私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2015年12月08日
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カテゴリ: 千の朝
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 ひとが深い意味で思想を問題とせざるを得なくなるのは、自らが抱えている一般的な(世界像)やその価値観そのものが、どうしても自分にとって和解し難いものと感じられるような場面においてである。

 たとえば、アーサー・ミラーの『セールスマンの死』というドラマにおいて、父親のウィリイ・ローマンは、成功したセールスマンに人間の価値のモデルを置いており、それを息子のビラに押しつける。

 このドラマの悲劇は、能力のないセールスマンが、それにもかかわらず、あくまで資本主義的能力に人間の価値像を見つづけていることから来ている。

 父親がその価値観を捨てれば、家族たちは和解できるのだが、彼は決してそれを捨てようとしない。

 ここでは、彼の現実の存在と、彼の価値観が大きな確執を生じているのである。

 こういうことは、およそ現在社会にあって人間の生き難さの普遍的な由来になっている。

 それは社会が人間の生一般に与えている基本的な条件でもある。

 思想は、人間が自分のうちに抱え込んでいる一般的な(世界像)に対する違和の意識から発し、この(世界像)や価値観に対する意識的な抗いの行為である。



 だからわたしたちは、優れた思想のうちに、必ず、ひとりの人間が、与えられた生の条件の中をどのように生きようとしたかという、個人の生の痕跡をも見るのである。

「現代思想の冒險」 竹田 青嗣 毎日新聞社





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最終更新日  2015年12月08日 06時11分24秒
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