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2020年11月03日
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ 巌流島の旅(その9)

6日目

午後4時ごろ、新門司港のフェリーターミナルに行く為に、きょうは1日中小倉にいる。


朝7時ごろ、小倉駅の側のマクドナルドでコーヒーを飲む。


マクドナルドの2階から小倉駅が見える。


小倉駅から”都市モノレール小倉線”に乗る。


小倉駅から2つ目の旦過駅に降りる。


北九州市役所の前の柴川を歩く。


森鷗外の文学碑


小倉城


殿様の籠


佐々木小次郎の刀と宮本武蔵の木刀。
宮本武蔵は、巌流島の決闘の後小倉藩に抱えられる。

ここで生涯を終える。


天守閣からの眺め。


小倉城の隣に”松本清張記念館”はあって、2度目だが前は素通しだった。
今回は、2時間半じっくりと見て回った。
中を写真に撮ろうとしたら、写真はダメだということだ。
2階と地下で、見た感じでは3人の女の人とガードマンが1人と食堂があってそこに1人である。
それに、文藝春秋の松本清張の編集者だった藤井康栄が館長である。

自分が、行ったときは昼だった。
自分が行ったときは、観客は1人しかいなかった。
どうなるのか。

「清張と戦争」と「清張の原風景」の2冊を買ってきた。
各600円だ。


小倉駅北口


新門司港ターミナル
JR小倉駅新幹線(北口)で、15時40分に新門司港ターミナル行きが出る。
ここは、これで3度目だ。
「名門大洋フェリー」が、只でバスを出す。(タクシーでは4500円)

いつも混んでいるが、今回は混んでいる以上の2台のバスが来た。

小倉から40分掛かった。
2艘フェリーが出るが(後は3時間後)、自分は後のフェリーを頼んだが前のフェリーにしてもらった。
着いて40分後、後の件に直して、GoToトラベルの為1100円返還された。
ようやく、15分後に直してもらった。



17 時​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ ​に出発 ​し、明日5時半大阪に着く。





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最終更新日  2020年11月03日 00時03分45秒
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Re:巌流島の旅(その9)(11/03)  
最近、松本清張の芥川賞受賞作「ある小倉日記伝」の主人公・田上耕作氏についてちょっと調べ、あるブログにコメントした文章をそのまま貼り付けます。

松本清張の<或る「小倉日記」伝>、学生時代に一度読んだだけなのですが、
作中に出てくる伝便の鈴の音は今も脳裏に残っています。

★「伝便」とはどのような仕事だったのか?

と思ってネット調べをしましたところ、あるサイトに以下のような記述を見つけました。

「会社の記章の付いた帽子を被って、辻々に立っていて、手紙を市内に届けることでも、途中で買って邪魔になるものを自宅に持って帰らせることでも、何でも請け合うのが伝便である。手紙や品物と引換えに田上耕作は、小倉にいた実在の人物である。――彼は、森鴎外が小倉に滞在した明治33年に生まれ、昭和10年の小倉郷土創立の会員のひとりであり、昭和13年には小倉の鍛冶町の旧宅に「森鴎外居住の跡」の標柱を建てた人物である。小説のなかにある「昭和15年」という年には、彼は40歳になっていたと思われる。
これを清張さんは、田上の生まれた年を、明治42年生まれに変え、そのとき32歳として描いた」

「田上耕作は実在の人物である。昭和13年に鍛冶町の森鴎外旧居を探りあてたことで知られる。そして実在の田上耕作は、小説の主人公のように不遇の人でもなく、暗い生活も送っていなかった。また、神経麻痺と栄養失調のために病の床で寂しく死んでもいない。実在の田上耕作は昭和20年6月29日の門司空襲で死亡した」

清張は実在の田上耕作をかなりディフォルメしたようですね。
でも、これは芸術的ディフォルメだったようです。そのため、今でも少しも色褪せない名作が生まれたとリュウちゃんは思っているのです。

もう一度読んでみたい!

巌流島の決闘では、宮本武蔵が勝利しましたので、本来は「武藏島」と命名されるべきですね。

何故、決闘に敗北した佐々木流の名が付けられたのか?
これは「謎」です。 (2020年11月03日 05時05分27秒)

Re:巌流島の旅(その9)(11/03)  
旅人0789  さん
「ある小倉日記伝」は3回ぐらい読みました。
田上耕作の「伝便」は、どういうものか分かりました。

巌流島の名前はどうして付けられたのか。
正式な名前は船島ですね。

リュウちゃんは、いろいろなことを知っているのですね。 (2020年11月03日 10時45分05秒)

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