私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2017年12月21日
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カテゴリ: 千の朝


 デモクラシーの平等化(水平化)が
 人間を凡庸と化し卑小化し頽落させて
 〝家畜の群れ〟にすると、
 「大衆」をもって〝家畜の群れ″
 とまで激越な表現をするが、
 その指摘はそれなりに鋭く正しい。

 「人間の全体的な堕落が、ついにはやがて、
 今日の社会主義者の頓馬や愚かものどもが

 彼らの理想と見なしている状態にまで
 ゆきつくかも知れない!
 このように人間が完全な家畜の群れにまで堕落し、
 卑小化するということ、
 すなわち平等の権利と要求をもつ矮小動物まで
 人間が動物化するということは、可能なのである」。

 「(現代の知識人が)
 全力をあげて手に入れようと望んでいるのは、
 あの家畜の群れの一般的な(緑の牧場の幸福)、
 すべての人のために
 生活の保証、平安、快適、安楽を与える


 ところでこの二つの引用は
 いずれもニーチェの『善悪の彼岸』からであり、
 つまり善悪の峻別をもって成立しうる道徳を
 否定し破壊する情念で書かれた著で論じられている。

 だが、道徳の存在こそ人間を動物と区別するものである。


 デモクラシーの下の「大衆」の
 道徳(倫理)喪失という病いの
 匡正(きようせい)ではなく、
 この病いを悪化させるさらなる媚薬ではないか。

 どうもニーチェの「大衆」批判とは、
 嘲笑であり冷笑であり、
 臆病とないまぜになった傲慢からのもので、
 真正の自由への真剣な思索からのものではない。

 チェスタトンは、ニーチェについて、
 「孤立した倣慢な思考は白痴に終わる」、
 とまで批判している。

「正統の哲学 異端の思想」 中川八洋 徳間書店





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最終更新日  2017年12月21日 05時40分53秒
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