秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2019.07.15
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「♪一人感じる 白い午後 ~、わたしは誰かにみられていますー」という昔のCMソングを探していたら、浅野ゆう子さんのの森永ハイクラウンというヒントが出てきましたが、なかなかその先にたどりつけません。引き続き調査中です。

浅野さんといえば私より1歳下で、自分が中3の 時にデビューされてずいぶん足が長い方だなと思ってました。デビュー曲の歌詞のせいか、紺の制服が似合っていたような印象があります。

ヒット曲のセクシー・バス・ストップの誕生の経緯はいろいろあったんだなと、今回Wikipediaを読んでびっくり。今、聴くと琴と尺八の音がよく合ってます。

2024.7.26内容の追加。






■参考リンク
☰ 暇つぶし2ch:60~70年代の懐かしいCMを語ってみる?
11:昔の名無しで出ています
06/10/05 01:48:55 frSFf3Wz
♪一人感じる 白い午後
浅野ゆう子の森永ハイクラウン

Wikipedia:セクシー・バス・ストップ

概要
筒美京平が率いた覆面ユニット“Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス”の1stシングルで、筒美が“Jack Diamond”という変名で作曲した作品である。
本作の企画が出たのは1975年11月で、ビクター洋楽宣伝部の本多慧が「アメリカでは“バス・ストップ[1]”というステップが流行り始めたが、日本ではバス・ストップを踊れる曲が無い。だから日本で踊れる曲を作ってしまおう。」と考えたのが発端である[2]。本多から楽曲作りの依頼を受けた筒美は、フィラデルフィア・サウンドを支えたMFSBの日本版を目指し、林立夫(ドラム)、鈴木茂(ギター)、後藤次利(ベース)、矢野顕子(キーボード)によるユニット、“Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス”を結成。楽曲を制作、完成させる[3]。1976年1月に、ニューヨークのルーズベルト・ホテル(英語版)で行われた、ビルボード誌主催の“国際ディスコ会議”に本作を出品したところ好評を博し、日本での発売に踏み切る[2]。
日本人の作曲家とミュージシャンが制作、演奏したことを隠し、ビクターから洋盤として発売[2]。その後は売り上げを伸ばし、ニッポン放送の『ポップスベストテン』や、文化放送の『オール・ジャパン・ポップ20』などの、ラジオの洋楽ランキング番組にランクインする[2]。また洋邦の総合チャートであるオリコンシングルTOP100でも、28週にわたりランクイン[4]。最終的には、1976年の洋楽売上チャートで、「ビューティフル・サンデー」に次ぐ2位の売上を記録する[5]。
浅野ゆう子のカバー
概要
1976年4月25日に発売された浅野ゆう子の8枚目のシングル。インストゥルメンタルだった本作に、新たに歌詞を付けてカバーされる。
歌詞を付けた作品を浅野に歌わせるというアイデアは、日音の村上司によるものである[6]。作曲者である筒美は、当初「インストゥルメンタルとして書いた作品だから…」と難色を示していたが、村上とディレクターの岡村右との話し合いにより納得[6]。作詞は筒美の要望により、橋本淳が担当することになる[6]。またB面には、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」のカバーバージョンが収録され、オリジナルより約1ヶ月半遅れで発売される。
浅野のカバー盤はチャートTOP10近くまで上昇するヒットとなり、自己最高セールスを記録する[7]。





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Last updated  2024.07.26 23:03:45


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