私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2014年01月10日
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カテゴリ: 千の朝
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 科学技術の成果である富をめぐる争いが社会問題になったのである。

 その争いで依拠されたのは道徳規範である。

 自由と平等のどちらが「善」か、という争いである。

 資本家階級は富を追求する自由をもって善とした。

 一方、マルクスは有産の資本家階級を糾弾し、無産者による暴力革命を正当化した。

 共産主義は平等をもって善とする思想にたっている。

 産業革命がイギリスから欧米各地、そして日本に波及していくなかで、同じ争いが普及した。

 それは富を公平に分配する平等を正義とする人々と、富を獲得する自由を正義とする人々との争いとなり、世界は次第に二大陣営に分かれていった。



 二〇世紀には、富の自由な追求をイデオロギーとする自由主義圏と、富の平等な分配をイデオロギーとする社会主義圏との二大陣営の争いになった。

 イデオロギーという言葉を日本のマルクス主義者は「観念諸形態」と訳したが、司馬遼太郎氏はそれを「正義の体系」と言いかえていた。

 イデオロギーの訳としては、こちらの方がピッタリである。

 自由をもって正義の体系と信じる集団と、平等をもって正義の体系と信じる集団とに分かれたのである。正義の体系とは、独善と言いかえられるだろう。

 二〇世紀後半の冷戦は二つの独善の闘争であったと総括しうる。

『「美の文明」をつくる』 川勝平太 ちくま新書





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最終更新日  2014年01月12日 08時34分53秒
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