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2018.10.24
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アマゾンプライムビデオで視聴。

セブンイレブンの1号店が豊洲だったのは知っていたので、都バスで豊洲のあたりを通るといつもどのセブンイレブンか探したものでした。

この作品は、イトーヨーカドーの鈴木取締役が米国出張で見つけ、同社の子会社として設立されたセブンイレブンが、ヨーカドー社内での反対、米サウスランド社との不平等なライセンス契約、商品の配送等の様々な問題を創業メンバーの努力で克服して成長し、経営不振に陥った米サウスランド社を買収する経緯と1号店のオーナーの苦労を描いています。あっという間に40分が過ぎてとてもわくわくするお勧めの作品です。



米セブンイレブンは、もともと氷の小売屋さんだったのが、顧客の要望で取り扱い品目を広げていった経緯と3色の緑、赤、オレンジの横線の意味をWikipediaで知り、興味深かったです。
米セブンイレブンは、1991年に経営破たんしますが、日本の力を借りて再生します。当時の経営者がちゃんとインタビューに答えて日本に感謝の意を表明しているのは、好感が持てました。

米セブンイレブンといえば、2000年頃、ゴミ投資家のためのインターネット株式入門とか読んで、米Datek証券に口座を作り、以前紹介したアマゾン株と一緒に、売買報告も捨ててしまいうろ覚えですが、倒産株を扱うピンクシートに上場していたような記憶のある米セブンイレブン株を1株100円くらいで5万円分買って倍になって売って喜んだような記憶があります。記憶違いだったらすみません。


親会社のイトーヨーカドーや創業者はコンビニエンスストア設立に否定的なように描かれており、誰も番組やインタビューに登場せず、あれっと思いました。
セブン側も、イトーヨーカドーや創業者に会社を作ってくれたことへの感謝の気持ちを述べるより、自分たちのがんばりだけで会社を大きくして、親会社を追い抜いたんだと思っているように受け取れました。
今にして思うと、2年前の鈴木会長の退任の伏線は2000年頃にはひょっとしてあったのかなとちょっと思いました。





米セブンイレブンと不公平な契約を交わしてでも苦労して手に入れたマニュアルが実は使い物にならないような当たり前のことしか書いていなかったところは、自分も合弁企業で働いて似たような、ガチョーンびっくりな経験をしたことがあるので、共感できました。



利益面でヨーカドーとセブンは結構差が開いてしまいました。

■参考リンク
鈴木敏文・電撃退任の舞台裏!~カリスマ経営者は「クーデター」に倒れるのか:週刊現代

Wikipedia:セブン-イレブン
1973年(昭和48年)11月 - 株式会社ヨークセブンを設立し、アメリカ本社のサウスランド社とライセンス契約を締結。
1974年(昭和49年)
5月15日 - 東京都江東区に第1号店「豊洲店」(地図)[注 1]を出店(1号店が豊洲に開業されたのは、初フランチャイズに応募したのが同地で経営していた酒屋「山本茂商店」の店主、山本憲司だったため。山本は病死した先代の跡を継承し明治大学を中途退学していた)[2]。
最初に売れた商品はサングラス[3]で、初日の利用者は約800人だった。この1号店には当時のダイエー社長・中内功など他社スーパーの幹部もよく視察に訪れていた。
1975年(昭和50年)
6月 - 福島県郡山市・虎丸店[5]で24時間営業開始[リンク切れ][注 2]。
1976年(昭和51年)

9月 - ベンダーの集約化、共同配送開始。
ドミナント戦略と呼ばれる「特定の地域へ集中的に出店する」ことにより物流、広告、店舗指導その他で効率向上を狙った戦略を基に店舗展開を行っているため、店舗数は日本一であるものの(特に2000年代初頭までは)店舗数に対し未出店の地域がかなり多く[31]、そのために三大都市圏の一つである名古屋ですら、21世紀に入るまで出店は無く(愛知県への初出店は2002年(平成14年)7月12日)、大阪への出店も1991年(平成3年)3月と比較的遅かった。なお、この「ドミナント戦略」については、会長兼CEOの鈴木敏文も「セブン-イレブンの競争力は突き詰めるとドミナント戦略に行き着く」と豪語している[31]ほどである。

Wikipedia:セブン-イレブン (米国)
セブン-イレブン (7-Eleven, Inc.) は、アメリカのコンビニエンスストア。テキサス州オーククリフで、1927年にオープンした氷販売店がはじまり。
概要
アメリカセブン-イレブンの店舗(オクラホマシティ)

同社の販売を任されたジョン・ジェファーソン・グリーンは、常に来客へのサービス向上に関心を持ち、夏の時期には、週7日・毎日16時間の営業を行った。この試みは、地元の人に高い評価を獲得した。
ある時に来客から、食料品や調理器具などの日用品も扱ってくれると便利だという声を聞き、ジョンは本社へ提案を提出。同社もこれに合意した。これが、「7-Eleven」の原型となる。現在、コンビニエンスストアと呼ばれる、こうした小売形態の店舗は、当初は「トーテム・ストア」と呼ばれた。これは、店舗の庭に建てたトーテムポールや、店舗の側面に描かれたトーテムポールの絵が、シンボルとなっていたことに由来する。
1946年には、朝7:00から夜11:00(23:00)までの営業時間にちなみ、店名を「7-Eleven」に変更した。
マークや看板に使用されている3色のイメージカラーは、グリーンが砂漠のオアシスを、赤が夜明けの空・開店時間の7時を、オレンジが夕方の空・閉店時間の11時を表している。これらのイメージカラーは、一部店舗を除き、世界中で使用されている。

Wikipedia:鈴木敏文
1963年9月 株式会社イトーヨーカ堂入社。
1971年9月 株式会社イトーヨーカ堂取締役。
1973年11月 セブン-イレブンを展開する米サウスランド社と提携し株式会社ヨークセブン(のちの株式会社セブン-イレブン・ジャパン)を設立、専務取締役に就任。
1974年5月 セブン-イレブン1号店を東京都江東区に出店。

セブン-イレブン徹底解剖:出店の考え方
ドミナント方式(高密度多店舗出店)
コンビニエンスストアをフランチャイズチェーンで展開するにあたり、創業時より効率性・安定性から高密度多店舗出店を基本戦略として、出店を続けています。それは、店舗ごとに商圏を隣接させながら店舗網を広げ、そこから知名度をアップし、鮮度のよい商品供給を行うというやり方です。


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Last updated  2018.10.24 00:00:10
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