わります。シリーズとして長くなりました。「辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」をご覧いただきありがあとうございます。参照資料*京都市作成の駒札1) 鯉山飾り :「鯉山町衆」2) 祇園祭山鉾巡行路 後祭 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)補遺祇園祭 祇園祭山鉾連合会 ホームページ鯉山町衆 鯉山保存会 ホームページ タペストリーイーリアス :ウィキペディア橋辨慶山 橋弁慶山保存会 オフィシャルサイト演目事典 橋弁慶 :「the 能.com」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。「観照 辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」 記事一覧
2024.02.18
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2016.7.23宵山では室町通に建てられた山を囲む「埓(ラチ)」越しにすぐ間近で見ることができるこの龍から始めます。その場所は、三条通室町上ル「役行者町」。「役行者山」です。 2023.7.232023年の宵山巡りで訪れた時は、役行者山前で神事が行われる少し前でした。「本山修験宗総本山聖護院による護摩焚が行われる」(駒札より)のです。山伏姿の行者さんたちが参集されます。この年は山の懸装品等に透明の保護シートが被せてありました。 2022.7.23雲龍波濤文様の胴懸です。龍像がダイナミックに刺繍されています。 217.7.22 2019.7.24こちらは、2019年の後祭巡行の時に撮った反対側の胴懸です。 2016.7.23 山に懸けられた見送です。 ここにも龍がいます。それでは、役行者山の会所飾りを眺めて、龍を見つけましょう。 2022.7.23 これは山の欄縁の装飾金具に造形された龍を撮りました。2022年の宵山に訪れた時、会所飾りの方法が大きく変化していました。会所内の通路沿いに展示室風にガラス越しに懸装品等が展示され、網入りガラスを介してごく間近に眺めることができるようになっていました。肉眼で見る分には展示品の細部がわかりやすくなりました。しかし、一方で写真映像としてはこのような記録になり、撮る楽しみは半減です。通路を通り抜けると、役行者山の御神体となる人形三体が納められた蔵の前に向かう形になっていました。以前に撮った会所飾りの記録から、見つけた龍たちをご紹介します。まずは、上掲の欄縁をかつての宵山巡りで部分撮りしたものから始めます。 2017.7.22 様々な姿態の龍が造形され欄縁を飾っています。 2017.7.22この見送は、「袋中上人請来と伝える中国の旗と思われる龍文様のものを二枚合わせ、縁を赤地古金襴(安楽庵裂)で縁どったもの」(資料1)だそうです。手前には、山の四隅に立てられる金弊が置かれています。 2016.7.23上部に水引、下部に胴懸が展示されています。手前に見えるのは山の四隅に懸ける房飾りです。 この胴懸もまた、雲龍波濤文様の綴錦で、龍を正面から見た図柄です。胴懸の上の、二番水引にも龍がいます。 こちらは上部に水引、下部に前懸です。前懸は、中央に牡丹胡蝶図、その左右に雲龍文様を三枚継ぎにしたものです。 左側の雲龍文様。これもまた正面龍です。この前懸は平成9年(1997)に復元新調されました。(資料1)こちらの二番水引にも龍がいます。画像では龍の胴体のうねりで推測していただける程度ですが。 2023.7.23巡行当日、山に安置される御神体の人形が蔵に祀られています。中央に神変大菩薩(役行者)、向かって右側に葛城神、左側に一言主神の三体です。 2019.7.242019年の巡行風景です。役行者山の後、室町通を下り、三条通を東へ。烏丸通三条の南西側は「饅頭屋町」で「鈴鹿山」がありますが、私は会所飾りで龍を見つけていませんのでスキップします。室町通に引き返して、三条下ルは「烏帽子屋町」。 2016.7.23「黒主山」があります。この山の会所飾りを拝見しましょう。 2023.7.231階のフロアーの中央に御神体の人形・大伴黒主が桜の花を仰ぎ眺めている姿で安置されています。三方の壁面には懸装品が展示されています。 2023.7..23 右側の壁面に龍がいます。 2016.7.23一つは、水引に龍が数多くいます。 2017.7.22一頭だけクローズアップしますと、こんな感じです。波濤雲龍文様の意匠です。 2017.7.22水引の下は前懸。波濤雲龍文様で中央に正面龍を大きく、周囲に小龍を配置してあります。萬暦帝御服(バンレキテイギョフク)と伝えられていて、平成元年(1989)に復元新調されたもの。(駒札より) 2016.7.23左側の壁面に懸けられた水引にも、この部分には龍が3頭見えます。左右に展示の水引は繻珍(シュチン)です。 2017.7.22 こちらの水引にも、龍が3頭。 下部の後懸はまさに1頭の龍のみ。3本爪の龍。飛龍文様綿入刺繍で、平成13年(2001)に新調されたものだそうです。惹きつけます。 2019.7.242019年の巡行風景です。上掲、右壁面の前懸が使われています。黒主山から室町通を下り、六角通で左折し東に歩めば、「骨屋町」で「浄妙山」があります。しかし、この山の会所飾りで龍を見つけていません。ここではスキップします。これで一区切りとします。 祇園祭・後祭 山鉾地図 (資料2)室町通に戻り、六角通を下がると鯉山町です。次回でいよいよ後祭の宵山巡りも終わりです。つづく参照資料*京都市作成の駒札1) 役行者山 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)2) 祇園祭山鉾巡行路 後祭 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)補遺祇園祭 祇園祭山鉾連合会 ホームページ祇園祭 役行者山保存会 ホームページ【2023祇園祭】京都・祇園祭 後祭「役行者山の護摩焚き」 YouTube Gion Festival Goma-daki on Enno Gyoja-yama 葛城の神 :「コトバンク」一言主神 :「コトバンク」黒主山保存會 ホームページ万暦帝 :ウィキペディア繻珍 :「きもの用語大全」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 「観照 辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」 記事一覧
2024.02.17
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2016.7.23南観音山から新町通をさらに北へ。蛸薬師通を越えると「六角町」です。「北観音山」の駒形提灯がまず見えてきます。 2019.7.242019年の巡行風景です。北観音山もまた、南観音山と同様に、外観は鉾とほぼ同じ姿の曳山です。巡行の時に山舞台には楊柳観音像と韋駄天立像が安置されます。南観音山は楊柳観音像と善財童子像が安置されます。 2023.7.22北観音山の正面に近づき、見上げますと、ここに龍がいます。 2016.7.23 一つは、黒漆塗の桁を飾る金具です。 2016.7.23 2017.7.22 ますここに龍がいます。 上掲の正面を見上げた画像を、画像処理で水平方向に回転してみました。もう一つが天水引。この「雲龍図」に龍がいます。 2016.7.23 山の側面です。 2014.7.22 2016.7.23 側面の天水引にも龍がいます。四面はすべて雲龍図です。 2022.7.23余談です。こちらは2022年の宵山巡りで山の角から二側面を撮ってみました。この景色と上掲の側面をご覧いただき差異に気づかれたでしょうか。天水引が「雲龍図」ではなく「観音唐草」が使われています。この二種を隔年で使用されています。もう一つは、欄縁が異なることです。 2016.7.23 2014.7.22反対側の軒裏を見上げます。桁の装飾金具と天水引に、同様に龍がいます。 2017.7.22 北観音山から再び新町通を北へ。六角通を横断すれば「三条町」。 2016.7.23「八幡山」の駒形提灯です。 2019.7.242019年の巡行風景です。この巡行では、麒麟・唐獅子・獏という「聖獣三体胴掛幕」が使用されています。山舞台には、八幡宮(小祠)と朱塗りの鳥居が載り、その中に応神天皇騎馬像が安置されます。 2017.7.22この金箔を施された八幡宮(小祠)の 脇障子をよく見ますと、龍が透かし彫りにされた雲龍図のようです。何度も宵山で拝見していますが、今回再認識した次第。 2022.7.23八幡山の会所飾りで、この龍の見送を見ることができます。雲龍波濤文図です。 宝暦年間(1751~1764)の制作品だそうです。八幡山では、童の柄の見送(1785年制作)をもう一枚所蔵されていて、これらが隔年で巡行に使われています。ほかに、龍の胴懸があるそうなのですがですが、未見のようです。記憶や記録写真にありません。この後、すぐ北の三条通を東に入ります。そこは「衣棚町」。復活した「鷹山」が見られるところです。 2023.7.23「鷹山」は2022年に再興され、後祭の巡行に復帰しました。鉾とほぼ同じ姿の曳山です。龍を探しましたがいないようです。下水引は麒麟の図柄のもの。2022年の宵山では懸装品に透明の保護シートがかけてありましたが。2023年はスッキリと眺めることができました。大船鉾と同様に、この鷹山の山そのものが段階的に整備されていく様于を眺める楽しみができました。鷹山復活のご紹介と記録を兼ね書き加えておきます。 祇園祭・後祭 山鉾地図 (資料2)新町通から一筋東は室町通。室町通を北に上り、役行者山に向かいます。つづく参照資料*京都市作成の駒札1) 北観音山 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)2) 祇園祭山鉾巡行路 後祭 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)補遺祇園祭 祇園祭山鉾連合会 ホームページ楊柳観音について :「高野山真言宗やすらか庵」八幡山 八幡山保存会 はちまんさんのかわら版鷹山保存会 ホームページ ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。「観照 辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」 記事一覧
2024.02.16
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=== 2024.1.4 === 南の空南西方向の空 外を眺めますと小雨が降っています。9時50分近くに、窓際から南と南西方向だけ撮りました。 南の空10時5分近くにふと見ると、雨雲が去り、白雲が浮かぶ青空に変化していました。15分ばかり経過しただけですが、様変わりです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 やはり、青空が見られるのはいい!! 東方向の空 稜線の上に雲が広がっていますが、その上には青空が見えます。 東方向の空14時15分頃に稜線を眺めますと、今度は稜線近くに青空が広がり、その上の銀鼠の大きな雲の塊が浮かんでいます。 南の空南西方向の空 西方向の空 白雲が広がっていますが、南から西にかけては青空が続いています。 頭上の空頭上には銀鼠の雲が広がっています。 南の空 16時40分近くに撮りました。夕方まで青空が続いてくれました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空雲が去り、青空が広がって行ったと言う方が適切かもしれません。=== 2024.1.5 === 南の空 9時45分頃に撮りました。快晴の天気です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 稜線上空は、少し靄がかかっている様ですが雲は見えません。 東方向の空 14時5分過ぎに稜線を眺めると、上空には青空が広がっています。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空17時15分近くに撮りました。快晴の一日の夕暮れ時に眺めてきた空の色合いです。さて、雲がたりを続けます。詩集「しんみん川」のつづきです。 (参照『坂村眞民全詩集 第六巻』大東出版社)「濃度」と題した詩の次に、雲という文字が詠み込まれた詩は「乗」と題する詩。全文引用します。 雲は 風に乗り 飛天は 雲に乗り 人は 運命の軽車に乗る 乗れ しんみん ためらわず 大乗の車に p388 大乗の車とは、日本に伝搬されてきた大乗仏教をさすものと理解します。「乗」と題する詩の次の「美しい光」と題する詩の第2節に雲が出てきます。 一片の雲もない 夜明けの空に いきいきと輝き給う 女身明星菩薩 p388「神招き」と題する詩の半ばに雲が出てきます。 高千穂の神神の息吹が 立ちのぼる雲となり 音たてて降る雨となり 三夜四日わたしを包み わたしを変える p394「朴の大会祝詩」と題する長い詩は、 朴をこよなく愛し/ 朴の木を一本でも多く/ 植えようとする運動が/ かつてあったであろうか という詩句からはじまりまります。その詩の末尾に 天に向かって伸びる 純朴の朴よ わたしたちの夢と願いとを 尽十方に広めてくれ 風よ 雲よ 鳥よ お前たちも協力して伝えてくれ 朴寿千年の乾杯よ 天にとどけ 地にひびけ p401今回読み進めた詩編の中に、「宇宙の塵」と題する詩があります。真民さんの生き方を表出している詩の一つと思います。引用し、ご紹介します。 何か一つでもいい いいことをして この世を去ろうではないか 散る花を惜しむ心があったら 一匹のこおろぎでも 踏み殺さないように 心してゆこうではないか 大きなことはできなくても 何か自分でできることをして 宇宙の塵となろうではないか p397さて、雲の変化に戻ります。=== 2024.1.6 === 南の空 9時45分過ぎに撮りました。白雲がかなり出ていますが、青空です。南西方向の空 西方向の空 西の方向に雲は見えません。 頭上の空 頭上もほぼ雲がかかっていません。 東方向の空稜線上空は白雲が重なる形で南寄りに見えますが、それ以外はスッキリとした空です。空の色合いは、普段見かける感じですが。 東方向の空15時15分頃に稜線を眺めると、稜線上空全体に白雲が広がっていました。午前中より青味を増した空が垣間見えます。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空雲がかなり広がっていました。晴れという基調は変化なしです。 南の空 16時50分過ぎに空を眺めると、空一面にべったりとした感じの雲が覆っています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空どの方向も、同じ感じの雲の状態です。布を広げたような雲ともいえます。晴れのち曇りという一日となりました。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について04439_明星菩薩像 :「東京文化財研究所」木造明星菩薩立像〈(伝空海作):「文化庁」明星観音 :「仏像美術館」大乗仏教 :「ジャパンナレッジ」大乗仏教 :「Web版 新纂浄土宗大辞典」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2024.02.15
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2024.7.22四条通新町下ルに「大船鉾」が見えます。そこは「四条町」です。平成24年(2012)に、大船鉾が唐櫃にて巡行の加わりました。そして、平成26年(2014)に大船鉾が再興され巡行に加わることになります。これを契機に、後祭巡行が復活することに。2014年以来、前祭(7/17)・後祭(7/24)が楽しめるようになりました。それでは、後祭の山鉾で見つけた龍をご紹介して行きましょう。(私の探訪範囲ですので、見過ごしによる未発見の龍がいるかもしれません。ご了解ください) 2016.7.23 2017.7.222017年に宵山巡りをしたとき、大船鉾の会所飾りで、龍頭が披露されていました。 左側の龍頭は、JR奈良線/京阪電車の「東福寺」駅からほど近い「瀧尾神社」の拝殿天井を飾る巨大な木彫龍の頭部です。この龍頭をモデルに、右側の龍頭が制作されました。 2022.7.15大船鉾は、これで船の舳先の飾りが大金弊と龍との2つになり、巡行のおりにいずれかが使われることになります。2012年は大金弊での初巡行でした。 2022.7.13 2022年に祇園祭の宵山巡りに行った時には、上掲の龍頭に金箔が施され、京都大丸のショーウインドウでお披露目の展示が行われていました。ガラス越しですが、ごく間近に見る事ができました。 2019.7.24 これは2019年の後祭で大船鉾が最後を締めくくり、四条通を東から西に巡行する風景です。 2018.7.222018年の巡行は舳先に木肌のままの龍が飾られたことがこれでわかります。 2022.7.23それでは、舳先の龍頭以外の龍を見つけましょう。 2018.7.22舳先の龍頭の下部に飛龍を刺繍した前水引が懸けてあります。 その下、船の先端部に懸けられた前懸は雲龍波濤文様の綴織です。上部に大きな正面龍、下部に二頭の龍が見えます。 2023.7.232023年には、舳先に大金弊が飾られていました。この場合、正面の前水引は陰に隠れてしまいます。上掲から数葉の大船鉾の写真から気づかれたでしょうか。大船鉾船上の屋形や高欄などの木部の表面が段階的に漆塗り等により装飾・整備されてきているという点です。復活した大船鉾については、大船鉾自体が華麗に整備されていくステップを観察するという楽しみがあります。 2023.7.23両舷側の水引には、様々な姿態の飛龍が波濤の上を飛ぶ姿が刺繍されています。 2023.7.23 2017.7.22 2023.7.22 2018.7.22 楫(カジ)の両面に降龍が後懸に向き合う姿で緋羅紗地に刺繍されています。 後懸は、6頭の正面龍が雲龍波濤文様で描かれた綴織だそうです。それでは、四条通を横断し、新町通を北上します。四条通から一筋北側の錦小路通を超えると「百足屋町」です。 2022.7.23ここに「南観音山」があります。「下り観音山」とも称されています。山名でわかる通り、この山には「楊柳観音」が安置されて巡行します。山の前後方向、屋根の軒下には極彩色の透かし彫りが施されています。 2017.7.22 その一つがこれです。 右側に龍がいます。 2018.7.22屋根の下の天水引に龍がいます。四面同じスタイルです。 2016.7.23 龍はこんな姿!!また、 2018.7.23こちらの天水引が懸けられる年もあります。 こちらの龍は巡行の時にも目に止まりやすいことでしょう。 2016.7.23南観音山も外観は鉾と同じです。南観音山の側面です。 2017.7.22三番水引の一部を撮っていました。雲龍文様の水引です。数多くの龍がいます。 2019.7.24 2019年の時の巡行風景です。 2019.7.24この見送にご注目ください。 2005.7.16 こちらは、その見送を2005年の宵山の夜に撮ったものです。この辺で一区切りとして、次は北観音山に進みましょう。 祇園祭・後祭 山鉾地図 (資料2)つづく参照資料*京都市作成の駒札1) 祇園祭の歴史 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)2) 祇園祭山鉾巡行路 後祭 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会) 補遺祇園祭 祇園祭山鉾連合会 ホームページ大船鉾 四条町大船鉾保存会 ホームページ南観音山 :ウィキペディア楊柳観音について :「高野山真言宗やすらか庵」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。「観照 辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」 記事一覧
2024.02.14
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=== 2024.1.1 === 南の空新年の初撮りは10時25分近くでした。雨が降った跡がベランダに見られました。雨は止んでいたので、曇り空をデジカメで記録することから始まりました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 いずれの方向も、銀鼠と白鼠の雲が混在する空模様です。 東方向の空15時20分近くに、稜線上空を眺めると雲がびっしりと空を覆ったままです。 南の空 一方、南から西にかけての方向では、青空が見え始めていました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空この日、午後は、拝受した年賀状への対応と新年のブログ記事のまとめ作業をしていたと記憶します。そして、突然、地震の揺れを感じました。当地の速報は震度3でした。「令和6年能登半島地震」の発生。最大震度7ということを報道で知ることに・・・・・。あらためて、被災し亡くなられた方々のご冥福を祈念いたします。合掌。また、被災された皆様には衷心よりお見舞い申しあげます。一日でも早く、日常性が回復し、復興が進むことを願っています。 南の空 17時10分頃に撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空午後は、青空が見えた後、雨が降る天気に戻ることなく夕刻を迎えました。=== 2024.1.2 === 南の空 9時近くに撮りました。快晴といえる天気に変わりました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上空だけは、普段通りの状況です。雲が出ています。 東方向の空 15時5分過ぎに稜線上空を眺めると、青空に転じています。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南から西の空ならびに頭上は引き続き快晴です。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空16時40分頃に撮りました。快晴の一日と言える状況でした。さて、雲がたりを続けます。詩集「しんみん川」のつづきです。 (参照『坂村眞民全詩集 第六巻』大東出版社)前回「昭和最後の日」と題する詩を最後にご紹介しました。その次の詩は「昭和の最後を飾ったしんみんテレビ」と題する詩です。 昭和の終りを/ テレビ「念ずれば花ひらく」で/ 飾って下さったことを/ ここに特別しるしておこう ・・・・という詩句から始まる詩が載っています。そして、真民さんの平成に入ってからの詩が続いていきます。「ちぎれ雲」と題する5行詩が、雲の詠み込まれた最初の詩です。 ちぎれ雲 なぜにちぎれて飛んでゆく 呼ばれているのを知らないか もどってこいよ ちぎれ雲 p318「飛天」と題する詩。韓国慶州仏国寺を訪ねられた時の詩で、大梵鐘の飛天を拝された詩の末尾です。 早春の空は澄んで 雲一つなく すべてが一期一会の ありがたさだった p324「朴菩薩」と題する詩。朴の木に菩薩を感得する真民さんが詩の後半に雲を詠み込んでいます。 鳥と歌い 白雲と遊ぶ 世を挙げて 利に走るとも 二度とない人生だ やりたいことをやり 自分の世界を生きていく そうした勇気を 与えてくれるのが 朴だ 朴は わたしの守護菩薩 p328「世を挙げて/ 利に走るとも」という詩句は、真民さんの生き方の対極にある世界です。「やりたいことをやり」は、真民さんにとっては、勿論詩作であり「詩国賦算」です。「メナム川」と題する詩。メナム川はタイの母なる川。チャオプラヤー川のことです。 雲ひとつない空のもと 川は流れ 川に暮らす人たちの 素直な姿よ p371と詩の途中に雲が出てきます。「傷心の子に」と題する詩。詩の途中に出てきます。 その夜九十九里浜沿いの家に泊り 親子三人で寝た 翌朝の日の出が美しかった 雲ひとつない洋上から 日が光り輝き出るのを 三人で拝した p375「濃度」と題する詩の末尾に出てきます。真民さんのルーティンワークである重信川の彼岸での暁天の祈りに関連した詩です。 重信川 わたしの祈りを 一番知っている川 一片の雲もなく 満天の星 p379今回ご紹介した詩の途中にある詩をご紹介したいと思います。上掲の「朴菩薩」とも照応する詩「あるがままに」です。雲は出てきませんが、真民さんの信念が表出されている詩の一つです。全文引用。 才なき人は才なきままに 処するがよい 花にたとえるなら侘助(ワビスケ)のように 鳥にたとえるならみそさざいのように おのれの花を咲かせ おのれの歌をうたい 嘆かず訴えず なにごともあるがままに 生きるのが一番よい p365真民さんにとってのおのれの花は詩作であり、詩国賦算が花を咲かせることなのです。そして「念ずれば花ひらく」の八字十音の真言を人々に知ってもらい、体感してもらうことが、花ひらくにつながっています。さて、雲の変化に戻ります。=== 2024.1.3 === 南の空 10時10分近くに撮りました。先日とは一転して、曇り空。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空いずれの方向も、雲で覆われています。それも形が定まらない雲。雨になりそうな雲です。 東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空14時10分過ぎに空を眺めると大きな変化はなし。この後、夕刻から小雨が降り始めました。連日、能登半島地震の実況報道が大きなウエイトを占めていました。令和6年、悲しいことですが、鮮烈な記憶に残る年初となりました。自然の威力のすさまじさ。人知の及ばない自然のパワーを改めて感じている次第です。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について平成 :ウィキペディアホオノキ/ほおのき/朴の木 :「庭木図鑑」朴の木 (ほおのき) :「季節の花300」ワビスケ :「草木図譜」侘助 :「くすきの杜」ミソサザイ :「サントリーの愛鳥活動」ミソサザイ好きのためのおみそ動画【作業用・途中広告なし】 YouTubeチャオププラヤー川 :ウィキペディア世界地図でメナム川はいつからチャオプラヤ川になったのか?:「タイランド ハイパーリンクス」重信川 :「国土交通省」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2024.02.13
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2023.7.17室町通は、錦小路通と一筋北側の蛸薬師通との間が「山伏山町」で、そこに「山伏山」が建てられています。宵山巡りには、室町通りに面した会所の二階に、御神体の人形を眺めることができます。そのものズバリ。山伏の姿です。「昔八坂の法観寺の塔が傾いたとき法力によってそれをなおしたという浄蔵貴所の大峯入りの姿をあらわしている」(資料1)と言われています。 これは室町通から見える1階の会所飾りのうち、懸装品の一つの見送です。ここに龍がいます。 2023年の巡行風景 見送の全景を切り出してみました。 2023.7.16 会所内の通路を挟んだ壁面には懸装品が並べて飾られています。一番手前の前懸の上部の左側には 龍がいます。切り出して色彩補正の画像処理をして少し見やすくしました。 切り出した前懸の下部には、龍が並んでいます。波濤雲龍文様です。 2023.7.16右から2つめは、その姿から推測して見送(ミオクリ)です。ここにも3頭の龍がいます。巡行の時、山の後ろに懸けられます。いわば、山の後ろ姿になります。 2009.7.15 2009年の宵山巡りで、山伏山の蔵内に懸けた状態の「古見送 萬暦龍」を拝見していました。上掲の見送りは復元新調品ということになりますね。 2023年の巡行。河原町通御池で山伏山を回すパフォーマンスをコマ撮り風に・・・・・。錦小路通に引き返し、左折する(東入ル)と「占出山町」です。 「占出山」が建てられています。 2022.7.13 神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣って戦勝の兆としたという説話を題材にしている山です。占出とは占って推測するという意味なのでしょう。祇園祭山鉾連合会のホームページでは、「占出」を「divination」(占い、予言、予知)という語で訳出してあります。(資料2)説話の内容から「鮎釣山」とも呼ばれるそうです。 2022.7.13 会所内では、このように懸装品等が展示されています。これらの懸装品等が、山に飾られて巡行する時には、 2023.7.17 このような姿になります。これは2023年の巡行風景です。会所飾りは、壁面の上部に下水引、下部に前懸等が懸けられています。これらは旧蔵品で、復元新調品が会所の奥の座敷に飾ってあります。床に置かれているのは、欄縁と見送を懸ける衣桁のパーツです。 2022.7.13 手前に並ぶのは、欄縁のパーツです。 壁側にまとめられた黒漆塗の丸い棒、これらの装飾金具にご注目ください。 龍がここにいます。これらの丸棒パーツは、 見送を懸ける衣桁に組み立てられます。巡行本番では観覧者からはほとんど見えないか、意識しない部分になっていることでしょう。巡行では全景を眺めるにとどまりがちです。宵山巡りの楽しみは、懸装品類等の品々の細部を比較的間近で眺められることです。さて、占出山を離れ、錦小路通を東に歩み、烏丸通に出ます。南を見れば「笋町」です。 2023.7.16ここには「孟宗山」が建てられています。町名は「たけのこ」。山の名前の「孟宗」は、中国の史話「二十四孝」の一つに出てくる人物名です。病身の母を養う孟宗が、真冬に筍(タケノコ)をさがし求め、雪の中から掘り当てるという逸話です。竹の一種、孟宗竹はこの孟宗にちなむネーミングだそうです。(資料3,4) 2023.7.16会所飾りの座敷の一角に御神体の人形(孟宗)が安置されています。 よく観察しますと、孟宗の衣服の正面に龍が刺繍されています!!何度か会所飾りを拝見してきていますが、初めて気づきました。 2023年の巡行風景 2023.7.17 改めてよく記録写真を観察してみますと、 孟宗の衣服の背中の方にも龍が刺繍されています。ここにも龍がいました。余談ですが、孟宗山の会所前の駒札によりますと、笋町会所(孟宗山)は会所家と土蔵が京都市指定有形文化財に指定されています。 2023.7.16会所の敷地内に祀られた地蔵堂が「附(ツケタリ)地蔵堂」として登録指定の一部になっています。前祭の宵山巡りでは、この孟宗山を最後にすることが私の通例です。ここで、1箇所、最後にご紹介する山があります。「保昌山」です。 2018.7.16この保昌山だけが他の山鉾とは異なり、少し飛び地になっているのです。場所は、東洞院通高辻下ル「燈籠町」にあります。東洞院通松原上ルとも表記されます。高辻通を軸としますと、東洞院通から西へ、烏丸通・室町通・新町通と三筋進み、新町通上ルが岩戸山という位置関係で、少し距離が離れています。 会所飾りでは、この建物(紫宸殿を模したものか?)の左奥の壁側に この見送が飾ってあります。見送の縁をよく見ますと、 ここに龍がいます。 保昌とは、丹後守平井保昌のことで、和泉式部との間に恋物語が伝わっています。それを題材にしたのがこの保昌山だそうです。和泉式部が保昌に、紫宸殿の紅梅を手折って私に持ってきてよという無茶なことを言ったとか。(駒札、資料5)かつては、「花盗人山」と呼ばれていたそうです。明治初年に改称。 2023.7.172023年の巡行風景です。保昌が和泉式部の求めたことを実行する場面を表しています。 上掲の見送が使われています。 祇園祭・前祭 山鉾地図 (資料6) これで、前祭の宵山で出会った龍たちのご紹介を終わります。引き続き、後祭と龍についても順次まとめてご紹介したいと思っています。おつきあいいただけるとうれしいです。つづく参照資料*京都市作成の駒札1) 山伏山 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)2) 占出山 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)3) 孟宗山 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)4)『日本語大辞典』 講談社5) 保昌山 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)6) 祇園祭山鉾巡行路 前祭 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会) 補遺祇園会占出山雛形 :「文化遺産オンライン」山鉾の魅力細見 -保昌山- :「京都市下京区」藤原保昌 :ウィキペディア和泉式部 :ウィキペディア【解説】花盜人 たびかがみ :「天来書院」祇園祭 山鉾篇 :「フィールド・ミュージアム京都」(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。「観照 辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」 記事一覧
2024.02.12
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2018.7.14綾小路通西洞院東入ル、あるいは綾小路通新町西入ルは、そこは「矢田町」。「伯牙山」のあるところです。かつては「琴割山」と称されてきて、明治4年(1871)に「伯牙山」に改称したそうです。中国・春秋時代の琴の名手・伯牙は、鐘子期という伯牙の琴演奏の真価を味わえる友人を無くした時、琴の弦を断ち二度と琴を弾かなくなったと言います。この逸話が親友を示す「知音」の由来になったと言います。(資料1) 宵山の会所飾りで見たのがこの龍文様の錦の前懸です。 強引に拡大してみました。ここに龍がびっしりといます!! 2023.7.172023年の巡行時の伯牙山の正面、「慶寿裂」と称される前懸の下に、上掲懸装品が使われています。 余談です。この景色は、河原町通御池の辻(交差点)の北東側から撮った景色です。山鉾の巡行方向は、河原町通を北に進んできて、この写真のビルの右方向になる御池通に90度曲がって西へ巡行します。この先の御池通には観覧席が設けられています。すると、この伯牙山の向きが違いますね。これは山の場合、この辻で単に90度曲がって御池通に進むのではなく、山自体を舁き手の人々が方に担ぎ上げて、辻で数回くるくると回し、山の各側面を観覧者が見られるパフォーマンスを行うのです。鉾と鉾の形式の山が「辻回し」をする代わりになっていると、私は解釈しています。どの山も行われています。それが辻で見物する楽しみでもあります。洛中洛外図の巡行風景を見ますと、かつての巡行は山を担いで巡行したのでしょうが、現在の山には、小型の車輪が設けてありますので、直線方向は押していくことで巡行できる形です。西洞院通に引き返し、北に向かいます。綾小路通の一筋北は四条通です。四条通の南側歩道から、四条通を横断して西洞院通上ルには「蟷螂山」、四条通の北側の西方向には「四条傘鉾」、東方向には「郭巨山」が見えます。私の宵山巡りの経験では、四条傘鉾と郭巨山では龍を見つけていません。見落としているのかもしれませんが・・・・。そこで、四条傘鉾と郭巨山はスキップします。四条通を横断し、西洞院通上ルは「蟷螂(トウロウ)山町」。蟷螂はカマキリを意味します。 「蟷螂山」 2017.7.15蟷螂山は「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事に由来し、南北朝時代に、足利義詮軍に挑んで戦死した公卿、四条隆資(1292~1352)の戦いぶりを象徴したと言います。四条隆資はこの辺りに住んでいた公卿で、四条家の御所車を模したそうです。(資料2)山に小型の御所車が搭載され、御所車の屋根に大きなカマキリが乗っています。このカマキリはカラクリ人形で、前脚と翅が動く仕掛けになっています。御所車の車輪も回転するようです。カマキリの動きは見物していますが、車輪は記憶がありません。カマキリも巡行中、始終動かされるわけではないようですので、見られるかどうか、観覧者には運不運がありますね。 2022.7.13蟷螂山の山建てを見物しているときに撮ったものです。御所車の御簾が巻き上げた状態です。御簾の左右にご注目! 御所車の左側面の御簾の両側には降龍が装飾されています。 2017.7.15右側面は、逆に昇龍が装飾されています。いずこでも、昇龍・降龍は一対です。 2017.7.15御所車の右側面です。御簾は下がっています。宵山で普通にみる景色です。 御所車を牛に曳かせる轅(ナガエ)の根元のすぐ傍に、龍頭が彫刻されています。 同様に、左側の轅の傍にも龍頭が見えます。 2023.7.17 2023年の巡行風景。宵山での保護のための覆屋がない本来の姿が良いですね。四条通に戻って東に進み、新町通を上ルと「小結棚町」です。 そこに「放下鉾」があります。鉾の上に立つ真木の中程の「天王座」に放下僧の像を祀ることに由来する鉾名です。駒形提灯に見える赤色の文様が、鉾頭に掲げられ、日・月・星の三光が下界を照らす形を象徴しています。この形が州浜に似ていることから「すはま鉾」という別称もあります。 2023.7.172023年の巡行の時の景色です。河原町通御池の交差点で「辻回し」の準備をしている場面です。車輪の車軸は固定されていますので、車輪は前後方向に回転するだけ。そこで、車輪に対して割竹を敷き並べ、水を撒いて、その上を滑らせるて強引に一定の角度回転させるのです。 2022.7.13この鉾の天水引に着目してください。 2017.7.15天水引が四側面に懸けてあります。そこに雲龍文様が刺繍されています。 2023.7.172023年の巡行の時の下水引で龍は無縁です。しかし 2017.7.15 2017年は、龍を描いた下水引が懸けられました。 放下鉾から新町通を北へ。四条通から一筋北側の錦小路通に右折します。「天神山町」に「霰天神山」がありますが、龍と出会っていませんのでスキップします。 祇園祭・前祭 山鉾地図 (資料3)ここで一区切りとします。次回は前祭・宵山巡りの最後です。つづく参照資料*京都市作成の駒札1) 祇園祭 伯牙山の名宝 :「京都文化博物館」2) 蟷螂山 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)3) 祇園祭山鉾巡行路 前祭 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会) 補遺放下鉾保存会 公式アカウント :「instagram」祇園祭 山鉾篇 :「フィールド・ミュージアム京都」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。「観照 辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」 記事一覧
2024.02.11
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20237.17これは巡行中の「木賊山」です。船鉾から少し南に下り、新町通と仏光寺通の辻で右折して、西に進みます。新町通の一筋西、西洞院通を越えれば、「木賊山町」です。「木賊山」のあるところ。この山は、謡曲「木賊」を題材とし、木賊を刈る翁が登場します。山鉾巡りをし始めた大昔、駒札に「木賊」の漢字に「とくさ」とルビが振ってあったので覚えたのですが、私には難読漢字の類いです。上掲の御神体の人形が右手に鎌を持っています。この木賊を刈ることを題材とした山です。手許の辞書で「とくさ」を引くと、説明の末尾に古来の用字が木賊と記されていて、「とくさ」の項のすぐ下には、[『砥草(トクサ)』の意」とまず記述されています。「中空の茎が根から直立する常緑多年生のシダ植物。節に葉が退化したさやがある。昔、物をみがくのに使った。[トクサ科]」(『新明解国語辞典第五版』三省堂)と説明されています。物をみがく、それで砥草の意・・・なるほどです。 龍はこの山の欄縁の飾り金具にいます。 2017.4.15 宵山の会所飾りを拝見して、撮っていたのはこの2枚です。駒札には「欄縁金具は緻密な雲龍文様で、角金具は唐団扇(トウウチワ)、木賊と銀兎文様のものが用いられてている」という説明があります。木賊山から、仏光寺通を西に歩めば次は、油小路通と交差する辻です。この辻に立って南を見れば「太子山」、北を見れば「油天神山」が見えます。まずは、油小路通を下ります。仏光寺通と一筋南の高辻通までの間が「太子山町」です。 2017.7.15油小路通の南側から撮った景色。 透明の保護カバーが覆っていて見づらいですが、波濤に飛龍文様の見送です。 2023.7.16こちらの方が少し見やすいかもしれません。保護シートが被せてありますが。 部分拡大しますと・・・・。上部に正面龍、下部に向き合う龍がいます。ここに描かれた龍は5本爪です。この見送、2023年の巡行では使われていません。後でご紹介するように、別の見送が山を飾っていました。こういう点も宵山探訪の楽しみになります。 下水引にも龍がいます。 2023.7.16 2017.7.15毎年のように眺めて来ましたが、「泰家」の前に立てられた赤傘と太子山と白抜きされた赤提灯には情緒を感じます。祇園祭での<太子山会所飾り>をこの泰家が担われ、通りに面した「店の間」で展示が行われています。(資料1)余談ですが、「秦家住宅」として京都市有形文化財登録されている「表屋造り形式」の京町家です。かなり以前に、内部を見学したことがあります。 217.7.15宵山では「店の間」の土間から会所飾りを拝見する形です。正面に御神体の人形・聖徳太子が祀ってあります。、 その手前に、船鉾で見るのと同類の飛龍がいます。この飛龍は、巡行の時に太子山の四隅に飾り房を懸ける箇所の装飾金具です。 2017.7.15 この見送には、上部に二頭、中央に大きく一頭の龍という構図で三頭の金龍が、「波濤に飛龍文様」として刺繍されています。4本爪です。駒札によればこの見送は平成15年(2003)に新調されたとのことです。 2011.7.16 2023.7.16 2023年の宵山では、会所飾りの展示の懸装品と展示方法が変化していて、単体として造形された飛龍以外は見られませんでした。 2023.7.17 2023年の巡行です。 部分拡大してどこに単体の飛龍が使われているかおわかりいただけるでしょう。また、見送は上掲の会所飾りで展示された「波濤に飛龍文様」錦織が懸けられていることがわかります。太子町から油小路通を北に歩み、仏光寺通を渡ると、「風早町」です。 2018.7.14ここが「油天神山」のある所。駒形提灯の前に油天神山と墨書した提灯が見えます。 2017.7.14 巡行当日までは、油小路通に建てられた山には、油天神山で今は保存されている懸装品が懸けられています。宵山でしかみられない風景です。 龍の部分を切り出して色彩補正の処理をしますとこのような感じになります。 会所飾りを拝見しましょう。 2018.7.14 2017.7.14山に安置される社殿と鳥居の右側に前懸が飾ってあります。ここに龍がいます。ここの龍も4本爪です。駒札によれば、平成6年(1994)に新調された「木瓜波濤龍図(モッコウハトウリュウズ)」錦織です。 2023年の巡行です。山正面の前懸の龍はよく見えることでしょう。 下水引は、宵山で見られる龍を刺繍した旧懸装品から平成18年(2006)新調の「翔鷹千花図」に取り替えられています。仏光寺通の一筋北は綾小路通。この通で右折しますと、「芦刈山町」です。 「芦刈山」が綾小路通に建てられています。 2017.7.15 御神体の人形は、難波の浦で芦を刈る老翁。謡曲「芦刈」を題材にした山です。 この老翁の帯の部分に、昇龍と降龍が刺繍されています。 2023.7.16胴懸の「雲龍図」で、中国刺繍・官服直しと説明書きが置かれていました。 2017.7.15 2018.7.14龍を単体でクローズアップして、いくつか撮ってみました。手製の刺繍なので、それぞれ個性が生まれています。 2023年の巡行では胴懸として尾形光琳原画「燕子花図(ッキツバタズ)」が使われています。綾小路通には、西洞院通を挟んで東側に「伯牙山」があります。次回はここからです。つづく参照資料*京都市作成の駒札1) 京都秦家 ホームページ補遺木賊・砥草(とくさ) :「茶の湯辞典」山鉾の魅力細見 -太子山- :「京都市下京区」秦家住宅 :「京都府観光ガイド」山鉾の魅力細見 -油天神山- :「京都市下京区」芦刈山 芦刈山保存会 ホームページ演目事典:芦刈 :「the 能.com」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。「観照 辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」 記事一覧
2024.02.10
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2023.7.16白楽天山の会所から室町通をさらに下ります。仏光寺通を越えてその先の高辻通まで。右折して高辻通を西に入り、室町通から一筋西の新町通を北に上ります。洛中の町内は基本的に通りの両側が同じ町、つまり両側町の構造です。新町通北入る、そこは「岩戸山町」で、「岩戸山」が所在します。 2022.7.132020年に訪れた時は、岩戸山の上でお囃子が実演されていました。写真の時刻記録は15時25分。岩戸山はその名の通り「山」ですが、その形は「鉾」とほぼ同じです。鉾と同様の車輪も備わっています。 2018.7.14岩戸山の側面です。この姿は前回の長刀鉾や月鉾とほぼ同じでしょう。下水引や胴懸には龍はいません。その上の欄縁を観察しますと、 欄縁のこの箇所の右側が龍のようです。この側面を撮っていた時は意識していませんでした。 2022.7.13 もう一ヵ所、別の側面の欄縁にも龍がいます!! こちらはクローズアップで撮っていました。 2017.7.15 さらに、ここにも!!この時、屋根裏に描かれた鳥に注目して写真を撮っていたのです。写真を精査していて、屋根の合掌部の正面に龍が透かし彫りにされていることに気づきました。 2018.7.14こちらは展示でみた下水引「紺地丸龍文様錦織」。ここに龍がいます。説明書きによれば、18世紀初期朝鮮王朝製で、元文5年(1740)に新調され、安政3年(1856)に仕立て直されたものとのこと。 円形の中に、正面龍が織り込まれています。 2018.7.14もう一点、展示で見たのがこの見送(ミオクリ)「日月龍唐子嬉遊図」(一部刺繍)。 ここに龍が!! 見送の上部、額のところに、正面龍がいます。4本爪の龍が描かれています。 2023.7.17岩戸山の巡行風景です。巡行の様子は鉾の巡行とまったく同じ。辻回しも同様です。違いは何か。正面に稚児人形が載っていないことと、屋根の上の違いです。鉾の場合は真木が建てられて先端に鉾頭としてシンボルが取り付けてあります。山の場合は、屋根の上に松の木が立てられていることです。まず屋根を見れば、鉾と山の識別ができます。 上掲の見送が懸けられています。この龍なら巡行観覧者にも目に止まることでしょう。新町通を上り、仏光寺通を渡ると「船鉾町」です。「船鉾」が見えています。私の好きな山鉾の一つです。 2022.7.13船鉾に船尾から近づくことになります。宵山で普段はこのように船尾の見送がストレートに正面から全体を眺められることはありません。鉾建てに続いて懸装品等の装飾が完了し、巡行ができる直前までの準備が終了。鉾の曳き初めの儀式が始まる少し前というタイミングでした。写真の記録時刻は14時27分。 2009.7.15宵山巡りをする普通の状態はこんな景色です。船鉾の周囲には「埒(ラチ)」と呼ばれる囲いが設けられ、前後に距離を置き、駒形の提灯が吊された状態です。懸装品は部分的にしか見えません。 2017.7.15船鉾の船尾には、まず私の好きな螺鈿細工の施された龍が舵の部分にいます。黒漆塗螺鈿細工による飛龍文様の姿です。舵にいる飛龍はこのシリーズの第1回目に触れていますので、ここでは繰り返しません。この船鉾には、他にも数々の龍を見ることができます。そのご紹介に専念します。 2011.7.16 2018.7.14まずは、この見送の龍です。正面龍の形です。 2022.7.13舵から目を上に転じると、艫の高欄の下部に、金色の飛龍が雲の上を飛ぶ様々な姿で丸彫りされ、取り付けられています。 船鉾の左舷 飛龍の下には「麒麟」。 2017.7.15 2017.7.15 右舷 2018.7.14 そして、船の左舷の下水引にも龍がいます!! 船の右舷の下水引にも対照的に龍がいます。 2023.7.16船鉾の船首には、鷁と称する鳥がいます。その舳先の下部に、前懸が懸けてあり、 そこにも正面龍がいます。 2023.7.16船上の屋形の唐破風屋根に目を転じますと、束の両側に、 二頭の龍が向き合う透かし彫りの装飾があることに初めて気づきました。船鉾の船上内部を2011年に拝見しました。私の記憶では、この時は船鉾の曳き初め式に、一般参加として鉾の曳き手に加わり、わずかの直線距離ですが、曳かせてもらえたのです。そして、船鉾の船上内部拝観券をいただきました。有難く拝見した次第。それで知ったことなのですが、 2011.7.16船上の艫の舵を操る舵室になる建屋の柱に 昇龍と降龍が螺鈿細工で描き出されています。ここにも龍がいるのです。 2011.7.16 その時、たぶんその時点で既に保存品になっているオリジナルの懸装品の展示も併せて拝見できました。ここにも龍がいます。船鉾にはそんな思い出があります。 2023.7.17上掲の景色でご覧のように、宵山では、船鉾の周囲に埓が設けてあり、仮設の覆屋が設けてあります。当然ながら、他の山鉾と同様ですが、巡行当日に初めて、船鉾のスッキリした全景を見られることになります。その代わりに、龍がどこにいるかなどの細部は見づらくなります。宵山と巡行は、山鉾の鑑賞という点では相互補完関係になっています。 (資料1)次回は、少し引き返し、仏光寺通を西に歩むところから、ご紹介します。つづく参照資料*京都市作成の駒札1) 祇園祭山鉾巡行路 前祭 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会) 補遺岩戸山 岩戸山保存会 ホームページ祇園祭船鉾保存会 ホームページ ネットに情報を掲載された皆様に感謝(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。「観照 辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」 記事一覧
2024.02.09
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2023.7.16祇園祭の山鉾に棲む龍を探しに行きましょう。まずは前祭から始めます。今までは祇園祭の宵山と巡行という観点で繰り返し祇園祭をご紹介しています。しかし、龍に出会いつつも、龍だけに焦点を当てるということはしたことがありません。そこで、寺院や神社の境内・庭に棲む龍から祇園祭に山鉾を居場所とする龍を、今までに撮ってきた記録写真から再発見する試みを始めました。そのご紹介です。何時撮った写真かを明記しています。過去の写真からの再発見を組み合わせてみます。冒頭の景色は、四条通を西に進み、烏丸通の手前、長刀鉾町に鉾建てされた「長刀鉾」です。 2023.7.16四条通の南側歩道から長刀鉾の側面を撮りました。 2023.7.16 2018.7.14こちらは鉾の同じ側面を撮ったもの。2023年とは鉾の胴懸と下水引(一番)が異なります。しかし、二番・三番水引は同じものが組み合わされています。鉾の欄縁の下に、三枚の水引が重ねられて懸けてります。上から一(下水引)・二・三です。 二番水引には、三本爪の金龍が刺繍されているようです。 三番水引には、龍を正面から描いた正面龍がいます。その隣りには飛龍がいます。 2018.7.14部分拡大してみました。飛龍は、船鉾と大船鉾にもいます。 2018.7.14この三番水引は、正面龍と飛龍が交互にデザインされた構図になっています。 2023.7.162023年に撮った下水引(一番)は一見龍のような相貌をしています。胴体の一部も龍に近い感じ・・・・。しかし、この動物の脚部を見ますと、蹄が描かれています。想像上の動物・麒麟です。鉾の傍に立てられた駒札には、「下水引の五彩雲麒麟図刺繍の図も復元新調品を使用」と説明がありました。山鉾の懸装品は、今までにない新調品が加えられる一方で、今まで使われてきた懸装品の復元新調品が作られ、経年変化が加わってきたオリジナルの懸装品と代替していく事業が計画的に組み込まれているようです。そしてオリジナルは大切に保存するという管理がなされています。この懸装品の代替、いわば新陳代謝を眺めるのも、祇園祭での鑑賞の楽しみになります。長刀鉾で龍に気づいたのはこれだけです。記録写真を精査していて、長刀鉾の欄縁の飾り金具の中に龍がいないかどうか疑問が。この点未確認のままです。課題が残りました。 2023.7.172023年の巡行場面。河原町通御池の交差点で、これから辻回しが始まる準備場面です。現在は長刀鉾だけに、生稚児が乗っています。後の鉾は稚児人形に変わっています。末尾に祇園祭山鉾連合会のホームページに掲載の前祭の山鉾の位置図を引用・借用し切り出してみました。(資料1)山鉾の位置関係をご理解いただくのに役立つと思います。烏丸通を横断すると「函谷鉾」が四条通の北側に見えます。函谷鉾では龍を見つけてはいません。私の見落としかも・・・・・。これもまた課題に。烏丸通から一筋西が室町通です。四条通から北に入りますと、目の前に「菊水鉾」が見えます。この菊水鉾でも龍は未発見です。四条通を南側に渡ると、四条通の南側道路、月鉾町に「月鉾」が建てられています。 2018.7.16四条通の北側歩道から月鉾の側面を撮りました。 欄縁の飾り金具には雲と龍が浮き彫りにされていて、 2018.7.16 二番水引には、様々な姿態の金龍が刺繍されています。 2023.7.172023年の巡行時の月鉾です。たぶん、辻回しの最初の牽引場面。観察経験からは3回に分けた段階的な牽引で90度方向転換されていると思います。鉾の懸装品を眺めると、上掲の2018年と同じ組み合わせで飾られていたようです。月鉾から室町通を南に入ると、鶏鉾町に「鶏鉾」が見えます。鶏鉾では懸装品等に龍がいるかどうか、気づきませんでした。少し南に進めば、綾小路通です。右折してこの綾小路通に立ち寄ります。 ここ(善長寺町)にあるのが「綾傘鉾」です。 2018.7.14 2018.7.14 綾傘鉾の土台の角を覆う飾り金具の一つに、龍がいます。 2023.7.16余談です。 2023.7.17巡行の当日は、綾傘鉾の先を進みながら行われるこの棒振りの鮮やかなパフォーマンスが見られます。宵山でも演技が時間限定ですが披露されます。 2023.7.17綾傘鉾と称するように、かつては鉾の屋根に綾傘を載せた形だったそうですが、今は綾傘だけになり、その名を残して巡行しています。綾傘鉾の巡行を見物する時には、飾り金具の細部など目に止まることがありません。宵山を巡り、山鉾の細部を限られた範囲ではありますが、眺め観察する楽しみがあります。再び室町通に引き返し、少し南に歩めば、白楽天町です。山は建てられていますが、御神体の人形をはじめ懸装品は白楽天山の会所に展示されています。 2017.7.15会所の入口付近から正面に御神体の人形-道林禅師(右)と白楽天(左)-を拝見できます。 2022.7.13左側の壁面に前懸が吊り下げてあり、右側に見えるのは後懸です。 2023.7.16中央はトロイ城陥落の時、アイネイアスが父を救出する場面を描いた毛綴(ケツヅリ)で、その両側に文化5年(1808)に新調された紺地雲龍門刺繍裂が。三点継(ツナギ)で組み合わされています。(駒札より) 2022.7.13この刺繍裂に龍がいます。雲と龍、雲龍文様です。部分図を切り出してみました。 2023.7.1617日の巡行では、前懸はこのように山の正面を飾ります。 祇園祭 前祭の山鉾マップ (資料1)付記:「祇園祭と龍」は実質上第二部と位置づけ、シリーズ番号を30番から始めます。つづく参照資料*京都市作成の駒札1) 祇園祭山鉾巡行路 前祭 :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会) 補遺祇園祭 祇園祭山鉾連合会 ホームページ長刀鉾保存会 ホームページ月鉾 月鉾保存会 ホームページ綾傘鉾保存会 ホームページ白楽天山 ホームページ ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。「観照 辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」 記事一覧
2024.02.08
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=== 2023.12.29 === 南の空 10時頃に撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 いずれの方向を眺めても、曇り空そのものです。 東方向の空14時30分近くに稜線を眺めると、上空は小型の白雲が浮かぶ青空に変化していました。 南の空南西方向の空 西方向の空 南の空を眺めると、西から南東に広がる大きな雲が浮かんでいますが、青空が広がっています。 頭上の空 頭上を見上げると、ほぼ快晴にちかい状態です。 南の空 16時35分頃に撮りました。大きな塊の雲が去り行き、小さな雲が浮かぶ姿に変化。 青空が続いています。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空朝曇りの後晴れていく天気となりました。=== 2023.12.30 === 南の空9時35分過ぎに撮りました。前日の午後から引き続き、天気は晴れでスタート。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南から西方向、および頭上の空は雲がなく快晴です。 東方向の空 稜線とその上空は靄がかかったようでおぼろな感じです。 東方向の空16時55分過ぎに稜線を眺めてると、稜線のかなたの雲に夕映えを少し見受けました。 南の空 青空の下に小さな白雲が広がって漂っています。南西方向の空 西方向の空 南西から西にかけても同様です 南西から西にかけての遠くの空の夕焼けがきれいでした。 ズームアップを最大限にして部分撮りしてみました。 頭上の空さて、雲がたりを続けます。詩集「しんみん川」のつづきです。 (参照『坂村眞民全詩集 第六巻』大東出版社)前回は詩集の題となった「しんみん川」と題する詩で区切りとしました。そこから2つ目の「昇華」と題する詩に雲が詠み込まれています。全文引用します。 祈りが昇華され 雲となり 星となり 露となり 花となり 時には 光る風となり 胸を暖め 目を清くし 日々の暮らしを 高めてくれる p255「そのうち」と題する詩に「雲」が出てきます。前半は悲観的観測。後半は己への使命感に転じて行く詩です。以下は詩の出だしです。 山をうたう詩人もいなくなるだろう 川をうたう詩人もいなくなるだろう 僅かに雲をうたう少女たちが残るだけで 少年たちは草笛も竹笛も知らなくて 大人になるだろう p257「とり年生まれのしんみん鳥を放つ」と題する詩に出てきます。「四月十日愛知県西尾市にて」の前書が付き、碑の建立に関わる詩です。その前半部。 白い幕が除かれ三基の碑が その姿を現すと 一片の雲もない空に 八十羽の鳩が放たれる それはまさに壮観まさに讃美 p259「山中」と題する詩。全文引用します。 わたしを呼んでいるのは 花の精たち 山中 幽たり 寂たり 白雲 遊戯し 去り また来る p262「熱禱」という詩に。これも全文引用です。平和を願う真民さんの詩。 地球は生きている 今日は第四十三回目の 広島原爆記念日 二度とこの悲劇を繰り返さないよう 地球に額をつけ 熱禱する 一片の雲もなく 二十四日月が光り 暁(ア)けの明星が輝き わたしの祈りが 天を染める 恒河沙の諸仏諸菩薩よ 守らせ給え 地球の平安を 人類の幸福を p283「石道」と題する詩の後半に「雲」が出てきます。 久しぶり斑鳩のお寺に来て 白雲を仰ぎ 石道を歩いた 変わらぬものは 斑鳩の声と 松風の音 p290「成道の日の明星光吸飲」と題する詩の前半に「雲」が詠み込まれています。 泣きだしたいような この感激 この感動 雲ひとつないのに どうして拝することができないのだろうかと 川原で祈っていると 東天ひくく一点ぽっと明るくなったと 思ったとたん キラキラと出現して下さったありがたさ p298「昭和最後の日」と題する詩。「一月七日」という前書が付されています。この日の天気、記憶にありません。この詩で再認識しました。全文引用します。 その日 雲は重く垂れ 日は光を放たず 風は一日中声をあげ 昭和は 六十四年の歴史を閉じた 鳥たちもどこへ行ったのか 姿を見せず 午後二時を過ぎると 雨になり いつもより早く暮れていった p302雲の変化に戻ります。=== 2023.12.31 === 南の空2023年の大晦日は、天気予報通り、曇り空です。9時近くに撮りました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 いずれの方向も、曇り一色。 東方向の空16時20分過ぎに稜線を眺めると、午前中のベタッとした感じの雲から雲の姿がわかる位には変化しています。雲が全面に広がっているのは同じ。 南の空雲は午前中の白鼠から銀鼠に色に変わり、雲がそれほど厚くなさそうなことと背後の青空との関係なのでしょうか、雲が青みがかって見えます。南西方向の空 西方向の空 南西から西にかけては青空が垣間見えます。 さて、この天気が明日の元旦にはどうなるのか・・・というところでした。つづく補遺坂村真民記念館 ホームページ 坂村真民について恒河沙 :「コトバンク」斑鳩はなぜ「いかるが」なのか?古代ミステリー、七十二候「霜止出苗(しもやみてなえいずる)」 :「tenki.jp」昭和 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2024.02.05
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2003.8.30近江(滋賀)の湖東、「竜王山」から始めます。金勝(コンゼ)アルプスと通称されるハイキング・コースを歩いたことがあります。そのとき、この山に、 「金勝寺八大龍王本殿」と刻された石標の立つ小社に出会いました。龍が龍王(竜王)として祀られています。八大龍王とは、手許の『日本語大辞典』(講談社)を引くと、『法華経』に説く仏法を守る八竜王の総称と説明し、その名称を列挙して、その後に、八大竜神と説明しています。難陀,跋難陀(バナンダ),娑伽羅(サカラ),和修吉(ワシュキツ),徳叉迦(トクシャカ),阿那娑達多(アナバダツタ),摩那斯(マナス),優鉢羅(ウバツラ)の8尊を言うそうです。「竜王を本尊として単独に造像することはほとんどないが,密教における祈雨の修法である請雨経法の本尊となる請雨経曼荼羅(まんだら)では,釈迦如来の侍者として八大竜王が描かれている」(資料1)とのことです。また、『岩波仏教辞典』の「八大竜王」の項には、「わが国では水神信仰と習合して、湖沼の水神に<八竜権現 ゴンゲン>など、八大竜王にあやかった神格化を付している場合が多く、雨乞いの神ともなっている」と付記しています。(資料2)上掲の小社は近江の地域性を考えると、雨乞いに関わる龍神信仰とたぶん深い関係があるのでしょう。遡って、龍(竜)についてですが、インドのサンスクリット語のナーガが、漢字としては那伽と音写され、一方、龍(竜)と漢訳されました。「インド神話におけるナーガは、蛇(特にコブラ)を神格化したもので、大海あるいは地底の世界に住むとされる人面蛇身の半神。彼等の長である<竜王>は巨大で猛毒を持つものとして恐れられた反面、降雨を招き大地に豊穣をもたらす恩恵の授与者として信仰を集めた。特にインドの原住民部族の間では古くからナーガ信仰が盛んであった」(資料2)そうです。この<竜王>が仏教の初期段階に、仏法を守護する護法善神として、八部衆の一つとして取り入れられ包摂されました。「中国の竜は、鳳・麟・亀とともに四霊の一つで神聖視された。角、四足、長いひげのある鱗虫の長で、雲を起こし雨を降らせ、春分に天に昇り秋分に淵に隠れるといわれる。そこで仏教の竜も中国的な竜のイメージを思い浮べられるなど、大きく変容した。わが国の竜神信仰は中国の竜と日本の蛇=水神との習合であるが、雨乞いの神、豊漁の神、海の神として信仰された」(資料2)一方、『日本の神様読み解き事典』を引きますと、「竜神」の項で、「竜神は、竜の姿をして水中に住み、水を司るとされる神のことである。日本では、農耕と結びついて雨乞い祈願の対象となり、また漁師にも信仰されてきた」と説明しています。さらに、「竜は蛇が長じて大蛇になり、さらに年が経て竜となり、昇天すると信じられていた。また水を好む蛇であるから、蛇を水の神とし、農業を営む人々の信仰の対象とされ、また漁業者の信仰する海神でもあった」と説明しています。(資料3)古代インドのナーガ信仰が龍王として仏教に取り入れられ、インドから中国に仏教が伝播されて、中国の四神信仰と混淆し、中国の仏教が日本に伝播して、龍王は日本の水の神、龍神信仰と習合して行った側面があるようです。近江の竜王山から、京都・洛中に飛びます。 再び「白峯神社」の境内に。ここには、境内社の一つとして、 2014.2.9 「潜龍社」が祀られています。 この潜龍社の覆屋の左側にも駒札が設置されています。ご祭神は総称が「潜龍大神」で、三大龍王が祀ってあるそうです。祭神名が写真に写る駒札に記されています。白峯大龍王、紅峯大龍王、紫峯大龍王。神道系の龍神ですね。左側の駒札には、「龍神様の坐す潜龍の井から湧き出る神水は、家内安全・家業繁栄並びに悪縁を絶ち良縁を得る霊験あらたかなる水神様として、篤く崇敬されています」と説明されています。白峯神社から、洛東の三条大橋東詰まで飛びます。 2021.11.21川端通の東、三条通の北側に、「だん王法林寺」があります。 この境内の小規模なお堂には龍神像が安置されているようです。右側手前に設置された縁起碑に「霊元天皇の勅令によって現在の龍神尊像が勧請され」と記されています。 正面のお香や花を供える石壇の正面に「加茂川龍神」と刻され、龍が彫刻されています。「加茂川龍神 縁起」には、別名、八大龍王とも呼ばれると記されています。「晴雨を司る神様として、仏法を守護し、民衆を日照りや水難から守ってくれる大きな役割を古来より担ってきた」と説明してあります。三条通を少し東に進み、南に入ると、大将軍神社があります。 2013.4.17 この「大将軍神社」の境内社の一つに、 「白龍弁財天社」が祀られています。境内の南東角に位置します。弁財天は弁才天と同じ。弁才天は梵名がサラスヴァティーで古代インドのサラスヴァティー河が神格化され河神となったそうです。もともとは、土地の豊穣をもたらす農耕の女神。「さらに、弁舌の神ヴァーチと習合されて、恵みを与える福徳神の性格に学才・音楽の神としての性格が加わることとなった」(資料4)とか。この神が仏神に取り入れられました。インドのヒンズー教ではサラスヴァティーはブラフマンの配偶神とされているそうですが、日本では宇賀神との夫婦神として信仰する民俗があります。弁才天の髻(モトドリ)に宇賀神をいただいた弁才天像を見たことがあります。宇賀神は老相人頭蛇身で表現されます。弁才天は河神です。水辺には蛇が棲みますので、弁才天と蛇が結びついてきます。上記のとおり、蛇は龍とリンクしていきます。(資料3) 白蛇=白龍というつながりでしょうか。ネット検索情報で、この白龍弁財天社の御朱印には蛇の図像が描かれているのを見つけました。(資料5)なお、白龍弁財天そのものについての詳細は不詳です。洛東を南に、知恩院境内に向かいます。 2013.6.16 知恩院総門を入り、華頂道を東に進むと華頂学園の学舎の西側に北に入る通路があります。その先に、信州善光寺別院「得浄明院」があります。「戒壇廻り」で知られています。特別拝観で体験したことがあります。 門を入ると、境内の左(西)側に、「白天龍王」と「白女大明神」と二種の墨書された提灯が吊された小社があります。芸事や商売の神様として信仰されているそうです。白天龍王についての詳細は不詳。調べてみますと、余談ですが、ここでは「白天龍王祭」として、5月に「包勝一條流」の「式包丁」という儀式が本堂で奉納されます。(資料6)ここから、洛南の山科、天智天皇山科稜の北側へ。 2018.10.26 飛び先は、琵琶湖第一疏水の北に位置する「本圀寺」(日蓮宗、御陵)です。 本圀寺の境内に、「九頭龍銭洗弁財天」が祀ってあります。 石灯籠の竿の正面に「南無九頭龍銭洗弁財天」の銘板が嵌め込まれています。鳥居の扁額とこの龍を見ていて、ふと、鎌倉にある銭洗弁財天を連想しました。ネット検索で確認すると正式には「銭洗弁財天宇賀福神社」。御陵から、同じ洛南ですが伏見の深草に飛びます。 「瑞光寺」、ここも再びです。 2016.3.20 境内に2つの小社が祀られています。「帝釈天王」と「白龍大弁財天」の2社。いずれも仏法の護法神です。左側が「白龍弁財天」の小社。手水舎に棲む龍のところで、石造の龍像をご紹介しています。さらに、洛南を南へ。中書島に飛びましょう。 境内側から 2013.5.5 「長建寺」(東柳町)。京阪電車「中書島」駅から少し北に、運河沿いにあります。 この1枚しか撮っていなかったのですが、左が地蔵堂で、右が「飛龍大権現」の小社です。飛龍という名称ですので、龍神様なのでしょう。詳細は不詳です。そして、最後は北の稲荷山ニ飛び、この項の締めくくりとします。伏見稲荷大社の周辺には、稲荷に関連する神社やお塚が、大社の本殿がある境内地の周辺から稲荷山の山上まで広がっています。 2016.10.15 伏見稲荷大社の北側周辺を探訪し時に見つけた龍神像。「龍神」の駒札が立っています。 この龍神像の前の道沿いに東に進むと、「豊川稲荷社」があります。 その近くで目に止まったのが「白龍大神」「黒龍大神」と刻した石標が立つ龍神像です。たぶん、これもお塚の部類になるのだと推測します。山上まで様々なお塚があり。石碑に様々な神名が刻まれています。お塚を丹念に観察していけば、「龍」を含む名称の石碑がたぶん数多くあり、信仰対象にされているのではないかと思います。これで、龍神・龍王とされる龍の社について、探訪範囲でのご紹介を終わります。屋根に棲む龍について、一箇所見落としていたところがありました。それを追補します。 そこは「東寺」です。 2013.5.25 境内の中心的な建物の一つ、「金堂」に龍がいました。 記録写真を確認していて龍を再発見したのはこの箇所です。 龍の角の片方が少し欠損していますが、この龍いつ頃からこの位置にいるのでしょう。 上掲の龍から右方向の対称的な位置に、 この龍がいます。ズームアップで記録していたのはこの一枚だけでした。 龍を切り出してみました。左右の龍は姿態が異なる造形です。日本の建物を装飾する物は、多くの場合、左右非対称で、どこか意匠をかえて造形している事例が多いように思います。門の装飾金具の意匠も個々に観察していくと、どこか少しずつ違う。そういう事例が観察経験から多いように思います。これでひとまず、寺院神社や庭に棲む龍の総まとめと致します。これを第一部とするなら、続きとしての第二部は、祇園祭の山鉾に棲む龍たちです。山鉾にいる龍にフーカスを絞って、巡ってみたいと思います。つづく庖勝一條流奉納式【得浄明院】参照資料1) 八大竜王 :「コトバンク」2)『岩波仏教辞典 第二版』 岩波書店 3)『日本の神様読み解き事典』 川口謙二[編著] 柏書房 4)『仏尊の事典』 関根俊一 編 学研 5) 御朱印 東三條殿 白龍弁財天 大将軍神社 :「インスタグラム」6) 庖勝一條流奉納式【得浄明院】 :「京都観光Navi」補遺金勝アルプス :「YAMAP」白峯神社白峯神社 ホームページ本圀寺 いのちに合掌 :「日蓮宗」銭洗弁財天宇賀福神社 :「鎌倉観光公式ガイド」得浄明院 :「全国善光寺会」伏見宮家ゆかりの尼寺「得浄明院」での「白天龍王祭」。式包丁の奉納を拝見 :「ネコのミモロのJAPAN TRAVEL」京都深草 瑞光寺 ホームページ長建寺 :「京都観光Navi」伏見稲荷大社 ホームページ よくあるご質問お塚のインバウンド :「passport」(大阪観光大学) ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。「観照 辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」 記事一覧
2024.02.03
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これは「京都御所」の築地塀の南面です。西側から撮りました。東には夏の行事・送り火で「大」の文字が浮かび上がる如意が嶽の山腹を遠望できます。見落としていた門に棲む龍の続編として、京都・洛中にある門から始めます。記録写真を精査していて気づいたものです。 2018.5.4 御所の築地塀の南面には「建礼門」があります。この門は四脚向唐門の形式です。 門のある本柱の頭貫上の蟇股に、 龍がいます。ここから洛東、粟田口に飛びます。 三条通に北面する形で、「佛光寺本廟」があります。既にご紹介しているお寺です。この門も四脚向唐門です。 門扉の頭貫上に、龍虎が向かい合う形の透かし彫りが見られます。 向かって右側に龍がいます。 龍像の背面を境内側から眺めると、このように透かし彫りが裏面に連続しています。洛東を三条通から五条坂へ、南に向かいます。 五条通と東大路通の交差点の北東側に西本願寺の「大谷本本廟」があります。 総門の正面に掲げられた扁額に二頭の龍がいます!!! 総門を見上げると、この龍たちの他に、まだ他に龍がいました!! 総門の木組構造の中で、建物の角の所に組み込まれる尾棰の所に龍が彫刻されています。 こういうスタイルを他で見た記憶がありません。 五条坂から、洛東をさらに南へ。「東福寺」境内に飛びます。 東福寺の「通天橋」は秋の紅葉で有名な観光スポットです。この通天橋へ歩む回廊の途中、右側には築地塀で囲われた「方丈」が見えます。回廊は方丈に向かう唐門へと分岐しています。唐門の前までは行くことができます。この唐門を眺めますと、 門扉の上部に龍がいます。かなり繊細な透かし彫りです。東福寺から洛中の西大路八条に飛びます。 西大路八条交差点の北東側に「若一神社」(七条御所ノ内町)があります。この辺りは、平安時代末期、平清盛が「西八条殿」と称する別邸を建てたエリアです。平清盛が紀州熊野の若一王子の御霊を勧請して祭ったのが始まりと言います。(資料1) 石鳥居に「若一王子」と記した扁額が掲げてあります。 その扁額の上部に向かい合う二頭の龍がいます!! 扁額がちょっと変わった形だなと思って眺めていて、龍に気づきました。さて、ここから洛南の山科へ。 西本願寺の「山科別院」です。ここも既に触れているお寺。 ここの山門にも、蟇股の箇所に龍がいます。 蟇股に巻き付く姿で龍が彫刻されています。少し見える右眼から判断すると左眼の玉眼が欠損となってしまったようです。ここから、近江(滋賀)の湖南へ。まずは膳所に飛びます。 膳所には、山門の左斜め前方に「膳所烈士墳墓所」と刻された石標を設置した「安昌寺」(曹洞宗、膳所一丁目)があります。 道路から 境内側 境内側 山門の降棟のところに、龍像が据えてあります。 かなり傷みがでてきているようですが見事な瓦の造形です。膳所から湖東の東近江市へ。 飛び先は「弘誓寺」(浄土真宗本願寺派、躰光寺町)です。 ここの山門にも龍がいます。二頭の龍が向かい合っています。余談ですが、確認のためにネット検索していて、改めて気づいたことがあります。東近江市に弘誓寺と称する寺が複数出てくるのです。調べていて参考となる事情報に出会いました。「下野国から建部の領主に封ぜられた那須与一宗高の七弘誓寺建立の発願」(資料2)というのがあったそうです。「源平合戦の武者・那須与一の子孫が開創し、または再興した近江の七ヶ寺の弘誓寺を近江七弘誓寺と呼んでいるようだ」(資料3)と説明されるブログ記事も。その所在地が「東近江市瓜生津、東近江市建部、東近江市五個荘、東近江市射光寺、 東近江市小田苅、東近江市中一色の弘誓寺と彦根市の法蔵寺」(資料3)と説明されています。なんと6ヵ寺は今もそのまま「弘誓寺」の名称です。知らないと錯覚してしまいそうです。少し関連情報を検索してみて、私は、現在そこに宗派的に差異がある点を興味深く感じています(資料2~7)。時代の変転の影響でしょうか。さて、最後は奈良に飛びます。 「唐招提寺」で締めくくりたいと思います。南大門は三間三戸八脚門の形式です。 唐招提寺には露天の戒壇があり築地塀で囲まれています。正面の門は四脚門です。この門に龍がいます。 本柱の頭貫の上、蟇股に巻き付く形で龍が彫刻されています。これで門に棲む龍を終わります。寺社等に棲む龍を様々な観点から眺めてきました。寺社関連での龍の最後に、探訪の範囲で知った龍に関わりのある神社についてまとめておきたいと思います。つづく参照資料1) 若一神社 :「京都観光Navi」2) 弘誓寺 :「Web版 新纂浄土宗大辞典」3) 弘誓寺 (滋賀県東近江市瓜生津町) 近江七弘誓寺 :「お寺の風景と陶芸」4) 弘誓寺 :「滋賀・びわ湖 観光情報」5) 弘誓寺 :「浄土宗寺院紹介Navi」6) 弘誓寺 (滋賀県東近江市小田苅町) 近江七弘誓寺 :「お寺の風景と陶芸」7) 源平の合戦と「那須与一」、愚咄坊(ぐとつぼう)と「近江七弘誓寺」 :「スローライフ滋賀」補遺京都御所 :「宮内庁」佛光寺本廟 ホームページ龍谷山本願寺 大谷本廟 ホームページ東福寺 ホームページ浄土真宗本願寺派 本願寺山科別院 ホームページ平清盛公西八条殿跡 :「フォールド・ミュージアム京都」若一神社 :「平清盛の京を歩く」若一王子 :ウィキペディア曹洞宗安昌寺 ホームページ 膳所烈士弘誓寺本堂 :「文化遺産オンライン」弘誓寺本堂 :「文化遺産オンライン」 上掲とは別。こちらは東近江市五個荘町。唐招提寺 ホームページ 戒壇 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。「観照 辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」 記事一覧
2024.02.02
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2019.8.13京都・洛東の黒谷にある「金戒光明寺」から始めます。これは境内墓地の中で出会いました。形式は亀趺(キフ)と称される石碑です。元は「かめの形に刻んだ碑の台石」を意味する言葉だったのですが、碑そのものの異称となったそうです。(資料1)ここでは、亀趺碑と記し、この碑そのものの意味で使用します。亀趺の淵源は中国にあり、朝鮮半島でも数多く作られたと言います。日本の亀趺が墓前碑として作られるのは、江戸時代に始まったそうで、江戸時代になり大型墓葬が整備されたことと関係があるそうです。(資料2) この亀趺碑の上部を見ますと、ここに龍が浮き彫りにされています。 もう一例、この墓地で拝見したのがこの亀趺碑です。「天野可古墓誌銘」と刻されていますので、この石碑には墓誌銘として、死者の姓名・行状・業績などが刻みつけられていることになります。冒頭の亀趺碑は、姓名の後に碑と記すだけですが、こちらも墓誌銘が刻み込まれています。余談ですが、台石としての亀趺を用いているいわば本来の姿のものもあります。私が探訪した範囲では一事例。 2013.10.5滋賀県近江八幡市にある「長命寺」です。寺号碑の台石として亀趺が使われています。金戒光明寺から洛中の「東寺」に飛びましょう。 2013.5.25東寺境内の「毘沙門堂」の近くで、 この亀趺碑に出会いました。この亀趺碑は上部に「佛頂尊勝陀羅尼碑」と刻されていて、その下に、同心円状に梵字(サンスクリット語)が刻まれています。陀羅尼はサンスクリット語のダラーニーの音写だそうで、仏教において用いられる呪文、真言を意味します。(資料3) その下に龍が線刻されています。画像が見づらいので画像処理し、多少は見やすくしてみました。上記二例とは亀趺碑の利用目的は異なります。東寺から、洛南の伏見・深草に飛びます。 2013.5.15丘陵地に「仏国寺」(黄檗宗万福寺派、深草大亀谷)があります。 境内の庭にこの亀趺碑が建立されています。 この亀趺碑の上部にも龍がいます。 この碑は、仏国寺の案内駒札によりますと、「高泉和尚銅碑」(重文)で、正徳元年(1711)に鋳造された中国風の青銅碑として有名だそうです。高泉和尚の教えを受けた近衛家熈の撰文だそうです。(駒札、資料4)京洛を離れ、宇治に飛びます。再び「黄檗山萬福寺」へ。 2013.6.9 亀趺碑に覆屋が設けられた「石碑亭」があります。 この亀趺碑も上部に龍の浮き彫りを見ることができます。その下に、「特賜大光普照國師塔銘」と刻されています。大光普照国師は隠元禅師のことです。 2022.3.30万福寺から西に向かうと宇治川があり、隠元橋が架かっています。この橋の近くが、隠元禅師が川岸に上陸され、万福寺を開山される起点になった場所とされています。 ここに「黄檗開山隠元禅師登岸之地」と刻した亀趺碑が建立されています。 この亀趺碑の上部には、正面から裏面にまたがって龍が彫刻されています。 碑の裏面を見ると、京都華僑黄檗山萬福寺協力会をはじめ、在日華僑の人々が碑建立に協力されたことがわかります。それでは最後に奈良の「薬師寺」へ飛びましょう。 2017.12.4薬師寺境内には、「玄奘三蔵院伽藍」があります。「玄奘塔」への門の手間、参道の両側に亀趺碑が建立されています。 向かって右側の亀趺碑は「大遍覚三蔵」と刻され、上部には龍が「大唐玄奘三蔵法師」の文字を囲うようかのように彫刻されています。 向かって左側も同様です。残念ながら文字が見慣れない書体の文字で判読できません。最初が「聖」、最後が「三蔵」であることはわかりますが。これで、境内・庭等に棲む龍のご紹介を終わります。門に棲む龍の続編をご紹介します。記録写真を確認していて見過ごしていた場所です。つづく参照資料1) 亀趺 :「コトバンク」2) 日本の亀趺 :「江戸・明・古代プロジェクト」(東京大学)3) 陀羅尼 :ウィキペデキア4) 大円広慧国師碑 :「フォールド・ミュージアム京都」補遺浄土宗大本山・くろ谷 金戒光明寺 ホームページ萬福寺 :ウィキペデキア法相宗大本山薬師寺 ホームページ江夏友賢墓 :「姶良市デジタルミュージアム」亀趺の亀 :「ぷらら」<第22回企画展>「讃岐の亀趺碑(きふひ)パネル展」 まもなく開催です!! 塩江町歴史資料館 :「塩江つれづれ」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。「観照 辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」 記事一覧
2024.02.01
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