全33件 (33件中 1-33件目)
1
巡業に参加するのを嫌って、腰痛だの疲労骨折だのと自分の病気を立てに、巡業を休んでいながら、これまで幾度もTVで見せ付けられたモンゴルでのサッカーの様子は、治療を要する力士のだなんて、誰も信じないであろう。 それもモンゴルから日本に帰ってきて、相撲協会から二場所の出場禁止・謹慎を言い渡された途端、僅か4日で精神的にうつ状態だなんて主治医から診断され、お互いの関係から、モンゴルへの帰国も選択肢の一つと強調して、問題があからさまになった。親方や、報道陣は相撲協会の裁定について記者会見を望んでいるが、それにも対応していないというか、言うことを聞いていない。 事実は当事者しか判らないことなのだが、その後の経過を見ると、前国立病院機構東京医療センターの精神科医の診断では、<急性ストレス障害>だと言われ、話しかけても応答がなく、入院を要請しても、かたくなに拒んでいる様子で自宅にこもって<自主軟禁状態>が続いているという。 2度目の権威ある医師の診断でも<急性ストレス障害>は変わりなく、与えられた薬も飲んでいるようだが、モンゴル帰国も一つの選択と考えているようだが、これまでのように往診して治療を重ねるか、高砂親方が言うように国内で入院か、三つに一つの選択肢に絞られているようだ。結果、協会は、モンゴルの帰国を認め治療させるようだ。 子弟の関係から親方の意見は絶対的なものだと思っていたが、記者会見してはっきりと世間にわびることを願っても、それは受け入れていない。その点、全く親方の権威が見られない。むしろ朝青龍に遠慮している感じさえする。 親方は世間体もあって、更に国内での治療を進めるのだが、これまでの横暴さからか、黙秘をしているようで、そうすることが、モンゴルに帰国できる方策だと考えているようにも見えてくる。朝青龍にはきつい言い方だが感じるのだ。 なぜなら、力士になって横綱まで昇進するには、幾多の困難や精神的な苦痛もあったであろう、それを克服して現在の地位を得ているのだから、自分の非を認めて制裁を受け、相撲フアンに十分悔い改める精神力も備わっていると思うのだが、その点疑問に思う。 朝青龍の帰国について協会が決めたことだが、その裏には、先日皇太子がモンゴルを訪問したこともあって、国際上の問題も含まれているのであろうと想像するのである。 それにしても結果的のは我侭が通って、甘やかしているように思う。今後外国人の不祥事件があったとしたら、今後先例にならって同様の判断をするのであろうか。どうも納得のいかない事例を作ったことになる。 一つ救われることは、モンゴル相撲でも、ルール違反は服すべきとの発言があることで、治療場所のモンゴルで朝青龍をどう見るかが今後の問題であろう。モンゴルの英雄なら、それ相当の自らの制裁を課すべきであろう。
2007/08/20
コメント(1)
もう20年も前のことだが、現職当時、学習指導要領の<入学式や卒業式にはその意義を踏まえて国旗を掲揚し国歌を斉唱するよう指導する>と示されていることを実行したが、組合の反対は強くピアノは弾かないし、子どもには教えていないから歌わない。参列した親達が歌ってくれた経験がある。 それでいて1年生の教材の『白地に赤く日の丸染めて・・・』は指導していたが、それを指摘すると、それをやめてしまった笑えない話がある。組合の指令べったりで、教師自身に主体性がないのであろう。 昨日の東京地裁の判決文を読んでみると、国民の中に日の丸を掲揚し、君が代を歌わせることは、第2次世界大戦の皇国思想や軍国主義思想を想起させるイメージがあって、新しい国づくりの象徴としての国旗であり国歌であることが、定着していないというのである。 この60年余の間に、オリンピックや外国での国際試合があり、充分に日本人である誇りとしての日の丸は、定着していると思うが、判決では、それを認めていない感じがする。 教育基本法の改正案の中で《国を愛する》という文言がをどうするか議論されているが、これは、日本国土に住む以上、郷土を愛し国を愛することは、国民の純粋な願いではないのだろうか。 判決の中で、学習指導要領には、起立し国歌を斉唱し、伴走することまで規定していないと述べている。強制することは、憲法に照らして『反対する主義・主張を持つ人の思想・良心の自由を侵すもの』として『教育の自主性を侵害し、一方的な理論や観念を生徒に教え込む』弊害が生まれ不当な支配だというのである。 教育は、何処までも他の権力によって支配されないが、教育の自主性を主張する余り、教師の勝手な偏った教育も生まれる可能性だってあろう。自主性をいうなら教師の思想が偏らず、国の定めて学習指導要領に従った教育が必要になってこよう。 小泉首相は、この問題について『法律以前の問題ではなかろうか、確りした論拠を明らかにして欲しい』意味のことを述べている。 各小中高校の体育会が各地で行われている。開会式には、君が代の演奏の元に国旗を掲揚して来た。教師が、管理職に当て付けてそれさえも止めさせようとする姿が目に浮かんでくる。違憲判決に対して東京都は控訴するというが、当然であろう。 充分に教育の趣旨を生かすために、教育基本法の改正や、学習指導要領にもはっきりと明記し、日本国民としての伝統と風土に合った思想の定着が望まれる。
2006/10/01
コメント(0)
韓国盧大統領が民族感情を煽って、排他的水域調査について『侵略戦争で確保した占領地について権利を主張する人がいる』と発言。隣国で相互に経済的利益を共有している国家指導者として、余りにも過激な発言であった。 一方小泉首相は『双方話し合いで円満な解決を望む』と誠に穏便な発言。大人としての発言か、それとも外交姿勢が弱いのか。これは国民自身が判断することであろうか。 領土問題が絡むと、一鳥一石に解決しない問題だろうが、敗戦後、李ライン撤廃後、日本外交の詰めがまずかったことは言うまでもない。 今回日本が調査しない代わりに、韓国は6月行われる国際会議に海底に韓国名をつけないことで穏当な妥協に終わったが、韓国は、今後も竹島の領有と自国の経済水域については、現在のまま主張を続けるであろう。 北方領土や、中国との水域主張の異なる海底資源の発掘や尖閣諸島の問題も相手国の主張に従って<さわらぬ神に祟りなし>の感じがしてならない。常に一歩下がって、平和的に話し合いでとばかりでは、領土は狭められるばかりである。 相手方が、互いに主張を曲げないのなら、それを仲裁する国際裁判所もあることだから提訴して解決を図るべきではないのか。 国家間で今回のような、国際条約で定めて事さえ韓国は、2ヶ月前に通告もなく、過去に日本の領海内で海底調査していながら、日本の調査には拿捕など脅しをかけることすら、余りにも横暴と言わざるを得ない。 今後暫定水域については5月にもこの件について交渉を再開するというが、国家間の国際法に準じて調査することについて、何か言うと侵略戦争の遺産だとか、歴史認識だと、針小棒大に自国民を煽るのは考えものであろう。 さてこの問題で、日本の国民はどう考えているのだろうか。韓国では、小泉氏の似顔絵や日の丸を燃やして、デモを起こし、反日の狼煙を上げているが、日本人は、韓国大使館に抗議のデモなど起こしたという報道はない。敗戦後日本人は、全く平和ボケして、自らのの利益さえ目覆っている感じで、また巷では、韓流とかが流行で、NHKでも韓国のドラマを放映するなど、少しも敵愾心がないのも疑問である。これがヨーロッパなら大きな紛争の種にあっていたであろう。譲歩も相手次第である。兎も角やや過激のことを書いたが、妥協点を探り双方が納得のいく結論を導き出してほしいものだ。
2006/04/23
コメント(0)
日本外交の脆さと、韓国の自国主張を曲げない独善的な主張が国際問題までに発展しかねない情勢になっている。中国との尖閣列島も北方四島も同様であろう。 竹島問題については、島根県が2月22日を『竹島の日』として制定し、一部の中学校の歴史教科書に、竹島の日本帰属を歌ったことや、小泉首相の靖国問題も絡めて、歴史認識云々と共に、韓国はにわかに反発を強めてきた。 竹島の帰属について、日韓双方が主張するがゆえに、排他的経済水域が重なっている。その海域の海底を調査する日本側の動きに対して実力行使も辞さないと脅しに似た厳戒態勢を敷いているようである。 竹島は、1905年に日本の領土として編入を決定し、島根県に帰属していることを告示して『竹島』と命名している。ところが韓国は李承晩ラインを設けて竹島を韓国側に取り組み、武力占拠を行い、灯台を設置し武装警備員を常駐させている。 なぜそれまでに竹島の日本帰属を歴史的に・国際的に主張しなかったのか、敗戦後の軟弱な日本外交、事なかれ主義の八方美人外交が、今ドイツで開かれる海底山脈や海溝の名称会議に、韓国が韓国名をつけようとしていることに、泥縄的な調査をし始めて問題が生まれているのである。 日本海を『東海』と主張しているのもそのことで、韓国の名称がまかり通っては、竹島の領有権を放棄したことになるのである。 今回の日本の調査について韓国の反発があるが、既に韓国は、日本の領海に侵入して、調査を終了しているようで、その時点で、日本に了解も得てないし通知もなかったようである。そのことについて日本は全く外交的に抗議も、国際条約違反として提訴もしていない。 常識的に考えても、自国の調査の折は断りもなく、日本の調査については、これに反発し拿捕も辞さないとは余りにも我田引水ではないのか。これが領土問題のかかわってくるし、韓国民の政治的反発を日本に向けさせ、和らげようとする方策なのか。 中国でも韓国でも反日デモが繰り返され、日本の国旗を焼いたり、日本料理店や大使館への投石があって、国際的な民衆の意思表示があるが、民族的な性格もあるのだろうが、自国の利益を守ろうとする『撃ちてしやまむ』の日本人の気概は何処に行ったのだろうか。 日本側の判断はどうやら小泉首相の考えによるらしいが、靖国問題に反発があっても止めないあの一本気な気質で今回の領有に関しては、多少の摩擦があっても強硬に主張してもらいたいと思うのである。
2006/04/20
コメント(1)
love嬢は寒い間は食堂のストーブの毛布の上で、朝夕の散歩以外は終日過ごすが、それでいて不審者の通行には、室内から吠えて警戒怠りない。耳が良いのか、TVの音があるのに十分聞き分けるのである。 loveの寝姿に右足の親指の爪が伸びているのに気づいた。早く切ってやらないと以前の左足親指の爪をはがして、血だらけになった2年前を思い出した。獣医に見せて数日後には、直ったのだが、同じことを繰り返す可能性があるなと感じていた矢先である。 散歩から帰って、ボール遊びをせがむので庭で遊んでいたら、3回ほどの後 右足を庇うように歩いてきて、咥えたボールを力なく落とした。よく見ると右足の爪がぶら下がっているように見え、血がにじんでいる。 今朝気がついたことが、現実となって、またも爪をはがしたようだ。家内に抱かせて爪を切ってやろうとしたが、やはり獣医に診せる方が良いだろうと、以前避妊の手術をしたことを覚えていて、犬猫病院は嫌うので、車で出かける。 車から降りても、記憶が蘇ってきたのか、入り口から離れようとする。順番が来て、抱いて手術室に入ったが、心臓は時めいているし、震いも来ている。獣医は腕の毛を刈り、血管を探って注射を打つ。余りなかないのに一声鳴いた。 麻酔なのだろうか、5分もするとぐったりと力が抜けた。爪は根本から折れていて骨が露出していた。可愛そうに、しきりに舐めていた姿が浮かぶ。血止めなのか、薬をつけて包帯、今度はまたも覚醒の注射である。これも少しずつ目覚めるようだった。 家内に追い縄を預けて、車で帰ろうとして、途中で状況を見ようとしたら、私の姿が判ったのか、家内が連れて行こうとする方向とは反対の私の方に歩こうとする。抱かれて痛いことをさせた私なのに、それでも私を慕うのである。可愛い。 車を置いて自転車でloveのいる場所に出かけると、「なかなか歩いてくれない」と言う。私に代わって、安心したのか、まだ麻酔が切れてないのか、それでもよちよちを歩き出した。 そのけなげな姿と、私を信頼している気持ちが伝わって、目が潤む。途中で抱っこして家の中に連れて入った。傷を舐めるでなく、安心した姿で、食事はしたが、かれこれ4時間ほど眠っていたであろうか。 私が床につく折、腹をさすって『お休みやで』と言うのだが、それと共に寒い小屋に戻って行く。じっとそのまま部屋に居たいであろうに、これにもぐっと来るものがあった。 愛情をかけてやればそれには必ず答えて従順なloveに、何か人間以上のものを感ずるのである。
2006/04/12
コメント(0)
メール問題で永田議員がメールに信憑性について誤りであったと気付いた段階で、責任を取って辞職しておれば、多少の傷を負う結果になろうが、前原民主党幹部は、継続して党の建て直しに奔走できたのではないだろうか。 ところが何時までも永田議員が居座って辞意を表明しないから、執行部総退陣と引き換えに辞職を迫ったのが、今回の大きな波紋を及ぼしたのであろう。 官庁を辞め、議員になったことの執着、議員の職に留まって、どうにかこの汚名を挽回しようと本人は考えてのかもしれないが、そのことが、公党の他の議員に、多大の迷惑を及ぼしたことになる。 それにしてもこのメールについて提供者の西沢氏に、更に詳細な情報を得るために1000万円を送る相談もあったようで、政治とはこんなものなのか、自民党の追及や次期政権獲得の鍵と考えていたのか、結果は、顧問弁護士の反対で至らなかったが、西沢氏の証人喚問も矛盾を含みながらこの辞職で取りやめになった。 それにしても政治の混乱をもたらした西沢氏は、当初情報を提供したことを否定し、永田氏は提供を受けたと言い、この辺も曖昧で、はっきりしないが、幹部の聞き取りでは提供したことを認めている。証人喚問を受けないことで認めたのか。 しかし、メールの信憑性については、でっち上げなのか、出所は不明のままに終わってしまった。もし虚偽の情報なら、一般人といえども、西沢氏に何らかの制裁があっていい筈であろう。 さて民主党の今後である。党内は小沢氏の一新会・旧社会党の横道一派と小沢氏に対する過去の反発がある中堅若手の中には、これらのグループとは温度差があり、中間的な菅氏が小沢氏の援護を受けて、民主党の代表になる可能性が強いのではないだろうか。 自民党が正道を歩むためには、野党が確り政策を検証し、是々非々の姿勢を持って欲しいと思う。小泉首相も菅氏や小沢氏よりは意見調整が容易だと考えて、相互に歩み寄りの姿勢があったようだが、仮に菅氏が代表になったらどうなのだろうか。なんでも反対では、民意を汲んだ事にはならない。 次期民主党の代表について、渡部氏は『若い議員の世論で最大公約数の人』が良かろうとしているが、今 内部でとやかく勢力を争って、お山の大将を決める段階ではないのではないか。早急に健全な野党として立ち直って欲しい気がする。
2006/04/01
コメント(0)
●犬も夢を見、寝言も言う 最近は小型犬のブームか、夕方散歩に出かけると田んぼのあぜ道は正に犬銀座である。ダックスフンド・チワワ・ピーグル・テリア・バク・バビヨンもいる。我が愛犬love嬢は柴とビーグルの雑種だが、親は血統の由緒ある犬だそうだ。小さい犬には目をくれないで、大型犬には食って掛かる。 ビーグルとは、古くからいる犬種で名前の由来は、フランス語で"小さい"という意味の単語からつけられたという。性格は、とても陽気で好奇心旺盛といった感じで、また人なつっこい所もある。白足袋をはいているようで可愛い。 冬、雨の日や寒い日は、石油ストーブの前で毛布4つ折にした場所がloveの居場所で、横になって寝ているようだが、7メートルほど離れた塀の外の不審者が通ると家の中から吠えるのである。 時には、ガ ラス戸をあけてくれという。 主人は幾分耳が遠くなっているが、loveの聴力は抜群で、テレビの音も適当になっているのに、犬も猫の忍び足も聞き分けるのである。人も吠える人と吠えない人に分類される。 庭にフェンスを張って放し飼いにしているのだが、ボール遊びが好きで、庭に出るとテニスボールを咥えて来ては投げて欲しいというのである。それでもすぐには持ってこずに、鼻でサーかーよろしくよく遊ぶ。 メス犬で、子宮を除去に2日入院した。傷口が痛々しかったがそれも癒えるて、混合ワクチンなど飲ませて、今のところは、健康である。これまでは、現職であったために犬は、小屋に鎖をつけて繋いで散歩程度でさほど犬のことは判らなかったが、退職してこの犬を飼いだし、一日中観察に及んで最近富に判って来た。 犬も夢を見る。みかん山で自由にしてやると傾斜のきつい坂を駆けずり回る。その夢だろうか、前足と後ろ足がピクピクと動く。横になっているが、正にみかん山の姿である。 犬も寝言を言う。何か粗相をして叱られた日には、『ウーウー』と泣くのである。猿も反省するというから、犬も同様なのであろうか。寧ろ怒った方が、可愛そうだと反省である。 テレビを見ていて何か雑音のような音がする。テレビ局の調整が悪いくらいに思っていたら、実はlove嬢の鼻からその音は発せられていた。私が横で居眠りをすると、私と呼吸が同じ鼾がするのである。全く安心して熟睡しているのであろう。 雑種だが、柴犬とビーグルのいいところを備えているようで、育てれば育てるほど可愛い。犬馬鹿になった。天気のいい日は、庭出て日向ぼっこ、猫嫌いのlove嬢だが、一生懸命我が家を守っているのであろう。もう我が家の一員である。
2006/03/09
コメント(0)
●『冬ソナ』から青春の回想 [2005年06月16日(木)] 鶏が先か、卵が先か、早く目覚めるから早く寝る。NHKで《冬のソナタ》が放映されていることを知っていたが、早寝早起きの私には時間的に鑑賞する機会がなかった。 ところが新聞の広告に出ているし《韓流》なんてことばも生まれ、来日したTVや冬ソナツアーにコマーシャルにも出てくるし、私はソール生まれだから、尚更興味が湧いてきた折、友人がCDを貸してくれた。 ラブストーリーで三つ巴の恋に、意表をつくどんでん返しが織り込まれ、7枚のCDを興味を募られながら、一気に見てしまった。そこで頭に浮かんだのが、千 昌夫の《星影のワルツ》である。雪の降る場面が多かったためか、それからそれえと青春の回想が蘇って来た。 友人の彼とは、新任当時から一緒に勤務して親しかったが、幾年か阪神間に転勤して、また同じ市で出会うことが出来た。雪国育ちで、高校当時は国体にも出たスキーの名手で、誘われるままに彼の実家の志賀高原に出かける。 予告はなかったが、彼が宝塚で一緒に勤務していたのか、女性が一人同乗してくる。3人旅は楽しかったし、南国育ちの私は、雪景色も素敵だったし、スキーも彼女と共に教えてもらい上達する。 夜はコタツを囲んで、久しぶりの息子の帰省に、母親の心づくしのご馳走に舌鼓を打ち、酒も存分に飲み、彼は自慢の民謡を歌い、雪の降る外の景色は、我々を暖かく包んでくれた。 私は彼と同じ部屋でやすんだが、夜中に目覚めると彼の姿はなかったが、朝は同じ部屋で目覚めた。彼女は結婚するらしい。好きであった彼に最後の出会いを求めたのであろう。 スキーの後は温泉で疲れを癒し、近くのスナックに行く。彼は当時流行っていた《星影のワルツ》を幾度も歌った。♪“別れることは辛いけど、仕方がないんで君のため 別れに星影のワルツを歌おう 今でも好きだ死ぬほどに・・♪さよならなんてどうしても 言えないだろうな 泣くだろうな 別れに星影のワルツを歌おう”♪ 一緒に座っている彼女の目に光るものを見た。 彼は私に彼女のことは一切話さなかったし、私も問いもしなかった。今の奥さんは、彼女とは別人だから、悲しい別れであったのであろう。 退職した後、全く疎遠になっているが、冬のソナタのストーリーから雪・スキー・星影のワルツ・親しかった友人と宝塚の彼女・・・など、 をたわいもない思い出が蘇ってくるのである。 -------------------------------------------------------------------------------- 極楽トンボの日記随想 ●幼い私と大相撲 私は旧朝鮮の京城三坂通りの朝鮮銀行の社宅で生まれたと戸籍に記載されている。兄は東京生まれだから、親父が日本銀行に勤めていた頃であろうか。 私が4・5歳ごろには父は、日銀から鮮銀に移って元山の支店長時代で、住宅は高台にあり、急な石段を登った正面にあった。他に社宅が幾軒かあったように記憶している。 元山は、戦後在日韓国人やその日本人妻が理想郷の北朝鮮を目指して帰国した場所でもあり、戦前は、日本と朝鮮の移出入が盛んな貿易港として栄えた場所でもあった故か、本州との経済を司っていた様で、支店長宅は敷地も広く桜の頃は各界人を集めて、雪洞を灯し園遊会が催された。 大相撲が元山に来るというので、その一部が我が家に宿泊することになり、母が女中を督励して布団を作っていたことを思い出す。なんでも背が高いので敷布団も通常のものでは間に合わなかったのであろう。離れに行ってはいけないと言われながら、絵本で見たちょん髷を結った浴衣姿の力士姿が怪物のように大きいのに驚いた印象がある。私の初めての力士との出会いであった。 父は時の鮮銀 総裁松原純一氏の寵愛を受けたのか、僅かな期間で京城の本店に戻った。私は、社宅に近い三坂尋常小学校の1年に入学、4年まで通った。兄は近くの龍山中学校に通っていたが、銀行の貸し桟敷があって、幾度か父と相撲を観戦したことがある。 小学校の体操の時間は、印象として相撲ばかりしていたようで、大相撲の京城場所で、首投げの上手な力士がいたのか、私の取り口は、首を抱えて足をかける技が得意であった。 その頃は、玉錦の全盛の時であったと思うし、男女川(みなのがわ)双葉山が台頭した時代で、家に帰って友達とバッチンをして、ひっくり返して取り合ったが、その絵柄は力士か、乃木大将の様な軍人であったように思う。 父は別命を受けて旧満州国新京 満州興業銀行に転勤、私が6年生時代で親父も相撲は好きであったのか、よく桟敷席で相撲を見に行った。男女川は、背が高く長柄顔、後に69連勝した双葉山は、丸顔でふっくらとした面持ちで相撲人形そのもの、今も目を閉じると姿が浮かんでくる。 当時の遊びはパッチンか、画用紙を二つ折りにして力士の型紙を作り、机の引き出しの裏に墨で円を書き、トントンと板を叩いて取り組んだ力士のどちらが倒れるか、勝負をして遊んだ。四股名も金剛山だとか、漢江なんて付けた様に思う。 たわいもない話だが、相撲協会に巡業の記録が残っていれば、昭和の一桁時代の巡業先に必ず元山や新京場所があるはず、年代も確り確認できるのだが、PCではどこを探してもないのは残念である。
2006/03/02
コメント(1)
淡路・薬王寺の大鏡餅運び 噂に聞いていたが、12日厄除け祈祷大祭の最終日の余興に、大鏡餅運びが行われると言うので、友人を誘って出かける。少し早かったこともあって、駐車場もすいていた。愛機を携えて、鐘楼に陣取る。 寺の裏では、出場者であろう科、裸あり、トレパン姿ありだが、皆座布団を晒しで分厚く巻きつけている。そこに大小2つの鏡もちと台座の三方を載せて、境内の30mのコースを抱えて歩くのである。 寺の拝殿には、頑丈な三方に白布でまいた平たい餅がふた重ねにし、上の餅はずらして紐で何重にもくくってある。はっぴ姿の檀家の人に聞くと、餅米一俵(4斗)の餅で、三方と〆て153,3キロあると言うのだ。 住職の安全祈願の念仏が終わって、過去の優勝者のスポーツ用具販売の徳島・大浦さんが、裸のまわし姿で、デモストレーションを行い、前年優勝者から試合が始まった。 みかん箱の上に、キャスターで拝殿から運んできた三方を置き、地元の消防団員3人ががりで腹に持たせて、境内に横に5mおきに引かれた白線のコース・30m(折り返し)を運び18人で距離を競うのである。 コースを囲む観衆から『かんばれ』『いい調子』『もう少し』などの声援が飛ぶ。NHK始め各民放のTVカメラマンがその表情を撮ろうと群がる。中には、持ち上げてもらったのは良いが、2から3歩 歩いて投げ出すもの、よろけながらも力の籠もった歩を進める者と色々だが、見ていて力が入る。 『あんな重いものを足の落としたら複雑骨折だぜ』と話す者もあるが、歩けなくなって掘り投げるが、三方も餅もびくともしなかった。既にもちをまいた白布が破れていた。 徳島の競技者に聞くと三方を抱えて腹・腰と脚の線が、直線になれば、さほど重さは感じないが、重心を移動する足の運びが難しいという。そういえば、足の運びぐわいで距離が伸びるかが判るような気がした。 結果細身ながら地元の菊井さんが、94,5m(1往復半)と距離を伸ばし、6連勝を達成、優勝トロフィーと鏡餅大の46,3キロを受賞、徳島の大浦さんは78,13メートルで鏡餅小の41キロを受賞した。カメラを構えながら力の入った1日であった。
2006/01/13
コメント(0)
長春と瀋陽の阿片窟 1月14日の朝日新聞の一面に旧満州新京(吉林省長春市)の満州中央銀行(日本の日銀)の写真が出ていた。懐かしくそれからそれへと記憶が蘇ってくる。当時大同大街の広いロータリーに面した御影石の立派な建物で、父の勤めていた満州興業銀行も並んで建っていた。 先年長春の旅行をした折、郊外の映画スタジオの見学をした折見たが、今は金融機関が利用しているのであろう。大街には日本風の屋根が印象的な関東軍の本部も近くにあったように思う。 母が昭和15年に亡くなって、釜山の叔母の家に預けられ、兄達が内地の学校に進学して、私は6年生で父と生活することになったのだが、ここで建国10周年記念式典だったか、それとも紀元2600年の式典だあったか、小学生の私たちも参列した覚えがある。 父が、朝鮮銀行から満州興業銀行に転勤して間もない折だから昭和13年だったのか、京城から母親と共に4人兄弟で満州各地を旅行した。母と旅行したのはこれが最後であった。色々な場所を観光したのだろうが、奉天(瀋陽)の印象は強い。 東稜だったか南稜だったか、城壁に囲まれた石畳の墓標の前で撮った写真が残っている。大きな亀の背に石碑が立っていた。城外には、《ショウトル市場》(盗品市場)があって、骨董趣味の父は、大理石の狛犬を購入、切手収集の兄は、三角切手が珍しいと幾枚か買ったことを覚えている。 朝日の記事では、満州中央銀行が阿片の専売をしていた文書が発見されたと言うのだ、父は銀行でも重要な位置にいたから、このことは知っていたのか、昭和18年終戦前に淡路に引き揚げて来られたのも、関東軍の様子を知っていたからであろうか、このことは亡くなって聞くことが出来ない。 奉天に話は戻るが、案内は支店の職員であったのだろう、城外を出て、異様な空気と匂いのする中で、曲がりくねった迷路のような路地の奥に、阿片窟があった。薄暗い天井の低い洞穴のような場所で、裸電球が薄ぼんやりとともった中で10何人もの髭だらけの痩せた老人が、汚い毛布の上で横たわっていた。 もうもうとした煙の中で、咳き込みながら目を凝らしてみると、土壁にもたれて水を通して吸っているのか、長いキセルのようなものや、管からパイプで阿片を吸っているのである。我々が来ている事も感じてないようで、うつろな目が、寝ているようでもあり、何か呪文のようなことを唱えているようにも見えた。物心ついてこれが阿片窟であったことに気付いた。 阿片は、関東軍や新政府の主な資金源であったのか、中国にも密かに売り出していたと言うが、表面的には阿片中毒者が多く《毒をもって毒を制する》と言いつつ、阿片中毒者を、軍部の手先に利用したのであろう。一説には、個人や団体に委託したというから、奉天の阿片窟も公認の場所であったのか。 《大地の子》や戦後新京で戦後を迎えた友人の話が蘇ってくる。新京市内は、ソ連の参戦や国民軍と中共との戦いで銀行も荒らされ、満州紙幣の争奪がなされ、ある期間流通したようだが、よくもまあ《阿片専売特別会計》の文書が残っていたものである。 地下金庫は、誰も触ることが出来なかったようで、知っている者は、早い段階で内地に引き揚げているから後に開くことが出来たのであろう。関東軍の傀儡満州政府の全貌は、逐次明らかになっていく。新聞の記事がら、記憶を辿って書いてみた。
2006/01/04
コメント(0)
年賀状に想う 12月にはいると年賀状作成の時期到来である。歴史的には、明治時代に遡り、近代的な郵便制度が整備された頃から始まったといわれる。平安の時代では、恋文に年賀を託したものもあるようだ。 子供の頃お年玉の狙いもあって、父が正月年賀に行くのに着いて行ったものだ。玄関には三宝にお鏡・松竹梅か若松が生けてあって、小さな名刺受があり、挨拶の印でもあった。時には主が出てきて思いもよらぬご馳走にあやかる事もあった。 それも最近は年賀状が代行しているが、当時は主として会社や商家ではなかったのか、離れた親類縁者や友人、世話になっている師匠(先生)に対する新年の挨拶代わりではなかったのか。 それも本来は、1月2日の書初めの日に書いて、松の内(1月7日まで)に出すものであったようだ。年賀状に毛筆を使うのは その名残か。達筆の表書きはつい残して置きたくなる。ところが、出状数が多くなり、加えて、取り扱う郵便局が12月25日までの持込を督促するものだから、元旦に相手方に着くようになった。 現職時代は、時間がない時は印刷屋に依頼するか、仕事柄ガリ版印刷で、時には2色刷りで悦に入ったものだが、プリントごっこが出てからもっぱらこれを利用した。現在はパソコンだが《筆まめ》などのソフトを利用している。 しかし、儀礼的な面もあって、少しずつ疎遠になった人は減らしたいと思うが、出さなかった人から頂くと、出さなかった無礼を反省するのだが、そんな関係出さずにはいられなくなる人も多いのではないだろうか。 住所録に年賀状をもらった人のチェックをつけて、2年間来なければ、出すのを止めてしまう話も聞くが、これで良いのだろうか。喪中のはがきでもないのに、『来年から年賀状の交換を辞退する』と宣言した校長もいたが、これはどうやら一部の人だけに限ったようではないようで、全面的に辞退したようだ。 何か、日本人の持っている伝統とか、慣例や義理人情?と言うか、人間関係もギクシャクして、これでは阻害するのではないかと思ったりする。 長らくご無沙汰している人から賀状をもらうと、ありがたくも懐かしくもある。問題は、その文面ではないだろうか、定型文だけで、そっけないものもあり、これでは形式過ぎると思うのである。 近況報告もかねて、必ず、何か一筆書き加えて欲しいものでもある。親類から子供の成長を記した家族の写真入は、グッドアイデアではないだろうか。今年もどんな年賀状が喜ばれるか、1年の始まりに、印象に残る年賀状にしようと思案するのである。
2005/12/02
コメント(0)
(旧満州新京第二中学校の同窓生、堀内ドクターからの注意である。読者にも参考になると思うので掲載する) 毎年インフルエンザ流行の季節になると、高齢者の問題が取り上げられる。高齢者は重症になりやすく、死亡率が高いためである。高齢者は免疫能(抵抗力)が低下しているばかりでなく、既に心臓、呼吸器、腎臓、血管などの障害、糖尿病などを持っている人が多いために、感染によって重症の肺炎などを併発しやすくなるからである。 インフルエンザウイルスは、咳やくしゃみなどによって、周囲の人達に感染する。症状は風邪と同じようだが、38℃以上の高熱、頭痛、関節痛、筋肉痛などの全身症状が強いのが特徴で、特にインフルエンザが流行している時にこのような症状が出たら出来るだけ早く医師の診察を受けることが大切である。 現在インフルエンザの特効薬《ノイラミニダー阻害薬》がある。インフルエンザウイルスの表面を覆っている蛋白のノイラミニダーは、ウイルスの増殖を促進する働きがあるので、この蛋白を阻害する薬である。 しかし、感染後日が経ってウイルスが多くなりすぎると、薬の効力が弱くなる。このため、発症後できるだけ早く(48時間以内)受診して、この薬を飲む必要がある。 医師のところには、普通の風邪か、インフルエンザかを簡単に検査できるキットがおいてあり、綿棒で咽頭ぬぐい液か、鼻水をとって30分ぐらいで検査できる。普通の風邪にはこの薬は効かない。 インフルエンザの予防には、ワクチンが有効で、現在普及しているワクチンは、発症を100%おさえるわけだはないが、仮に発症しても病状が軽く効果がある。 摂取してから体の中にウイルスの抗体が出来るまで、約2週間を必要とするので、ワクチンを摂取する時期が重要である。そして抗体は5ヶ月間持続する。 従って、インフルエンザが流行する前にワクチンを接種することを勧める。昨年ワクチンを摂取したから今年はしなくてもいいだろうと考える人がいるが、抗体の持続期間が5ヶ月しかないから、毎年摂取してインフルエンザウイルスノ対処して欲しい。
2005/11/28
コメント(0)
私はある社会教育施設に3年勤めていた。宿泊500人収容できる屋舎があって、夏場は研修生が、阪神間や四国から入所してくる。近くに川口があり直ぐ海の地形から、カッター訓練で大学や中高生には人気があり、主催事業で淡路島の離島 沼島カッター遠漕や鳴門海峡横断カッター訓練も行ったことがある。 川口から海に出るとのり網が仕掛けれあって、漁家の冬場の収入源になっている。施設の排水はこの川に流れているのだが、海のにおいか、魚の腐ったにおいが何時も漂っている感じであった。 ところがそのにおいが、施設のし尿浄化槽の故障が原因と判った。これまで少量であったが、大きく破損して大量に流れたのであろう。早速修理に及んだが、その年ののりの生育が悪くて収穫が激減したようだ。川に流れたし尿が成長を助けていたのであろう。 現在はもう過去のことなのか、現在も如何なのかは知らぬが、海苔の養殖には、自家製のし尿処理もかねて、のり網にかけたというから頷けることでもある。海苔を製品にするには、大量の水で洗うのだから特に忌避する必要はないのである。 播磨灘に面した13漁協は、のり生産全国一であったが、最近は、のりが色落ちしたらしく、のりの成長に必要な、窒素・リンを冬場に増殖する植物プランクトンが、のりよりも先に食べるのが原因とわかって、このプランクトンを食べる二枚貝のウチムラサキを放流したようだ。 真っ黒ののりは、巻き寿司にしても光沢があって、いいものだが、やや茶色がかったのりは、全くその価値を失ってしまうから、このことは死活問題に繋がるのであろう。 淡路島の沿岸でものりの養殖は盛んで、淡路市北淡町ののりは浅草のりとして出荷されているようである。昔の農家は、化学肥料を使わず、全て自家製下肥であったことを思えば、窒素・燐酸・カリを含んで重宝で、それは陸でも海でも重宝なものであったのだ。 さて、現在は、それに変わる薬品を使用しているかどうかは知らないが、異常なプランクトンの発生も薬品や生活廃水によるものであろうか。し尿の話をしたが、頭髪の薄くなった私は、常に食卓にのりは放せない存在になっている。
2005/11/25
コメント(0)
皇位継承問題 どうやら皇位継承は長子優先で一致したようだが、そもそも、皇太子の長子が、女性(愛子様)であることから女性天皇云々を後にして、長子優先が決まり《皇室典範に関する有識者会議》が持たれたのであろう。 皇太子妃 雅子様の出産に関してこれまでのように男子を継承者とした場合、次の男子が生まれる期間、国民の目は、次の出産を待ちわびるであろう。それに、次の出産が、男子である保証はない。 だから男子・女子にかかわりなく長子とすることで『将来 天皇として幼少の頃から、国民の期待を込めて見守ることで安定性がある』という見解は、判るような気がする。 三笠宮は日本の伝統を簡単に変更してよいものかの疑問を投げかけ、なければ、『皇族や元皇族の復帰など男系継承を守るべきだ』という意見には私は賛成である。現行継承では、1皇太子 2秋篠宮 3常陸宮 4三笠宮 になる。 皇太子の長子が女性であることから論議が始まったのだが、皇太子妃 雅子様には今後出産の見込みがないのか、その辺もプライバシーの関係で明らかではないが、今後男子が生まれた場合、皇室典範が国会を通ってしまっては、問題が残ろう。女性天皇の継承順位は、1皇太子 2愛子様 3秋篠宮 4秋篠宮の女子となる。 問題は、天皇家の継承の問題と、日本国の象徴としての天皇位の問題が絡んでいて、これらの審議に、皇族が加わっていないことにも問題があるように思う。 どちらを優先するかは、やはり、国家的な見地からであろうか。 今ひとつ、女性天皇が即位した場合、その夫となる人選には難航するのではないか、皇族・元皇族の男子なのか、それとも民間から選ぶのか、それなりの育ちである所謂家柄や知性や教養の持ち主であることが、女性天皇の夫としの必要条件になろう。これも今後難しい問題である。 又、女性皇族が結婚後も皇室に留まることも認められるようになるらしいが、安定的な継承のため必要というが、裾野は広がり国民の負担は増大する。時代によって、継承が変化するようでは、日本国の象徴としての天皇の意味が薄れよう。 詳しいことは判らぬが、このことに付随して難しい問題も多いと思われる。天皇位継承については、両論充分に国会で論議し、更に国民感情も勘案して決めてもらわなければならない。有識者は素晴らしい方の集まりだろうが、天皇と国民とは密接な関係があることを忘れないで欲しいものだ。
2005/11/23
コメント(0)
強い日本人力士の台頭を願う 相撲フアンなら誰でも強い日本人力士の出現を願いながら、それでいて外国人力士の活躍に対して、現状ではその強さを期待する。全く矛盾した現状の中で、これも止むを得ないのかと感じるのである。 それは社会的な環境の変化もあろう。昔はどの学校にも相撲場があり、保護者もそれを奨励した。力士の中に青森出身者が多いのは、相撲好きの大人が多いからであろうか。 外国人力士は、ハングリー精神が旺盛で、言葉の通じない日本に来て、それなりの努力が実を結んでいるのではないか。肥満型の日本人力士に比べて筋肉質な感じがする。 その一面、これまで高見山、小錦、曙、武蔵丸のハワイ勢の大柄な力士に対抗するために体重を付け、体を大きくするために、重点を置いた時代があったようで、そのことが下半身の負担を大きくし怪我人が続出する結果を生んだようだ。 子供の時代から相撲フアンだが、病気などで休場はあっても、怪我は少なかったのではないか。相撲の基礎のシコやテッポウ・すり足、などが中心で、親方の指導も竹刀をもっての厳しさがあり、場所も少なくその間に鍛錬されて、相撲の基礎体力が充実したのではないだろうか。体重に重きを置いて暴飲暴食が、不充分な練習で消化せず、筋力のない力士を作ったではないだろうか。 勿論、少子化、指導者不足、相撲以外のスポーツ志向など、社会的環境の変化も否めないが、それを克服するために、協会では、講習をして《相撲指導者適確認定書》を出して、各地で相撲教室などで活躍してもらうようにしているようだが、今年は57名で絶対数も少ない。 子供が裸になることに抵抗があるのも一因だが、まわしをつけることを嫌うところから、《相撲パンツ》の使用なども勧めているという。 近年外国人力士の入門が多いのは、大相撲の世界的に世界巡業や他の格闘技が見直されていることもあって、日本で行われている大相撲とは別に、アマの世界相撲選手権や、男性に限らず、女性力士の対戦も行われていることもあって、今後も外国人力士の素晴らしい人材が入門する可能性だってある。 柔道のように体重別などはなじめない。それは国技の消滅を意味する。現在の状況が進めば、もう国技などという接頭語は、付けられなくだろう。さしずめ、日本人力士の入門者の多い大学の相撲界で、現在の大相撲力士の弱点を勘案して強い日本人力士を育ててもらうしかないように思われる。 更に、現力士を育てる親方衆に眼前の勝ちを意識するより、本来の足腰の強い基礎体力を養うよう努力してもらう意外にはない様に思う。横綱審議委員もこのことには、提言しているのだろうか。
2005/11/15
コメント(0)
淡路島女子駅伝観戦 初冬に入ると陸上競技の花、駅伝やマラソンが始まる。TVの放映はかがさず観戦するが、抜きつ抜かれつは、人生の縮図を見るようで見ごたえがある。 例年11月3日に行われるこの駅伝は、一宮町いざなぎ神社をスタートし、淡路島の西海岸沿いのコースを辿り、四国に近い南淡町役場までの6区間で、住民協賛のコスモスの道 45,195キロで、中部・北陸・関西・中国の実業団12チームで競われる。 友人に誘われて6区中継所1キロ手前で選手を待つ。沿道には、赤いジャンバー姿の係員に警官が立っている。道路規制のパトカーが通過して、マスコミの車や白バイに囲まれてトップの京セラ 阿蘇品照美選手が通過する。次の中継点まで後僅かなのだが、まだまだ余力のある走りであった。 2位にスズキの八木洋子選手であったが、最終区で天満屋の泉 有花選手が力走して区間賞を獲得する走りで2位に食い込んでいる。因みに結果では、京セラは、6区間全て3位まで区間賞を取ったようだ。 この地点で10位の四国電力の高井志保選手とユタカ技研の小田頼子選手が並んでデットヒートを見せたが、この順位は変わらなかったようだ。(画像)余談だが、やはり女子選手。薄らと化粧しているのも女性の身だしなみだろうか。 力走する選手のたくましさ、たすきにはチームの願いは勿論のこと、長期間汗を流して練習したみんなの努力が凝集されて、自らの責任区間を必死に守っているのであろう。そのけなげな姿には、感動さえ覚える。 12月には、全日本実業団対抗女子駅伝が岐阜で行われるようで、淡路島を走った京セラ・天満屋の健闘を祈りたい。
2005/11/04
コメント(0)
日本シリーズ阪神敗退 鐘も太鼓も鳴ってしまった。結果的には1勝も出来ずに終わってしまった。過去の記録では、3敗して優勝したチームもあることだし、勝って勢いに乗るかと思ったが、エンジンが、かかったと思ったらバンド失敗で適時に得点できなかった。 第1戦。井川だったが、ロッテとの交流戦で無四球完封したエースなのだが、投球動作が頼りないし顔つきも悪い。彼には幾度も期待を裏切られているが、やはり背信であった。霧もかかって、エンジンがかからないまま終わってしまった。 第2戦。安藤が追い込んでから打たれてKO.フランコに連続ホームランを浴びて前日の井川を髣髴させ、10得点で第2戦も敗退。 第3戦。いよいよ下柳の出番。それも甲子園である。ロッテにすき放題にされて重苦しい雰囲気だが救世主である。大丈夫と思ったが、4回満塁から微妙な判定で精神的な打撃があったのか、5回で降板。変わった藤川も打たれて10得点も許してしまった。 第4戦。杉山を立てて継投でやっと本来の阪神に立ち帰った試合の展開かと思ったが、バンドの失敗・併殺は敗色を濃くした。投手を責められない面もあるが、打撃が点を取ってくれれば、投手だって立ち直る機会があるのだ。 通算打率・・矢野の417は良いとしても、主砲の金本077・今岡の143で、ロッテ打線の今江の667を筆頭に、李の本塁打を含む545・他の選手も3割は打っているのに、主砲がこれでは勝ち目はない。道頓堀に飛び込みを阻止するために負けてのだとは、熱烈なタイガースフアンの皮肉である。 忘れ物ものを取りにいくどころか、返り討ちにされて、ダメ虎の汚名を受けよう。セリーグでの今岡の打点王・赤星の3年連続の60盗塁・抜群の安定感を誇る下柳の15勝3敗・シリーズ80試合登板の中継ぎ投手の藤川は、プロ野球新記録・金本だって全試合出場し、ホームラン40本も打っているではないか、あれは一体なんだったのか、全く今までのペナントレースの成績が泣く。 阪神はセリーグの試合を終わって、長い試合のないブランクが敗因と理由ずけるが、それでも2試合も対戦すれば、感派戻って来て欲しいし、岡田監督も焦りがあったのだろうか。 阪神のベンチは、悲壮感が漂っているのに対し、ロッテのベンチはチュウインガムを膨らせて余裕さえさえ感じさせた。勝たねば成らぬという緊迫感が、精神的に各ナインに、無言の内にそんな雰囲気を作っていたように思う。 優勝パレードは御堂筋で行うのか、何か力が抜けた。気抜けしたビールの感は否めない。それにしてもTVでバレンタイン監督の唾吐きは誠に感じが悪かったし、写すTV局ももっと考えるべきではなかったのか。 阪神にとっては言い反省点が生まれてように思う。来年のペナンとレースには、今回を参考に、技量の向上も当然だが、充分な精神的トレーニングを積んでもらいたいものである。
2005/10/25
コメント(0)
「虎いまだ目覚めず」とは読売新聞の見出しである。 2戦とも手法の金本・ 今岡が不発に終わって、嫌な空気がみなぎってきたが、今までペナントを勝ち抜いてきた、阪神ナインは、3戦目は期するところがあるのでろう。尼崎の商店街は、こぞって宮参り、下柳投手の出番。彼こそタイガースのエース。ぜひ鬱憤を晴らして欲しい。 岡田監督に焦りなどないはず、いよいよ甲子園での対戦なら、フアンの応援で必ずや勝って欲しい。それにしてもバレンタイン監督の唾は気には、TVのミキサーは考えるべきでないのか。サインを出す感じのときは兎も角、口をもぐもぐさせたら、画像を切り替えること、 1日の休養で、充分英気を養った、第三戦勝利に導いて欲しいものだ。
2005/10/24
コメント(0)
靖国参拝の首相の思惑 読売の《編集手帳》氏のコラムむに、誠に適切に今回の首相の靖国参拝の心境を読み取っているように思う。漱石の《草枕》を引用して『知に働けば角が立つ』理知の筋論で割り切ると角が立つ。戦没者の追悼に方法に他国から とやかく言われる筋合いはないのだが、批判も抗議も生まれる。 それなら、『情に棹差せば』感情論で、相手の言い分を唯々諾々と受けていては、竹島や尖閣列島・ガス田など領土や資源を言いなりにされる恐れがあるのだ。知に働くのか、情に流されるのか、小泉首相の頭の中で行きつ戻りつ去来したのであろう。 そこで『意地をとうせば窮屈』なのだが、意地を通したのだが、これまでの八方美人外交に鞭を入れた感じがする。世界の国々は、日本の(小泉首相の)このことに対してどんな態度を取るかは注目していよう。 毅然として内政干渉に対して反対し、日本人の国民感情を知らしめた行為に対して批判する国内の議員や政党は、今の隣国のあり方を正当だと考えているのだろうか。 中国は、日本国内の首相の靖国参拝を取り上げて、都市と農村の経済格差に対する民衆の反発のガス抜きをしているのであろう。韓国も同様で、それなら、中国や韓国の日本に対する歴史認識はどうなのか、逆に指摘してもいいはずではないのか。 それらのことを「申し訳ない」と低姿勢で受け応えしていては、今後日本の国益に対しても、国際条理に反する要求を押し付けられる可能性が生まれてくるのである。 《草枕》の冒頭『山路を登りながら考えた』と同じように九段坂から参道を通りながら、小泉首相の脳裏を駆け巡ったであろうことを、参拝に反対する人達はこの配慮を知るべきであろう。 今回の靖国神社に参拝したことで、大使館や領事館に投石したり、反日行動で日本人へ危害が及ぶようなら、国連に提訴しても厳重に抗議すべきである。 「終」
2005/10/18
コメント(0)
朝青龍にかげりが? 朝青龍の取り口はスピードが身上で、相手力士がが考える暇もなく次々と技を繰り出して、責めの一手の相撲である。守勢に回ると取りこぼしが生まれる。 初日、普天王との相撲では、体格も良く似ていて、寄る横綱を腰をそらせて残し、まわしが切れたのを幸いに、下半身の粘りで押し倒した。横綱も初日で、勝てる相撲と相手を甘く見ていたと『調子を下ろしていた』と自分の敗因を認めている。 11日目、安美錦の下から頭をつけて攻め込み、土俵際 安美錦と体勢を入れ替えようとしたが、左足技がかかって土がついた。この2番の勝負は、朝の不覚であったのだろうか。 批評家は、朝青龍を倒すには、上背があって、懐が深く朝には負けないほどスピードがあること。まわしを欲しがらず、長いリーチで腕を手繰られないよう突き押しには、必ず勝機があるという。慌てないことが肝心でという。 その点11日間白星を続けている琴欧州は、この面ではぴったり当てはまる感じがする。さて、千秋楽までには、6連勝優勝のかかった朝青龍との取り組みがもたれるであろう。リーチもあり、誠に落ち着いて、考えて相撲を取り、このスピードを横綱がどう受けて立つかである。まわしを取られては、問題なく負けはしないかと思う。親方も目を見張る白星は、ひょっとすると優勝も夢ではない。 それにしても魁皇は早々と膝の故障で休場、栃東も11日目で3敗。千代大海もやっと角番を脱した程度で、かねがね言うことだが、日本人力士のふがいなさが目立つ。 この調子で琴欧州が自力をつければ、早晩大関に昇進しよう。日本人力士の奮起を望みたいし、即断は出来ないが、琴欧州は、やや陰りの見えた朝青龍に肉薄して、天敵になってもらいたいものだ。相撲が面白くなる。 「<終>」
2005/09/22
コメント(0)
森の石松の夢 もうかれこれ3週間になる腰痛が、なかなか治らない。整形外科で診てもらったら腰の辺りの背骨が鋭角に尖っていてそれが刺激しているのであろう。整形はレントゲンばかりとって、・・これは当然だろうが、通うたびに映すのである。結果《加齢による腰痛》といわれては、歳を遡ることも出来ない。温シップ薬と痛み止めをもらって帰ってきた。 朝寝起きの初動作が痛い。友人にこのことを告げると、ベットの柔らかいのが問題ではないかという。兄も遺伝か、同様で旅行してもベットには寝ないで、床に毛布を敷いて寝るという。仰向けに寝るより横に寝る方がいいとも教えてくれた。 私のPCを指導してくださる方に相談すると『私はとうとうマットを除いて畳にしましたよ』と笑いながらである。それではと思いついたのが、和室で乗ることである。 毛布に敷布を敷いて、5日ほど寝たが、腰が伸びて誠に気持ちがいいが、起きる時にやはり激痛が走る。町の接骨院は腰痛には効くというので2日ほど通った。温シップと電気治療にマッサージをしてくれる。評判どおり一時押さえにはなるが、時間とともにまたもとの木阿弥である。 結果的には、材木屋にコンパネを注文して、ベットのマットに置き、寝ることしたが、どうも肩が痛いが、起き上がるのにはさほど痛みは感じない。 2日目夢を見た。浪花節のご存知森の石松である。不思議に私は付き人になっていた。清水の次郎長の代参で金毘羅参りの帰りに、都鳥吉兵衛の弟常吉のところに立ち寄る。 言わなければいいのに親分のお蝶姐御の見舞いに御幸山の謙太郎から25両預かったことを話して、気の良い石松は、吉兵衛に貸すが、催促が結果的には、子分の返り討ちに合い、深手を負うあの下りである。 私は助太刀に向かうが、同様に背中に袈裟懸けを負う。石松とともに戸板に乗せられて運ばれる私がそこにいた。傷口に焼酎を拭きかけられ『痛い!!』と叫んで眼が覚めた。 なるほどコンパネの上で寝ていることがこの夢であったのかと納得するのである。たわいのない話である。
2005/07/13
コメント(0)
日本叩きに毅然外交 北朝鮮と韓国の閣僚級会談がもたれて、日本植民地政策に対する賠償放棄を振り出しに戻して要求すべきで、更に歴史問題についても、日本に反省を求めることに合意したという。北朝鮮と韓国で日本たたきが始まった。 日米と韓と北に対する温度差は、既に米韓会談でも感じられたが、ここに至って、はっきり考え方が違っていることが、この韓朝会談で明白になった。 北朝鮮の日米韓分断のシナリオが、完全に韓を味方につけた事になる。更に、その矛先は、今回の日韓首脳会談で、全く北の核問題に対する協議は先送りして、出かけた小泉首相は、靖国問題など宿題をもらって帰って来たに過ぎない。 アメリカは、イラク復興と言いつつ、未だにテロ攻撃を受け、イランの核疑惑さえも決着がついていない問題を抱え、北に対する思い切った対応が出来ないでおり、寧ろ無理をしないで時期を見ているのであろう。アメリカは、5万トンの食糧援助をする報道もある。駄々っ子に手を焼いている。 金正日は《朝鮮半島の非核化は金日生の遺訓》と言いつつ、核保有国に仲間入りをして、アメリカとも対等に交渉しようとしているようで、このことは、中国も手をつけないでアメリカに依存しているようでもある。 北は、6カ国協議のテーブルに着けないのは、アメリカの対北強硬姿勢を変えないことを理由とし、その間に日米韓の分断を画策しているのである。北は韓と、一応意見の一致を見たが、核問題は棚上げにして、太陽政策にのっかかって食料や肥料の供給を受け懐を肥やしているのである。 中国は、北朝鮮とは互いに利益を共有しながら、結局は、裏では、アメリカに敵対しているのではないだろうか。それはロシアにも言えるように思う。核開発に血道を上げている北朝鮮に対して、6カ国協議で進展がなければ、国連に経済制裁を提訴するというが、中国が理事国として、クレームを着けるとも限らない。この辺は未知数である。 日本もアメリカの庇護一辺倒ではなく独自の外交・勿論、北朝鮮寄りを意味するのではないが、船舶の入港阻止・中国との貿易一時停止・ガス田開発の強い姿勢・竹島問題領有強硬外交・台湾などとの尖閣列島交渉・北方4島の即時返還などなど、理事国入りが出来なければ、出資率を下げる又は、ストップするくらいの外交をとってもいいのではないかと極論したくなる。 何時までも靖国や歴史認識じゃと内政干渉を許してはならない。バブルがはじけて、耐乏の生活を味わったから、このことで多少は日本も傷むだろうが、今、毅然とした態度をとらないと、全く世界中から蜂の巣のようにつつかれるのは必定であろう。
2005/06/24
コメント(0)
『冬ソナ』から青春の回想 鶏が先か、卵が先か、早く目覚めるから早く寝る。NHKで《冬のソナタ》が放映されていることを知っていたが、早寝早起きの私には時間的に鑑賞する機会がなかった。 ところが新聞の広告に出ているし《韓流》なんてことばも生まれ、来日したTVや冬ソナツアーにコマーシャルにも出てくるし、私はソール生まれだから、尚更興味が湧いてきた折、友人がCDを貸してくれた。 ラブストーリーで三つ巴の恋に、意表をつくどんでん返しが織り込まれ、7枚のCDを興味を募られながら、一気に見てしまった。そこで頭に浮かんだのが、千 昌夫の《星影のワルツ》である。雪の降る場面が多かったためか、それからそれえと青春の回想が蘇って来た。 友人の彼とは、新任当時から一緒に勤務して親しかったが、幾年か阪神間に転勤して、また同じ市で出会うことが出来た。雪国育ちで、高校当時は国体にも出たスキーの名手で、誘われるままに彼の実家の志賀高原に出かける。 予告はなかったが、彼が宝塚で一緒に勤務していたのか、女性が一人同乗してくる。3人旅は楽しかったし、南国育ちの私は、雪景色も素敵だったし、スキーも彼女と共に教えてもらい上達する。 夜はコタツを囲んで、久しぶりの息子の帰省に、母親の心づくしのご馳走に舌鼓を打ち、酒も存分に飲み、彼は自慢の民謡を歌い、雪の降る外の景色は、我々を暖かく包んでくれた。 私は彼と同じ部屋でやすんだが、夜中に目覚めると彼の姿はなかったが、朝は同じ部屋で目覚めた。彼女は結婚するらしい。好きであった彼に最後の出会いを求めたのであろう。 スキーにの後は温泉で疲れを癒し、近くのスナックに行く。彼は当時流行っていた《星影のワルツ》を幾度も歌った。♪“別れることは辛いけど、仕方がないんで君のため 別れに星影のワルツを歌おう 今でも好きだ死ぬほどに・・♪さよならなんてどうしても 言えないだろうな 泣くだろうな 別れに星影のワルツを歌おう”♪ 一緒に座っている彼女の目に光るものを見た。 彼は私に彼女のことは一切話さなかったし、私も問いもしなかった。今の奥さんは、彼女とは別人だから、悲しい別れであったのであろう。 退職した後、全く疎遠になっているが、冬のソナタのストーリーから雪・スキー・星影のワルツ・親しかった友人と宝塚の彼女・・・など、 をたわいもない思い出が蘇ってくるのである。
2005/06/16
コメント(0)
審議拒否は議員失格 郵政民営化法案特別委員会設置が国会で通過したが、議場民主・社民の議席は空白であった。議長の入場に際しても民主党当選1回議員等が『委員会設置強行採決反対』を叫んだが、如何なる悪法たりとも審議に対して、反対意見を述べ、自党の主張を国民に明らかにすべきだ。 この法案をめぐって、1ヶ月以上の論議がなされているのに、次期政権等を自負するのなら野党として代案を出すべきでそれも出さず、単に反対では国民は承知すまい。 民主党は3回目の審議拒否作戦だそうだが、旧態然としたこの戦術には国民の大多数反対ではないのか。如何に自民の横暴を街頭宣伝で行っても、まずその足元を見よであろう。これは、己に唾吐く行為である。 小泉氏の盟友 山崎拓氏を特別委員会の与党筆頭理事にすえるやら、総務省の民営化に消極的な幹部を更迭、首を挿げ替えるなど、また郵政族の反対運動も排除し、時には解散をほのめかしながら、是が非でもこの法案を通そうとする並々ならぬ小泉氏の意向が現れているように感じる。 これまで郵政事業を3分割するとか、持ち株会社云々と新聞紙上に度々取り上げれれたが、今までとどう変わっていくのか、民営化したのみで今までどうり国内一律の業務が出来れば問題はなかろう。 審議の中でどう変わっていくのか、どこに欠陥があるのかは法案を作った自民党以外の野党の追及が必要なのであろう。それを反対だから審議拒否では、どこがどうなのか、見えて来ない。 それにしても、自民党内の郵政族が、もし、自らの票田を失う可能性がありとして、ことごとく反対しているとすれば、余りにも国民を無視したそしりを受けよう。 さらに、反対の底根に郵便貯金と簡易保険340兆円の財源を 我が物顔に無駄な支出をさせるために反対している向きもありというから、選挙の時の《国民の皆様のために立候補》とは全く相反する事になろう。
2005/05/21
コメント(0)
6カ国協議延期と核保有宣言 北朝鮮が6カ国協議を無期延期し核兵器の製造と保有を宣言した。その裏には、イラクの選挙が終わっても、まだアメリカは軍隊を撤退するまでは、1年はかかるであろう。その間アメリカは強硬姿勢を北朝鮮に対して取るまいという読みがあるようだ。 ボルトン米国務次官が言うように『戦力増強のための時間稼ぎと、核カード強化のためで、アメリカの柔軟な対応を引き出そうとしている』ようだ。中・露・韓を味方につけて、アメリカ・日本の離間策をとっているようで、現在日本国内で沸騰している北朝鮮への経済制裁を牽制しているのであろう。 6カ国協議が始まるとすれば、その間遺骨の鑑定結果も6カ国協議の中で科学的な立証がされて、全てについて反論できないことになるのは明白になってくる。 しかし、そこが狡猾な北朝鮮の手法で、眼前に6カ国協議を拒否すると当然国連安保理に移って、各国から経済制裁が決議されることを恐れて、無期限中断という含みを持たせているのであろう。 北朝鮮の核兵器の製造にしても交渉のカードとか、外部からの攻撃の抑止力として製造し、どこまでも自衛のためとして、積極的な使用とは言ってない。使用することを歌えば、アメリカの武力制裁は当然生まれよう。瀬戸際のぎりぎりのカードを切って様子を見ているように思われる。 アメリカにしても他国に核兵器を売却する可能性も生まれようなら、核拡散を阻止しようとするアメリカは許す筈がなく、当然そこには武力制裁が介在するのではないだろうか。 さて、このまま進展がなければ、仲介に入っている中国の面子はつぶれるし、6カ国協議を再開させるために中国の経済的な圧力は当然かけて来るのではないだろうか。それは、日本の制裁より北は、こたえるのではないだろうか。 核保有は規制の事実としても公にしたことで、ロシアはこれに対してどんな反応を示すかである。北朝鮮が強硬な発言をすることは、それだけ窮地に追い込まれたことになる。今後の中国の交渉や、北朝鮮の出方が注目される。 拉致問題については、多数の署名が提出されたようだが、日本国内で政府批判も結構だが、こんな北朝鮮の発言では、相手が相手だけに、進展しないのは当然であろう。人道的に許せない事ながら、今は見守るしか方法はないような気がする。
2005/02/11
コメント(1)
魁皇・若の里に失望 モンゴルという国を代表した自負と、他国での天性を発揮して活躍している朝青龍は、けれん味のない相撲の取り口で、右親指の負傷も癒え、取り組みが進むにつれて、地力を発揮している。 そんな意味からいえば、白鵬・琴欧州・黒海・露鵬・旭天鵬・朝赤龍・春日王など白星を重ね、将来の有望株なのだろう。こんな調子だと、上位陣は、外国人力士で埋まってしまいそうな感じさえする。 そこで期待したのが、魁皇であったのだが、初日 岩木山で危ない相撲で勝ちはしたが、3連敗、自力で綱取りは今のところ絶望であろう。取るごとに地力を発揮する朝青龍は、仮に1敗があって、また白鵬と優勝戦があったとしても魁皇の綱とりはないだろう。 今一人、若の里の大関取りも暗雲が垂れ込めて、万年関脇の座さえも、今後の取り組みによっては危うくなってきた感じさえする。取り組みが進むにつれて、上位との対戦があるので、心もとない。 これとても日本相撲の伝統によって、一応の作法としているのに、大相撲の頂点にあり、力士の手本たるべき横綱なら、当然踏襲するべきなのだが、こんな簡単なことでさえ、『流れで左手が出た』では済まされないことではないのか。厳しさが、相撲界から失われつつあるように思う。 兎も角、日本の国技である以上日本人力士の奮起を臨みたい、今の時点では、千代大海に臨むしかないのか。魁皇・若の里には失望した。気を取り直して、来場所に向けて、激しい申し合いは当然として、精神面の鍛えを望みたい。
2005/01/14
コメント(1)
明けましておめでとう御座います。旧年中は、SNpの皆さんに大変お世話になりました。分けても、西尾様を中心とした皆様には感謝いたしています。有益な講習会を今年もどうぞよろしくお願いいたします。----- Original Message ----- From: To:
2005/01/01
コメント(1)
《笑う角には福来る》笑いの科学 旧満州新京第二中学校同窓生で、世界的な実績を上げておられる堀内ドクターが同窓会誌《楡ニュース》に「笑いの科学」として一文を載せてくれた。興味のある話なので皆さんにご披露したい。******* 笑いにも科学があるのでしょうか。実はあるのです。東京の医科大学に落語好きの先生がいます。人気の落語家とも懇意にしています。その先生は、関節リュウマチという病気を専門にしています。 関節の痛みに悩まされている患者さんは、毎日いらいらして、不眠が続き、気分が落ち込んで、食欲もなく笑顔もありません。そこで、この患者さん達に落語を聞いてもらって気分転換に役立てたいと考えました。 早速、知人の落語家一門の人たちに交代で病院に出張してもらって、定期的に《病院寄席》が開かれるようになりました。落語を聞いていた患者さん達の顔は、次第に明るくなり、睡眠が取れるようになり、食欲も出てきました。 更に不思議なことは、関節の痛みが軽くなったと訴える人が多くなったのです。その先生は、これらの患者さんの変化を科学的に証明しようと考えました。そして落語を聞く前と、聞いた後での患者さんの血液中の色々な成分に変化が見られるか、どうか調べました。 その結果、リュウマチの関節内の炎症を促進している幾つかの悪玉物質の値が正常値に近くまで下がっており、反対に気力を失っていた幾つかの悪玉物質の値が正常値に近くまで下がっており、反対に、気力を失っていた免疫機能を高める善玉細胞の活性が上昇していたことが判りました。今まで考えもしなかったデーターが出たのです。この先生の笑いの効果に関する一連の研究は、10年以上も前に発表されましたが、その論文は、外国の医学雑誌に掲載され、反響を呼びました。 病気の治療に薬剤の投与や手術などは必要ですが、日常生活の中にある笑いが、強力な補助療法であることを化学的に証明したわけです。この事実に端を発し、笑いの科学は徐々に普及し《笑いの学会》まで出来ました。 またある大学では、糖尿病の患者さんの血糖値が、笑いによって低下することを認めたばかりではなく、笑いが糖尿病の遺伝子を変性させることまで突き止めました。まだ色々笑いの効果の例はありますが、気持ちの持ち方で、お金のかからない重要な治療法になるわけです。 昔から《笑いは健康の元》とか《笑う角には福来る》と言われているように、大いに笑う機会を作ろうではありませんか。老化防止にも役立つことは間違いありません。
2004/12/19
コメント(0)
虫のいい話ですが、紹介のあったフリーのウィルスを紹介してください。
2004/12/17
コメント(0)
何時も活動してくださる役員や班長さん18名を呼んで4月からのお礼もかねて忘年会。料理は1500円の仕出、ビールにお酒にジュース。総経費4万幾ら、皆カラオケが好きで、会で購入した機械で歌います。CDやレーザーは各自持参。楽しい夜になりそうです。
2004/12/09
コメント(1)
わがSNPのアイドル。石谷嬢が肺炎で入院とお聞きしました。ハードなスケシュールをこなしてこられ、お疲れが溜まったのではと心配しています。十分静養なされて1日も早く退院なさることを祈ります。<終>----- Original Message ----- From: To:
2004/11/18
コメント(0)
このMAILが来ないように調べましたが、『編集画面の操作目メニュー』が、探せないでいます。お教えください。尚ニックネームを『暁さんさん』になっているのを『暁1929』と訂正したのですが、まだ『暁さんさん』になっています。変更の仕方をお教えください。暁 太郎 ??????@anet.ne.jp----- Original Message ----- From: To:
2004/10/27
コメント(0)
Blogの講習に参加しました。
2004/10/19
コメント(8)
全33件 (33件中 1-33件目)
1