暁太郎の日記随想

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暁1929

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コースケ@ お、俺のおtmtmがぁ――!! もう、もう……なんも出まへぇーん!(TT…
ゆう@ とうとう出ちゃったね うわさは本当だったよ。 http://himitsu.…
kissakem @ 6カ国協議延期と核保有宣言 暁さんのご意見に同感です。相手のあるこ…
中澤 照道@ Re:14日の日記(01/14) 相撲がお好きなようですね、私も相撲は大…

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2006/01/04
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カテゴリ: 社会戯評
長春と瀋陽の阿片窟
 1月14日の朝日新聞の一面に旧満州新京(吉林省長春市)の満州中央銀行(日本の日銀)の写真が出ていた。懐かしくそれからそれへと記憶が蘇ってくる。当時大同大街の広いロータリーに面した御影石の立派な建物で、父の勤めていた満州興業銀行も並んで建っていた。

 先年長春の旅行をした折、郊外の映画スタジオの見学をした折見たが、今は金融機関が利用しているのであろう。大街には日本風の屋根が印象的な関東軍の本部も近くにあったように思う。

 母が昭和15年に亡くなって、釜山の叔母の家に預けられ、兄達が内地の学校に進学して、私は6年生で父と生活することになったのだが、ここで建国10周年記念式典だったか、それとも紀元2600年の式典だあったか、小学生の私たちも参列した覚えがある。

 父が、朝鮮銀行から満州興業銀行に転勤して間もない折だから昭和13年だったのか、京城から母親と共に4人兄弟で満州各地を旅行した。母と旅行したのはこれが最後であった。色々な場所を観光したのだろうが、奉天(瀋陽)の印象は強い。

 東稜だったか南稜だったか、城壁に囲まれた石畳の墓標の前で撮った写真が残っている。大きな亀の背に石碑が立っていた。城外には、《ショウトル市場》(盗品市場)があって、骨董趣味の父は、大理石の狛犬を購入、切手収集の兄は、三角切手が珍しいと幾枚か買ったことを覚えている。

 朝日の記事では、満州中央銀行が阿片の専売をしていた文書が発見されたと言うのだ、父は銀行でも重要な位置にいたから、このことは知っていたのか、昭和18年終戦前に淡路に引き揚げて来られたのも、関東軍の様子を知っていたからであろうか、このことは亡くなって聞くことが出来ない。

 奉天に話は戻るが、案内は支店の職員であったのだろう、城外を出て、異様な空気と匂いのする中で、曲がりくねった迷路のような路地の奥に、阿片窟があった。薄暗い天井の低い洞穴のような場所で、裸電球が薄ぼんやりとともった中で10何人もの髭だらけの痩せた老人が、汚い毛布の上で横たわっていた。

 もうもうとした煙の中で、咳き込みながら目を凝らしてみると、土壁にもたれて水を通して吸っているのか、長いキセルのようなものや、管からパイプで阿片を吸っているのである。我々が来ている事も感じてないようで、うつろな目が、寝ているようでもあり、何か呪文のようなことを唱えているようにも見えた。物心ついてこれが阿片窟であったことに気付いた。



 《大地の子》や戦後新京で戦後を迎えた友人の話が蘇ってくる。新京市内は、ソ連の参戦や国民軍と中共との戦いで銀行も荒らされ、満州紙幣の争奪がなされ、ある期間流通したようだが、よくもまあ《阿片専売特別会計》の文書が残っていたものである。

 地下金庫は、誰も触ることが出来なかったようで、知っている者は、早い段階で内地に引き揚げているから後に開くことが出来たのであろう。関東軍の傀儡満州政府の全貌は、逐次明らかになっていく。新聞の記事がら、記憶を辿って書いてみた。





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Last updated  2006/01/04 05:22:27 PM
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