私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2022年01月13日
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カテゴリ: 認識の歩み



 倭国と連合して東遷しました。

 東征にあたり神武兄弟は、
 まず高天原に出向き当時の倭国女王・台与(豊受大神)と
 東征・東遷を諮り、
 邪馬台を大和に遷すことを決めたのです。

 神武は兄たちや子と謀って
 ヤマト(奈良盆地)を支配しようともくろみ、
 東征(神武東征)をおこないます。


 弓矢・盾・大刀(頭槌大刀)・石槌(石斧)や矛などで、
. 遠征軍が熊野で高天原より大刀の補給を受け. 
 戦力を回復したとの記事は
 大刀が最も重要な兵器であった事を示しています。

 また甲冑使用の記事も見られるので、
 おそらくは指揮官や突撃兵が、
 植物や革製の短甲様の物を着用したと考えられますが、
 防護力も弱く、数も不足し、
 突撃兵全員には行き渡らなかったことでしょう。

 ヤマトの先住者たちは果敢に抵抗し、
 神武も苦戦するが、結局はヤマトの平定に成功し、

 (神武天皇:カムヤマトイワレヒコ))。

 神武天皇の死後、
 神武天皇が日向にいたときに生まれた子である
 手研耳命が反乱を起こしますが
 その弟神渟名川耳尊は手研耳命を射殺し、


 古事記は天照大御神の父母は、
 伊邪那岐命・伊邪那美命と記しており、
 伊邪那岐・伊邪那美の名が、
 魏志倭人伝に登場する5国
 (伊都国、邪馬台国、奴(那)国、不弥(宇美)国、壱岐国)
 の名から1文字ずつ採った名であることを示しています。

 奴と弥の文字が名前とクニ名で異なりますが、
 それぞれの有力比定地、
 那珂川の那と宇美町の美から採られたものでしょう。





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最終更新日  2022年01月13日 05時10分05秒
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