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先週1週間は小学校の運動会(23日)と日帰りの旅(24日)、それ以外はずっと朝から夕方、晩まである所へ出かけていましたのでずっと旅行記を載せてきました。それもやっと昨日で終わり、今夜結果が出ます。台風24号の進路が気になるところですが、直撃は免れないのでしょうか。被害が出ないことを祈ります。庭で金木犀の甘い香りがしているのに今朝やっと気づきました。足元ではつゆ草が雨に濡れムラサキシキブの実も色が濃くなっていました。愛知ではペコちゃんが8歳になり誕生日のお祝いをしてもらいました。たくさんのプレゼントに囲まれて嬉しそう。武下のおばちゃんからも本をプレゼントしていただきました。我が家では仮面ライダージオウが参上。年少さんの可愛い仮面ライダージオウです。変身前変身後こちらはモコちゃん、ノア君&ミラ君がママと伊勢に出かけた時のお土産です。伊勢の名物と言えば赤福餅と伊勢うどんですね。伊勢うどんはジージのリクエストでした。9月最後の日は心静かに過ごします。
2018年09月30日
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彦根藩は近江の国では最も大きな藩で琵琶湖の水上交通を支配していました。藩主の彦根中将である井伊家は徳川幕府の譜代筆頭家臣であり、代々京都守備も任じられて、事あらば速やかに帝を内裏から彦根へお移しするようにという密命をおびていました。そのため彦根藩には大小120艘の御用船が備えられており、彦根から京都御所まで3時間を切る快速船や大量の足軽を運ぶ大船などがあったそうです。(リーフレットより抜粋)私達もかつてのお殿様の専用船に乗って国宝・彦根城の景観を楽しんできたのです。帰りは早く感じられました。石垣の間から彼岸花が顔を出して咲いてました。黒鳥が船のすぐそばに近づいてきましたが、近すぎて撮れませんでした。奥には御馬屋(重要文化財)があります。船着場に到着です。白鳥と鴨が出迎えてくれました。行きはお客さんを乗せていた人力車も帰りは客待ちです。結局入らなかった名勝・玄宮園まるで近江八景かと思わせる大名庭園があります。こちらは井伊直弼銅像井伊直弼公は彦根藩第13代藩主。ペリー来航で混乱する幕末、43歳で大老に就任。開国を決断するも反対派に江戸城桜田門外で暗殺され、46歳で花のような生涯を終えました。「花の生涯」の記念碑もありました。この後、午後4時からお寺で鷹狩りがあったんですが、帰りが遅くなるので諦めて帰途につきました。ここから番外編です。今回の旅で280枚ほど写真を撮ってきました。その中にブロ友さんの名前を見つけたので紹介しますね。そして童心に帰った相方の姿も記念にでもさすがにこちらの顔出しは紹介できません。自分たちの記念にします。ひこにゃんと最後はお花で締めくくります。芙蓉の花が綺麗でした。(完)
2018年09月29日
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外堀を見ながら歩いて中堀にあるお堀巡り船着き場に到着。しかしこの日は彦根駅を出たところでタクシーに分乗して船着き場へ向かったグループに先を越され、12時出発の船は満席で午後1時発まで約1時間待たされることになりました。すぐのところに玄宮園がありましたが、美しいお庭も見ずに、ただお堀を見ながらぼーっと過ごしました。白鳥やカモが泳いでのどかな景色でした。ほとんどがまだ蕾でしたが、お堀端を歩いてたった一輪咲いている彼岸花を見つけました。午後1時、いよいよ屋形船に乗って彦根城のお堀(内堀)の景観を楽しみます。半鐘が打ち鳴らされ出航船頭さんの解説を聞きながらゆっくり進みます。私達は1時間近く待ったので船首に近い場所に陣取りました。乗客定員は大人11名ですが、子供さんが2名乗ったので(子供は2名で大人1名分)全員で15名ほどが乗船しました。明らかに定員オーバー船は静かに進んでいきます。橋の下をくぐります。船頭さんが竹ざおを横にして狭い所は竹ざおで橋げたを押します。石積みの仕方が揃っている所もあり雑なところもあるとの事黒鳥が1羽小屋の中にいました。船から見上げた彦根城の天守閣(国宝)用水路の址鴨がたくさん羽休めをしてました。山崎郭前船溜りを過ぎると西の丸三重櫓の近くで段差があり(柵の向こうは琵琶湖と同じ水位で内堀は水位が高くしてあります)そこから屋形船は引き返しました。乗船時間が約45分なので片道22~23分ぐらいでしょうか。さあ引き返しましょう。(つづく)PS) 往時、彦根藩には大小120艘の御用船が備えられていました。彦根城屋形船はそのうちの一艘で、藩主が領内の視察、大名や公家の接待、湖上での鷹狩りなどに使いました。藩主御好み屋形船を当時の寸尺で復元したものです。NPO法人小江戸彦根が運営しています。
2018年09月28日
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翌朝ホテル11階からの眺めです。長浜城歴史博物館がすぐ近くに見えました。前日女子中学生のテニス大会が開催されていたテニスコートです。琵琶湖を見ながら朝食です。こちらは相方用(結構食べられるようになりました)私はそれ以上完食しました。しっかり食べてこれからまた歩きますから。チェックアウトして駅まで歩き彦根に向かいました。長浜駅には秀吉の絵がかかってましたが、彦根駅を出た所には井伊直政公の像がありました。駅から皆さんタクシーを利用されますが、私達は歩いて彦根城に向かいました。茶店で一休み茶店から彦根城が見えました。マンホールの蓋も彦根ならではの模様でした。井伊大老(直弼)の歌碑です。そうなんです。彦根城は数回訪れたことがありますが、バスの旅では時間がなくてできなかったお堀巡りを今回しに来たのです。(つづく)
2018年09月27日
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迎えのバスの時間までは長かったのでホテルまで歩くことにしました。ホテルの手前に長浜文化芸術会館がありちょうど長浜市美術展覧会の最終日で洋画と日本画を鑑賞し、オーディエンス賞の投票までしてきました。その後、やっとホテルに到着。その頃には両足が棒のようになっていました。チェックインした11階の部屋からの眺め。連休の前日に予約したにもかかわらず部屋が取れて良かったです。部屋でゆっくりくつろいでから夕食は13階でフランス料理をもちろんステーキは私が二人前を赤ワインと共に味わいました。午後6時から1時間以上ゆっくり時間をかけて頂きました。明るかった夕景も次第に暗くなり街の灯かりだけが見えて13階からの眺めは最高でした。いい気分で部屋に戻りました。部屋から見た街の灯かりです。さて、明日はどこへ行こうかな?(つづく)
2018年09月26日
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表参道の突き当りに聳える長浜別院 大通寺の山門山門の屋根の構造、龍や柱の彫刻、獅子の彫金等どれもそれは立派でした。伏見桃山城の遺構と伝わる本堂、大広間、長浜城の大手門を移築した台所門などの多くが重要文化財に指定されています。障壁画は狩野山楽、山雪が描きました。絢爛豪華な桃山文化を随所に見ることができます。国の名勝庭園に指定されている含山軒庭園は日本百名山の伊吹山を借景としており四季折々の景色が楽しめます。彦根藩井伊直弼の娘、砂千代姫の調度品の一部も展示されています。(写真はありません)境内では小さな子供たちが鳩と戯れていました。歩いて歩いて駅に近づいてきました。秀吉公と石田三成公の出会いの像です。「三献の茶」の説明です。やっと長浜駅に戻ってきました。チェックインは午後3時。これからホテルまで歩こうか、それとも2時40分の迎えの車を待とうかとずいぶん迷いましたが、結局、歩き疲れた重い足を前に進めてホテルまで10分歩いたのでした。(つづく)
2018年09月25日
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黒壁で有名な建物が集まる北国街道、観光客もここが最も多かったです。黒壁ガラス館内を一周ステンドガラス館を右手に見て北国街道を先へと歩きます。食べ物屋さんはどこも満員楽しそうなジャズの調べを聴きながら進みます。やっとオムライスの蘭亭に到着。ここも満員でした。何とかお腹も膨れてふと足元を眺めるとマンホールの蓋には千成瓢箪がデザインされていました。汚水槽の蓋の中央にも防火水槽の中央にも瓢箪が蓋の写真を撮りながら長浜御坊表参道を進んでいくと目の前に大きな国指定重要文化財の長浜別院大通寺(あせび寺)が現れました。(つづく)
2018年09月24日
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このところ長浜行きの旅行記が続いてましたが、ここらでちょっと話題を変えまして・・・今日はモコちゃん&ノア君の小学校の運動会でした。(一昨日まで雨続きで昨日の運動会が中止になり今日の開催となりました。)私は用があって今朝8時過ぎに出かけ9時の開会式に何とか間に合いました。エール交換、ゴーゴーゴーです。1番目に2年生・ノア君の団体競技がありました。5番目に4年生・モコちゃんの団体競技がありました。縄跳びのあとで二人三脚をしました。「ふえるぞどんどん」というタイトル通り縄跳びも2人から3人、4人飛びまであり2人3脚も3人4脚、4人5脚に増えました。1年生の団体競技が可愛かったので写しました。7番目に1年生・ノア君の個人競技「ダッシュ ダッシュ ダッシュ」一番右のコースです。よく頑張りました。5年生の団体演技・ソーラン節です。全校団体演技・応援合戦です。青組(ノア君所属)から次は白組(モコちゃん所属)です。最後は赤組です。そしてお待ちかねの昼食です。ママ手作りの弁当を広げて全員で頂きました。おにぎり、散らし寿司、サンドイッチ何でも好きなものを召し上がれ。ママはお弁当作りでも忙しいのに朝5時半に小学校へテントを張りに行ってきました。ご苦労様でした。午後の部が始まりました。14番目は4年生モコちゃんの個人競技です。6年生の団体競技・組体操です。最後に団体競技・選手リレーがありました。選手の皆さんは精いっぱい走り、その速いこと、速いこと。運動場の皆さんも応援に熱が入りました。(完)PS) ノア君は青組が勝ったとニコニコ顔で帰ってきました。
2018年09月23日
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歩いて歩いてやっと博物館通りに出ました。曳山博物館に到着です。表に置かれた彫像です。盛大に開催される曳山祭りの山車が勢ぞろいした写真山車が陳列されてました。豊臣秀吉と千成瓢箪秀吉が勲功をたてるたびに瓢箪の数を増やしていったとされる言い伝えがあるそうです。那須与一がどうしてここにあるのかは疑問でした。表に出て北国街道を歩きました。そろそろお腹もすいてきましたのでレストランを探しましたが、ちょうどお昼時でどのお店も満員です。(つづく)
2018年09月22日
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明治時代の長浜の迎賓館と呼ばれる建物も名勝の庭園も素晴らしかったので紹介したいと思います。明治天皇、昭憲皇太后の玉座建設当時は南側と西側は琵琶湖に面し、東側には伊吹山、霊仙山などの山々が連なり眺望がすばらしい庭園だったそうです。明治時代後期の大横綱、常陸山を贔屓にしたのが慶雲館の浅見又蔵氏であり、日露戦争の頃、相撲界は「梅ケ谷・常陸山時代」を迎え空前の黄金期で両国国技館竣工の原因にもなったそうです。この枝と梅の花はステンドグラスでできていました。床の間に飾ってある秋の花を撮りました。ここから次のユネスコ無形文化遺産の曳山博物館までは地図を頼りにかなり歩きました。(つづく)PS) わけあって今月いっぱいは旅行記を続けますのでよろしくお付き合いください。
2018年09月21日
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次は明治時代の長浜の迎賓館、慶雲館です。門を入ってすぐ左手には菅原道真を祀る小さな社がありました。こちらは芭蕉の句碑明治時代の大横綱、常陸山の石像名勝の庭園が見所です。そろそろ中に入りましょう。石田三成と黒田官兵衛の金屏風二階に上がりましょう。大広間で観光客の皆さんは思い通りの格好で休憩していらっしゃいました。群鶴図襖19羽の鶴が描かれています。この広間にはまだまだ見どころがたくさんありました。(つづく)
2018年09月20日
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現存する日本最古の鉄道駅舎に入ります。旧長浜駅舎鉄道資料館には長浜鉄道文化館と北陸線電化記念館が併設され鉄道の歴史を伝えています。入口には伊藤博文が題字を書いた石額が旧長浜駅29号分岐器ポイント部待合室はまるで明治時代にタイムスリップしたかのよう腕木式信号機D51ジオラマ他にも子供たちがプラレールで遊べるようになってました。次は慶雲館に行きます。(つづく)
2018年09月19日
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天正元年(1573年)浅井長政滅亡後、湖北(滋賀県北部)を支配したのは羽柴(豊臣)秀吉。姉川合戦と小谷城攻めで功績をあげ小谷城に入り翌天正2年に今浜(長浜市公園町付近)に築城を開始、天正5年(1577年)頃完成。秀吉は地名を長浜と改め天正10年(1582年)まで在城した。同年清須会議で柴田勝家に譲られ甥勝豊が入城したが、その年の12月には秀吉が攻めて翌年4月に柴田勝家と賤ケ岳の合戦ではここを軍事拠点としている。天正13年(1585年)から18年(1590年)まで山内一豊が城主となったが、次第に荒廃し、佐和山城主石田三成の支配下に。元和元年(1615年)長浜城は湖北支配の役割を彦根城に譲りその後使命を終え、長浜城は完全に失われた。現在の長浜城は故東京工業大学名誉教授藤岡通夫工学博士の設計指導で昭和58年(1983年)再興されたものです。(前置きが長くなりましたが、リーフレットから抜粋しました。)館内は5階まであります。これより先は写真撮影禁止。2階と3階にはエレベーターも設置されてましたが、私達は階段を5階まで上がりました。2階展示室は「湖北・長浜の歴史と文化」で縄文時代から人々の暮らしぶりを示す遺物が展示。3階展示室は「秀吉と長浜」で秀吉が一国一城の主となった最初の拠点についての展示。4階は茶室で春と秋の一定期間だけ開庵。安土桃山時代から江戸時代にかけて海北友松や小堀遠州などが有名。5階は望楼でパノラマ展望ができます。ここでやっと撮影ができました。市街地の向こうに伊吹山が見えるはずでしたが、あいにく雲に隠れてはっきり見えませんでした。琵琶湖が見えます。右の白い建物は私たちが宿泊したホテル琵琶湖観光をする船や水上スキーを楽しむ人たち道のいたるところに道標が建っていました。さて、これから長浜まち歩きMAPを見ながら散策を始めます。結局2時間半も歩きました。最初に着いたのはこここれから旧長浜駅舎鉄道資料館に入ります。(つづく)
2018年09月18日
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一昨日テレビを見ていた相方が急に長浜へ出かけようと言い出しました。ホテルを予約して切符を買っておいて昨日朝8時過ぎに家を出ました。特急から特別快速に乗り換える時間がたったの2分、4番線から6番線まで重い荷物を背負って階段を下りて上がって滑り込みセーフ!「発車間際の駆け込み乗車は危険ですからおやめください。」の車内アナウンスが耳の痛いこと。米原駅で北陸本線に乗り換えました。撮り鉄さんか鉄道ファンが目の前の列車を撮っていました。ここでも「写真を撮る方は黄色い線より内側で撮ってください。」とアナウンスが流れるほど。北陸本線に乗り換えて10分走る間に田んぼのあぜ道で三脚を立てて列車を狙っている撮り鉄さんが合計30名ほどいたでしょうか。その光景について車掌さんに聞いてみました。すると、「毎度のことですが、ここをSLが走るんです。」とのこと。せっかくだから見逃すことはないと長浜の駅についてSLを待ちました。しばらくすると向こうの方から蒸気を吐いてやってきました。この間わずかに数十秒?あっという間に通過していってしまいました。撮り鉄さんはこのスリルを味わうのがいいのでしょうね。長浜の駅からエスカレーターで下りた出口に豊臣秀吉と長浜城の絵がありました。当時の長浜城は今はもうないので豊公園を通って長浜城歴史博物館まで歩きました。先日の台風21号の影響で至る所で木々が倒れていました。目の前に現れたのは長浜城歴史博物館です。(つづく)
2018年09月17日
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奈良県から今年も秋の味覚・栗をたくさん送っていただきました。長男のお嫁さんの実家には梅の木、栗の木、柿の木などが何本もあって毎年それぞれの実が実ると送っていただきます。先日の台風21号の暴風雨で大きな栗も小さな栗もたくさん落ちてしまったそうです。枝もかなり折れたそうですが、それでもこんなに立派な栗の木と、毬栗と栗が段ボール箱いっぱいに入っていました。早速玄関に飾りました。この空間だけ一気に秋がやってきた感じです。早速、次男のお嫁さんが栗を選別してくれました。この後、冷蔵庫に保存しました。これから色々と作ろうと思います。どうもありがとうございました。PS) 相方の急な提案で1泊2日の旅に出ましたので予約投稿です。帰りましたらコメントをお返しします。
2018年09月16日
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モコちゃんが満10歳になったのを祝って今夜家族で誕生会を開きました。両親は仕事が終わってから飾り付けをしました。子供たちは誕生会にレストランへ行くよりも家でお寿司を食べる方が好きなようです。食後はスヌーピーのアイスクリームケーキを切り分けます。(昼間モコちゃん、ノア君とジージは予約してあった大好きなケーキをもらって来ました)お姉ちゃんの誕生日を祝って3人で記念撮影です。キャンドル(10歳で1本)に火をつけてミラ君と一緒に吹き消します。最後はジージからのプレゼントに大喜びのモコちゃん健康ですくすく成長してくださいね。
2018年09月15日
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今月9日のダンスパーティーで踊ったルンバ、長男のお嫁さんに撮ってもらった写真は先日載せましたが、長男が撮ってくれた写真がまだでしたので、少しだけ載せたいと思います。今回は反省点が多々ありますが、皆さんの前で披露したのはこれが2度目です。当日大雨のためJR在来線が一つ手前の駅で運転見合わせで来なかったのでリハーサルぎりぎりに滑り込んだという事もあり、何回も踊っている会場なのに(カメラマンやDVDを撮影する人に向かって踊りますので)私の頭の中でスタジオとは180度反対になってしまい回転して進む方向がわからず焦りました。何とかそつなく踊りましたが、もう少し冒険して思いっきり踊りたかったです。どうぞ笑って見てやってください。お粗末さまでした。次回は来月1週目の日曜日に愛知県のKホテルで踊る予定です。その時はもう少し余裕を持って踊りたいと日々練習に励んでおります。
2018年09月14日
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先日ポコ君&ペコちゃんのママから大きな袋にいっぱい民芸品をもらいました。私が大好きな事をよく知っているからです。職場を訪問する方々からの頂き物は小さなものから大きなものまでそれはそれはたくさん。その一部を紹介したいと思います。まずは中国の方から頂いたもの。美しい花と鳥の切り絵CHINESE INTANGIBLE CULTURAL HERITAGE(中国非物質文化遺産)だそうです。こちらはマグネットオレンジ色のマグネットは上下が逆かもしれません。右上のマグネットも90度右へ回転した方が良さそう「一心同体」は知ってますが、「ニ心同人」という言葉を調べて見ましたら、「二心」というのは「浮気心」とか「主君に背く心」だそうです。それとも「二人同心」、あるいは「二人心同」と読むのかもしれませんね。こちらはタイの方からの頂き物タイでは象は特別な存在ですね。ティッシュボックスカバー,裏側も刺繍が綺麗に施してあります。トートバックそしてこちらはエジプトの方からの頂き物こちらは私が頂いたものエジプトのカイロから250キロ離れたミニアに住む女性から頂きました。(2014年2月12日のブログにUPしてあります)その国々の特色がよく出ていますね。
2018年09月13日
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小雨の中、1時間ほどドライブ。相方の書類提出に付き合いました。建物の前には珍しい日時計がお昼にはまだ少し時間があったので昔を偲びながら古城の址を散策。慶長6年(1601年)加納10万石藩祖、奥平信昌が入城。正室亀姫は徳川家康の嫡女。加納は宿場町として栄えました。問屋場や旅籠・本陣などの休泊所なども整備されお茶壷道中や皇女和宮の宿泊などで有名です。織田信長が永禄10年(1567年)岐阜入城後、楽市を設けて以来、江戸時代に入り酒造・織物・紙・傘などの産業が発展。特に加納産の美濃和傘は昭和に至るまで国内および諸外国にも輸出する盛況ぶり。明治時代に興った全国一の養蜂業の存在も特筆すべきものでした。(リーフレット参照)しかし、今はもう夢の跡、緑一色の加納城本丸跡をぐるりと散策してきました。つゆ草の紫の花だけが緑一色の景色に色を添えていました。草に覆われた石垣が昔の面影をわずかに残して雨に濡れていました。先日の台風21号の通過で松ぼっくりがたくさん足元に落ちてました。帰り道にサンドイッチ専門店でランチ今まで問題なくできていたのにカメラのSDカードをPCが読み取らなくてちょっと手間取りました。画像のバラツキをお許しください。
2018年09月12日
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恒例のダンスパーティーのディナーです。パテドカンパーニュとビストロ風サラダ海老と帆立のソテー小さなココットアッシパルマンティエビーフコンソメ アサリを浮かべて塩パンカジキマグロのポワレサーロインステーキ フォアグラパテ添え特製デザートコーヒーが出てオシマイです。前夜にお肉をたくさん食べて体力を蓄えましたので当日は身体の隅々まで筋肉を使って踊ることができましたが、さすがに当日のディナーのフォアグラとステーキは見るだけでもう十分でした。これからなるべくこのスタイルをキープしたいと思います。(もう少しお腹が引っ込むといいのですが)右側からのヘヤスタイルです。朝から色々ありましたが、この日だけは日常を離れて変身し据え膳で美味しいものを食べ心を解放してきました。さあこれでまた普段の生活に戻ります。3日間お付き合い頂きありがとうございました。
2018年09月11日
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昨日の続きです。愛知県のKホテルで開催されたI先生方のダンスパーティーでルンバを踊ってきました。今年いっぱいはルンバを極めたいと思います。長男のお嫁さんがたくさん写真を撮ってくれました。その中から少しだけ紹介します。(後ろで写真に写られた方々、どうぞお許しください)最後にカメラに向かってポーズを決めました。無事に踊り終えてお嫁さんと今日も雨が激しく降っておりますが、昨日は大雨のためJRの運転見合わせでリハーサルに滑り込みセーフだったので結局昼食抜きでした。それでも写真を見ると結構お腹ポッコリであれまあという感じですが、二度とこないこの日の記録ですのでどうぞお許しください。
2018年09月10日
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毎年I先生のダンスパーティーは電車の駅のすぐ近くなので電車を乗り継いで出かけます。(ここ2日間、朝のうちは雨が降ったり止んだりの不順な天候で昨日は小学校の廃品回収が中止、今朝はお宮の掃除が中止になりました。)今年も時間に余裕をもって出かけましたが、T線はスムーズに行きましたが、中央線が一つ手前の駅で大雨のため運転見合わせでいつ再開するか目途がたたないというアナウンスがあって焦りました。電車を待つ間にあちこちにLINEをしました。最悪、リハーサルなしで踊りますからと。結局30分遅れでT駅発の普通電車でリハーサルに滑り込みセーフでした。私のリハは第3部でしたので12時過ぎでした。こんなこと初めてです。でも何とかリハーサルで踊れてよかったです。長い1日も素晴らしいプロのショータイムが終わり先生の車に乗せてもらって帰りました。本日のヘアスタイル京都から応援に駆けつけてくれた長男夫婦踊り終えてディナータイムになりましたが、大好きなステーキが食べられませんでした。と言いますのも、昨夜お肉を食べ過ぎたからです。いとこ5人集合で昨夜の夕食はBBQにしました。小学生は思ったほどお肉を食べてくれませんでした。結局残ったお肉を充分食べたからです。今夜はステーキを見るのももう結構という感じでした。今夜はこれまでという事で…
2018年09月09日
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今朝からにぎやかに過ごしております。小学生4人はデュエマ(デュエル・マスターズ)に夢中。一人だけこの輪の中に入れない子がいます。お兄ちゃん、お姉ちゃんの所へ近づいてくるけれど、やっぱりまた離れて行きます。実は今朝ミラ君は保育園へ出かけ、ママが年少組の保育参観をしてきました。2段式ロケットを作ってきました。下に紙コップを置いて上から押すと上のコップの底に張った輪ゴムで上のコップが飛ぶんだそうです。こちらは夏に作った団扇涼しそうですね。朝顔と風鈴(右)ではないでしょうか。私は午前中、東京の女先生にスタンダードを1時間とスタジオの男先生に30分、ドレスを着て明日のリハーサルをしてきました。ドレスがとてもタイトで胸が反らないのでもっと背中を中に入れて踊りなさい、ドレスに負けていてはだめです、胸の生地が破れるほど反らしなさいと檄を飛ばされてしまいました。さて明日はどうなるでしょうか。そして私の次の生徒さんが到着し、外から手招きします。見ると昨日からボンネットの上から動かず、片道45分間車にとまったままのバッタ。雨に濡れた身体をボンネットの温かさで乾かしているのかもしれません。イナゴの佃煮を愛知の二人は(動物好きなので)美味しい美味しいと食べ過ぎてジージに注意されるほど。一方、我が家の二人は顔をしかめて「わぁ~、虫だ。早くあっちへやって。」と逃げ腰。子供でも好き嫌いがはっきり出てきてとても面白いですよね。
2018年09月08日
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今日も目まぐるしい1日でした。午前中は週1のエステ、午後はダンスレッスンとノア君のテニス教室の送迎にミラ君を乗せて行ってきました。夕方愛知のポコ君&ペコちゃんが週末を我が家で過ごすためにやってきました。両親の仕事の都合で4日(火)から愛知に滞在していたジージも4日ぶりに自宅に戻りました。夕食後、いとこ同士賑やかに遊んでお風呂に入りやっと蒲団の上に横になりましたが、まだまだおしゃべり中。なかなかブログを書く時間もありません。にぎやかなことは元気な証拠。笑い声を聞きながら今夜は少しだけ書いておくことにします。こちらは相方が読書の気分転換にやるナンクロ漢字館最新号そしてこちらは最近私が読み終えた大沢在昌著:講談社文庫の3冊灯火親しむ秋ですね。秋の夜長、やっと静かになったので幼子たちの寝息を聞きながらさあまた次の小説を読み始めましょうかねぇ。
2018年09月07日
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台風21号が各地に大きな被害をもたらしながら過ぎ去ったと思ったら、今日未明に震度7という大きな地震が北海道を襲いました。テレビで刻々と知らされる被害の状況を目の当たりにしてとても胸が痛みます。道内全体に停電が発生し、(一部は復旧したようですが)ライフラインだけでなく交通手段も復旧に目途が立たないようです。犠牲になられた方々や安否のわからない方々も次第に増えてきています。まだまだ今後1週間程度は油断ができない状況だそうです。自然災害の怖さを改めて思い知らされました。4日に台風21号が接近してきたので午後のレッスンを休みました。今日は午後出かけてきました。スタジオの隣では黄色と緑色のコントラストが綺麗になっていました。北側では稲穂が実って頭を垂れていました。南側はもう少しかかるようです。スタジオの入り口で花が迎えてくれました。実は今度の日曜日(9日)に愛知でルンバを踊る予定なんです。今日から3日間詰めて練習する予定です。
2018年09月06日
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午前8時半から市の胃がん検診と大腸検診でした。胃がん検診は発泡剤とバリウムを飲んで回転しながらX線撮影。大腸がんは2日分の検体を提出。あっという間に終わりましたが、下剤を飲んできたので一日自宅待機です。8月に子宮頸がん検診と乳がん検診、骨粗しょう症検診は済ませてあります。25年ぶりという大きな台風21号は庭の木々の葉をまき散らして通りすぎました。柿の青い実がたくさん落ちました。庭木が雨の重さで頭を垂れているので支えをして元通りに。外れて飛んできた雨どいとトタン板。雨どいは心当たりがあります。横殴りの雨と風のさなかにどれだけ力いっぱい引っ張っても外れてこなかった雨どいが風の力で飛ばされてしまいました。どれだけ台風の勢力が大きかったのかがわかります。屋根の一部はどこから飛んできたのかわかりません。国道を挟んで向かい側の古い借家もこの通り、風で飛ばされて中がむき出しに。早いうちに修理しないといけませんね。皆さんの所では被害は出ませんでしたか?この度の台風21号で犠牲になられた方々、甚大な被害を受けられた方々にお悔やみとお見舞いを申し上げます。PS) 夕方、借家の裏側に建つ家の方から隣地にまで飛んできたと言われ回収してきた波板や木材など。
2018年09月05日
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昨夜遅く愛知のポコ君&ペコちゃんのママから電話があり、相方は今朝午前5時頃、自宅を出て愛知へ向かいました。愛知県も岐阜県も暴風警報が出たので小学校は休校になりましたが、両親は仕事があるので出勤、自宅で小学生の見守りをするためです。(自宅の窓から南の空を写す)私も朝からNHKの台風情報を見ています。25年ぶりの大型台風21号は正午ごろ徳島県南部に上陸して四国、近畿地方、東海地方を暴風域に巻き込んで午後1時頃、徳島県阿南市を午後1時50分頃、洲本市付近を北北東に向けて通過中です。台風の進行方向の右側では雨風が強いので注意が必要とか。朝から台風に備えて色々と準備をして、午後のダンスレッスンもキャンセル。柿もこの台風でたくさん落ちてしまうんでしょうね。午後2時頃、神戸市へ再上陸したようです。どうぞこれから台風の進路に当たる方々、また台風の進路の東側にあたる方々は外出を控えて台風に備えて充分警戒してください。
2018年09月04日
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面白い形をしたどんぶり会館、正式には道の駅・土岐美濃焼街道どんぶり会館。入口には大きな志野焼の抹茶茶碗のオブジェが。小学生(高学年)の女の子たちが背伸びをして中を覗き込んでいました。「あっ、お金がたくさん入ってる。」と。お賽銭のように硬貨を投げ入れる人がいるようですね。ここの道の駅には陶芸教室があります。入口入ってすぐの所に素敵な作品が陳列されていました。野外にはほかにも大きな陶器のオブジェがありこれはなんだろうと正面へ回ると後ろを歩く女性で大きさがわかりますね。何とも不思議な大きなガマカエルに見えました。こちらは店頭で売られていたアユの塩焼き。こちらは2階のレストランで見上げた屋根の形。これが屋根の中心部。和傘の内部のような形をしてました。鉄筋コンクリートと木でできていますが。外観は昨日もUPしましたが、こんな形をしています。ここでも焼きたてパンや蜆の味噌汁や、蜆の出し汁(肝臓のため)、そして珍しいイナゴの佃煮を買ってきました。栄養価が高く、高たんぱく低脂肪でビタミンE、B2、亜鉛、銅、マンガンなども含まれていますが、炭水化物が多いので一度にたくさん食べるのは控えた方が良さそうです。(早速昼食で食べたので少なくなっています。)そして相方にプレゼントしたのは少しずつ取り分ける小皿。空気が澄んでいたらはるか彼方に御嶽山や恵那山など中央アルプスが見渡せたかもしれませんが、残念ながらこの日はちょっとわかりませんでした。杉焼ため池の向こうに白く見える橋、稚児岩大橋を渡って帰りました。街中に出てナビに従ったら高速へと導かれ信号もなくスイスイと自宅に戻ったのはまだ12時少し前でした。(終)
2018年09月03日
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武下さんが描かれた9月のカレンダーは百日紅の絵です。「嫌なことは 早目にすてよう」と詞が添えられています。9月最初の日曜日は東京の先生のラテンレッスンがキャンセルになり午前中に道の駅を2か所、はしごして来ました。最近道の駅巡りに取りつかれているみたいです。前回と方向を変えて車で30分、道の駅、志野・織部・陶遊館に到着。店内いっぱいに美濃焼の他、志野や織部の陶器類が並べられ、誘惑にかられましたが、ぐっと我慢。目の保養をするだけにしました。こちらは別館の休憩所に展示されていた(縁起が良いとされる)左馬の大きなお茶碗結局焼きたてのパンを買っただけで次の道の駅に向かいました。そこから車で15分ぐらい走り山道をぐるぐる登ったところにどんぶり会館がありました。2階に上がりベランダからの眺めです。台風が近づいているからなのか雲の流れが速かったです。ぐるりと半円を撮影してみました。山の上なので風が吹いて涼しかったです。こちらの道の駅では他に見所もあったのでしばらくゆっくりしてきました。(つづく)
2018年09月02日
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北海道(122店)に次ぎ岐阜県は道の駅が2番目に多い県ですが、2018年7月11日(まだ1カ月半前)56番目にオープンした道の駅、「パレットピアおおの」まで行ってみることにしました。テレビ番組でやっていたので一度見てみたかったのです。ところが、まだ新しいのでカーナビに載ってなくて助手席でスマホを操作しながら道路標識をさがしましたが、途中で道に迷って片道1時間45分もかかってしまいました。田舎の田園風景の中に見えてきました。テレビの宣伝効果もあるのでしょうか。オープンして1カ月と10日で来場者が10万人を達成したそうです。道の駅では必ず朴葉ずしを買い求めるんですが、店内に見当たらず店員さんに聞くと「この辺には朴葉はないですよ。柿の葉で包んだ柿よせ寿司ならあります。」とのこと。柿の葉に包まれてお寿司の上に燻製鮎がのってました。柿の葉の香りがしっかりついてました。焼きたてパンをたくさん買ってきました。野菜も買ってきました。ここにはキュウリがたくさんありました。和菓子と洋菓子も買ってきました。屋外にはお花がたくさんありましたが、店番の方がいなくて写真だけ撮らせていただきました。帰りは一直線に帰れたので自宅までが早く感じられました。途中、左に岐阜城を眺め右に木曽三川公園のランドマークを見ながらスイスイと午前中のドライブは終わったのでした。
2018年09月01日
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