私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2017年02月20日
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カテゴリ: 千の朝


 もはや「中国語」といふ生きた言語の組織の一部として、
 音と意味とを同時に表はすものではなく、
 その視覚形態から直接に一定の意味を伝達すべき、
 単なる一情報単位となる。

 但し、
 その各情報単位の内容を、
 それの並んだ通りに羅列しても
 「自然言語」(すなはち日本語)にはならない。


 しかるべく配列し、
 結び直すことが必要となる。

 その転換に用ゐられるプログラム言語が、
 いはゆる乎古止(おこと)点、返り点その他で
 あつた訳である。

 日本人にとつて、漢文は、
 ちやうど足し算引き算を習ふやうにして
 その計算法をマスターすべき一つのシステムにすぎない。

 そして、
 それを「自然言語」に転換するプログラムの総体が
 「訓読」といふものだつたのである。


 訓読は普通の意味での「翻訳」ではない。

 普通の翻訳は
 二つの自然言語の間に行はれる操作であるのに対して、
 訓読では自然言語は唯一つ、
 日本語しか認められてゐないからである。


 実は重大な意味をもつてゐる。

 と言ふのも、まさにこのことによつて、
 我々の祖先は、
 漢文の内から「異言語の支配」といふ危険な要素を
 取り除くことに成功したのだからである。

 一国を二重言語国家としてしまふやうな危険な力は、
 「自然言語」の内にこそある。

 音声をうばはれ、
 単なる一つの情報計算法となつてしまつたものには、
 さういふ力はもはやないのである。

「からごころ」 長谷川三千子 中公文庫





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最終更新日  2017年02月20日 05時38分00秒
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