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ドッスッ。車の後ろで鈍い音がした。一瞬、何が起きたか理解できなかった。降りて、車の後ろに回ると、大型トラックとぶつかっている。後ろをよく確認せずにバックしたのだ。 これで、ネット通販の車保険には入れない。保険料の等級が上がる。あー…。神さまは私に何を問い掛けているのだろうか。
January 24, 2009
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生活の無駄を点検している。やはり大きいのがマイカーの維持費だ。理屈ではレンタカーやタクシーを使った方が安いのだが、使いたいときに使える魅力は捨てがたい。 車検の時期がきたので、見積もりを5ヵ所ほど取った。最終的に車検専門店に頼んだ。ユーザー車検で、124,500で仕上がった。しかも、日帰りで終わった。 前回、2年前は250,000円。4日ほど掛かった。費用は半分だ。調べれればこれだけ差が出るのだ。 次は自動車保険。通販にしようと思う。ちょっと不安ではあるが…。ネットでのこれまでの見積もりでは、前年の3分の2ほどで済みそうだ。
January 16, 2009
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世界同時不況が表面化した、昨年秋だろうか。テレビを見ていて笑ってしまった。節約の一助に、庭にナスを植えている家庭の紹介があった。ナスを2,3本植えても、苗代の方が高くついて、決して家計の足しにはならない。家庭菜園の経験が豊富で、1本から数十個収穫できるなら話は別だが、初めてなら2,3個がせいぜいだろう。 では、家庭菜園暦35年の私はどうだろう。自宅から車で1時間30分ほど掛かる、県南のある町に畑を借りている。県が行っている「県民大学」という事業なので、借り賃はない。苗は、この事業を担っている地元高校から格安で買ったので、それほどではない(とはいっても、3000円くらいは掛かったか)。夏野菜は、モロヘイヤ、ツルムラサキ、ナス、シシトウ、トウモロコシなど。トウモロコシは何か動物、多分ハクビシンにやられてしまい、収穫ゼロ。黒ナスはあまり出来がよくなく、白ナスはそこそこに収穫があったが、現地に行く間隔が長くて大きくなりすぎ、家人はあまり料理に使ってくれなかった。モロヘイヤも、そこそこに摘んだが、すぐ硬くなり、野菜不足を助けるほどではなかった。ツルムラサキだけは大量に収穫したが、多すぎて持て余した。 秋冬野菜は、里芋、白菜、水菜、ブロッコリー、キャベツの苗を買い、大根は種をまき、収穫した。里芋、大根は出来がよく、コストパフォーマンスを満たしたと思う。中でも里芋は、いくら家計の足しになったかもしれない。大根を含めまだ食べている。白菜、ブロッコリー、キャベツは申し訳程度の収穫だった。 しかし、苗代、往復のガソリン代を考えれば結論的にペイしない。出来すぎても、同じものばかり食べるわけにいかないから、結局無駄になる。しかも、暑い中、それなりに汗を流して、だ。今年も続けるとすれば、保存の利く根菜類に絞るべきかもしれない。
January 14, 2009
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米、味噌を続ける-ある人の生活支援をすることを昔からそう表現する。その二つがあれば、何とか生きていける、というシンボルの表現である。 現在、わが家の家計を直接苦しめているのは住宅ローンの存在である。それさえなければ、苦しくなったら食費、光熱費、交際費を切り詰めれば何とかしのげる。しかし、逆もまた真なり。ローンを抱えながら家計を回すには、食費、光熱費、交際費を削る以外にない。無論、レジャー費などはこのところとんと縁がない。 わが家では、かみさんの実家から定期的に米が送られてくる。4人家族でもかなりストックが出る程度の頻度である。これは心理的に意味が大きい。生活困窮の最終場面は飢えである。米があるので、最悪飢え死にはしない、という安心感がある。死後1週間も10日間もたって発見される生活困窮者の場合、「白いごはんを食べたい」という悲痛なメモを残していることがある。我が家でも、電気代、ガス代が払えなくなったら、話は別だが…。電気代といえば、今朝13日の朝刊に、料金を払えず電気を止められ、ロウソクで明かりをとって、自宅を全焼させた老婆(71)のニュースが載っていた。生活保護を相談中だったとか。 さて、頂き物の続きである。これだけキャッシュフローが苦しくなると、これまで押し入れに眠っていた不用品に出番が回ってくる。押入れに無駄にスペースを占めているものがないか点検していたら、ジャムの詰め合わせが出てきた。我が家ではパン、中でも食パンはほとんど食べないから消費されなかった。いつ、どなたから頂いたかも記憶がないほど時間がたっている。サクランボとラフランスが原料だからかなりの高級品だ。そうだ、紅茶に入れればおいしいはず。実際、使ってみると、砂糖なしでおいしいティータイムが楽しめた。 今日の昼は、押入れの奥から乾麺でも引っ張り出して、昼食にするか。
January 12, 2009
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昨年、身内に不幸があり、年賀状を出さなかった。本来であれば、喪中通知を年内に出すのが筋。しかも、これまで1度でも賀状をやり取りしたことがある人に、できるだけ幅広く出すのが通常というか、常識というものだろう。 このところの不況でキャッシュフローが窮屈。申し訳ないが、喪中通知は最少限に絞らせていただいた。結果、270人ほどの方から賀状を頂いた。寒中お見舞いの形でお返しする。そのはがきを求めなくてはならない。手元には金がない。ふと、毎年の賀状交換で書き損ねのはがきがかなりあることに思い至った。 整理が悪い男なので、この10年ほどの賀状記録(出した、受け取った)を残している。それを引っ張り出したら、113枚の書きこそね(実際は印刷失敗)のはがきを見つけた。郵便局で、新品のはがきと交換した。手数料は1枚5円。定価50円の10分の1。
January 11, 2009
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状況が変わることで、人間の認識は変わる。この不況で学んだことの一つである。 ローンが2件。あらためて返済表を見て、固まってしまった。返済が終わるのは、何と90歳。年金生活なのに、ボーナス返済分がある。少しでもまとまったお金ができたら、繰り上げ返済する。それが、世間の常識というものだろう。それをただの1回もしてこなかった。 なぜそういう選択をしたのか。思考回路はこうである。お金の塊は、崩してしまうと2度と修復できない。まとまった金額でないとできない投資手法がある。大きく増やして、どんど返済しよう。そう考えて証券会社に預けた。一時利益が出たことがある。まあ、5年も預けておけば、20パーセントくらいでは回るだろう。そう思っていた。逆張りの行き方だ。 ところがである。現在の評価額は投資額の半分になっている。いくら100年に1度の不況とはいえ、想定の範囲外だ。月々苦しいからと、解約しようにも、さすがに半分では身動きが取れない。待ってさえいれば、いつかは相場は戻るだろう。それまで持ちこたえられるかどうか。要するに、黒字倒産の可能性があるのだ。 正直、もうこりごりだ。かつて利益確定した分を合わせ、投資額に達したら解約し返済に回そうと考えている。常識に戻ることになる。これだけ痛い思いをして初めて、この認識に達することができた。現在は、とても「運命を楽しむ」心境ではない。
January 10, 2009
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極限まで消費を控えている。しかし、最低の付き合いは必要だ。今日も会合の後、誘われそう。一応、なけなしの預金を引き出したが、何とか断ろうと思う。でも、誘うだろう人に、ある相談を持ちかけている。ハムレットの気持ち。「例の件、飲みながら話そう」と言われたらどうしよう。
January 9, 2009
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ある雑誌で、足裏用安眠枕を見付け、早速女房に調達を指示。意外にも、市内の薬屋さんで簡単に見付かった。1,050円と手ごろなのがいい。 無論、ちゃんとした商品名がある。でも、アフィリエイトをしていないので、ただでメーカーのお先棒をかつぐつもりはない。 私は、以前から足がほてって眠れない悩みを抱えている。冷え性の反対だが、これはこれで結構つらい。布団だと、足を出して寝ることも可能だが、ベッドは上掛けが袋状にベッドメークされているので、困る。脇から足を出すしかない。 自分の特異体質かと思っていたら、保冷剤をタオル地でくるみ、足に付ける商品が出た。それが私が言うところの「足裏用安眠枕」である。日中、冷蔵庫で冷やし、夜付ける。マジックテープで固定するのだが、寝ているうち簡単に外れる。くるぶしにも巻き付ける形にしないと駄目と思うのだが、メーカーは気付かないのだろうか。 ま、寝入りばなは快適であることは確かだ。
July 2, 2008
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花壇タイプの床土に植えたキュウリに元気がない。つるを伸ばすはずのインゲンもだ。多分、間もなく枯れる。1ヵ月も育苗ポットに入ったままだったのが、ダメージを与えいる。 代わりの苗を探しに、昨日夕方車を走らせた。2軒、大型DIYを回ったが、ない。ナスは大型鉢で育てるべく、6月28日(土)に求め、どうやら根付いた。ツルムラサキ、モロヘイヤも順調。今シーズンは、この3種にたっぷり鶏ふんを与えたので、その成果が楽しみだ。 それでも、キュウリとインゲンは苗がほしい。キュウリは1本後から買ったのが育ってはいるが。インゲンは種をまいてみよう。駄目だったことに、こだわっていては前進しない。それは、分かっているのだが…。
July 1, 2008
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小池百合子環境相が提案した「クールビズ」、線香花火に終わるかと思ったら、意外に健闘している。 今年の新潮流は、クールビズ対応Yシャツの本格登場だろうか。ネクタイをしなくても、だらしなく見えない、ボタンダウン、大きなえり、派手な柄、前ボタンを二つに、などの特徴を備えた商品が出回っている。 女房業も楽でないな、と思うことがある。男のファッションにも敏感でないと、夫に恥をかかせることになりかねない。わが女房は、最近4,5着、ニュータイプのYシャツを購入した。せっかくの提案なので、3日ほど前からそれを着て出勤している。1人だけの事務所なので、周囲の反応はよくつかめないけれども。 ネクタイをしないから、楽なことは事実だ。ネクタイ業界は「クールビズすなわちノーネクタイではない」と、抵抗しているようだけれども。
June 27, 2008
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花壇型床土に植えたゴーヤは、順調につるを伸ばしている。しかし、キュウリ、ササゲはまだ、成長の足踏みが続いている。ここは、どーんと強い肥料をかけないと、植物も元気が出まい。DIYで、発酵鶏ふんを購入した。248円と、意外に安い。 鶏ふんは、特に窒素分が多く、効き目が強いことで知られる。鉢植えでは使ったことがなかったが、今回ツルムラサキの苗も買ったので、鉢にどんと入れてみた。心なしか、早くも苗が反応している。ツルムラサキは、根が張り、葉は暑い盛りにぐんぐん伸びるので、肥料を大量に必要とする。 花壇型床土には、今朝2回目の鶏ふん施肥を行った。移植べらで穴を掘り、肥料を入れる。つんと鼻に来るほどで、有効成分の多さが実感せきる。鉢と違うから、多すぎて有害ということがあるまい。結果が楽しみだ。
June 25, 2008
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1昨年、出入りしている高校から、かなりの数の花苗を頂いた。元々は農業高校で、春になると野菜苗と花の苗を一般向けに販売する。ちょうど、販売が終わる時分に訪ねたので、売れ残りの処分を兼ねてプレゼントしてくれた。その中に、ベゴニアがあった。 野菜苗を買う習慣はあるが、花の苗を買った経験はなかった。何鉢かに植え、そのうち1個をマンションの玄関に置いた。他人の目を意識して花を飾ったのは、初体験。専用のじょうろを置いて可愛がり、11月に家の中に取り込んだ。早目だったので、茎は枯れずに残り、昨年春再度玄関に出すと、また1年楽しませてくれた。 ところが…。昨年11月(あるいは12月に入っていたかもしれない)、室内に取り込んだのだが、もう茎は枯れていた。今春、きっと根は残っていると思い込み、玄関に出し、せっせと水遣りをしたのだが、芽は出ずじまい。根も枯れていたのだ。 ベゴニアはそもそも1年草か、それとも多年草なのか。ネットで調べると「1年草/宿根草」とある。宿根草と多年草はほぼ同義語と思うので、1年草でもあり多年草でもあるというのは、訳が分からない。地植えしていたら、どうなるのだろう。「温度には極めて敏感」とあるので、寒さが来る前に室内に取り込めば多年草にもなる、という意味だろうか。 乏しい知識で考えるに、1年草は実で命のバトンタッチを行い、多年草は根や球根でそれを行うものと考えるのだが、条件によっては1年草にもなり、多年草にもなると言うのでは、その植物の本来の性質が分からない。ベゴニア君、あなたの本性はどっち?
June 23, 2008
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土いじりに欠かせないのが、軍手。平和な時代に「軍」の文字が入る商品名が残るのも、考えてみれば不思議だ。「綿手袋」とでもすればいいものを。 軍手を使う度に、私の常識と世の中の常識が違っているな、と思うことがある。なぜ、使った軍手を洗濯して再使用しないのかな、という点だ。私は、泥が付いた軍手を燃えるごみに出すのは抵抗があり、したことがない。だから、溜まる一方だ。もっとも、泥で汚れても、数日たつと乾くので、また使うことができる。「もうこれ以上の使用は、困難」という見極めは難しい。 溜まるのは「いつか洗濯しよう」という心理が働くからだ。しかし、実際は洗濯したことがない。洗濯機を使うのは、まず無理。泥で、排水口が詰まってしまうだろう。かといって、バケツで洗うのも、大変だ。マンション暮らしだと、泥水を捨てるのも容易でない。 しかも、環境問題の視点で考えた場合でも、燃えるごみとして出すのも洗うのも、どちらが負荷が少ないかは微妙だ。自分の場合は、お金の要素が大きい気持ちがする。つまりは、捨てるのがもったいないのだ。 確か、100円ショップでは、3セット100円だ。1セット33円。消耗品と考えるのが素直とは思う。ただ、よくよく観察すると、ゴム手袋と軍手をきちんと使い分ければ、軍手の使用量はかなり減るはず。汚れが付く、水を扱う、そんな際はゴム手袋を使うべきだろう。園芸は何でも軍手、の思い込みが強すぎる。
June 18, 2008
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14日発生した、岩手・宮城内陸地震。住んでいる仙台市内は、これといった被害がない(1人が本棚の下敷きで亡くなっていたが、地震との関連は不明)。わが家も、皿1枚割れなかった。仙台駅前のホテルで、ガラスが割れたというのが、被害らしい被害か。 大きな地震となぜか縁がない。20数年前の宮城県沖地震の際は、宮城県北の小さな町に転勤しており、被害の実体を肌で感じていない。今回も、新幹線で東京に向かっており、揺れは体験しなかった。 郡山を過ぎた辺りで、新幹線が止まった。1時間ほどで最寄の新白河駅へ付ける。3時間ほど同駅で足止めを食ったが、駅舎に自由に出られたので、「缶詰め」という言葉から受ける印象ほどつらくはない。 約4時間遅れで東京に着いたが、問題は車内でのアナウンス。「2時間遅れれば、払い戻しがあります。4時間遅れましたので、自動改札を通らず、係員のいる通路をお通りください」。この大事なことを、1回言っただけ。 改札口に出てみると、確かに係員のいる通路は長蛇の列。しかし、自動改札を通る客も少なくない。改札口のアナウンスでは、これも1回だけ「払い戻し」に触れたが、分からずじまいで過ぎた人も少なくなかったのでは…。JRさん、もっと親切にね。
June 17, 2008
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苗木たちよ、本当に待たせたなあ。ポットに入ったまま、33日間もよく耐えた。 構想以来1ヵ月、作業開始以降半月、花壇型床土が、今朝12日完成した。ベランダにベニヤ板を敷き、コンクリートブロック8個を「コ」の字に並べた。ブロックを倒れないようにするのにはどうすればいいかに、時間が掛かった。ボンドで接着し、びくともしないようになった。 今朝、赤玉大を1層目、中を2層目、腐葉土を3層目、牛糞たい肥を4層目、庭土を5層目ににし、完成。ゴーや5本、キュウリ3本、ササゲ3本を定植した。 キュウリ苗は、間もなく直立。植物は正直だ。早く実を着けてくれよ。
June 12, 2008
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皆さんは、浴用石鹸を最後まで使い切っていますか? 私の方法を紹介しましょう。新しい石鹸をおろします。それをまず、体を洗う際に使います。何と呼ぶのでしょうか、表面がぎざぎざのあかすりタオルにこすり付け、体全体を洗うのに使います。何回か使ううちに、小さくなります。当然、あかすりタオルでは使いにくくなりますし、あわ立ちも悪くなります。 小さくなったのを、顔を洗うのに使います。これは、直接手に付けてあわ立てます。 さらに小さくなると、もう風呂場では使えません。ミカンなどが入っていた、ネットに居れ、洗面台に置きます。ネットには小さい石鹸が何個も入っています。これは手を洗う際に、両手でもむようにしてあわ立て、使います。 順次これをすると、最後まで使い切ることができます。「もったいない」の思想を生かす、小さな試みです。でも、使い切ることで、使われた石鹸も喜んでいるのが伝わってきます。
June 11, 2008
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ある雑誌によると、日本人のティッシュ消費量は、世界一だという。年間に、1人が使う量は、4キログラム。2位の米国が、1.5キロだから、いかに突出しているか、分かる。 初めこそ、あの柔らかな肌触りのティッシュを使うのに、心理的抵抗感があった。戦後、物が少ない時代に幼少期を送ったし、個人的に決して豊かでない家庭に育ったので、あのあまりにも快適な肌触りに触れると「贅沢」とい言葉が浮かぶ。 そをれでも、次第に慣れっこになる。それほど高価格でもないし、快適さに抗うことは、人間の習性として難しい。ついつい消費量は増える。 自分の家で、どの程度消費しているか、調べたことはない。ひとつの目安として、家の何ヵ所にボックスティッシュを置いているか、数えてみた。なんと9ヵ所にあった。要するに、座ったら手が届く範囲に1個づつ置いているのだ。 割り箸が資源の無駄遣いだから、マイ箸をという主張がある。それぞれ個人の価値観だからとやかく言うつもりはないが、ティッシュが使う木材の量は、割り箸でころであるまい。
June 9, 2008
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ベランダに並ぶのは、丸い鉢と角型(長方形)のプランターである。西向きのガラス戸があるので、緑のカーテンを作り、西日をシャットアウトしたい、と昨シーズンは大型の鉢を購入してつる性のササゲやヘチマを植えたのだが、どうも育ちが悪かった。 近くの戸建ての人が、道路に面したよう壁の下に、幅30センチ足らずで、長さ2メートルほどの花壇型床土をコンクリートで作り、さやエンドウを毎年上手に育てている。それを真似て、同じ物を造ることにした。 コンクリートブロックを購入、並べてみたが、土を入れる段になって「重みでブロックが倒れないようにするには、どうしたらいいのか」と考え込んでしまった。セメントは使いたくないのだ。自分所有のマンションとはいえ、売りに出さない保証はない。 身内の納骨に立ち会い、石と石をつなぐ強力なボンドがあると聞いた。しかし、ボンドでもベランダのコンクリートたたきに跡が付く。DYIでボンドを品定めしていたら、石と木も接合できるという。ならば、板を敷きそこにブロックを並べればいい、と思い付いた。たたきの微妙な凹凸の処理もできる。 今度の休日は、作業だ。幅40センチほどだが、プランターとは比べ物にならないほどの土が必要にまりそう。ということは、小さいながらも、生態系が誕生するのでなかろうか。ササゲだけでなく、ゴーヤ、キュウリも植えようと思っている。
June 4, 2008
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次兄、長兄と4月に兄弟2人を相次いで亡くした。今日は、長兄の49日法要。先週の土曜日には次兄の49日法要をしたばかりだ。 今日報告するのは、長兄の法事で聞いた話。語るのは、参列した、とっくの昔に亡くなった母親の、実家の当主(今は財布を息子に渡している)。彼と会うのは、自分の結婚式以来だろうか。すっかり白髪になったが、昔の面影がある。次兄と同級生(旧制中学-新制高校)だから、76歳だ。 「高校の同級生は150人いるが、既に76人が亡くなっている。しかし、小学校(高等小学校だろうか)の同級生はほとんど欠けていない」。その理由を聞いて、がく然とした。「小学校だけの人は、多くが農業を継いだ。高校まで行った人は、サラリーマンになった人が多い。農家には定年がない。働き続けているから、元気だ。サラリーマンは、定年になると、酒びたりの生活になる人が多い。だから早死にする」。 この話に、黙りこくってしまった。あまりにも図星だからだ。同時に、第2の職場も終わり、事務所を借りて通勤している自分の行動が誤っていなかった、と自信を持った。、
June 1, 2008
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ものごとは、やってみないと分からない、というのが私の行動原理の一つである。そして事実、やってみて初めて分かったことがある。 昨年春から始めたラップ口座。一時はマイナス8ペーセントまで追い込まれた。最近好調で、10パーセントを超えるプラスになったので、利益を確定した。ところが、ほぼ同じ金額の元金が減った。何のことはない、タコ足配当なのだ。 最近の投資信託ブームはすごい。若い世代まで手を出している。銀行だけでなく、郵便局でも扱っているので「元本保証」だと錯覚している人も少なくないと思われる。 中でも人気なのが、毎月配当型らしい。投資信託とは専門家に任せる株式投資だと分かっている人でも、毎月何千円かが「お小遣い」感覚で入金になると、すごく得をしたように感じる。しかし、最後に解約した際、元本が減り「タコ足配当だった」と知る。何のことはない、自分が預けたお金を何回かに分けて受け取っていただけなのだ。しかも、「手数料のかたまり」とでもいえるくらい、がっぽり経費を差し引かれる。 ラップ口座は、放っておけば配当はない。総額が膨らむだけだ。手数料も年1回、決まった料率でひかれるだけ。しかし、総額は株価次第でいつしぼむか分からない。しかも、利益を確定すると、元本が減る。本当の利益確定は、全体を解約しなければ駄目。利回りがピークだと自分で判断したとき、解約することになる。しかし、利回りがいい、ということは株価が高水準で推移していること。いったん解約し、再申し込みをすると、あえて高い株を買うのと同じ結果になる。 ラップ口座も、ぬるま湯の中のカエルと似ていて、いつまでも跳び出せずにゆでカエルに終わる可能性もありそうだ。
June 20, 2007
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仕事場にいると、いろいろな客が来る。ビルの一室だから、避けようがない。 宅配便のドライバーが「何か御用はありませんか」とのぞくなどは、可愛い方。先日は、絵の押し売りが来た。その前は、先物の営業マン。そして、今日は、証券会社の新人営業マンだ。 証券会社の新人は、直立不動で訪問の趣旨を告げる。「今年入社した○○です。この地区の担当になりましたので、ご挨拶に参りました」。そして、自己紹介の紙と、投資信託のちらしが入った封筒を寄越す。そして「よろしければ、投資信託が最近安定しているので、ご説明させていただきたい」ときた。 誰がこの地区の担当者になろうが、それは証券会社の内部事情。私には何のかかわりもない。恐らく、無作為に人に合う度胸をつけるために、飛び込み営業をさせているのだろう。投資信託なんて、手数料のかたまりだから、何の関心もないが、もし関心があったとしても、こんな新人でなく、ベテランに説明を聞く。第一、投資信託が安定しているとは何だ。元本保証でなく、不安定だからこそ、投資信託ではないのか。 だだでさえ忙しいのに、なぜ他社の新人教育の手伝いをさせられるのか。「投資するようなお金はないので」と、追い返すが、必ず彼らは名刺を欲しがる。何の必要もない飛び込みの人間に名刺など渡したくないが、渡さないとこれまた中々立ち去るまい。彼らは、何軒回ったか上司に報告するために来ているのだから。 仕方なく名刺を渡し、お引取りいただいた。
June 12, 2007
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夜、見るともなくテレビを見ていたら、西澤潤一首都大学東京学長(元東北大総長)が、モネを扱った教育テレビの番組に出演していた。研究者として不遇だった時期、ヨーロッパの美術館巡りでそれを乗り越えた話は有名だ。印象派の代表者と後世に言われたモネだが、生きていた当時は、かなり異端児扱いされた。それが、半導体研究の世界で独創的世界を開拓し続けた西澤さんの琴線に響くものがあったのだろう。 西澤さんは、西洋の美術全体に造詣が深いわけではなく、モネについてその生き方も含め、かなり打ち込んで調べていたことが、この番組で分かった。ヨーロッパの絵画で、何が好きですか、と聞かれたとしても、何も時代や国を問わない全般的な答えを用意しなくても、十分に話について行けるし、一人の画家に打ち込んでいれば、その周辺の画家や作品に関する知識は自然身に付いてくるはずだ。 なぜこのテレビ番組を、そのような角度から見たのか。実は前週の木曜日、参加している朝飯勉強会で次のようなやり取りがあった。ある放送局で音楽番組のパーソナリティーで活躍する女性が、この日の講師である。「音楽はわが人生」といったテーマだった。 「Wさん(私の名前、事前に名刺交換していた)が好きな音楽は?」。ノンクラシックで、具体的に名前を上げられる音楽の知識がなかった。答えに窮し「芸能とスポーツは駄目なんです。これでもよく記者が務まったと思います」。後から「私は演歌一筋で」とでも答えればよかった、と後悔した。いわゆる朴念仁の、実につまらない答えである。 彼女のスピーチで、ボサノバの歴史はわずか数十年だと知った。そして、その歴史を担った人々のどろどろした実人生の話もあった。ポピュラー音楽に詳しいとは、何も音階がどうの、リズムがどうの、という小難しいことは、必ずしも不要なのである。聞いて心地よい歌い手、好きなジャンルに打ち込み、それに通じていれば、ほかの音楽好きと会話は成立する。 学生時代、自分が全く知らない世界に通じている友人と話し、自分の世界の狭さに衝撃をうけた記憶がよみがえった。。そして、知らないことを知らない、と言わないで知識不足を必死で隠して会話した若かりしころを、ほろ苦く思い出した。今は、ずうずうしさが勝り、あっけらかんと「知りません」と言ってしまう。 マイナーでもいい、絵でも音楽でも映画でもスポーツでも、それぞれの世界で何か一つ得意なテーマを持つ。それが場をしらけさせず、会話が成立する条件なのだ。そんな処世術も身に付けずによくこれまで生きてきたものだと、本当に恥ずかしい。せめて、恥じて顔を赤らめる感受性は失いたくない。
June 10, 2007
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ゴルフコンペの帰り道、時々のぞくリサイクル店に立ち寄った。今探しているのは、事務所で使う安楽いす。お昼の後、睡魔に襲われたとき、昼寝をしようというわけだ。この店で以前見掛けたので、訪店の回数を増やすことで、巡り会うチャンスを多くしようというのが狙い。 目的の物はなく、パソコン関係の本を2冊求める。会社勤めのころは、操作が分からなければ周囲の人に聞けばよかったが、事務所に1人居るようになり、そうもいかない。頼りになるのは、参考書だ。基本的なものにする。たとえば、突然ツールバーが消えたりする。そんなとき、慌てないようにしたい。 ネクタイ売り場もチェックするが、ほとんど関心は薄れた。靴があり、履いてみたらぴったりだったが、4800円なので見送る。ガラスケースをのぞいたら、立派な(に見える)腕時計が500円とある。ネクタイ500円のものに限っていた。500円なら、もし使えなくとも惜しくはない。 店員にガラス棚から出してもらう。シルバーのつや消し、文字盤は12,3,6,9の数字しかなく、カラーは白。ブルーのベルトが裏を通っており、ブルーと白の対比が何ともあか抜けている。裏ベルトで、汗かきの自分が夏金属アレルギーにならないのが、何よりも気に入った。文字盤に大きく「GATSBY」とある。てっきり時計のブランドだと思い「国内のブランドですか」と聞く。答えは「男性整髪料の名前です」。つまり、キャンペーンの景品として作られたらしい。裏ぶたを見ても、時計メーカーの名前は全くない。 昨年12月に電池を交換した、とある。時計店に電池を換えてもらえば、500円はくだらないだろう。おそらく、このリサイクル店自身が行うに違いない。しかも、1ヵ月の保証が付いている。取説こそないか、金属のケースまで付いている。持ち込んだ人は、無料でもらったものなので、幾らでもいい、と持ち込んだのだろう。それとも、メーカー自身が余ったものを処分したのか。 結局求め、友人に自慢げに「幾らで買ったと思う?」と聞いたら「2万円くらいかな」。うーん、やったぜ。でも、問題が一つある。非防水なのだ。汗の季節が心配だ。帰宅し、ネットで「GATSBY」を引いたら、某国内大手化粧品メーカーの商品だった。ま、まがい物でないことは確かだ。
April 15, 2007
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39年間のサラリーマン生活は、さまざまなドラマがあった。楽しかったこと、今もって悔しいこと、思い出は尽きない。でも、感傷にひたる暇はない。4月からは、いよいよ独立だ。後ろを振り向きたい気持ちをじっとこらえ、前だけを見て進みたい。 温泉地のホテルで、つかの間の休暇をすごしている。夕べは、最上階のバーで湖を見下ろしながら、カクテルで心をほぐした。落伍もせず、健康も害せず、ゴールインできたことに感謝の念でいっぱいだ。これも、家族あってのこと。 せめて、この3日間はすべてを忘れ、心と体のリハビリに努めよう。4月からは、だれにも指図はされないが、きびしい仕事が待っているのだから。 目標に向かって、1歩1歩進むだけだ。
March 29, 2007
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長く生きていると、学習効果の積み重ねがある。いや、なければおかしい。 限られた広さしかない家庭の中でも、人間はできるだけ効率的に物事をこなそうとする。つまり、1回の行き来で複数の用件をこなそうとするのだ。しかし、そのことが結果的に事故につながったり、かえって時間が掛かったりする。手に複数の物を持ったり、片方の手で何かを持ち、もう片方で別の行動をしようとする。そのことが、物を落としたり、不自然な姿勢を生んだりする。 そのことに気付いたのは、50歳を過ぎてからだ。家庭内でも事故の可能性は意外に高い。思わぬ怪我や事故を防ぐには、時間がかかるようでも、一つ一つ物事を処理した方がいい。しかも、そんな距離を異動するのでないから、一つの用件ごとに歩いた方が、結果的に時間も掛からない。 コンピューターでいう「ノイマン型」の方が、同時並行処理の「非ノイマンン型」をしのぐのだ。
March 18, 2007
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ダイエットは、詰まるところセルフコントロールである。セルフコントロールには、力で自分を抑える方法と、自分で自分をだますテクニックがあるのではないかと、密かに考えている。 ほぼ毎日自宅できちんと食べるのは、朝食である。茶碗に6分くらいよそい、それを3杯食べている。つまり、通常に盛れば2杯のご飯を3杯に分けて食べている。なぜそんな手間の掛かることをしているのか。少ないご飯で「たくさん食べた」という錯覚を自分に与えるためである。盛られたご飯が多かろうが少なかろうが、一膳は一膳である。三膳食べれば、それだけの満足感が得られる。 通常満腹感は、お腹で測る。しかし、胃袋は大きくも小さくもなる。日ごろダイエットを心掛け、食べる量を控えている人は、少量の食べ物でも満腹になる。大食いの人は、少々の量では満足できまい。体重をコントロールしたい私は、出来るだけ少ないご飯で満足したい。そこで、あえて一膳の量を減らし、膳の数を多くしたのである。お代わりを1回しかしないのと、2回するのでは、精神的な満足度がまるっきり違う。 みそ汁も同じ方式を取っている。こちらは、減塩策としてである。自分は、これを飲むために生まれてきたのではないか、と思うほどのみそ汁好き。放っておけば何倍飲むか分からない。こちらも、椀の半分ほど盛り、それを2、3杯飲む。保温プレートに鍋を載せているので、温かいのを飲める効果もある。 いつから「自分だまし」を始めたのか、記憶に無い。ということは、かなり以前からこの方式を採用していたことになる。健康に気遣っているあなた、お試しあれ。
March 14, 2007
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わが街はビルラッシュである。駅周辺だけでもかなりの数のビル工事が現在進行形だ。 工事現場の脇を通りながら、ふと考えることがある。「建物が建つ前の、見通しが利く今の風景を、写真に収めておかなくていいいのだろうか」と。高層ビルだから、4,50年は建て替えられることがあるまい。つまり、前の建物が壊され、隣のビルが見通せる現在の風景は、この機会を逃せば自分が生きている間は2度と見ることができない。「カメラに収めておけば、貴重な記録になる」。そう思うと、居ても立ってもいられない。 しかし、ともう1人の自分は考える。「それは、一市民にすぎない自分の役割なのだろうか」と。少なくも、義務は課せられていないだろう。ならば、誰かがその役割を演じているだろうか。市役所のどこかのセクションで、記録しているだろうか。都市景観をつかさどっている課はあるが、おそらくそんな行動をしているとは思えない。街の歴史の、貴重な一ページであることは確かなのだが。 ならば、記録に関心がある個人として、ボランティアでやってはどうか、と自問自答する。撮るのは簡単だ。問題は、記録の保存である。1年もたてば、どこにその写真を収納したか忘れる可能性が大だ。個人とはいえ、体系的に風景の移り変わりを保存するルールを決めないことには、無駄な行為になりそうだ。 自分には妙な癖がある。道を歩いていて紙切れが落ちていたとする。それに何が書いているか、確かめないと気が済まないのだ。「今、見ないと永遠に見る(知る)機会がない」。そいいう脅迫観念に捕らわれるのである。多くの場合、確かめても何の意味もないし、自分が通らない所にも紙切れはたくさん落ちているのだから、すべてを確かめることなど、不可能なのだが。 ちょっと、病的かもしれない。多分、見通せる工事現場を今記録しなければ2度とチャンスがない、という思いに通じる心理だ。
March 12, 2007
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笑ってしまった、きょうの朝刊運勢欄に。「臨時収入あり。全額プールしておくと、金運の呼び水に」とある。きょうは、長かった交通事故の示談交渉がまとまり、慰謝料が振り込まれる予定になっていたからだ。 半分は信じ、半分は信じていない。でも必ず目を通す。生まれ月ごとにその日の運勢を示している。考えてみれば乱暴な話だ。1億2500万人を12で割った1042万人が同じ運勢なんて、常識的にありえない。でも気になる。いや、楽しんでいると言った方がいいかもしれない。 運勢に従って、出かける際洋服の色を変えたことがある。自身に絡む大事な結果が出る(勤務先の人事など)日などは、いい運勢でない場合、覚悟を決めて出掛ける。その程度には活用している。しかし、明らかに自分には関係ない事柄で、判断が示されていることも多い。しかも「ピンチは○月生まれの人に相談」などど言われても、親しい友人でも生まれ月など知らないことが多い。「東に行けばラッキーなことが待っている」と言われても、どこを基準に東なのか、自宅か会社かあいまいだ。 わが家人は名前の画数判断にこっている。「あなたは今月、ある組織のトップになる、との運勢なんだけど、何か心当たりがない?」などど言われても、ことらはきょとんとしてしまう。だれか周囲の人が、あれよあれよと出世する場合などは、置いてけぼりの自分を慰める材料にはなる。 朝のテレビでも、かならず運勢判断はある。誰しも、まだ来ない時間には不安を持っている。世の中が、どんなに科学万能になっても、占いは消えないだろう。 家人に「運勢欄が、ぴったりだったよ」と、わが家にしては大金の慰謝料を受け取る予定を言い当てられたことを告げると、きつ~い一言。「うちには、4000万円の住宅ローンが残っていることを、忘れないでね」 金運を呼ぶ「全額プール」には出来そうもない。これから始める事業資金に消えそうだ。
March 8, 2007
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けさの首都圏は、JR田町駅構内(東京都港区)での信号故障の影響で、山手線外回りと京浜東北線が始発から午前6時45分まで運休となった。合わせて75本の電車が運休となり、1万6000人の足が奪われた。 ところが、である。それを報じるテレビや新聞(電子版)は、こぞって「始発から運転を見合わせている」と報じた。辞書を引くまでもなく、見合わせる、とは「状況判断の結果、実行を控える」との意味である。きょうの事故の場合、信号が赤のまま表示が切り替わらなくなったのだから、状況判断するまでもなく、運行しようにも出来ないのである。だから「不通」と表現するのが正しい。 「見合わせる」の表現が使えるのは、例えば風速が25メートルを超え、JRの社内基準で運行しないルールになっているから、電車を走らせないような場合である。この場合でいえば、走らせようとすれば出来ないことはないが、事故の恐れがあるから、運行を控えるわけだ。 なぜ「不通」とすべきを「見合わせ」と表現するのだろうか。鉄道事業者として、トラブルを小さく見せようという心理が働いていると推測出来る。 この会社には、言葉を軽んじるDNAが受け継がれている。国鉄から民営化し「東日本旅客鉄道株式会社」(JR東日本の正式名称)となる際、「鉄」の字は分解すれば「金を失う」と書くから好ましくない、としてつくりを「失」でなく「矢」にしてしまった。国語に存在しない字を「創作」し、それを正式名称にしている。なんという傲慢さだろう。そのDNAが「見合わせ」という言葉の誤用に見事に表れている。 情けないのは、JRの発表文をそのまま垂れ流すメディアの無責任体質である。なぜJRの広報担当者に「それは見合わせでなく、不通でしょう」と抗議しないのか。少なくとも、放送原稿や記事では、きちんと「見合わせ」と「不通」を使い分けるべきだろう。発表文をそのまま流すのでは、報道機関の責任を果たしているとはいえない。 言葉が生き物であることは、認める。しかし、若者による言葉の誤用がいつしか市民権を得る(例えば「全然」の後ろには否定語がくるべきなのに「全然すてき」などの使い方がまかり通る)ような場合とは、このケースは分けて考えるべきだ。JRという大企業の「意図」は背景にあって、あえて誤用しているからだ。 この種の問題を発言すると、むなしさを覚える。一市民が、ブログで発言しようと、JRやNHKに電話しようが、恐らくは何も変わらないだろう、きっと。草の根民主主義が日本に根付くのはいつだろう。
March 6, 2007
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日常生活で、「現代の日本人は何てぜいたくなんだろう」と思うことの一つに、肌触りのいいティッシュをふんだんに使えることがある。あんなに肌に優しいティッシュを作れるのは日本人だけ、という説を聞いたことがあるが、さもありなんと思う。デリカシーに富んだ日本人は、商品に対する欲求レベルが高いから、メーカーもそれに対応した商品開発を迫られるのだ。 わが家でも食卓、居間、洗面所と、至る所にボックスティシュがおいてある。それを惜しげもなく毎日使って暮らしている。肌触りがいい分だけ、逆に「こんなぜいたくをしていいのだろうか」と自責の念にかられることがある。いくら再生紙を使っているにせよ、最終的にパルプを消費していることには違いがないのだ。だから、出来るだけ使い回しをしようという心理が働く。例えば食卓。ちょっと口の周りが汚れて、1枚つまんだにしても、それだけで「使用済み」にするのはもったいない。だから、すぐにはくずかごに入れず、いったんおいて、もう一度口をふいたり、汗をぬぐったり。 「グレーゾーン金利廃止」で、最近でこそほとんど姿を消したが、そのティッシュを街頭でただで配っているのは、どう考えてもおかしい。サラ金業者である。どの家庭でも引き出し1個分くらいは、ストックがあるのでなかろうか。割りばしは森林資源の無駄使いだと、外出時にはしを持ち歩く「マイはし運動」があるが、ティシュによる資源の消費はそれどころであるまい。最近は、好きなラーメンを店で食べる際も、ティッシュで汗をふくことが当たり前になっている。ハンカチという、本来その機能を持った道具があるのに、私自身、ラーメン店でボックスティッシュを置いてないと「なんて不親切な店なんだ」と思ってしまう。 オイルショックの際、トイレットペーパー騒動があった。湯水のごとくティッシュを使う生活は、いつ途絶えても不思議はない。
March 5, 2007
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沖縄の友人から、話は聞いていた。「花粉症に効く泡盛がある」のだと。取引先で苦しんでいる人に贈って、ずいぶん喜ばれたとか。同じ蔵元でも、銘柄が違えば効かないのだという。 さすがにその友人は、銘柄も蔵元も教えてくれなかった。身近な人と花粉症の話題になると、「飲んで治す」泡盛のことを紹介するが、誰も信じない。私自身、どこの何という酒か分からないから、説得力がないのだ。ところが…。車で慣れない道路を走っていたら、酒店の店頭に「花粉症に効く泡盛入荷」の張り紙が見えた。 友人は、うそをつくようなタイプの男ではない。しかし、銘柄や蔵元が分かれば蔵元に迷惑が掛かると、私にも教えないに違いない。沖縄からはるか離れた街の片隅の店に、幻の酒があるとは。複数の銘柄とは聞いていないから、店頭の張り紙は友人のそれと同じだろう。 通りすがりなので、店の場所ははっきり思い出せない。銘柄は買わなければ分からないのだろう。多分、店の張り紙をみても、私のように事前の情報がなければ意味を理解できないに違いない。アレルギー反応は、アルコールで増幅されると考えるのが普通だ。私はさいわい症状がないから、買わずに通り過ぎた。 それにしても、この話がマスコミや本に登場しないのは、なぜだろう。効く人と効かない人がいるのか。離島の蔵元らしいから、あるいは暗示効果で「効いた」気分になるだけかもしれない。
March 2, 2007
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今では全く珍しくないけど、初めて「スープスパゲティ」なるものを食べたときのことは、今でも忘れられない。ざっと20年目のこと。転勤で盛岡に住んでいたころの話だ。 青森県黒石市で、「つゆ焼きそば」なるものが人気を呼んでいるという。「スープ焼きそば」ともいうらしい。要するに、通常のソース焼きそばに、ラーメンのスープを掛けたものと考えればいいらしい。スープは、ラーメン風とは限らず、店によって違うとか。酸味と甘みが混じった、一度食べたら忘れられない味らしい。 宇都宮のぎょうざ、横手の焼きそばなど、新しいご当地メニューが増えている。地域活性化、観光客誘致が最終目的か。山形の冷やしラーメン(冷やし中華とは違う)は、隣の県に居ながら、転勤で住むまで知らなかった。全国に普及しないところがいい。つゆ焼きそばも、広まりそうもない。そこがいいところだ。そきに行かないと食べられないのだから。 残念ながらこの話題、NHKラジオの受け売り。メディアは使わない方針だが、あまり面白いので、乗っかってしまった。
February 27, 2007
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駅前に開店したヤマダ電機ラビ。4日目の目玉は、シャープのインターネットAQUOS、つまりパソコン付き液晶テレビ。32インチで99800円。ほかの大型店では33万何がしで売られている。価格コムでも似たような価格だ。ウインドウズXPとはいえ、破格値である。限定50台。 家人を説得し、出勤時間に交代してもらうことにし、7:55に列に入る。ざっと見た印象では50番目ぎりぎりではないか、そんなふうに感じた。ところが、間もなく列を整理するガードマンが来て、情況がはっきりした。「50人はとっくに超えています。ほとんどの人が、インターネットAQUOSを目的に並んでいるので、50番以内に入らなかった人は、事情を説明して帰っていただいています。どうしまか? 並びますか?」。私は、一応並ぶことにした。家人が来るまではいないと、情況を伝えられないし、ひょっとしたらキャンセルなどで順番が回ってくるのでは、と淡い期待を持っていたからだ。しかし…。ガードマンからもらった整理券(順番カード)で、期待は粉々に打ち砕かれた。140番。用意してある商品の3倍。どう転んでも、買えない。 急いで家人に電話した。もう出た後だった。列の前の方をよく見ると、みんな防寒着をしっかり着込み、イスを持参している。明らかに徹夜組だ。ガードマンに、様子を聞く。「並ぶのを認めたのは午前零時から。徹夜組だけで、120人はいた。整理券は、並び始めると同時に渡した」。自分は、「あすは早起きだ」と早々寝てしまった。その時間帯に、もう並び始めた人がいたのだ。整理券を入手すれば、短時間なら列を離れることも可能だったに違いない。 反省点の1、情況判断の甘さ。この日はウイークデー(月曜日)だから、休日ほどは並ばない、という思い込みがあった。前日日曜日は、9:40ごろ並んで、デジカメの100台限定中、64番の引換券を入手できた。その事例に囚われた。考えれば、リタイアして暇な人など、ごまんといる。反省点の2、前日の個数限定商品と「お得度」がまるっきり違う、という認識が足りなかった。戻って価格コムでも調べたが、やはり30万円台だた。反省点の3、事前リサーチ不足。午前零時から並ぶのを認めるのは、当局の指導か、店のルールか分からないが、電話できちんと聞いておくべきだった。整理券の配り方も含め、事前に情報を得ることができたはずだた。 パソコンが苦手な(というより、触らない)家人が、なじむきっかけになるかも、という期待を込めて、入手したかった商品。地上波のアナログ放送が11年までと決まっているのだから、いずれ買わなければならない薄型テレビ。しかし、10万円を切る価格を見てしまった以上、当分この商品を通常価格で買う気にはなれそうもない。
February 26, 2007
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あるホテルマンが、どこかで書いていた。宿泊して、ハンカチ1枚忘れても問い合わせてくる人がいるが、そういう行動をとる人の器は想像がつく、と。一流ホテルでは、どんな小さな忘れ物でも、きちんと保管しておく。次にその人が泊まりに来た際、「お帰りなさい。忘れ物をお預かりしています」というそうだ。「おー、そうだったか。気が付かなかった。ありがとう」と鷹揚に構えていれば、その人は大物だ。「なぜ、すぐに知らせてくれなかった」となじるようでは、その人物の大きさは押して知るべし、ということらしい。 ある小さなまちで開かれた、祝い事。ある公的な団体(林業関係の組合)が、国から表彰を受けたのだ。直接その団体とは接点がないが、仕事上でその団体と関係がある友人から誘われ、出掛けた。お酒が入り、高速バスで帰ろうとして、帽子がないのに気付いた。 祝賀会の会場になった会館に、帰ってから電話した。ない、という。電話に出た人は「忘れ物は、フロントに届くことになっています」。私は「そんな役人みたいな答弁をしないで、調べてほしい」と話した。現に、レストランでコーヒーを飲んだが、そこにかばんを忘れ、30分ほどしてないのに気付き、戻ったらそのまま置いてあった。つまり従業員が、忘れ物に神経を払っているとは思えなかった。それを伝えたら「調べてみまます」。結果は同じ。昼を食べた日本そば店にも電話した。やはりなかった。おそらく永遠に出てこないだろう。 金額的には、ほとんど無価値。でも、私には気になる。ボールペン1本、シャープペンシル1本でも気になって、探す。次の日は、いつも使っている歩数計が見えず、いらいらした。結果的には車の中にあったのだが。家内に、失せ物続きを話したら「いずれ、大した物ではないわね」と軽くあしらわれた。この性格は、死ぬまで続くだろう。
February 25, 2007
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アスコットタイの正しい締め方は、と思い紳士服専門店で店員に聞いたことがある。いろんな場面で使われるのかもしれないが、私が想定しているのは、ハイカラーの白シャツのボタンを上1個を外し、胸元をアスコットタイで隠す、という場面である。「普通のネクタイと同じように締めればいいんですよ」。こともなげに言う。 仕事以外の祝いの席に招かれ、ハイカラーで出掛けることにした。ならば、アスコットタイ風の布をネクタイのように結ぼうとしたが、どうもうまく結べない。本物のネクタイならできるだろうと、Yシャツのない首に巻いてみた。ところが、普段無意識にやっていネクタイ結びが出来ないのだ。えっ、とうろたえた。認知症だろうか。 パソコンを立ち上げ、検索エンジンで「ネクタイ 結び方」で引いてみた。ちゃんと目指すページが出る。いろいろな結び方があるのに、あらためて驚く。最悪、図示してある通りやれば、何とかなる。安心した。しかし、ハイテクの助けがなければ、「ネクタイの結び方を忘れたので、きょう会社を休みます」などどいう事態が、起きないとも限らないのだ。ぞっとする。 Yシャツというステージがなかったから結べなかったのか、手が自動的に動かなかったからなのか、頭がエンストを起こしたのか、真相はわからない。しかし、認知症はこのように発症するのかもしれない、と恐ろしくなった。かと言って、無意識に日常行っていることを、すべてメモしておくなんて、現実にはできない。いや、言葉そのものを失うことだってあるのだ、きっと。 高齢社会も、おめでたいことばかりではないようだ。
February 24, 2007
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もう10年になるだろうか。毎日使い続けている物がある。経済的には、まったく無価値。しかし、私には手放せない物。それは、カップ酒のカップ、つまりガラスの器である。カップをコップとして、大事に使っているのだ。 ガラスコップなんて、リサイクル店に行けば、10円で売っている。いくら1億円の金融資産を目指しているからといって、こんなところでケチをしても意味があるまい。ではなぜ、使い続けるのか? 愛着があるから? いや、特に。ガラスが厚手で丈夫だから? うん、確かに通常のコップよりは丈夫そうだ。少々乱暴に扱っても壊れないだろう。しかし、それだけに無骨で繊細さに欠ける。何か思い出があるから? いや、酒の銘柄が何であったか、とっくに忘れている。貧しかったころを忘れないように? うーん、少し私の気持ちにかする指摘だが、正解ではない。 自分でも、よく説明できない。言えることは、どこかに(家の中で)置き忘れると、必死で探す、という事実である。こんなものが、度重なる引っ越しでよくぞ捨てられずに現存している、と不思議に思う。引っ越しは100パーセント自分のコントロールでできるものでなく、他人の手も入る。ごみとして処分される可能性は小さくなかったはずだ。 私の心の中を、強いて言葉で表現すれば「余裕への渇望」ではないかと考えている。きれいな、しゃれたコップを使うことは、いつでもできる。その権利を確保したまま、行使せずに取って置く。そういう状態が好きなのだ、自分はきっと。 別の例えで説明すれば、自分の車は100キロ出せる。しかし、いざという場面のために、車の最大能力は取って置き、ふだんは70キロまででしか走らない。別の例を出そう。わが家の空調は、すべての部屋に大型空調機が付いており、冷暖房ともそれで賄うことが出来る。しかし、暖房はガスストーブを基本とし、ストーブがない寝室などで1時間のタイマーをつけて使う程度である。冷房も、どうしても熱気がこもったとき、やはり1時間付ける程度だ。無論、電気はコスト的に高くつくこともあるけれども。 あるけれども使わない、それは物でも、設備でも、お金でも、最高のぜいたく、余裕だと考えるのは、私だけなのだろうか。 カップ酒のコップに少し汚れが目立ってきたから、きょうはスポンジで洗うとするか。
February 22, 2007
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いつも同じ時刻の地下鉄に乗る。しかも、一番前の車両と決めている。途中で座れる確率が高いからだ。 乗って二つ目の駅。あまり乗降のない駅だ。出発する直前、運転手が「どうしました」と言っているのが聞こえた。どうやら、乗客が非情通話ボタンを押したらしい。「ただ今 非常通報ボタンが押されました。確認します」とアナウンスし、運転手は確認のため車両から降り、後ろに行く。駅員も降りてくる。しかし、誰がなぜ押したかは、分からずじまいだったよう。恐らく、誤ってボタンに触れ、その乗客はばつが悪くて、知らんぷりしたらしい。 運転手は、運行本部と連絡を取ってから「出発します。4分遅れでです」とアナウンス。その後が問題。「ただいま、急病人が発生し、出発が遅れました。ご迷惑をお掛けし、おわびします」。急病人なら、救急車が来なくてはおかしい。駅員も、事情が飲み込めないまま、電車を見送った。 目撃した、小さなうそ。恐らく、乗客に説明しやすい決まり文句が「急病人」だったのだろう。マニュアルのあるのかもしれない。
February 20, 2007
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どうも気になって仕方がない。テレビで見た「稲ワラで家を建てる」話の、詳報である。再度、ネットの検索エンジンで情報チェックを試みた。一度は失敗しているので、キーワードをいろいろ変えて挑戦した。 検索では、文字一つが大きな意味を持っていることが分かった。1回目の検索では「ワラ 断熱材」で引いた。結果は、畳の話がほとんどで、目指す情報には行き着けなかった。ページをすべてめくれば、あるいはあったのかも知れないが、最初の3ページほどでその意欲をなくしてしまった。 2回目では、さまざまなキーワードで検索を試みたが、結果は芳しくない。そこで、最初の組み合わせに戻り、「ワラ」→「稲ワラ」に変えたところ、「ストローベイルハウス」という、このテーマの核になる言葉が出現。この言葉であらためて引くと、情報がわんさと出てくる。日本ストローベイルハウス協会やストローベイルハウス研究会、などの組織も出来ている。1800年代に、米国で始まった、とある。 ストローは稲ワラの意だが、ベイルとは「梱(こり」」のこと。この工法のポイントは、稲ワラの圧縮技術にあるらしい。プレス機械が発明されて、手法として確立したようだ。究極のエコロジーハウスといえるが、わが国では建築基準法との絡みなどで、普及は容易でない。 テレビ番組で、どこの実践例を紹介したのの問題は残る。しかし、核となる言葉が分かったことで、放送局への問い合わせがしやすくなったことは確かだ。
February 20, 2007
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晩酌をしながら見るとはなしにテレビを見ていたら、稲ワラを圧縮して断熱材にし家を建てるという話題を放映していた。自分で決めたチャンネルでないから、どこの局かも分からず、ましてや何という番組かも確認しなかった。 断熱効果が高く、冷暖房がほとんど不要(地域にもよるだろうが)、湿気を吸ったり出したりする、天然素材だからシックハウ症候群の恐れがない、などの利点がある。何よりも、再生可能で今はほとんど使われていない素材を活用している点が、私の関心を呼んだ。 同じ番組ですぐに別の話題に移ったこともあり、テレビから目を離してしまった。すぐ番組表を見て何という番組名をメモしておく、少なくもチャネルをテレビで確認しておけばよかったのだが、両方ともしなかった。何日という日付もはっきりしない。およそ10日前くらいだったのだが、これでは、10日分の新聞をひっくり返しても見つけるのは困難だろう。 日にちがたつに従って、その番組が気になり、ネットの検索でも調べたが、目指す事例は見付からなかった。テレビ局のホームページは意外に大雑把で、放映内容の再録などはしていない。広報担当に問い合わせても、恐らく無駄。 どの番組か分かっても、テレビは番組をテープにダビングして販売することはしない。2次利用は、著作権などが絡むからである。視聴者が録画することは、個人的に利用する範囲であれば、まったく制限がないのだが。 新聞はその点、記事については多くの新聞社がデータベースを構築しており、言葉の切れ端を覚えていて、それをキーワードに検索すれば、すぐ引き出せるのだが。
February 20, 2007
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わが街に出来た缶詰居酒屋。世代的に、缶詰は身近な存在で関心は高いし、店にも客にも缶詰という食材は無駄が無く経済的で、節約時代にぴったりだ。友人と連れ立って、早速訪ねてみた。 開店を報じた新聞には、「缶詰処時代屋」という店名しか書いていない。インターネットタウンページで検索したが、該当がない。仕方なく、104番に問い合わせる。市内に同じ名前の店が2軒あるという。ままよ、とネットで検索したら、出てきた。電話で「お宅が新聞で取り上げられた店ですか」と聞くと、そうだという。道順のを詳しく聞く。 10人も座ったらいっぱい、という狭さ。昭和初期をイメージしたれレトロ調で統一されている。メニューの文字デザインも、雰囲気に合わせてある。「このフォントは、別料金でした」と店主。カウンターから、壁の棚まで缶詰がぎっしり。値段が付いていないので聞くと「高いのは冷蔵庫に入っています。ここのあるのは、みな安いですからご安心を」という。 最初に出てきたのが、塩昆布。つまりは突き出しだ。メニューには「突き出し(席料)300円」とあった。だれが見ても、塩昆布は300円には値しないが、客単価が低く「席料」を頂かないと、間に合わない、ということだろう。まず、ビールにサケの水煮缶を取る。実際に、2人でサケ缶をつまみとしてつついて分かったのだが、缶詰の食べ物としてのボリュームは意外に小さい。ごはんのおかずなら、一人で1缶は持て余すのだが、酒のつまみとなれば話は違ってくるのだ。 聞けば、開店は昨年の9月。記者の耳に達するまで5ヵ月掛かっている。「居酒屋を出すにあたって、よそと同じことをしていても、仕方ないと思いましてね」と店主(ここでは大将と呼ぶらしい)。新聞に出てから客足は増えたとか。 友人は飲み物をビールを最初の1杯だけにし、野菜炒めを取る。やはり、缶詰だけでは味気ない。私は、サバの水煮缶とカップ酒2本をもらう。締めて、3350円。缶詰も酒も、市販の値段は客が先刻承知。いずれも、市販価格の倍を取るのがせいぜいと見た。とすると、缶詰居酒屋は、経営的にはあまりうまみがないのでは、と感じた。
February 16, 2007
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誰もやらないなら、自分が開店しようか、そんなことを空想半分で考えていたら、わが街にも登場した、と夕刊に写真付きで報じられていた。「缶詰居酒屋」のことである。 知らない人もいるだろう。「缶詰居酒屋」は、おつまみとして缶詰を出す居酒屋。だから、居酒屋だけでなく、バーもある。なんでこんな店が登場したのか。まず、無駄な在庫が要らない。生ものだったら、そのメニューに注文がなければ、冷蔵庫に入れておいても2,3日で捨てなければならない。次に手軽さ。レトルト食品万能の時代だが、暖めるなどの手間が必要だ。缶は開けさえすればいい。最近は缶切り不要のプルトップタイプが多い。3番目は値段の安さだろうか。わが街の店は、250円から、と記事にはあったが、東京では90円からの店もあるようだ。種類の多さも、魅力の一つ。たいてい、200種類くらいはそろえているらしい。 東京や大阪などでは、飲み物も缶ビールだけ、と「缶」に徹底した店や、飲み物は客が持ち込み、時間制で場所代を支払うタイプの店もあるとか。 しかし、本当の背景は、世代構造の変化でないか。大量退職が始まる団塊の世代から上は、缶詰が「ご馳走」の時代に育った。彼らが余裕がある年代になり、缶詰へのノスタルジーが、こんな新商売を生んだのではあるまいか。彼らが育った時代は、鯨がたくさん捕れたころで「鯨の須の子」がそう高くなく手に入った。サンマは、今も昔も定番だ。 子どものときに食べた物は、味覚として刷り込まれている。私自身、例えばサバの味噌煮、水煮などは、ほんとうにおいしいと思う。かつては味噌煮がメジャーだったが、減塩志向と魚本来の味が分かる点で、水煮が幅を利かすようになった。私も今では、サバなら水煮に軍配を上げる。それが、セールス期間中なら78円で手に入るときもあるのだから、たまらない。 さてさて、今夜は友人を誘って缶詰居酒屋に行ってみるか。
February 15, 2007
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木炭が、燃料と言う本来の役割からな離れた使われ方をされ出したのは、そんなに最近のことではない。ただし、実用面では「脱臭・除湿」、心の側面ではタペストリーに折り込んだりする「癒し」効果、などが主だろう。しかし、ここに来て、炭はさらに活躍の領域を広げている。くくった言い方をすれば「アート」の側面が、強く意識されるようになったのである。 宮城県内のある温泉ホテルで開かれた「炭のアート展」。ロビーには109点の作品が並んだ。作品は炭を素材にしながらも、オブジェ、生け花、盆栽、工芸、彫刻…とさまざまな形態を取っている。炭を素材にしたアートでありながら、その展開方向がさまざまなのは、逆にいえば炭の持つ多用な可能性を暗示する。 形態の違いを、分かりやすく示すのが、炭アートの土台、受け皿だ。杉の輪切り、焦がし板、フジつるのかご、竹かご、焼き物の鉢、布、など。炭の素材も、木だけではなく、竹、松ぼっくり、シュロの葉、南天からハス、リンゴまで実に多様。中でも竹は種類も太さもさまざまで、繊細な細い竹炭を生かした行灯や、太い竹炭を輪切りにしてびょうぶにしたり、太さを生かして花瓶のように花を投げ入れたり。活躍の場は多様だ。同じ木でも、切り株を焼き、それを花器にして花を生けた例もあった。変わった作品では、チェーンソーでフクロウの形を木で作り、それを焼いたものもあった。 アート展の主催者は、県の振興事務所林業振興部。アート展をなぜ役所が? それは、炭の需要拡大の新たな分野として、アートに期待が掛かるからだ。だから、作品の大部分には販売価格が付いている。価格は出展者が自由に付けるので、400円から4万円までと値段には開きがあるが、今回は購入希望者には申し込みをしていただき、応募者が複数の場合には抽選で購入者を決定した。このホテルの売店には既に炭アート作品が置いてあり、製作者の中には数十万円の売上高を達成した人もいるという。 なぜ今人々に、炭アートが受けるのか? 確たる説明は出来ない。しかし、時代が求めている方向であることは確かだ。
February 12, 2007
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開場に入るなり驚いた。ホテルで開かれた大学同窓会の新年会。きちんとしたスーツにネクタイを締めている人は、テーブルにして1個半。後はネクタイをしていなかったり、していてもラフなカラーシャツ姿。九つほどあったテーブルのうち、現役世代はテーブル一つと半分だけであることが、一目りょうぜんだ。席を卒業年次順にしたからだ。 昭和22年から24年に生まれた団塊の世代が、19年度から順次定年を迎える。社内における技術の継承、定年後も働くべきか、40兆円に達する退職金(80兆円という説もあるが、確たる調査はない)の獲得合戦など、このところ定年に関しては話題に事欠かない。3ヵ年で670万人というのだから、社会的に大きなインパクトを与えることは確かだ。 社会的な現象もさることながら、個々のサラリーマンにとって、定年は人生の一大事である。酒を飲むのも、旅行に行くのも同僚と、といった企業風土が続いてきたわが国では、定年で会社と言う組織から放り出されると、ほとんどの人間関係が断ち切られてしまう。リタイア世代にとって、同窓会は数少ない「社会との窓口」となる。出席率が高いのもうなずける。半面、現役世代は相も変わらず「過労死」寸前まで仕事に追われ、同窓会などは優先順位が大きく下がってしまう。 だから、現役とリタイア世代の出席者比率が偏るのは分かる。異様に見えたのは、リタイア世代の緊張のほどけ具合である。せめて、服装だけでももう少しきちんとできないのだろうか。自由気まま、だれにも遠慮しないし、相手にどう見えても結構、という内面の緩みが服装に表れている気がする。 そう遠くない将来自分もリタイアしたら、あのようにラフな格好になるのだろうかと、悲しくなった。解放感のなせるわざなので、責められないのだが。まさしく「老い」とは、鏡に写った何年か先の自分の姿である。
February 9, 2007
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チョッキがある三つ揃いのスーツは、基本的に好きでない。これは感覚、好みの問題だから、論理的には説明が付けにくい。あえて挙げれば、これを着ると何か相手に威圧感を与える気がする。周囲の人に聞いたわけでなく、自分が勝手に思っているだけなのだが。もう一つは、なぜか欧米のブルーカラーを連想する。ハンチングをかぶり、出っ張った腹をチョッキで包んでいる、あの姿を思い出すのだ。 きょうは、ブルーの三つ揃いを着て職場に来ている。なぜか。最近読んだベストセラー、安田佳生「千円札は拾うな。」の影響である。安田は、ある人から「君の服装はダサい。私が選んだスーツを1年間着てみなさい」と言われ、仕方なく自分の好みでない服装で1年間通したという。1年たって、以前の服装に戻って、驚いた。「こんな野暮ったい服を着ていたんだ」と。かれは「自分に似合う服装はやめなさい」と結論づけている。 洋服選びは、完全に家人に任せている。自分で買うのはネクタイくらい。だから、三つ揃いを何着か持っている。基本的に、通勤で着ることはなかった。加えて、週5日の出勤日について、色のサイクルを決めている。月火が茶系、水木がグレー系、金はグレー系だがシャツは出来るだけインフォーマルなものにする。2日間づつ同じものを着回す。おおまかにこの方針を決めておくだけで、朝の服選びは大分整理される。だから、ここ数年、ブルー系は縁が薄い。 安田の言わんとすることは、何となく自分で作ってしまい、違和感がなくなったルールをあえて壊してご覧、ということと理解したので、自分の中のタブーを二つ破り、ブルーの三つ揃いを着て出てきた次第。実際に着てみると、特段の抵抗感はない。ただ、きょうは気温が高く、室内で暑く感じ、途中でチョッキを脱いでしまったけれども。生来、暑がりで自宅でもセーターはほとんど着ない。いつもカーディガンである。 こんな、ささやかな「冒険」を通して、生き方の幅が少しでも広がればいいのだけれども。
February 8, 2007
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自分では買わないが、頂き物なら使う(食べる)商品というのがある。例えば、カニの缶詰。高いから、自分ではまず買わない。しかし、進物となると逆に高いが故にそれを選ぶ。もらった方が高いと分かってくれるに違いない、という効果を狙っている。つまり「私はこれだけのお金を払って選んだものを、あなたにプレゼントしているのです」という、メッセージの伝達役がその贈り物には期待されている。 リサイクル店は、特定の目的(ソファが欲しい、など)を持って訪れることもあるが、通常は「何か掘り出し物がないかな」という、漠然とした期待感で行くことが多い。ちょいちょい訪れる店でぶらぶらしていたら、寝具・タオルコーナーには、化粧箱に入った肌ふとんがとても多いのに気付いた。どうしてこんなにたくさん持ち込まれるのだろう。 肌ふとんが、実用的にはどんな使い方がされるのか、よくは知らない。多分、暑い時期にタオルケットのように、軽い掛けふとん代わりに使われるのだろうか。寒い時期に、厚いふとんの下に使って保温する役目も担えるのだろうか。 いずれにしても、この商品の生命は「肌に触れた際の心地よさ」であって、寝具としての実用性はそれほど高くないような気がする。「絹製」「絹との混紡」もあるが、価格は極端に高くはないようだ。とすると、カニの缶詰のように、「価格」というメッセージを相手に伝えるツールでは必ずしもないようだ(カニ缶は食べてもおいしいけれども)。「心地よさ」「ぜいたく感」が相手に伝わり、送り主を思い出してもらえば、それで目的は達成されるのかもしれない。 しかし、受け取った側は、実用性の低さからリサイクルに出す。そんなストーリーを想定しないと、なぜこんなに店に肌ふとんが並ぶのか、理解できない。男性の目には、自分でお金を出してまであえて求める動機が薄い商品に見えるのだが、いかがだろう。
February 7, 2007
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昼休み、ビルのエレベーターホールで「かご」が来るのを待っていた。このビルは、低層棟と高層棟の乗り場が違い、私が居たのは低層棟のホール。旅の人とおぼしき2人組が待っていたのだが、うち1人が高層棟の案内板を見て「ジョブカフェ? ここならコーヒーが飲めそうだ」ともう1人をせきたて、高層棟の乗り場へ向かった。「23階まで行かないと駄目なのか」と言いながら。 ジョブカフェとは、公的機関が開設している職業紹介コーナー。ミニハローワークと考えればいい。若者を主な対象にしているため、こんなしゃれた名前になったらしい。「そこは喫茶店ではありませんよ」と声を掛けようとしたが、その間もなく行ってしまった。23階まで行って、引き返すことなるのは、明らかのだが。喫茶店なら、低層棟の2階にある。 言葉は、意味が通じてじて初めて役割を果たしたことになる。付けた人は「おしゃれ」の積もりかもしれないが、人を誤った行動に誘導するのなら、何のための言葉なのだろう。自分も被害者にならないよう、気を付けねば。
February 6, 2007
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ここ1年ほど、狂ったようにネクタイをリサイクル店で買った。50本は下るまい。代わりに、これまで使っていたものが邪魔になってきた。これまでも、家庭ごみに一部を出してきたが、誰かの役に立つならそれに勝るものはない。 捨てようとまとめて置いたものを数えたら、ちょうど20本あった。自分が使っていたものを売るなんて、いかにも金欲しさのようで気恥ずかしいが、思い切ってリサイクル店へ持参した。少し汚れているのもあるし、流行遅れもある。この内、何本買い取り拒否に遭うのだろう。そういえば、ある店で買い取りの現場を見るともなしに見ていたら、店員が「これは値段が付けられませんでした」と、客に話していた。「買えません」を別の表現で言っているのだ。うまいことを言うものだと感心した。「お持ち帰りになりますか」とも言う。「置いて行きます」と客が言えば、ただで入手して売ってもいいし、ごみに出してもいいわけだ。 品物を渡すと、シートに氏名、連絡先を記入し、身分証明を求められる。盗品などをチェックするため、法的なルールがあるのだろう。番号札を渡され、しばらくして「○番の番号札をお持ちの方、計算が終了しました」と店内アナウンスがある。買い取り拒否はなく、まとめて400円だった。「500円くらいかな」と胸算用していたので、その価格をすぐ了承した。 実はこの「売り」初体験の前に、別のリサイクル店にテレビを持ち込んだ。大型だが1993年の製造。家電リサイクル法の対象なので、家電店に持ち込み処分料を払うつもりでいた。およそ7000円掛かるとも聞いていた。しかし、友人が「駄目元で、リサイクル店に持っていってみたら」というので、持ち込んだ。色々調べ、映ることを確認してから「10年以上経っているので、商品としては引き取れません。でも、処分料を払っていただけるのなら引き取ります」とのこと。料金を聞いたら、4700円だという。わずかだが、家電店より安く済む。お金を払って置いてきた。 後日、この店をのぞいた。2万9800円の値札が付いて、売られていた。もし売れれば、3万5000円の利益をこの店は手に出来る。商品にするかも知れない、とのニュアンスが店から引き取りの際あったので文句を言えないし、こちらとしても処分料は安く付いたのだから後悔はししていない。しかし、何か業界の裏側を見た思いがした。 さて、ネクタイは幾らで売られているのだろう。見に行かなくては。
February 3, 2007
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皆さんは、受け取った年賀状を、いつ、どのような形で処分してますか。 賀状の往来を見ていると、前年の賀状を保存しておき、それを「元帳」に出している人が少なからずいる、と推測される。だとすると、1年間は保存していることになる。新しい年の賀状を発送し終えた後で、捨てているのだろうか。あて名をパソコンで印刷している人は、名簿を作っていることになるから、また扱いが異なるだろう。自分が出した相手から来ているか、そしてお年玉の当たりはがきがないか、それをチェックしたら、その年に捨てるのだろうか。 処分するにしても、賀状は「私信」でプライバシーの塊だから、そのまま家庭ごみとして出すのは問題だ。でも、シュレッダーを持つ家庭がどのくらいあるだろうか。多くはあるまい。紙ごみの一部として、収集日に出しているのでないか。 私は、というときちんと名簿管理し、相手のはがきは何日に来たか記録を付けている。住所変更も名簿整理の段階で可能な限りチェックしている。喪中通知が、記録を混乱させる原因になりがちだが、これも一応記録してる。だとすれば、お年玉の当選チェックを済ませれば、すぐ処分してもよさそうなものだ。シュレッダーも昨年の初売りで購入した。 ところが、である。少なくも5,6年分、調べればひょっとして10年分くらい、捨てずにたまっていそうだ。役立つこともある。何かの都合で、連絡を取る必要があり、前年の賀状を調べてもなく(喪中のため?)、さらにその前にさかのぼって目指すはがきを見つけ、用が足りた経験は何度もしている。ここ数年は交換が途絶えている人の情報がいつ必要になるか分からない、という強迫観念があるのかもしれない。パソコンでやる住所録の整理では、電話番号も入力しているが、プリントアウトした名簿自体がどこに置いてあるか分からないことも多く、役立ったためしはない。 情報を捨てるのは、かくも難しい。
January 29, 2007
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パソコンからプリンターにつなぐのであれ、業者に頼むのであれ、最近は印刷が容易に、安価に出来る。あて名印刷も、名簿さえあれば瞬く間に終わるから、印刷したのをそのまま送るのであれば、少々枚数が多くても話は簡単だ。しかし、受け取る側から言えば、正直味気ない。 私のやり方は、こうだ。プリンターで横書き印刷し、文章の最下段に破線を入れる。その下が「一言記入欄」。あて名の印刷が終わっている段階だから、肉筆で相手を思い浮かべながら書く。これで、年賀状は血が通ったものになる。私は、相手を特定しメッセージを発信していることが、相手にも伝わるからだ。読んだ相手がうなずいたり、「ニヤッ」としたりするはずだ。 この方法の難点は、手間が掛かること。つまり時間が掛かる。いつも、年末のぎりぎりの段階で作成・発送作業をするから、時計とにらめっこの仕事になる。その結果どうなるかというと、乱筆になる。「相手がよめるだろうか」と心配しながら出すこともしょっちゅうだ。が、これは万人共通の悩みらしく、頂く賀状の「一筆」も読めないことがよくある。でも、何も書いていないよりは、やはりうれしい。作家池波正太郎ばりに、来年の賀状を1月から準備しなけれなならないのだろうか。 もう一つの問題点は、会ったのが20年以上も前で、年賀状でしかつながっていない相手への文章だ。「ご無沙汰を」など、どうでもいい内容にならざるをえない。それと、職場や仕事関係だと、本音も書けないから「本年もよろしく」など、通り一遍のものになる。ならば出さなければよさそうなものだが、義理が絡み、そうもいかない。 皆さんは「手書き一筆」を実行してますか。
January 28, 2007
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酒に関する、私の「憲章」は次のようである。1、1週間に2日は休肝日を設ける。出来るだけ連続した2日間とする。2、外で会合があるときは、大いに飲む。特に量の制限は設けない。3、ビールは乾杯程度とし、出来るだけ別の酒類とする。いずれも痛風対策である。 何とか、このルールを定着させるべく努力中である。しかし、時々酒を休んでみて、思わぬ「伏兵」に遭遇している。飲まないと、便秘になるのだ。びろうな話だが、お許しいただく。 先日も2日間、飲まなかった。私のこれまでの生活習慣では考えられないことだ。365日のうち、人間ドックの前日くらいだったのだ、飲まないのは。3日目に、かなりの量を晩酌で飲んだ。2日間、我慢した自分へのご褒美である。用便は朝、が私の体のリズムである。とてつもなく、太くて立派なのが翌朝お出ましになった。生涯で、一番立派だったと思う。通常のように、水を流した。抜けて行かない。詰まったのである。業者を呼んで、対応してもらう以外になかった。 下痢とか、お腹がゆるいとか、そのようなことはほとんどない。腹痛も記憶にない(海外旅行で食べすぎ、下痢が止まらずひどい目に遭ったことが1度だけある)。水は、冷たいミネラルウォーターに氷を入れて飲む。かなりの刺激を与えないと、便通がない。酒は、最もいい刺激剤なのだ。 こんな体質の方は、ほかにもいるだろうか。きっと私の特異体質かもしれない。
January 22, 2007
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