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年末ごろのNeneの記事インナーチャイルドのくだりを見て、ちょっとした好奇心から、その記事をみてみました。過去の記憶を呼び戻すうちに、4歳の自分が出てきました。何故か自分の意志とはうらはらに3年保育で幼稚園に入れられ、母親と離されるのがすごく苦痛だった。その時は誰よりも愛情を持って接してくれる母親が大好きだったのだ。でも、理由はわからないが、そんな状況に初めは毎日泣いていました。泣いている自分は怒られ続け、廊下に一人出されたりしました。こんな断片的な記憶。でも、はっきり覚えているんだ。後々理由を聞けば、ちょうどこのとき母は体調がすぐれず、やむなく3年保育を選んだそうだ。そして、小学校2年で転校。これも自分の意志とはうらはらに起きた、そこに土地があったから家を建てた。と、いう大人の勝手な言い分。転校生という身分が当時の自分にとってどれほど肩身の狭いものだったかは両親にはわからないだろう。まぁ、結果的に今もその家に住み続けているわけですが。そして、いつしか家族には素直な自分の意見を言わなくなった。言っても、時の流れが解決するだけだろうと。のんびり末っ子として、育った。ような印象を周りからは受けるかもしれないが。実は、母との衝突は何回もあった。自分を愛してくれるから故に様々な助言をしてくれるにも関わらず、素直に聞き入れられなくなっていた。これと同じことを、人生で繰り返してきてしまったのかもしれない。自分を慕ってくれる人からの助言を素直に聞き入れられず、すねてしまう。どうして?自分は認めてもらえないの?と勘違いをしてしまうのでしょう。そして、その人自身を受け入れられなくなってしまう。そんな自分に何度も後悔をしたんだ。だから、次こそは後悔したくない。こんな自分を受け入れつつ、周りの状況も受け入れていかなければならない。こんなに愛をもって接してくれる環境はこの先ないのかもしれないのだから。
2015年06月27日
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ここ一、二週間体調が思わしくありませんでした。なぜだかついつい弱音を吐いてしまうこともあり、そのたびにこんなことではいけないと、振り切ったつもりが、本調子で走れず、いつのまにか仕事に対してまた臆病になっている自分がいました。そして、ここを見返す日々が続いていました。TB事件史を見て笑ったり、大学時代を振り返ってむちゃくちゃだったなーと苦笑いしたり、ワタクシはいつでも人の中で、あっちへフラフラこっちへフラフラしながら、笑ったり泣いたり怒ったりしながら生きてきたんだなぁと。この日記を始めて10年、奇しくも℃-uteの結成からも10年。当時知らなかったグループに今ではすっかり虜で。当時考えもしなかった仕事をして。当時はずっと一緒にいるもんだと思っていた友達が違う地にいて家庭を持って生活していたり。この10年は、自分にとっては、少しゆっくり進んだのかもしれないと。他の同級生に比べたら、見てる景色の数が違うのかもしれないと。でも、自分が見てきた景色は忘れたくないものがたくさんあります。29年楽しかった。だからきっとこれからも楽しいと思う。地に足を付けてね。という言葉を今日改めて思い出しました。
2015年06月26日
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